手のひらの温度

性暴力(本番未遂)の描写があります。

「じゃあ行ってくるね」
「あぁ、こちらも納品分の製作が終わったらすぐに向かうぞ。くっ……お前が汗を煌めかせながら働く様をすぐに見られないとは……!」
 ぐぐっと拳を握りしめて悔しがるオルシュファンに笑いながら、ハルドメルは相棒のチョコボに跨がった。
「早く来ないと私が全部終わらせちゃうよ!」
「フフ、言ったな! 私だって日々腕を磨いているのだ、あっという間に終わらせて追いついてみせよう!」

 モードゥナからイシュガルドへ、ハルドメルはチョコボを走らせる。テレポで行くこともできるが、チョコボの運動にもなるし、何より大地を蹴り、風を切って走るのが好きだった。
 冷たく吹き付ける風をものともせず、一人と一羽はあっという間に雪原を駆けていく。


 蒼天街の復興も進み、街は見違えるように再建され、活気を取り戻してきていた。勿論全てではない。イシュガルドという国――その皇都をぐるりと取り囲み支える下層の街は、まだまだ瓦礫の撤去から始めなければいけない部分も多い。
 旅を一段落させ、しばらくモードゥナに滞在することにしたハルドメルは、早速復興の手助けになればと皇都を訪れた。――職人として生きる道を選んだ恋人、オルシュファンは依頼された製作を終わらせてから合流する予定だ。
「フランセル!」
「ハル! 来てくれたんだ、顔を見られて嬉しいよ」
 蒼天街復興の総監として奔走している親友フランセルとハグを交わす。ふわりと薔薇の香りがして、ふと以前のことを思い出しハルドメルは微かに赤面した。
「ふふ、オルシュファンとは仲良くしてる?」
「う、うん……あはは、その節はお世話になりました」
 もう何度もお礼は言ったのに、何度言っても足りないものだ。そう思いながら今日の予定を確認する。瓦礫の撤去が主なところで、力自慢の冒険者達も集まっていた。ほぼ復興の終わった第一区に携わった者も多く、皆手慣れてきているのが分かる。
 たくさんの人が協力して一つの目標に向かう姿は、今までの旅でも見てきた。それがどんなに温かくて強い力を持っているか、ハルドメルは良く知っている。この国で余所者を拒否し、生まれや身分で蔑む一面も見てきたからこそ、今こうして貴族の協力者が増え、冒険者や下層の民達と協力する姿は感慨深いものがあった。自然と笑みが零れる。
「しばらくこっちにいるんだよね? ありがたいけど、もっとゆっくりしてもいいのに」
「うん。でも冬になれば今より冷え込むし、それまでにもっと復興進んで欲しいから」
 シュファンも喜ぶし。そう言ってはにかむハルドメルにフランセルは眼を細めた。2ヤルムを優に超える彼女はよく鍛えられた身体と小さな瞳の三白眼も相まって、剣を手に敵と相対した時は視線を受けただけでも気圧されそうな迫力がある。が、こうして平和の中にいれば、驚くほど柔らかな表情を見せてくれるのだ。それが好きな相手のことを想う時のものなら尚のこと。一時は悲しげな表情ばかりだったからこそ、今の笑顔が見られることがフランセルは嬉しかった。
「じゃあありがたく厚意を受け取るよ。作業者用の炊き出しもあるから遠慮無く食べていって」
「ありがとう! フランセルも総監の仕事頑張ってね!」


「くぅ……こんなに遅くなってしまうとは……!」
 途中で追加の依頼が入り、品質を落とさないよう慎重に作業をしていたオルシュファンがイシュガルドにたどり着いたのは、太陽が西に傾いたころだった。今回の対象だという第二区へ足早に向かえば、休憩中なのか瓶を片手に談笑している作業者達が多くいた。
 きょろきょろと辺りを見回しながら少し歩いてみるが、彼女の姿を見つけられない。復興に協力してくれている冒険者達の中にもルガディンはいるが、例え後ろ姿だけでもオルシュファンはすぐに気付ける自信がある。にも関わらず、第二区のかなり奥まで来てもハルドメルはいなかった。
 何人かに訊ねてみたが、姿を見た者はいても今どこにいるかを知るものはいない。オルシュファンは何故か――妙な胸騒ぎを感じて焦る。
 ――ふと子供の姿が眼に入った。下層で暮らしているのだろう二人の子供は、妙に高そうな菓子を美味しそうに頬張っている。じとりとした言いようのない不安を抱えたまま、オルシュファンはそっと二人に近付いた。
「すまない、人を探しているんだが……私より少し背が高くて、深い青の髪と黒い肌で……」
「あ、知ってるよ。エイユウさまでしょ? ちょっと前にジュース配ったんだ」
 子供の側には作業者達が持っていたものと同じ瓶があった。知らず拳を握りしめる。どくどくと心臓が早鐘を打ち始める。子供達を怖がらせないように、オルシュファンは笑顔を作った。
「あぁその人だ! どうして英雄だと?」
「作業が一段落したら皆にジュース配ってって頼んできた貴族の人が言ってたんだ。エイユウさまには特別いいジュースを渡してくれって。ちょっと皆と色が違う瓶があってさ」
「すごいお駄賃とこのお菓子もくれたの!」

