間違っていたのだろうか。
そうだとしたら、いつから? どこから? 答えてくれる人は、誰もいない。
蛮神シヴァを退けた。イシュガルドの魔法障壁を破り、皇都を襲おうとしたドラゴン族を押しとどめた。ドマの難民問題も、各地の蛮神問題も、何とかしようと皆が奔走した。
ただ困っている人達に手を差し伸べた。目の前にある困難に立ち向かった。
その先にあったのは、縛られた腕の痛みと、冷たい床の感触。反逆者と謗る声だった。
「っ……」
シドの運転するエンタープライズの中で一瞬意識を手放しかけたハルドメルは、刺すような冷たい風に身を震わせて意識を覚醒させた。
クルザス中央高地。三つのグランドカンパニーではなく、イシュガルドが有する地。ここでならクリスタルブレイブや銅刃団等の力も及びにくいはずだと、縋るような気持ちでやってきた。
エンタープライズを見つけ、この地を飛び立ったあの時とはまるで違う、暗澹たる気持ち。けれど暗闇の中にぼんやりと浮かび上がるキャンプ・ドラゴンヘッドの明かりは、ざわめく心を導いてくれるように、優しく暖かかった。
「しばらくの間、ここを隠れ家として使うといい。『暁』の基準に則るならば……うむ、『雪の家』といったところだな!」
事情を聞き、イシュガルド本国でも問題が起こっているというのに、オルシュファンはそうするのが当然と言うように二人を、そして先に訪れていたタタルを受け入れた。それがどんなにか頼もしく、救われる言葉であったかを彼は理解しているのだろうか。
オルシュファンが普段詰めている執務室のある建物には、客人用の部屋がいくつかあった。どうせ今は本国もごたごたしていて客人など来るまいと、オルシュファンは三人にそれぞれ部屋を宛てがってくれた。ウルダハを出た後も多くの兵士が自分達を探し回り、怒号を上げているのを見たアルフィノとハルドメルにとって、恐れることなく休息をとれる場所がどんなにありがたいか、何度感謝してもしきれない。
あんなことがあった後ではなかなか気持ちも静まりきらない三人は、雪の家の中でオルシュファンが出してくれたジンジャーティーを飲みながら、今目の前のことではない、他愛のない話を続けていた。
「じゃあ今日はポトフの予定だったんだ。フ・ラミンさんのポトフ食べたかったぁ」
「はいでっす! リムサ・ロミンサにちょうど大型商船が来てて、珍しい香辛料なんかも安く買えたのでっす!」
やはりというか、少し落ち着いたとは言え、まだ意気消沈しているアルフィノはあまり多くは話さず。女性二人であれやこれやと長話をしていたのだが。
「あ……」
「ふふ、落ち着いたみたいだね」
ハルドメルはしー、と人差し指を立てる。少し前から船を漕いでいたアルフィノは、安心したのか漸く眠りにつけたようだった。彼の故郷シャーレアンでは成人年齢らしいが、まだまだ小柄な身体をそっと抱き上げる。粋がっていたと、自分の手を汚してこなかったのだとアルフィノは自省していたが、この小さな身体で理想のためにと奔走していたのをハルドメルも間近で見てきた。結果として自身の作りあげた組織に裏切られ、多数の犠牲を出してしまった。その咎を彼は受け止めなければいけない。けれど彼がエオルゼアの行く末を本気で考えていたことは事実だとハルドメルは信じているし、小さな違和感を見逃し続けてしまった自分達にも、責はあると思った。
アルフィノを部屋のベッドに寝かせると、部屋の外で待っていたタタルに笑いかける。
「……タタル、一人で寝れそう?」
「だ、だいじょうぶでっす! これでも大人でっすから! ……で、でももしダメそうだったら……部屋にお邪魔するかもしれないでっす……!」
「ふふふ、いいよ」
おやすみなさいを言って、タタルは部屋に入っていった。それを見届けて、小さく、長い息を吐く。
(私が、しっかりしないと)
アルフィノは頭が良く、知識も豊富だ。タタルも暁の受付嬢をやっていただけあって人を見る目もあれば、情報収集もできる。だが、二人とも戦う力はない。これから先、荒事に巻き込まれることもあるだろう。その時は、ハルドメルが二人を守らなければならない。
落ち着いたと思っていたのに、ざわざわとまた心が騒ぐ。今夜は冷えるとオルシュファンが言っていたが、気にせずふらりと外へ出て、砦の上から外を見下ろした。しんと静まり返った雪原は、闇の中でもぼんやりとその白を浮かび上がらせている。
「眠れないか」
「……シュファン」
多分、情けない顔をしていたのだろう。いつのまにか傍にいたオルシュファンは、ハルドメルの横に立つと安心させるように笑って見せた。
「気が立つのも無理はない。だがここにいる間は必ず、指一本すらお前達には触れさせないぞ、我が友よ。私の部下も、皆味方だ」
「……ありがとう」
その頼もしい言葉に、目の奥が熱くなって慌てて視線を逸らした。手元の石造りの壁に手をやれば、酷く冷たく硬い感触が返ってくる。
オルシュファンは、アルフィノ達に心の火を分けてやれと言った。だがその実、分けてくれているのはオルシュファンの方だと、ハルドメルは歯噛みする。
「ねぇ、シュファン……」
「どうした」
「……友の話、聞いてくれる?」
「フフ……一々確認するまでもないだろう、ハル」
温かい声がじんわりとしみ込んでくる。ハルドメルは少し俯いたまま、積もった雪を撫でた。指先に刺さるような冷たさはしかし、ざわめく胸の内をほんの少しだけ鎮めてくれるような気がした。
「私……英雄じゃない」
「……あぁ」
「英雄に、なろうとしたわけじゃ、ない」
