39.幕間:いたみを知る者

「悪いな、まだ向こうに着いて間もなかったんだろう?」
「いえ……人手不足なら……」
 しょうがないです、と尻すぼみになっていく黒髪のララフェル――ククルタに、アレンヴァルド達も申し訳ない気持ちになる。
 巴術士として、カーバンクルの特性を生かして様々な役割を担える彼は暁にとっても貴重な戦力だ。彼は一度リセ達と共に船旅を経て東方はクガネに赴き、諜報の最前線であるあの街で、タタルの護衛やギラバニア側とのやりとりを補佐する役割を担っている。あちらのエーテライトと交感したことで移動も容易になり、通常の荷運びを待てない手紙や物を運び、時には非戦闘員であるタタルだけでは行けない危険のある場所に赴くなど密かに活躍していた。
 ――元々争い事を好まない、穏やかな性格である。暁のメンバーではあるがアラミゴ解放戦線についても前線には参加せず、クガネに行った理由と同じようにタタルの護衛や諜報活動の補佐。そして錬金術師でもあるため薬品の製作で裏方から支援してくれていた。
 そんな彼が何故今ここギラバニアでアレンヴァルド達とパーティーを組まされているのか。
「ククちゃん来てくれてありがとね! 癒やし手少ないからほんとに助かるわ!」
 ククルタの前にしゃがみ、手を握ってぶんぶん振るヴィエラの女性は、紫水晶を思わせる瞳をきらりと輝かせた。
 彼女――シャリアの言った通り、壊滅的な打撃を受けたアラミゴ解放軍は治療師や薬剤、癒やしの魔法を使える人材の不足にあえいでいる。その中で彼らに言い渡された重要任務は、必ず成功させてほしいという依頼の元、腕利きのメンバーが必要だった。荒事となれば優しい彼が意気消沈するのも無理はない。
「本業じゃないのに、無理言って悪いな」
「あれから帝国も大規模に攻めてくることがなくなってるし……ここを乗り越えればクガネの活動に専念してもらえると思うから今回だけ……すまん!」
「いえ、皆さんに傷付いて欲しくないですし、怪我をしたらタタルさんも心配するだろうから……」
 力強い、とまではいかないが、頷いてくれた彼にアレンヴァルド達も笑顔を見せた。
 話はまとまったな、とウ・ザルは三人を見渡して口を開く。
「……じゃ、改めて任務の内容を確認するぞ」


 今回彼らに与えられた任務は、アラミゴ解放軍にいたとある人物の捜索と、その身柄の拘束である。その男は放棄された集落ビターミルがある『夜の森』付近から、その南にある流星の尾までで目撃証言があった。
「そいつらはラールガーズリーチ襲撃……その手引きをした疑いを持たれてる」
「疑いったって……行方をくらました時点で黒じゃない? 後ろ暗いことがないなら逃げる必要ないし」
「俺も同感」
 味方にいた人物であれ、裏切ったのなら情をかける必要は無い。長く生き多くの経験をしてきたシャリアと、砂漠という厳しい土地で生き、どこか達観した雰囲気のあるウ・ザルはすっぱりとそう言い放つ。対して優しい性格のククルタは不安げな表情でカーバンクルを抱えており、アレンヴァルドも苦い顔をする。
「でも、任務はとりあえず身柄の拘束、だよな? 向こうと繋がってるなら、何か重要な情報も聞き出せるかもしれないし」
「まぁな。ただ相手は本気で抵抗するはずだから、手加減してこっちが痛手を負ったら意味が無い」
「わかってる、気をつけるよ」

 捜索は、夜の闇に紛れて。各自が準備を進める中で、ウ・ザルはシャリアに声をかけた。
「シャリア」
「何? あ、戦闘スタイルの話? 大丈夫よ、わたし今回は剣で行くから――」
 シャリアはウ・ザルの視線が一瞬アレンヴァルド達の方を向くのに気付いた。彼らは少し離れたところにいる。少しだけ、ほんの少しだけ声のトーンを落としたシャリアは敢えていつもの明るい表情を向けた。
「なになに、内緒話?」
「……あんたには手伝ってほしいから、話しておきたい」


「夜はさすがに冷えますね……」
「昼間は暑いから余計にな……シャリア、『声』の方は大丈夫か?」
「んんー、大丈夫だけど、ちょっと騒がしいわ……」
 身を隠しながら、慎重に『夜の森』を調査する。アレンヴァルドが少し後ろにいるシャリアを見やると、困ったように軽く額に手を添えていた。
「この辺は馴染みがないからはっきりと聞き取れるわけじゃないんだけど……なーんかざわざわしてる感じね。黒衣森で精霊が怒ってる時みたい」
 ヴィエラという種族は通常深い森の中に集落を構え、『森の声』に従って生きているという。シャリアは森から離れ冒険者になって長いらしいが、それでもその声を聞くことができるのは、自然に愛されているという証左なのだろう。