 無邪気に笑う子供を前にして、オルシュファンは冷静さを保とうと必死だった。杞憂であってくれと願う心と、まさかと焦る心がぶつかり合い、嫌な汗が滲んでいく。
「そう、か。仕事を手伝っていて素晴らしいな! ……その後、英雄殿が何処に行ったか知っているか?」
「うーん……ちょっと具合悪そうで、貴族の人と話してるのは見たけど」
「……っ……その、貴族の特徴は……っ」
 僅かに声を荒げそうになり、ぐっと一度飲み込んだ。子供達も流石に驚き、目を丸くして互いに顔を見合わせた。
「……すまない、すぐその人に会わないといけないんだ……知っていることを教えてくれ……!」


(――あ、つい)
 身体も、吐き出す息も酷く熱い。世界が不安定に揺れている。薄らと目を開けようとしても、瞼が重い。何とか持ち上げてみても、視点はいまいち定まらずぼんやりしている。
「――意識が――のか? バケモ――――全く」
 呆れたように笑う声に覚えは無かった。――否、少し前に会ったばかりの。
 鈍く瞬きを繰り返す。ほんの微かに感覚が戻るような気がしたが、霞がかった思考で理解できたのは両腕を縛られていることと、目の前にいる男が先ほど初めて言葉を交わした貴族の男だということだけ。
「な……で……」
「おい、本当に多めに入れたんだろうな?」
「も、勿論ですよ……! 普通なら起きるなんて有り得ません!」
「ふん、まぁいい。意識はあっても禄に動けないだろうからな」
 せせら笑うような声。値踏みするような視線。
「ご自分の立場を理解されていないようで助かるよ英雄殿。こうも簡単に捕まってくれるとは」
 混濁した記憶が微かに戻る。そうだ、子供達にジュースをもらって。
「式典の時も一服盛られたそうだが……人が良すぎるのか? バカなのか?」
 ――何も思わなかったわけではなかった。だが皆に配られているものと同じだったから。大人に交じり手伝いをする無邪気な子供達がくれたものだから。
 信じてしまった。それがハルドメル・バルドバルウィンという人だった。

「あんたには微塵も興味ないが……その『力』はウチに欲しい。孕ませちまえば娶りやすいからな」
 首筋に触れた生暖かい温度にぞわりと鳥肌が立つ。鎖骨を辿るようにねっとりと触れる指が身体の中心に近付くと、徐に両手で作業着を引っ張り、ボタンが弾け飛んだ。
「ッ……!!」
「はは、色気がないな」
 男はそう言いながら、中に着ていたタンクトップも中心を無残にナイフで切り裂く。肌が外気に晒され身震いした。
「い、や……っ!!」
「うぉッ……!?」
 渾身の力を振り絞ってハルドメルは縛られたままの両腕を振る。だが薬の効いた身体では大した抵抗にならず、男を驚かせただけにすぎない。
「くっそ……これだけ動けるなんてやっぱバケモノだな……おいお前ら、ちゃんと押さえてろ!!」
 縛られただけだった腕は近くにいたらしい取巻きの男に二人がかりで頭上に押さえつけられた。どんなに藻掻いてもびくともせず、ハルドメルの心が恐怖と嫌悪に浸食されていく。
「は……あの妾腹は随分ご執心みたいだな? どうせあいつも……フォルタン家も『英雄』の影響力が欲しいだけだろうが」
「っ……、……!」
 胸元に残る微かな痕を見て男が嗤った。無遠慮な手が下着ごと双丘を鷲掴み、痛みにハルドメルの身体が強張る。薬の力でそこに僅かな快楽を感じてしまうことが、彼女の心に更に絶望を与えていく。
「前は粋がったことを言っていたが……所詮一介の騎士如きが貴族に刃向かえるわけがない」
 ――せめても。これ以上与えず、与えられまいと、ハルドメルはきつく目と口を閉ざした。視線も、声も、決して男を喜ばせたくはないと。

