43.願いの先

『出会いを大切に、ということよ。あなたは旅人なのだから』
 テムルンのその言葉は何故か、ハルドメルに今どこにいるのかわからない両親のことを想起させた。

『どうか、後悔のない旅を』
 そう言って抱きしめてくれた両親は、人との縁を上手く結ぶことができなかった一人娘を案じながらも、自分から踏み出すと決めたその背を笑顔で押してくれた。そんな両親とテムルンが少し、重なって見えたのだ。
 両親について行くだけでは得られなかった、自らの手足で、言葉で繋いだ縁。でも、時には失って――見送って。
 ハルドメルは、その時自分に出来る最善、最良をしてきた。そのことだけはきっと、胸を張って言える。信じてくれた人達に恥じないように。
 その中で、ハルドメルは今一度考えている。敵として出会ってしまった、敵対することになった人達との向き合い方を。
 ――あの男に抱く、嫌悪の意味を。


「ハルドメル」
 草原からヤンサへと戻る道中。結界を解いてもらうために立ち寄ったドタール・カーでハルドメルはサドゥに呼び止められた。
 きりりとした強い眼差しを向けられ、少し緊張する。合戦でぶつかり合ったからこそ余計に分かる。彼女は間違いなくこの草原で最強の呪師だ。
「いい戦だった、とはさっきも言ったが……お前ほどの猛者と戦えたこと、ドタール族にとっては間違いなく収穫だったぞ」
 ――称賛の言葉に戸惑うハルドメルに、サドゥは眼を細めて笑う。
「あんなに……戦場の何処にいても感じ取れる輝きは初めてだった。そしてお前も、オレ達の魂の輝きを感じたはずだ」
「――それは、もちろん」
 本当に強く、勇敢な一族だった。そして彼らの言う『魂の輝き』が、自分の中にある熱や高揚と同じものなら――ハルドメルは確かに感じている。どこまでも真っ直ぐ鍛えられたその闘志は、心地良いと思える程だった。
「覇者になれなかったのは口惜しいが……あいつらが勝たなかったのは、『あの子』の祈りと力が届いたからでもあるだろう」
「……、……」
 あの小さな集落で、気付かないわけがない。のこのこと顔を出す以上、何を言われても受け入れるつもりだった。だが真っ直ぐに向けられる視線には月明かりのような静寂さえ感じられて、ハルドメルは返す言葉を失う。
「大地が赤に染まった後、オレ達はまた新しい季節を始める。モル族のやつにも聴いてるだろ?」
 一つ息を吐き、頷いた。沢山のものを積み重ねて、その先で今を歩いている。
 怒りでも恨みでもなく、ましてや悲しみや感謝でもなく。サドゥは多くを語りはしないが、今、これからどうするのかを示してくれている。
 ハルドメルの表情を見て、サドゥはまたいつものように、強く美しい獣のような笑みを見せた。
「ま、戦に参加した上に無垢の土地と契約して……亀共が言うところの『縁』ができたんだ、死んだらドタールに招かれるのも覚悟しとけよ?」
「……そうですね、でも」
 その瞳に向き合って、ハルドメルは少し眉根を寄せ、困ったように微笑んだ。
「もしそうなっても私、きっと旅がしたいって飛び出していっちゃうと思います」
「ハハッ、違いない!」


