08.友は異なもの味なもの

 とんでもない思い違いをしていた。
 あの人に失礼なことをしてしまった。
 だから、謝らなければ。あの人に――。


 キャンプ・ドラゴンヘッドの宿舎に一晩泊めてもらった翌日、ハルドメルはフランセルの異端嫌疑を晴らすために改めて荷運び人の積み荷を確認した。その中からフランセル宛の荷物にあったものと同じ、異端者が持つという竜眼の祈鎖を見つけた。それも三つ、だ。こんなにいくつも出てきては、フランセルを陥れるため故意にやっていると白状しているようなものだろう。
(なんか……ほんとに急にうまくいく……!)
 事が終わったら本当にナルザル神への参拝でもしたほうがいいのかもしれない。
 漸く友の無実を証明できる証拠を得たことにオルシュファンは歓喜した。過剰なほどに誉められて少々気恥ずかしい。――しかし異端審問の職員は嘲笑うように証拠を無下にした。間もなく異端審問は始まるのだと。
 オルシュファンは文字通り目の色を変えて声を荒らげた。明るく豪快な姿しか見せなかった彼の怒りに触れ、ハルドメルは腹の底が冷えていくような不安を、そして『異端審問』という言葉に対する嫌な予感を思い出した。拷問でもされるのではないかという自身の予想どころではない。オルシュファンは『処刑』だと言った。たった一つ荷物に紛れていたもののせいで?
「酷い……」
「ああ……だが今ならまだ止められる」
 異端審問はウィッチドロップという谷で行われる。ハルドメルはオルシュファンに頼まれ、その地へ向かった彼の部下を追うように、キャンプ・ドラゴンヘッドを飛び出した。
「……異端審問官ギイェームめ」
 執務室を出る前に聞こえた昏く唸るようなオルシュファンの声が、少しだけ怖いと思った。

 ウィッチドロップ。魔女を突き落とす地。不気味な名前のそこには、深く暗い谷がある。その前で、異端審問官達とフランセルが話し合っている。その内容は、それなりに平和に暮らしてきたハルドメルにとってあまりにも信じ難い残酷なものだった。
 潔白を証明するためにその身を投げよ。死ねば無罪。ドラゴンに変貌しようものなら容赦なく撃ち落とす。どちらにしても死を免れないそれを審問と呼ぶのかと、にわかには信じ難い。だがそれは今まさに目の前で行われようとしているのだ。
 オルシュファンの部下と頷き合うと、彼らの前に飛び出しフランセルを守るように立ちはだかる。驚いた様子のフランセルだったが、小さく「すまない」と言うと安全な場所まで下がった。彼の本分が戦闘がでないことはわかっている。だからこそ前に出る。この剣は、脅威を退けるために。この盾は、目の前にいる人を助けるために。


 他の部下を引き連れてやってきたオルシュファンの活躍で、その場は一旦収まった。オルシュファンはフランセルに駆け寄ると、無事を確かめるように両肩に手を置く。
「……よかった、無事なのだな」
「オルシュファン……ハルドメル……僕は、なんと礼を言ったらいいのか……」
「友の危機に、駆けつけないわけがないだろう」
 フランセルの肩に置かれた手が微かに震えたのに気付いた時、ハルドメルはいかに自分が無知であったか、考えが浅はかであったかを思い知る。
(……そう、だよね)
 異端者という存在自体は噂で知っていた。だがそれがどういう者達か。異端者とされればどうなるのか。何も知らなかった。それこそ、無罪であっても死に追いやられるなどと。
「敬虔なお前のことだ。ためらいなく飛び降りるのではないかと、焦ったぞ」
(……平気なわけ、ない)
 心労の滲んだ声に胸が痛んだ。ハルドメルにとっては、心優しい人が嫌疑をかけられている。それを晴らしてやりたいと、それだけだった。だが彼に――オルシュファンにとっては、親友の生死がかかった問題だった。平然としていられるはずがない。それでも彼は平静を保ち、自分達に協力してくれていた。感謝などでは足りない。どうやってこの恩を返せばいいか、わからない。
(……後でちゃんと、言わないと)
「ハルドメル」
 名前を呼ばれてはっとした。空色の瞳が、優しく細められる。友の無事を喜び、心底安堵した表情だった。
「キャンプに戻り、落ち着いたら私を訪ねてくれ。今回の働きに誠意をもって応えたい」
「……はい」
 フランセルを助けたいという思いがあったのは、本心だ。だが心のどこかで、より協力的にすれば彼らの信頼を勝ち得ると思っていなかったかと言われれば、ハルドメルはそれを否定できない。やはり感謝をされるのはなんだか居たたまれなくて、ハルドメルは頭を下げると先にドラゴンヘッドに向かって歩き出した。