「ウ・ザルの方はどうだ?」
『……大丈夫、暗いが見えてる』
 眼が良く、また機工士として遠距離からの射撃を得意とするウ・ザルは皆から少し離れ、高い樹の上から辺りを確認していた。リンクパールでの会話も問題ない。本物の猫のように木々の間を、物音も立てずに移動する。

 夜の森には狩りをしながら密やかに暮らしている母子がいた。彼女らの証言を元に、森のさらに南部、流星の尾に近い辺りまで歩を進める。目的の人物はもちろん、魔物に見つかる、起こしてしまうのも論外だ。上から見たウ・ザルからの情報と、ぴこりと跳ねて多くの音を聞き取る耳を持つシャリアの情報を元に、堅実に移動を重ねていった。

『待て、何か動いた。その先……何もないはずだけど、人影に見えた』
 ウ・ザルの声がすると同時に、シャリアの耳が何かを捉えてぴこりと動く。
「……声がする。少しだけ、反響してるみたい? ……うっ、『声』もちょっと大きくなってる」
「……難民を逃がすための秘密坑道があるくらいだ。この辺りにも知られてない道や洞窟があるのかも……」
 聞き耳を立てるシャリアの邪魔にならないよう、息を潜めた。彼女が聞き取った内容をまとめるとこうだ。

 どうやら聞いていた話と違い、二人いるようだった。金を貰い、帝国市民になる手筈が、帝国兵からはもう少し待ての一点張りで拒否されている。隠れ潜むための食糧も心許ないと、軽く言い争いのようになっていた。

 一連の内容にさして驚きのないシャリアとウ・ザルとは裏腹に、他の二人は暗い面持ちだ。特にアレンヴァルドは、故郷アラミゴを解放したいという強い想いでこの戦いに身を投じた。かつて暁の血盟もクリスタルブレイブの裏切りを受けたが、今回のことは比にならないだろう。同郷の、共に故郷を取り戻すと思っていた仲間の裏切りなのだから。
「追い詰められてるとわかれば、投降してくれないかな……」
「……そうしてくれるといいけどな」

 見つけたその小さな洞窟は、ラールガーズリーチと同様の――ミーラジュプリズムの応用技術で隠されていた。何故あの襲撃が起きたのか、その理由が窺い知れてウ・ザルは眉を顰める。あれだけ大規模な結界が一人二人の魔術師だけで作られているとは思っていなかったが、よりにもよってその技術を扱える存在が、末端であろうと裏切るなど。大方その技術も帝国が買うという話でもされたのであろうが、あの様子ではそれすらももう必要とされていないだろう。
「とりあえず、身柄の確保、だよな……皆、準備は大丈夫か?」

 アレンヴァルド達は見回りにきた同盟軍を装い、近くにいた魔物を敢えて討伐した。物音を立て、次に行こうと話してその場を去る。

 ――どれ程時間が経ったのか。ただの岩肌に見えていたその場所から一人が恐る恐る出てくる。
 討伐したのははぐれガガナだった。鳥形の魔物で、卵はよく食用にされるが肉も食べられないわけではない。この辺りは魚も捕れるが空腹に耐えかねたのだろう。ガガナの死骸に近付いていく。
 引き金に手をかける。息を深く吐いて、止めた。
「うッ……」
 タン、と軽い音。ウ・ザルの放った麻痺弾が男の身体の自由を奪う。すぐさま二発目を装填しようとしたが、異変を感じたもう一人が中から顔を出した。
「お、おいっ……くそ! 誰だ!! 誰がいる!!」
 剣を抜いて辺りを警戒する眼は爛々として、追い詰められた獣のようだった。
 男に向かって、身を隠したままアレンヴァルドが語りかける。あくまでも投降を呼びかけたいのか。彼らしいとは思いつつもウ・ザルは実弾を籠めながら男の動きを注視した。
「あんたには敵を手引きした嫌疑がかけられている! だが俺達は身柄の拘束を依頼された……戦いたいわけじゃない!」
「ッ……くそが、そんな事言って、どうせ殺すんだろう! オレは絶対生き延びるんだ……!!」
 アレンヴァルドの声のした方向に向かって男が魔法を放つ。幻影魔法を扱うだけあって魔法の素養が高い。物陰から飛び出したアレンヴァルドが男の前に立ちはだかった。男が剣を振りかぶり、それを盾で受け止める。
「頼む、話を……!」
「うるさいッ!! オレ達に構うな!! ……戻れるわけないだろう!!」
 短い悲鳴が上がる。ウ・ザルの銃が男の腿を抉った。外したわけではない、一先ず逃げを打てないようにしただけだ。
 それでも男は剣を振り抵抗する。その目には絶望と渇望が宿り、アレンヴァルドは歯を食いしばる。どうして、

