16.夜明けの海の夢

 少し、大げさなくらいが丁度いい。蔑まれても、呆れられても、笑われても。それで上手く回るのなら。――けれど。
 あまりに。そう、あまりにも素直に受け、朗らかに笑うものだから。


 ハルドメル達がキャンプ・ドラゴンヘッドにやってきて二日目。あの後はオルシュファン共々寝不足で万全の状態ではないからと手合わせをやらないことになり。手合わせするその時に他の仕事に追われないようにと、オルシュファンは今現在帳簿と格闘している。
 整理整頓はあまり得意ではないらしく、今日のハルドメルとアルフィノは引き出しに豪快につっこまれた紙の束を整理、タタルは帳簿をつける手伝いをしていた。
「もーダメだよシュファン、帳簿つけるなら書類整理はちゃんとしないと……」
「まったくでっす! 暁の金庫番としては見過ごせない怠慢でっす!」
「むう……手厳しい……アルフィノ殿……」
「す、すまないオルシュファン殿……会計について私は今何も言えないな……」
「……や、ヤエル、コランティオ」
 クリスタルブレイブの失敗を思い出すのか、どんよりとした顔になるアルフィノにオルシュファンは慌てて部下達に助けを求めるが。
「ハルさんとタタルさんに同意です。だから経理を雇おうって言ってるじゃないですか」
「皆さんありがとうございます! メグにお茶の準備お願いしてきますねー」
「くうっ……少しは隊長の援護をしないのかお前達……!」
 こと書類仕事となるとどうにも分が悪いオルシュファンは唸りながらもどこか楽しそうだ。
「オルシュファン様、この伝票書き漏れてないでっすか?」
「むむっ……流石だなタタル嬢……小さなことも見逃さないその眼力もまたイイ……」
「あはは、他にも書類の間に挟まってるのがありそうだね」
 ハルドメルは書類を分けながら、挟まっているものがないか慎重に見ていく。ドラゴン族の討伐に関する報告書、別の砦の責任者が代わったという通知。正直部外者が見てはいけないのでは? と思われるものも混ざっていたが、あまり詳細を見ないようにしながら続けていると、オルシュファン宛の書簡がいくつか出てきた。
(……あれ)
 そこに書いてある名前に、ハルドメルは首を傾げる。
(オルシュファン……グレイ、ストーン?)
 オルシュファンは、フォルタン家の騎士。同じく四大名家のフランセルとも幼いころからの親友である。
 時折会話でも『本家』と発言しており、豪快ながらもどこか品の良さを感じさせる彼は、末席であったとしても貴族の、フォルタン家の一員なのだろうと何とは無しに思っていた。
(ローエンガルデみたいな名前……)
 どことなく、自然物を名前に使うルガディンの一部族、ローエンガルデを思わせる名前ではある。けれど山であったりクァールであったり、勇ましく力強さを感じさせる彼らの名前と違い、随分と素朴な名前だった。
『騎士に叙されても生まれは覆せんか』
 以前フォルルモルが口にしていた言葉を思い出す。彼だけではない、ホワイトブリムでも似たような、見下す言葉を耳にしている。オルシュファンへの侮蔑に怒りを覚えて深くは考えなかったが、平民の出であることを言われていたのだろうか。しかもイシュガルドではあの手の蔑視は珍しいことではないというのだから、余計に腹が立つ。たとえ身体が小さくても、力が弱くても、功績を残したり偉業を成し遂げた者には敬意を表するのが一般的なルガディン族の価値観だ。生まれだけであのような言葉を投げられるのは信じ難い話だった。
「オルシュファン様、お客様ですよ」
「客? クリスタルブレイブではあるまいな……と言っても昨日来たばかりか……」
 ふふふ、と笑うヤエルが促すようにドアの前から避けると、若草色の服を来たエレゼン男性がひょこりと顔を見せた。
「やあオルシュファン。ハルも元気そうだね」
「「フランセル!」」
 二人揃って作業を放り投げて近付いた。手厚い歓迎にフランセルが顔を綻ばせる。
「我が友よ、ここに直接来るのも久しぶりではないか? ……まさかまた嫌疑をかけられたなどと言うまいな?」
「まさか。ハルがいるって聞いたから来たんだよ」