「……本当にケガはないか?」
「……代わりにキミ達が傷ついた」
「うっ……これくらいは日常茶飯事だぞ」
 オルシュファンが盾で攻撃を防いだ際に痛めたであろう腕に触れれば、ほんの少し顔を顰めた。自身もまた傷ついたような顔をするフランセルに、オルシュファンは微笑む。
「お前を失うより、ずっといい」
「……キミはいつもそうだ」
「私は、お前の親友であり、騎士だからな。イイ騎士とは」
「「民と友のために戦うもの」」
 二人同時に言って、笑った。


 食べ損ねていた昼食を、携帯食を齧ることで補う。
 フランセルの異端嫌疑を晴らすことができた。ということは、飛空艇の目撃者が口を閉ざす理由もなくなったというわけだ。漸く前に進める、とは言え、心のうちにかかる靄は未だ晴れず。
 腹ごなしに砦内でちょっとした依頼をこなしているうちにオルシュファンが戻ってきた。執務室へ向かうと彼はすっかりいつもの調子を取り戻し、先ほどの共闘について熱く語る。
 それについてはハルドメルも正直同意できた。イシュガルドのすぐそば、防衛の要である砦を任されているだけあって、彼の腕は確かなものだった。こんな時でなければ手合わせを願い出たい程に。
「ゆっくりと語らいたいところだが、まずは礼だな……感謝するぞハルドメル。お前がいなければ、私は掛け替えのない友を失くしていた」
「私だけの力では……」
「飛空艇の情報とて、こちらはきっかけを掴んだにすぎない。聞き出すための道を拓いたのは紛れもなくお前だ。まったく、手を貸すと言ったのはこちらなのに、これではどちらが助けるほうやら……」
 彼にどう言葉を伝えるべきかと逡巡するうちに、目撃者はもう到着しているぞと促された。寒い中待たせては悪いと急かされ、ハルドメルは気がかりながらも外へ足を向ける。

 飛空艇が着陸したと思われるストーンヴィジルへ行くため、オルシュファンはデュランデル家への紹介状を書いてくれた。デュランデル家と言えばあのアドネール占星台を管理している者達だ。フォルルモルの言葉を思い出して苦い顔をすると、逆にオルシュファンは笑った。
「フフフ、彼らには私も嫌われたものだが……お前もなかなかにやったようだな?」
「!」
 どこかから話が伝わったのか。どうやらハルドメルがフォルルモルを睨め付けたことを知っているような口ぶりだ。本人に伝わるとは思っていなかったハルドメルは叱られた子供のように視線を逸らした。
「他所の国ではどうかわからないが……イシュガルドではあまり珍しいことでもない。あまり気にしてはいけないぞ」
 これから交渉しなければいけないのだからな! とやんわり諭される。彼の言う通り、これから彼らと交渉し、ストーンヴィジルへ入れるようにしなければいけないのだ。多少の失言は見逃すべきというのは理解できる。できるが――果たして我慢ができるかどうか。
「……気を付けます」
「うむ! ではフランセルにも一筆頼んでくるとイイ! 筋肉を躍動させつつな!」
 状況を聞いたアルフィノ達ももう移動する準備をすませている。あまり長居もしていられないと、オルシュファンに見送られながらドラゴンヘッドを出た。

(結局話せなかった……)
 後髪をひかれつつアートボルグ砦群へ向かう。――が、しばらく歩いたところで後ろから呼び止める声がした。
「コランティオさん?」
 それはオルシュファンの側近の一人だった。彼は息を整えると、軽く一礼する。
「ハルドメルさん……先ほどの話だが……部下を代表してお礼を言わせて欲しい」
「どうして……?」
「我々には、できないことだったから」
 イシュガルドは貴族の力が強く、血統主義の考えが深く根付いている。その影響でオルシュファンは様々な局面で苦労してきたと彼は言う。
「フォルタン家は四大名家に名を連ねる、由緒正しき家柄だ。内情はどうあれ、国を守護するためにお互いに協力し合うという体裁がある。たとえ蔑まれても諍いを起こすわけにはいかない。私達は何を言われても受け流すのが常だった。それは我が主……オルシュファン様の命でもある」
「……」
「でもあなたは、明確に怒ってくれた。我が主のために」
「……余計なこと、だったのでは」
「いや」
 きっぱりと言い切るコランティオに驚く。彼は微笑んで、再び頭を下げた。
「感謝している。本当に、ありがとう」
 自分が抱く負の感情を、『良くないもの』だとずっと思っている。ただ、それを感謝されることもあるのだと。あれは、あの時覚えた怒りは、彼にとっては間違いではなかったのだと肯定されて、ハルドメルはどこか安堵を覚えた。
「オルシュファン様も気にするなとは仰っていたが、内心は嬉しかったと私は思う。ああ、私もフォルルモル台長の怯えるところを拝みたかった」
 悪戯っぽく笑ったコランティオにつられてハルドメルも笑う。そうか、よかったのか、怒っても。そう思えば、心の靄が少しだけ晴れたような気がした。