「おおぉぉッ!!」
 幻影で隠された洞窟から、アレンヴァルド達が把握できていなかった三人目が飛び出した。目の前の男の攻撃を防いでいたアレンヴァルドの隙を狙った攻撃はしかし、飛び出た光に防がれる。
「カーバンクルっ!」
「うわっ……! なんだ……!!」
 その輝く身体が顔に飛びかかり眼を焼く。暗闇に慣れた眼には効果覿面だったようで、カーバンクルを振り払いながらもよろめいた。
「守りの光よ──!」
 ククルタがアレンヴァルドへ支援魔法をかける傍らで、音もなく三人目の男に忍び寄る影が一つ。
「大人しくお縄にっ、つきなさーい!!」
「がっ……!」
 潜んでいたシャリアが男に襲いかかり、一撃でダウンさせた。休む間もなく、アレンヴァルドと戦う男を走る勢いのまま蹴りつける。少し痩せた身体は吹き飛び、地面を転がり呻くだけとなった。
「終わり……、かな……?」
「……うん、それらしい音はなし。『森の声』も落ち着いたみたい」
「ウ・ザルの言うとおり、控えておいてもらって正解だったな……」
 男達を手早く縛り上げながら、辺りへの警戒も怠らない。遠くから見ていたウ・ザルからも怪しい影はなし、と連絡が来て、ようやく三人は一息ついたのだった。


 麻痺した男はアレンヴァルドが抱え、他二人を歩かせながらアレンヴァルド達は同盟軍が拠点としているカストルム・オリエンスまで来た。エーテライトの灯りが近付くにつれ、ほっと安堵の息を吐く。
 あと少しで門に辿り着くというところで、ウ・ザルは足を止めてアレンヴァルドに声をかけた。
「ここまで来ればもう大丈夫そうだな。そんなに強い薬じゃなかったから、そろそろ動けるようになるはずだ。下ろしていいぞ」
「そうか? このまま拠点の中に……」
「いや、引き渡しは俺達がやっておくから、アレンヴァルドとククルタは先にラールガーズリーチに戻って解放軍本部と情報共有を頼むよ」
「そうそう、わたし達そういうの苦手だからあとよろしく! 大丈夫よ、こう見えて人一人くらい抱えられるんだから!」
 ぴるぴるっと得意げに右耳を回すシャリアに、それじゃあと戸惑いながらもアレンヴァルドは抱えていた男を下ろした。ウ・ザルの言うとおり、感覚が戻ってきたのか先ほどからもぞもぞと動いていたのは確かだったから。
「じゃあ行ってくるから、後は頼むな」
 どこか釈然としない表情のまま、アレンヴァルドはテレポの詠唱を始める。ククルタも同じように光に包まれ、ラールガーズリーチへと転移していった。

「……」
 シャリアが男達を縛った縄を掴んだまま、闇の中でもその輝きがわかる紫水晶の瞳をひたと向けている。先ほどまでの飄々とした雰囲気は無く、背筋にひやりとしたものが当てられるような。
 ウ・ザルはちらりと見張りをしている警備兵に目を向けた。彼はウ・ザル達を一瞥したが、すぐにすっと視線を逸らした。『何も見ていない』とでも言うかのように。
 話はきちんと通っているようだと確認すると、ウ・ザルとシャリアは来た道を少し戻り、人気の無い森の中に男達を連れ込んだ。
 当然抵抗もあったが、両腕を縛られた身体では大した脅威にはならない。地面に転がし、剣と銃を突きつける。
「妙な動きしたらすぐ首を刎ねるわよ」
 聞いたことのない、刺すような凜とした声。大丈夫とは思っていたが、ここまで頼もしいとはと密かに考えながら、ウ・ザルは男達に向き直った。

 結論から言えば、やはり彼らは捨て駒だった。否、帝国にとっては捨て駒ですらないかもしれない。
 金と権利。圧政と差別で虐げられてきた彼らには魅力的な提案だったのだろう。特に幻影魔法を使える一人は、その能力があるが故に重用されるだろうという言葉を信じ、上手く乗せられていたようだ。
 シャリアの剣先が微かに震える。――怒りだ。多くの命が蹂躙されたことはもちろん、大切な暁の仲間達もあの襲撃で危うく命を落とすところだった。敵の甘言に騙されて犠牲を生み出した彼らに、それでも感情的にならず踏みとどまっているのは、長く生きた経験故か。
 ――ウ・ザルとて、任務ではあれど私的な感情が、無いと言えば嘘になる。傷ついた仲間を――夥しい血を流す姿を思い出し、ざわめきそうになる心をぴんと張り詰めさせる。軽く指を引けば簡単に命を奪える武器だからこそ、感情を切り離して冷静に構えなければならない。
「ちくしょう、ちくしょう、帝国が報酬さえ寄越せば」
「オレ達だってあんなことになるなんて」
「なぁ、もう二度としねぇ! 罪も償う! だから」
「なんでなんだ、なんでオレばっかり」
「力さえあれば」
「オレは弱い人間なんだ! 目が眩んだって……」
 尋問の最中に聞いた台詞に、小さく嘆息した。不意に一人の男の声が脳裏に蘇り、そして消えていく。

