「……うん、ありがとう。頼りにしてる!」
二言三言交わして仲間との通信を終えたらしいハルドメルは、キャンプ・ドラゴンヘッドを訪れてから一番晴れやかな顔をしていた。
「どうした、イイことでもあったか?」
オルシュファンがそう訊ねれば、彼女はとてもイイ笑顔で答える。
「仲間と……行方がわからなかった人達とやっと連絡が取れたんです! ……よかった、本当に」
「おお、それは実にイイ知らせだな! イイ知らせというのは続くものだ。異端嫌疑の証拠も、飛空艇の情報もきっとすぐ得られるに違いない!」
「はい! 行ってきます!」
軽やかな足取りで執務室を出ていくハルドメルを見送りながら、オルシュファンも自然と笑みを浮かべていた。
「うむ。やはり笑顔がイイな!」
――半日ほど前。目の前にいる銀髪の剣士が探していた人物だと知り、ハルドメルは驚きと共に妙に納得した。自身の直感は間違っていないのだと、そう思わせる人だった。
フランセルから預かってきた書簡を渡すと、封蝋の印で誰からのものかすぐに気付いたらしいオルシュファンは、僅かに険しい表情になる。中身を確認した彼はその表情を崩さないまま、一つ息をついた。
「……異端者の嫌疑をかけられて何を頼むかと思えば……」
その表情に、ハルドメルは少しだけ引っかかりを覚える。その違和感がなんなのかを読み取る前に、もうオルシュファンは険しかったそれを和らげていた。
「お前に協力しろ……ときた。自分が疑われているというのに相変わらずだな、我が友は」
親友が疑われているのだ。オルシュファンも気が気ではないはずなのにこちらの用件を聞いてくれ、彼らには頭が下がるばかりだ。
「あの、フランセル卿のことは……」
「それはこちらでも探りを入れる。お前は自分のやるべきことをやるといい。……あいつが異端に手を染めるような人間でないのは当然だが……最近の異端者関連の話はどうもきな臭いからな」
その言葉を聞いて少し安心する。もちろん手を貸したいのは山々だが、ナル神とザル神の祠を同時に参拝できないように、一度に二つの道を進む方法はない。もし上手くいくとしたらそれはまさにナルザル神のご加護と言えるだろう。今はオルシュファンの言うように、自身の役割を果たすまでだ。
オルシュファンが都に使いを出してくれている間に飛空艇の情報を探ることにした。
助言を貰い、ゼーメル家以外の四大名家に話を聞くため、クルザスの雪の中歩く。ニヌ婦人と話をした後、アートボルグ砦群に向かおうとしたところでアルフィノを見かけたので声をかけた。現状報告というほどでもないかもしれないが、今何をしているかを伝えると。
「ああなるほど……そのオルシュファンという騎士は気が利くのかもしれないね」
「どういうこと?」
「ここはイシュガルドの地……用件はどうあれまず四大名家に顔見せだけでもしておけば、後々の行動がしやすいと考えたのだろう。余所者には厳しい国のようだからね」
「なるほど……やっぱりアルフィノは頭がいいんだね」
今話した状況だけでそこまで推察できることをハルドメルは素直に尊敬した。読み書き計算こそできるが学があるわけではない自分とは大違いだ、と。
「……ふふふ……名門たるルヴェユール家の人間だからね。これくらいは……っくしゅ」
喜色を滲ませながらもくしゃみをした寒がりなアルフィノに、先ほど行商から買ったコートを渡した。すまないね、と受け取り早々にそれに腕を通したのを見届けると、ハルドメルはアートボルグ砦群、そしてアドネール占星台に向かって歩き出した。
アートボルグ砦群でも情報は得られなかったが、異端嫌疑の当事者たるフランセルがいるのだ。彼の言う通り、今はそれどころではないだろう。ただ、アルフィノ曰く彼らは細々としたことでも必ず上へ報告するため、こちらの動きは伝わるだろうということだった。
クルザスに来て最初に訪れたアドネール占星台へ再び足を踏み入れる。あの時は門前払いも同然だったが今回はどうか、と不安も抱えつつフォルルモルに事情をもう一度説明した。
「なるほど、フォルタン家の騎士がお前についたと」
取り付く島もなかった初対面の時とは少し態度が違うのを見て、少しは協力してくれるのだろうかと期待した。――が。
「……騎士に叙されても生まれは覆せんか。まったく、節操がなくて困る」
「…………」
そこにある、明らかな侮蔑と嘲笑に思わず言葉を失う。乱暴な言葉や態度で人を威圧する人間も多くいるが、こんな風に――当たり前のように人を見下すなんて。
胸が酷くざわつく。無意識に拳を握りしめた。――悪意。支配する暴力ではなく、存在そのものを否定するように見下し、嘲笑い、人を貶めるもの。