「さてはオレールだな。全く、主人への忠誠が強いやつだ」
 互いに手を握り笑い合う姿は、やはりそれだけの付き合いの長さを感じさせる。
(いいなぁ……)
 親友と呼び合える二人の姿は、ハルドメルにとって憧れだった。眩しくて、見ているこちらまで温かさを感じるような関係性。互いに心から信頼し合っているのが伺える、理想の親友像でもある。
「話は大体聞いてるよハル……うちの部下達も皆キミのことを信頼してる。今の僕らではあまり力になれないけれど、キミの行方を捜してるような人達が来たら真っ先にここに連絡するようにしているから」
「充分すぎるよ、フランセル。ありがとう!」
「わ」
 フランセルの心遣いに感謝のハグをすると、彼は驚きで反射的に身を強張らせた。力が強かったかな? と少し緩めれば、何やら柔い何かがフランセルを苛んだ。
 ハルドメルはキャンプ・ドラゴンヘッドに時折立ち寄る際、当然アートボルグ砦群にも足を運んでいた。折悪しくなかなか会えなかったオルシュファンと違ってフランセルとは頻繁に顔を合わせていたし、時にはお茶をご馳走になったこともある。知らぬ間に親交を深めていた二人を見て……と言うよりも、抱き合う二人を見てオルシュファンは一人拳を握りしめた。あらあらと二人を見て笑顔になっているヤエルとタタルの横で一歩踏み出し。
「な、何故だ……ハル!」
「うん? 何が?」
「くっ……お前の……お前の強き肉体を余すことなく全身に感じられる感謝のハグ……何故私にはしてくれないッ !?」
「ええっ! したことなかったっけ !?」
「ない! ないぞ!」
 本気で驚いているハルドメルにもであるが、オルシュファンの発言に先程まで微笑ましく見守っていたヤエルもタタルも若干表情を引き攣らせる。アルフィノは怪訝な顔をしているし、コランティオは眉間を押さえて唸っているが、当の二人は気付いていない。
「さあハル! 私にも頼む! 否、友として当然のことをしているのだから感謝などと思わなくてもイイ……ただ友愛のハグを! お前の力を感じさせてくれ!」
「う、うん? 力を感じられるかはわからないけどいいよ!」
 互いに両腕を広げて準備万端と言ったところで、間にヤエルとコランティオが割り込んだ。
「はーいハルさんお茶の準備ができてますから一旦休憩しましょ! 他の皆さんもね!」
「あ、あれ? そう? じゃあ行こうか」
「わーい行くでっす!」
「お気遣いありがとうございます、ヤエル殿」
「ふふ、僕の分もあるかな?」
「大丈夫ですよフランセル様! オルシュファン様の分が余りますので!」
「ま、待てヤエル! コランティオ邪魔をするな!」
「……ハルさんのすっばらしい力を間近に感じたいお気持ちは正直理解できますが……ごほん、もう少し節度というものについて話し合いませんか、我が主?」
 かくして、少々熱意の篭もりすぎたオルシュファンとハルドメルのハグは、二人によって阻止されたのである。


 その日の夜、オルシュファン、フランセル、ハルドメルの三人は、オルシュファンの私室でささやかな酒の席を設けていた。開けられている酒は『聖ダナフェンの美酒』というワイン。フランセルの異端者嫌疑が無事晴れた折に、アインハルト家からフォルタン家へと、ハルドメルの手から渡された感謝の品。
それは決して凍らぬと言われる『聖ダナフェンの落涙』――その水から作られた最高級ワインだ。『とこしえの絆』を意味するものとして、友人や大切な人への贈り物にされるイシュガルドの名酒。もちろん、今この場でそのことをちゃんと理解しているのはイシュガルド出身の二人だけなのだが。
「美味しい! いいワインだね」
「ルガディン族は酒の味には厳しいと聞いていたけど、口に合ったようで嬉しいよ」
「あはは、私はそんなにお酒の味は詳しくないよ」
「フフフ……友と語らう酒の席……イイ……実にイイ……!」
 念願叶ったオルシュファンは拳を震わせ喜びを噛み締めている。酒の肴は主にハルドメルの旅の話だった。子供の頃に助けてくれた『銀色の人』の話から始まり、旅立ちの理由、不思議な遺跡のトラップに引っかかって大変な目にあった事、蛮神と戦った事――そのどれもが他の二人にとっては驚きに満ちたものだった。