 ――あんな大金積まれちゃ、そんなこと考えてられなくなるんだよ、僕達みたいに弱い人間は!――

「ウ・ザル、さすがにこれ以上は情報引き出せないでしょ」
「……みたいだな」
 銃口が引き、一瞬だけ男達に助かるのかと安堵の色が見えたのも束の間。銃に弾が込められていることを改めて確認したウ・ザルは、再び彼らにそれを向ける。
「お、おい」
「……生きたいって気持ちはわかるよ。けど」
「いやだ、全部話したのに」
「死にたくな」


 酷く静かになる。
 ――これは戦争だ。互いの信念をぶつけ合い、勝ったほうが正義となる。あのアラミゴ人部隊のように、自分達の信念に基づいて立ち向かってくるのならまだいい。けれど、『裏切り者』は。一度でも、こちら側から敵の手先に堕ちてしまったものは――
「……裏切り者は、信じられないし、信じちゃいけないんだ」

 それは時に、皆に慕われる母であった。
 それは時に、面倒見の良い姉であった。
 それは時に、まだ護らねばならない妹だった。

 アマルジャ族の拠点が近いが故に、ウ・ザル達の一族は長く彼らと戦ってきた。卑劣な手を使うアマルジャ族は、家族を誘拐して魂を焼き、テンパードにして放してくる。
 テンパードにされたものは、もう元には戻らない。一見普通に見えたとしても、アマルジャに益を齎そうとする何かになってしまう。身内だからと、命乞いするからと、放っておけば全滅もあり得る危険因子。
 心がどうあれ、生かしてはおけないものだ。
 かつてあの男が二度目の裏切りをしたように。――嗚呼、弱い人間なら尚のこと。

 件の襲撃事件の犯人の目星がついた。生け捕りにし、情報を引き出せそうなら引き出した上で殺すこと。抵抗するようなら生け捕りせずに殺すこともやむなし、と。
 ウ・ザルに伝えられた任務はそういった内容だった。
 本当は、複数犯による犯行の可能性もわかっていた。だが一人で実行すれば取り逃す可能性も考え、どうしても仲間の手を借りる必要があった。――できれば、あまり借りたくはなかったのだが。

 義勇兵の一人として参加するウ・ザル達は、その高い戦闘能力故に重要任務を任されるかもしれない――これは事前にサンクレッドからも言われていたことだ。心積もりはしていたし、実際こうして問題なく遂行できた。そのことには、少し安堵している。

「本当のこと言わなくてよかったの? ククちゃんに言えないのは当然だけど……あの子、もし知ったらきっと怒るわよ」
 シャリアが剣を綺麗に拭ってから鞘に収めた。怒るというのは、彼らを殺したことについてか、それとも大事なことを黙っていることについてか。否、怒りよりも悲しみかもしれないと思いながら、ウ・ザルは小さく嘆息してぽつりと返した。
「あいつに怒られるのは別にいいし……こういうのは慣れてるやつがやればいいんだ」
 その返答にシャリアは少し目を丸くし、そしてウ・ザルの頭をわしわしと撫でた。
「おいやめろって……!」
「んも~赤ちゃんみたいな歳のくせに達観しちゃって! もっと先輩に頼ってくれていいんだから!」
 ね、と笑った彼女は、先ほどの冷たさなど感じない、いつも通りの彼女だった。
 ウ・ザルが振り払うよりも早く先に手を放したシャリアは、トントンと身軽に樹の上に登り辺りの様子を伺う。一応まだ仕事モードでいてくれるらしい。
 彼女から視線を外し、骸となった彼らに、一度目を閉じる。

 きっと、友にそうしてほしくなかったという、ただそれだけの理由なのだ。
 己の信念のために、敵として立ち向かってくるのならまだよかった。互いに譲れない、護りたいものがあるから戦うのなら。けれど。
 『裏切り者』の『同胞殺し』なんて。
 
「……そんなこと、普通はやらなくていいんだ」

 そのいたみを知っているからこそ、そう思う。
 独り言は彼女には聞こえたかもしれないけれど、今はただ夜の静寂だけが辺りを包んでいた。

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