「わかっている」
「でもね……本当は」
目の前の誰かを助けたかった。困っている人達の力になりたかった。その気持ちは確かにある。嘘じゃない。けれど、そこに下心があったのも事実で。
「『善い人』になれたら……親切にしたら……皆が認めてくれるって……怖がらないようになるんじゃないかって……本当は、どこかで期待してる」
人はどうしても、見た目の印象に引きずられがちなものだ。彼女は今でもまだ、彼女を見た目で怖がる人達のことを、恐れている。
「困ってる人を助けたいっていうのは、本当……でも受け入れて欲しくてやってるのも、本当……きっと偽善なんだよ。怖がられるの慣れてるけど……本当は、好きになって欲しい……嫌われたくない……自分のために人助けしてる。そんな私が――人も、神もたくさん殺して……英雄なんて、おかしいよ」
ウルダハでハルドメルを逃がしてくれた、暁の賢人達のことを思う。希望そのものだと。灯火なのだと。そう言った。本当は、こんなにも怖がりで、情けなくて、どうしようもない、ただの人殺しなのに。
「――ハル、お前がフランセルを信じてくれたのは、善い人になりたかったからか?」
「……それは…………」
「……私への侮蔑を怒ってくれたのも、偽善だったのか?」
「……違う……」
「フフフ……」
オルシュファンがくつくつと笑う。その視線がやけに優しく感じられて、ハルドメルは恥ずかしくて顔を上げられない。
「私はな、ハル。本当は騎士になるつもりなんてなかったんだ」
「えっ」
「人から認められたいと思って……そのために騎士爵が欲しかったのだ。フフ、子供だったからな」
それはとても、意外な話だった。誰よりも騎士然とした彼が、騎士になるつもりがなかったなどと。
「ただ、ある人に言われた。騎士爵などなくとも、人は認めてくれる……下心はあってもいい。だが騎士爵を賜った時に誇れるような『イイ騎士』になれとな!」
その時のオルシュファンは、子供だった。やけに熱心に語るその人に絆され、イイ騎士とやらを心に留めるようになった。いつしか唯一無二の友ができ、友に助けられながらも従騎士として職務に励むうちに、次第に信頼されるようになって。そんなことを続けるうちに、騎士爵を賜ったのだと。
「最初こそ欲しかったはずなのに、いざその時になると自分は未熟だ、まだ早いと思ったものだ――そもそも賜ることになったきっかけも……友の危機を救ったとは言え、あまり褒められるようなものでもなかった」
人を殺したのだ、とオルシュファンは苦笑する。だが叙勲を受けた後、心から祝福してくれた友やアインハルト家の兄弟達、言葉少なに認めてくれた父や、剣の師の信頼に応えたい――自然とそう思った時、称号の有無など関係ないと知った。
「騎士という称号すら戸惑ったのだ。英雄という期待が如何に重いかわかるというもの……お前が思い悩むのは無理もない。だがその称号は、お前がやってきた信頼の積み重ねだ」
「信頼……」
「エオルゼアのために真摯に奔走してきたお前が王家暗殺を企てるなど、信じる者はそうおるまい。グランドカンパニーの盟主達も、直接助けることはできないにせよ、根回しはしてくれるはず……お前に下心があったとしても、たとえ自分のための、偽善だったとしても……やってきた行動は真実だ。培ってきた信頼は、謀略の一つや二つでそう簡単に崩すことはできない。英雄という肩書きが無くても、その信頼は揺るがない」
積み重なった信頼は、濡れ衣を着せられたハルドメルをここまで運んできてくれた。目の前にいる友は誰よりも、ハルドメル自身よりも彼女のことを信頼してくれている。
「……どうして、そんなに」
そう、思わず問いかけてしまう程、その信頼は真っ直ぐで眩しい。
「言っただろう。お前は私の、無二の親友の潔白を信じて戦ってくれた。その親友を失うところだった、私の心をも救ってくれた。どうしてなど愚問だぞ。我が友、ハルドメル・バルドバルウィン」
――自身が英雄と呼ばれることに、慣れることはないだろう。
ただ、目の前で微笑む友が言うように、自分を信じてくれた人達の――友の信頼に応えたい。胸を張れる自分になりたい。そう思った。
冷えた指先で、そっと目元を擦って、笑った。少しぎこちなかったかもしれない。
「……濡れ衣、晴らさなきゃね」
「うむ、その意気だぞ!」
「……シュファンと友達になれて、よかった」
素直に、心からそう思って微笑んだ。こんなにも温かくて、優しい人が傍にいてくれることが心強い。声に乗せれば、それはより実感を伴って刻まれる。
胸の支えがおりたように、呼吸が少し楽になる。ふとオルシュファンに視線を向ければ、何だか少し困ったような顔をしていた。
「シュファン?」
「……お前の物言いは、時々素直すぎる」
「……照れた?」
「そういうお前もちょっと恥ずかしくなってきたな?」
「……そんなことないよ?」
どうせ辺りは暗いのだから、ただでさえ分かりにくいこの肌の色の変化など気づかないだろうとハルドメルは高をくくる。オルシュファンはそれ以上追及してこなかった。ただ、嬉しそうに。それこそ少年のようにうきうきとした様子で言った。
「明日から、忙しくなるな……なんせお前と! この上なく素晴らしい強さを持つ友と毎日語らえるのだからな!」
「……ふふ、お世話になるよ。我が友オルシュファン殿!」
――あれは、誰だったのだろう、とふと思う。
騎士について諭してくれたあの人は。
顔も思い出せず、名前も知らない。ただ――。
その身に銀を纏っていたことだけを、覚えている。