 コランティオと別れてフランセルの元へ行けば、晴れて無罪が証明された彼が穏やかな表情で迎えてくれた。
「ハルドメル! 異端審問の時は本当にありがとう……もうオルシュファンから散々言われているかもしれないけれど、何度でもお礼を言わせてほしい」
「助けてもらっているのはこちらのほうです、フランセル卿……」
 ハルドメルはストーンヴィジルに飛空艇があると思われること、そこへ行くために紹介状を書いてほしいことを告げる。フランセルは当然のように快諾し、最初に出会ったときと同じようにさらさらとペンを走らせた。その途中、ふと手を止めてハルドメルを見た。その表情は不思議と、彼の友人たるオルシュファンと似ているような気がした。
「こういうことを言うと偉そうに聞こえるかもしれないが……キミさえよければもっと、気安く話してもらえないだろうか? 僕は確かに貴族ではあるけれど、それはイシュガルドでの立場……キミとは年も近いようだし、身分は関係なく付き合ってくれると嬉しいな」
「……いいんですか? その……」
 フランセルの家は凋落したと噂する声も聞いてきた。冒険者と仲良くつるんでいるなどと思われては、尚のこと陰口を言われはしないか。そんなハルドメルの心配をよそに。
「僕がそうして欲しいんだ。それとも、凋落貴族の四男坊と仲良くするのは嫌かな?」
「そ、そんなこと……!」
 慌てて否定すれば、フランセルはくすくすと笑った。そして、何かを期待するようにハルドメルの目をじっと見た。ハルドメルは少し躊躇うように視線を彷徨わせ、やがて照れ臭そうにはにかんだ。
「フランセル」
「うん、ありがとう、ハルドメル」

 紹介状を受け取ると、待っていたアルフィノ達と共にホワイトブリムへ向かうため、地図を広げて道のりを確認した。フランセルもその部下達も、雪の中外まできて見送ってくれる。
「そのうち、オルシュファンも交えて、旅の話を聞かせてほしいな」
「うん、落ち着いたらまたくるよ。フランセル」
 どちらともなく手を差し出す。握った手は温かかった。
 アートボルグ砦群を後にして、雪の坂道を登っていく。ホワイトブリムに行くには、一度キャンプ・ドラゴンヘッドへ向かい、そこからさらに西へ行かねばならない。歩みを進めながら、ハルドメルは一人物思いに耽る。
 皆、たくさんの感謝をくれた。何度しても足りないと言ってくれた。追いかけてまで、伝えてくれた。
『どうか、後悔のない旅を』
 旅立つ前の両親の言葉が脳裏をよぎる。近づいてきたドラゴンヘッドの門を見据え、ハルドメルは歩みを止めた。
「どうしたんだい?」
「……ごめんアルフィノ、シド。先に行っててもらえるかな?」
「何……? 嵐神ガルーダはすでに召喚されている。寄り道している暇などないぞ!」
「……すぐに追いつくから! シド、アルフィノのことお願い!」
 返事を聞く前にハルドメルはもう走っていた。後ろからアルフィノが何か言っていたが、聞こえないふりをした。