「まるで本で読む物語のようだね……もちろん、大変なこともたくさんあったんだろうけれど……吟遊詩人達が語るどの冒険譚よりもすごいよ」
「うむうむ、その旅路が今日の信頼に繋がっていると思うと、胸が熱く湧き踊るな!」
「二人ともオーバーだなぁ……」
「ふふ……名声が欲しい冒険者でもなければ、普通は蛮神退治を引き受けたりしないよ?」
「うっ……」
「そうだぞハル、お前は数々の偉業を成し遂げてきた……十二分に誇れることだ。もっと自信を持つのではなかったのか?」
「……そんなに褒められると、まだちょっと……恥ずかしいかも」
「何を言う、お前のことはいくら褒めても褒め足りないぞ!」
 さあさあとさらなる話を促すオルシュファンに流されまいと、ハルドメルは慌てて流れを変えようとする。酒が入っているのもあり、褒められてばかりで顔が熱い。
「わ、私の話ばかりじゃ不公平だよ……二人の話も聞いてみたいな、子供の頃とか」
「む、我々の話か……」
「うーんそうだね……」
 二人とも妙に考え込んでしまい、首を傾げる。子供の頃の話をするのはそんなに難しいことだろうかと思っていると、フランセルが顎に指を添えたまま口を開いた。
「どうやって……どこから話したらいいかなと思って。こうやって改めて聞かれると、そういえば人には話したことがないんだなぁ……」
「うむ……ずっと一緒にいるからな。誰かに聞かれるようなことでもなかったし……」
「そうなんだ?」
 二人がずっと共に過ごしてきたというのはわかるが、誰にも話したこと、聞かれたことがないというのは意外だった。彼女が今まで見てきた――両親との旅で出会う冒険者や町の人々と宴席がある時は、昔の話や武勇伝を語らうのは鉄板だったからだ。
 オルシュファンとフランセルが視線を合わせる。伺うようなフランセルの目に、オルシュファンは微笑んで返した。
「……イシュガルドは閉じた国だろう? 外からの刺激もないし、娯楽もそんなに多くないから、人々の楽しみと言えば貴族のスキャンダルや噂話が主でね。僕らのことは聞くまでもなく、多くの人の知るところだったから」
「……」
 聞かない方がいいことを、聞いてしまったのか、と。
 ハルドメルは思わず閉口する。せっかくの宴席に水を差してしまったのかと、一気に後悔の念が押し寄せる。それに気づいてか、オルシュファンは何でもない、それこそ天気の話でもするように語った。
「所謂私生児というやつだ。フォルタン家伯爵の子ではあるが、伯爵夫人の子ではない。ただ、嫡子達と一緒に育てられたからな。こちらが語らずとも人々は興味津々、人伝人伝で皆知るところというわけだ!」
 わっはっは、とオルシュファンは笑うが、ハルドメルが笑えるはずもなく。視線を下げたまま、小さく「ごめん」と謝った。
「同情してくれるなよ? 私は……私自身はもう随分前に乗り越えた。確かに生まれは覆せないが、他人の評価がどうあっても、やる事には変わりないからな」
「……皆、すごいなぁ」
 気を抜けば震えてしまいそうな声をなんとか絞り出して笑って見せた。そして、すぅと息を吸い込んで。
「――悔しいっ!」
「おぉ…… !?」
「私は! 両親も元気いっぱいで、生まれで馬鹿にされたこともなくて! 辛かったことなんて怖がられたり友達出来なかったくらいだけど!」
 ずっと、たくさん、迷いながら歩いている。それでもいい。自分より前を行く、目指したい友の背中がある。
「皆、大変なのにちゃんと自分で立ってて……皆すごく強いから、悔しい! 私ももっと強くなる! オルシュファンみたいに!」
 ぐいっとグラスに残っているワインを煽った。ワインはそういう飲み方ではないのだが、とにかく酒の勢いが欲しかった。一気に飲み込んだせいで喉が熱くなる。
 呆気に取られていた二人だが、オルシュファンがくっくと肩を揺らし、そして声を上げて笑った。とてもイイ笑顔だった。
「フッフ……いや、すまん……フフフ……またしょぼくれてしまうかと思ったが……うん、イイぞ、実にイイ! やはりお前は最高にイイなっ!」
「……それは褒めてる?」
「褒めている! 物凄く! フフフフ……!」