「――い、おい! しっかりしろハルドメル!」
 強い呼びかけと腕を掴んだ手の強さに、ハルドメルはハッとして目を見開いた。目眩のようなあの感覚は止み、目の前には気遣わしげなヒエンがいる。
「すみません、ちょっと目眩が……」
「……今のは、『超える力』、か?」
「……はい」
 誤魔化しても意味がないので、素直に頷く。緩く頭を振り、顔を上げた。荒れ果てた門前侍町の中。周囲にいる魔導兵器に気付かれなかったのは幸いだ。
 ドマ城の攻略を前に出かけるというヒエンの護衛を任されたというのにこれでは、とハルドメルは頭を抱えたくなった。自分で制御できないが故に、いつも皆をいらぬ心配させてしまうのだ。
「過去の光景を視る、だったか……望まずとも見せられるというのは厄介なものよな」
「あはは……戦闘中とかは止めて欲しいんですけどね……さっきも……あ、」
 つい口を滑らせて、ハルドメルはまたしても頭を抱えたくなる。心配をかけさせたくないのもあるが、過去を視られて気分のいい人などそういない。普通の人にとっては気味の悪い力だろう。そんなものを頻繁に発現させているなどと、あまり知られたくはない。
「心配かけてすみません、ドマ城の方へ行くんですよね?」
 己が気持ちを振り払うように努めて明るく言ってみるが、ヒエンはじぃとハルドメルを見つめ、やがてぽつりと呟いた。
「……大きな、とても力強く、堂々とした背中。その後ろで、嫋やかな女性に手を引かれ、小童が歩いている」
「あ……」
「……わしが思い出したから、それを視てしまったのだなぁ。成る程成る程」
 ハルドメルの反応を見て、ヒエンはからりと笑う。
「いやなに、偉大な父母の姿を視てくれたのなら、寧ろ光栄というものだ! 恥ずかしい過去を視られたとあっては放ってはおけんが」
「……きのこを生で食べた話とかですか?」
「……視たのか!?」
「……ふふ、視てません」
 大げさに驚いて見せるヒエンに、つい笑ってしまう。それを見てヒエンもまた表情を緩ませた。
「わざとでないのは、皆わかっていることであろう? そう気に病んでくれるな、堂々としておればよいわ!」
「はい、ありがとうございます!」

 改めて、二人でドマ城を一望できる場所まで赴く。河の中に築かれた美しい城はしかし、帝国の支配を物語るように、所々無粋な機械や鋼鉄の装備が取り付けられているのが遠目にも見えた。
 ヒエンは、帝国に支配された後のドマで生まれたという。それはナマイ村のイッセ達もそうだ。そして、国は違えどウィルレッドやアレンヴァルド達もまた、帝国のいない祖国の姿を知らない。
「わしらが奪い返そうとしているものは、実は、小さい」
 ――それでも。
「それでも……皆、命を懸けてでも取り戻したい、大切なものなんですよね」
「……あぁ、そうだ」

 『誇りなんか持つから、惨めな思いをするのだ』と言った者がいた。逆らわなければ生きていけるのだと、諦念の中でひっそりと暮らしていた人達がいた。
 だが、それでも、と焦がれる願いに、ハルドメルは触れてきた。彼らが望んだその先を、自分も見たいのだと想った。
「……私、『ドマ』を旅したいです」
 その言葉に、ヒエンはドマ城からハルドメルへ視線を移し、嬉しそうに笑う。
「おう! その時は、必ずわしのところに顔を出すのだぞ! 宿も食事も、ドマの威信をかけて最高のもてなしをしよう!」


『しかし、それは死を好ましく思うからではない。己が死の先に、果たせる大義があると信じるがゆえ』
 与えられた船室の中、ベッドの上でハルドメルは膝を抱えるようにして丸くなる。
 ドマ城は崩れ、帝国軍は討ち果たされた。悲願を果たした人々の喜びを思い出しながら、――多くの犠牲を思い返しながら、深く呼吸する。
 この勢いのまま、次はアラミゴを奪還する。エオルゼアへ戻るまでの僅かな間、一人旅路を振り返っていた。
 ――味方だけではない、敵の事も。ヨツユの過去を視てしまったことで、殊更に胸中は複雑だった。
 彼女を作り上げたのも他ならぬドマだ。そしてきっと、彼女だけがそうだったわけではないだろう。その怒りを、ヒエンは聞き届けた。ならば彼らが新たに作るドマでは、同じ轍を踏むことは無い――そう、信じたい。

『幕を引くはここぞと知り、心血を燃やし尽くせるは、まこと命の本懐にござる』
 ゴウセツの言葉が、何度も思考を巡っている。
 いつだってそうだ。己が役割を、例え命を失うことになろうとも全うした人達は、最後に笑って行ってしまう。
 ムーンブリダを始めとする暁の賢人達も、旅の中で出会った人も、ゴウセツも。そして――。
「……」
 はふ、と吐き出した息は少し湿っぽく、熱が籠もる。ハルドメルはゆっくりと眼を閉じた。
「……まだ、だめだね」
 置いていく、と言ったのに。ふとした瞬間に、温かな記憶は蘇ってしまう。苦笑して、溺れないように呼吸を繰り返す。
 波間を進む船体の、ゆりかごのような揺れを感じながら、眠りへ落ちていく。

 命を費やしてでも開きたい道がある時。
 その時自分は笑っていられるだろうか。
 そんなことを考えながら。

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