 伝えなければ。ちゃんと。
 砂の家での出来事は、確実に彼女に変化を与えた。感謝することも、謝罪することも、生きていなければできない。後で、なんて言っていられない。後悔したくないなら、今、伝えられる時に伝えなければ。
 執務室に入った時、そこにはオルシュファンしかいなかった。彼は驚いたように目を見張ったが、破顔すると手にしていた書類を放り出して立ち上がった。
「どうした、フランセルに紹介状は――」
「……すみませんでした、オルシュファン卿!」
 唐突な謝罪に、オルシュファンは今度こそ固まった。頭を下げたままのハルドメルを見て、戸惑いすら覚えて。
「私は……何もわかってなかった」
「ハルドメル……?」
「本当は……本当は私達になんか、構っている場合じゃなかったでしょう……? 一刻も早く、フランセルの嫌疑を晴らしたかったはずなのに……」
「……」
 異端の嫌疑をかけられただけで処刑されるなんて思ってもいなかった。もしもっと早く動けていたら、フランセルを危険な目に合わせることもなかったかもしれないのに。
「本当に、余計な仕事を増やしてしまって、すみませんでした。そして……協力してくれて本当に、ありがとうございました」
「……ハルドメル、顔を上げてくれ」
 いつもの明るさはない、静かな声。言いたいことは言えたはずだと、ハルドメルがそのままの姿勢で自身の言葉を反芻していると。
「……ハル」
 親しい人が使う呼び名に、驚いて体を起こした。
 そこには、酷く神妙な面持ちをしたオルシュファンがいる。
「……謝罪も感謝も、するべきはこちらの方だというのに」
 先を越されてしまったな、と彼は困ったように笑う。戸惑うハルドメルの前で、オルシュファンは一度目を伏せた。
「お前の言う通りだ。私は……一刻も早く親友の嫌疑を晴らしたかった……もしお前がフランセルの紹介状を持たないまま、私が異端嫌疑の話を知ることになっていたら……私はきっと、お前の頼みを断っていた」
 それはきっと、正しいことだ。蛮神を倒すという目的があるとは言え、オルシュファンはそれを知らない。ただ飛空艇を探しに来ただけの冒険者と親友の生死を天秤にかければ、どちらが優先されるかなど誰の目から見ても明らかだ。
「お前の頼みを軽んじていたのだ、私は。使いを出しはしたが……五年も前のこと。正直見つかるとは思っていなかった。そんなことよりも、フランセルのことに人手を割きたいとすら……だが友の頼み故に、やらないわけにはいかなかった」
「それは……当然です」
 だが、とオルシュファンは続ける。薄らと微笑みを湛えて。
「お前は本当に真摯に働いた。自らの足で情報を集め、合間には砦の者達の手助けまでもして……結局、フランセルの嫌疑を晴らせる証拠を見つけてくれたのもお前だった。私は何も……できなかった」
 ふるふるとハルドメルは首を横に振る。ただ偶然が重なっただけのこと。そして砦の主という彼の立場上、思うように動けないのは仕方のないことだったのだから。
「すまなかった……そして、何度でも。言葉では到底足りないが……心からの感謝を言わせてほしい。お前は二度もフランセルの命を救い……そして、親友を失うところだった、私の心を救ってくれた。――本当に、ありがとう」
 互いに謝って、感謝し合って。言いたいことを伝えたら、心の靄はいつのまにか晴れていた。差し出された手に、ハルドメルも手を伸ばす。そっと握ってみれば、オルシュファンが力強く握り返して、互いに自然と笑顔になった。
「さて……つい話し込んでしまったな。仲間が待っているのだろう?」
「はい、先に行ってもらったから、追いかけないと……」
「……ハルよ、いつまで他人行儀でいるつもりだ?」
「え……?」
 不満そうに言うオルシュファンに首を傾げると、彼は瞳を輝かせて笑う。
「我らはもう共に戦い、互いに認め合った友ではないか。いつまでも畏まった話し方なぞしなくてもいいぞっ」
「…………友?」
「そうだ。さっきフランセルのことも普通に呼んでいただろう? あいつも同じようなことを言ったと見たが……ハル?」
 どこかぼんやりとした様子のハルドメルにオルシュファンは首を傾げた。
「……とも」
 彼女はその言葉を改めて確かめるように口にして、しばし考え込む。

 『顔から火が出る』という比喩表現を、オルシュファンはこの時初めて目の当たりにした。
「――――ッ !!」
 彼女の黒い肌でもはっきりと、見る見るうちに朱に染まるのがわかる。おろおろと視線を彷徨わせ、あ、だとかう、だとか意味をなさない呻きのような声を上げた。
 動揺したのはオルシュファンも同じで、明らかに様子のおかしいハルドメルを落ち着かせるように両肩に手を添える。
「ど、どうしたハル! 私はなにかおかしなことを言ったか…… !?」
「ち、違……」
 完全に混乱状態の彼女はしかし、なんとか落ち着かなければ、説明しなければと必死に言葉を探して。