 楽しそうな、もとい嬉しそうなオルシュファンの笑いに、二人もつられて笑う。沈みかけた空気は、緩やかに元に戻っていく。
「すまないね、僕も余計なことを言った……でもイシュガルドに行く時、フォルタン家の手を借りるならその内知ることになるだろうし……キミには伝えてもいいと思ったから……ね、オルシュファン」
「さすが我が友フランセル、言わずともわかってしまうな」
 以心伝心という言葉を体現する二人を見て、ハルドメルは眩しそうに目を細めた。自分もそうなれるだろうか――否、なりたいと願わずにはいられない。いつかはきっとと思いながら、湿っぽくなってしまった自分の気持ちを切り替えようと、少し話題を変えてみる。
「そういえばイシュガルドの様子はどう?」
「うむ……防衛体制の刷新は順調なようだが、何分下層の被害が大きいらしくてな……ある程度落ち着くまではあと二、三日かかりそうだ。本家に話をしに行くのもそれからだな」
「焦らなくても大丈夫だよ。それにキミ達が滞在しているほうが、オルシュファンもいきいきしてるみたいだからね」
「当然だ! 友の滞在に喜ばない者などいない!」
 きらきらと瞳を輝かせるオルシュファンだが、ハルドメルも似たようなものだ。こんな状況であっても笑えるのは、オルシュファンやキャンプ・ドラゴンヘッドの人達のおかげである。あまりに居心地がよくて、こんな事態でなければまだまだ一緒に過ごしたいくらいに。
「……ね、色々……私の嫌疑とか、イシュガルドのこととか……色々落ち着いたらさ、三人でちょっとだけ旅をしようよ!」
「なっ……なんという魅力的な提案……!」
「うん、とてもイイ! だね。でも二人そろってそんなに砦を空けられるかな?」
「何、我らの部下は皆優秀だ。数日……いや一週間くらいなんとかしてくれるはず!」
 自信満々のオルシュファンは、既に脳内で旅の算段を立て始めている。気が早い友人に苦笑しながら、そうだなぁとフランセルはまだ見ぬ景色に思いを馳せた。
「……海を見てみたいな」
「海! ハルの名前にもなっているな! 名案だ!」
「な、何で知ってるの?」
「フフフ、友のことは知りたいに決まっている!」
 真相はたまたまヤエルが持っていた本に古ルガディン語の記述があったからだが、それは些末なことだ。
「二人は海を見たことない?」
「うん、遊学はしたことがあるけど、グリアニアだったからね。実は本の知識でしか知らないんだ」
「私もないぞ! 舐めたら塩の味がするんだろう !?」
「そうだよ! ふふ、じゃあ最初はラノシアで決まりだね」
 まだ先の、いつになるかわからない話。友との未来の約束がこんなにも嬉しいものなのかと、子供のように心が跳ねる。
「……夜明け前に、海を見に行こう」
「夜明け前?」
「あ、僕それ知ってるよ。有名な絵本のセリフだね」
「おぉ、さすがフランセル!」
 一人だけ話題に乗れなかったオルシュファンがむむっと眉根を寄せたのに気付いて、笑いながら説明した。
 ここではないどこかの世界。知らない土地に迷い込んだ男の子と、大きな使命を背負った女の子の、少し悲しいお話。その中の一節にあるセリフなのだ。
「真っ暗な中でね、夜明けが来ると、水平線がぱーって明るくなって……」
 腕を広げて身体でも表現する。何度見ても、忘れられない色。特別なのは銀色だが、一番好きなのはその色だった。
「夜の紺色と、太陽の朱、正反対の色が混ざり合って、水面がきらきらしていって……」
「……その、髪色のように?」
「っ……あはは、わかる?」
 オルシュファンに指摘され、恥ずかしそうに笑う。緩くウェーブがかった地毛の紺、その毛先は赤に染まっている。
 旅に出て、初めてリムサ・ロミンサを訪れた時に出会った美容師に頼んだのだとハルドメルは言った。
「私が一番好きな色……一番好きな景色だよ。だから、二人にも見せたい」
「……あぁ、見てみたいな」
 見たことのない景色。あるいは一番好きな景色。それをいつか、三人で見る。
 そんなささやかな約束を交わした。

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