 そう思った瞬間、感じた気配に彼女は反射的に掠れた声で叫んだ。
「――だめ……っ!!」
 その声をかき消すように、轟音と共に扉が蹴破られた。驚く間もなく、ハルドメルに馬乗りになった男の身体が部屋に踏み込んだ影に蹴り飛ばされる。
「ひ、ぎゃっ!」
「ぐぇ……っ」
 腕を押さえつけていた二人もまた殴り飛ばされ、悲鳴を上げて部屋から出ていこうと逃げ惑う。
 猛り狂ったドラゴン族もかくやと思わせるほどの怒気を纏った銀髪の男は、蹴り飛ばした主犯格の男につかつかと歩み寄りその胸倉を掴み上げた。
「だ、め……シュファン……っ」
「がっ……!」
 手に痣ができるほど力一杯殴りつける。だが絞り出すようなハルドメルの声に、二発目が一瞬躊躇われた。

「――殺しちゃだめ……!!」

 オルシュファンの瞳が、僅かに冷静さを取り戻す。振り上げた拳が怒りに震えるが、それは一発目よりも少しだけ――本当に少しだけだが――弱い力で男の顔面にぶつけられた。
「…………ハルの慈悲深さに、死ぬまで感謝しろ……下衆が……ッ」
 呪うように吐き捨てると、気絶した男を床に転がしオルシュファンはハルドメルに駆け寄った。両手を縛った縄を解き、晒された肌を隠すように自分の着ていた上着を被せる。
「ハル……大丈夫だ……もう大丈夫だ……」
 痛々しい縄の痕も、滲んだ涙も、オルシュファンの胸を深く抉るような痛みを与えてくる。怯え縮こまった身体を、その心をそれ以上傷付けないよう慎重に抱き上げた。


「側にいてやれ。後のことはこちらでやっておく」
「……ありがとう、兄上」
 犯人達はフランセルの根回しでいち早く駆けつけてくれた自警団から神殿騎士団へ引き渡された。フォルタン家への連絡もしてくれていたため、すぐに用意されていた部屋に通される。
 フォルタン家と懇意にしている医師は薬が抜けるまで安静にしていれば身体は問題ないといい、念のための鎮静薬を処方してくれている。
「……心の方は、周囲のケアが必要不可欠ですが……オルシュファン様なら大丈夫でしょう」
 医師はそう言って穏やかに微笑んだが、オルシュファンの心中は酷く乱れていた。
 もっと早く来ていれば。もっと早くに見つけていれば。医師が出て行った後も、共にいられなかった後悔ばかり押し寄せる。ベッド脇の椅子に座ったまま考え込んでいると、小さく呼ぶ声がした。
「……シュ、ファ……」
 ベッドに横たわるハルドメルの、苦しげな息使いに胸が軋んだ。不安にさせまいと微笑んで見せる。
「……案ずることはない。お前に危害を加える者は、もういない」
「…………」
 ハルドメルの手がのろのろとオルシュファンへ伸ばされる。オルシュファンは少し躊躇った。運ぶ時はやむなしと身体に触れたが、今はまだ男が触れないほうがいいのではないか。否、同じ部屋にいることも――。そう考えるオルシュファンに、ハルドメルは縋るようにさらに手を伸ばした。
「シュファン……」
 オルシュファンがそろそろと右手を伸ばす。薬のせいか弱々しい力だったが、両手で包むように握られた。
「……行か、ないで」
「…………」
「ここに、いて……」
 おねがい。そう請われて、その上に左手を重ねる。ほう、と安心したように漏れた吐息と笑顔に、何故か泣きたくなった。
「……あぁ、ここにいる。どこにも行かない」

(全然、ちがう)
 無理矢理肌を暴いたあの手は。押さえつけ自由を奪った手は。あんなに気持ち悪かったのに。
(あったかい)
 自分を想ってくれる、その温かな体温に安堵しながら、ハルドメルはゆっくりと目を閉じた。

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