『生まれは覆せない』、その言葉があの騎士に向けられた意味は、ハルドメルにはわからない。ただ彼が馬鹿にされたことだけはありありと伝わってきた。
眉根が寄るのが自分でもわかる。普段からあまり怒りを覚えることはないが、今ばかりはそうもいかなかった。こちらには目もくれず本を見ながら話していたフォルルモルが気配に気付いたのか漸くちらりと視線を上げる。真っ直ぐにその目を見返してやれば、軽く息をのんで慌てて咳払いをした。
(怖がるなら言わなきゃいいのに)
目付きが悪いだの顔が怖いだの散々言われ慣れているが、こういう時には効果覿面だということも学んでいる。心の中で舌を出すと、要約『お前らに構う暇はない』という返事を貰って足早にその場を立ち去った。
胸の内、泥のようなものが渦巻いている。
(……嫌だな)
怒りも悲しみも、激しい感情は少なからず精神を磨耗させる。時にはそれが行動の原動力になることもあるとは言え、好き好んで得たいものではない。
(皆、仲良くできたらいいのにな)
友達を得られなかったハルドメルにとって、人に対する負の感情は忌避したいものだった。自分が嫌われたり怖がられるのは慣れているし諦めている。けれど逆は。自分がそんな感情を抱くことを良しとすることができない。それを向けられた相手が傷つくことを、誰よりもよく知っているから。――どうしても摩擦が起きてしまうのは、人としてしょうがないことだと、分かってはいるのだけれど。
一度立ち止まり、大きく息を吸う。クルザスの冷気で胸を満たせばほんの少し気が紛れたが、それも一瞬のこと。憂鬱な気分のままキャンプ・ドラゴンヘッドへ戻れば、オルシュファンが笑顔で迎えてくれた。余所者だろうがこうして歓迎してくれる彼をあんな風に悪し様に言うのは、やはりハルドメルには理解できない。
「ふむ、その顔では有力な情報は得られなかったか。致し方ない、最近は異端者嫌疑の話題で持ちきりだからな」
「はい……まあ……」
情報を得られなかったことだけが原因ではないのだが、彼にそのことを伝えるつもりもなかった。――そもそもあの様子だと、常日頃から似たような陰口を言われている可能性も高いのではないか。そう考えると尚のこと気持ちが沈む。やたらと肉体のことについて並々ならぬ熱を見せる彼だが、友を想い、しがない冒険者に協力してくれる、真っ直ぐで気持ちの良い人だということは、少し話せばわかることなのに。
「――と、帰ったばかりのところ悪いが、手を貸してくれるか? 実は……」
ドラゴン族を倒しに行ったというフランセルに手を貸して欲しいと言われ、ハルドメルは休む間もなくスチールヴィジルに足を向ける。
オルシュファンが危惧した通り、フランセルは罠に嵌められていたのだ。ドラゴン族に襲われ、怪我をした他の騎兵達も共に救助するとこの上なく感謝された。しかしフランセルのおかげで今は飛空艇の調査が進んでいるのだ。礼を言うのはこちらだというのに、とハルドメルはドラゴンヘッドへの帰路の途中に独りごちる。その誠実さを感じるたびに、何故彼が疑われるのかと思わずにはいられない。
「……異端審問って、何するんだろ……」
フランセルは『異端審問の日は近い』と言った。裁判所のような所に赴くのだろうか。審問と言えばまだ聞こえはいいが、最悪拷問のような自白強要がありはしないかと、嫌な想像ばかり浮かんでしまう。
オルシュファンに事の次第を伝えると、彼は心底安堵したのか、少し深めに息を吐いた。
「一先ずは今の無事を祝おう……そして、感謝する。お前は我が友フランセルの命を救ってくれた」
親友のことが気がかりだろうが、オルシュファンも責任ある立場だ。友人が辛い立場にいる時にそう簡単に動けないのはもどかしいことであろう。こちらもフランセルには恩があるし、何よりきっと無罪であると信じている。助けが必要なら喜んで手を貸すというものだ。
期待していた飛空艇の情報は、フランセルの関係者であると知られたことで目撃者から話を聞けなかったという。だがオルシュファンは笑って見せた。何故なら、フランセルの無罪を証明することで、飛空艇の情報も手に入るということだからだ。まさにナルザル神のご加護だろう。
その時ふと、リンクパールに手を伸ばす。砂の家の襲撃以降、何度も暁の仲間達に繋げようと試みているが、誰一人として繋がらなかった。ナルザル神の加護が本当にあるのならと、縋るような気持ちでリンクパールを通じてエーテルを飛ばす。
一人、二人……やはり出るものはいない。やはりダメなのかと思いかけた時、久しく聞いていなかった声がリンクパールから聞こえた。
今まで全く通じなかったそれが声を届けてくれたのは、その声の主がザル神に所縁のある者だからだったのだろうか。
ナルザル神の加護は、本当にあるのかもしれない。そう思った。