「……っ、は、初めて、だから……!」

 執務室の入り口からばさりと紙の落ちる音がした。
 二人が思わず音のした方を振り返れば、オルシュファンの側近であるヤエルとコランティオがそこにいた。足元には無惨にも書類の束が散らばっている。
 四人の間で、暫し沈黙が流れた。それを最初に破ったのは、ヤエルだった。
「……コランティオ!」
「……了解した」
 ヤエルは素早く近づくとハルドメルの肩からオルシュファンの手を払いのけ、その肩を抱くようにして出口へと誘導する。コランティオはオルシュファンの腕を無造作に掴んだ。
「なんて無礼を……ハルドメルさん、もう大丈夫ですからね……!」
「えっえっ、何、何っ」
「見損ないました我が主……実害がないからと過激な発言には目を瞑ってきましたが……よもやハルドメルさんのような恩人に手を出すとは……」
「待て、待てコランティオ。お前達は何か誤解している。いいか? まずは話を」
「懺悔は神聖裁判所でしましょう……大丈夫です、部下として私も付き添いますから……」
「話を聞け !!」
 彼らの会話を聞き、己の言動を振り返り、漸く失言したと気づいたハルドメルは、恥ずかしさのあまり半泣きになりながら声を上げた。
「ま、待って……! 待って! 誤解! 誤解だからー !!」


「いやぁおかしいと思いました」
「オルシュファン様がそんなことするはずないものね」
「……お前達……」
 少々疲れた顔のオルシュファンを尻目に、ヤエルとコランティオはワハハと笑いながら和やかに話している。その傍らでは、椅子に座り大きな体を小さく縮こまらせながら、ハルドメルが渡されたマグカップを握っていた。
「落ち着いたか?」
「……はい」
 消え入りそうな声で答えるものだから、ヤエルもコランティオもさすがに口を噤む。
「……誤解は解けたから無理にとは言わないが……お前がよければ、教えてほしい」
「……」
 ハルドメルはマグカップを見つめたまま動かない。ただその指先は、少々せわしなくカップの淵を擦っていて、なんと言ったものか悩んでいるのが見て取れる。
「……私、友達がいなかったんです」
 漸く出てきた言葉に、三人は意外だと言うように目を丸くした。本当に? と若干の疑念すら持って。
 ハルドメルはゆっくりと話し始めた。行商人の両親と共に幼いころから各地を転々としていたこと。この見た目から同年代には怖がられていたこと。すぐに別れることになるのが嫌で、友達を作るのを諦めていたこと。
「……大人になったら皆、一々友達になろう、とか言わないでしょう……? でも皆自然と仲良くなってて……」
 ハルドメルとて、仲の良い人間はいる。ただ、『仕事仲間』『冒険者仲間』とは思っても、彼らを友と呼んでもいいのか、わからなかった。相手が友としてではなく、ただの仲間と思っていたら。両親からは、剣と、旅の楽しさを教わった。旅をする中でも、たくさんの人に、いろいろなことを学んできた。でも、友という匙加減を、教えてくれる人はいなかった。
「だ、だからっ……誰かに『友だ』って、言われたの……初めてで……、……ご、ごめんなさい……」
 どんどん尻すぼみになっていく声。恥ずかしい、穴があったら入りたいと本気で思っていると、彼女の前でヤエルとコランティオが膝をつき、マグカップを握る手に手を添えた。
「ハルさん……私とお友達になりましょう」
「えっ」
「私も是非……」
「えぇっ」
「こらお前達!」
 今の話の流れでどうしてそうなるのかと面食らっていると、オルシュファンが二人の部下を不満げに見やる。
「私はまだちゃんと返事を貰えていないのだぞ。お前達は後だ後!」
「あらやだ……我が主、妬いてるんですか?」
「そうだ!」
「おお戦神ハルオーネよ……我が主に祝福を……」
 にやにやと笑いながら二人がハルドメルの前から身を引いた。オルシュファンは軽く咳払いをしながら、ハルドメルの前に立つ。
「……何をもって友か……と、私が偉そうに語れることでもないのだが……」
 ゆっくりと彼は膝をついた。自然と目が合う。
「共に戦い……互いに信頼し合い、認め合えるなら……私はその人を友と呼ぶ。たとえ共に過ごした時間が短くても」
「……はい」
「お前が不安だと言うのなら、私は何度でも口にできるぞっ」
 オルシュファンがその手を差し出そうとして、ハルドメルはそれを制止した。
「……待って」
「……?」
「……」
 ハルドメルは、深く息を吸って、そしてゆっくりと吐き出した。
「……共に戦い……私達を助け…………初めて……友、だって、言ってくれた人。オルシュファン……どうか、」
 思わず震えそうなその手を差し出す。目の奥が熱くなるのを耐えながら。そして、諦めてしまった子供の頃の自分に、だいじょうぶだよ、と語りかけながら。

「……私の友達に、なって、ください」
「……ああ、喜んで!」

タイトルとURLをコピーしました