04.ちいさな手

(……あれ)
 その日、ハルドメルは忘れられたオアシスと呼ばれる、ミコッテのサンシーカー族が暮らす集落に来ていた。サゴリー砂漠に入る直前にあるこの集落は、この地を訪れる者――と言ってもそうそういないのだが――にとって貴重な水源であり、焼けた砂地に入る前の、最後の補給地点でもある。
 そんなオアシスに暮らすサンシーカー達は、ヌンと呼ばれる一人の男性が長となり一族をまとめている。種族の特徴としても男性の出生数は少なく、ヌン以外はほぼ女性の集落だ。
 そんな中で存在する、ヌンではない男性――ティアと呼ばれる者は、いずれヌンを倒して自身が長となるか、集落を抜けて新たな縄張りを築く……というのが一般的な知識であり、ハルドメルも知っていることだ。
 集落の中をぐるりと見回す。女性ばかりの中に、ヌンであるウ・オドがいる。そして、まだティアである二人の若い男性もいた。一見何も問題なさそうに見えるが、両者共に虎視眈々とヌンの座を狙っているのだということは、会話の端々から感じ取れる。
 サンシーカーのそういった、家族であっても争い合う風習についてはあまり理解はできなかったが、彼らにとってはそれが普通であることはわかっていたし、脈々と続いてきた伝統に口を出すような野暮なことをするつもりもない。
 今、彼女が周囲を見て気にしているのは、もっと別のことである。
(……もう一人……)
 かつて彼女は、両親に連れられてこの地へ来た記憶があった。朧気なそれを手繰り寄せる。それは、彼女がまだ四、五歳頃のことだ。


「う〜……あつい〜……」
 それは彼女にとって初めての酷暑であった。両親がどういった用事であのオアシスを訪れたのかは、正直あまり覚えてはいない。ただあの頃はウルダハの治安が芳しくなく、どうしても置いていけないということで連れて行かれた――ハルドメルの中ではそういった印象が残っている。こんなところに子供を連れてくるなんて、という声もあったような気がするが、子供だったハルドメルは一日であっても両親から離れることなど考えられなかった。
 両親にしては珍しくキャラバンに交えてもらったのか、それとも不滅隊がオアシスへ行くのに乗じてついて行ったのか。あの時は集団で移動していた。日照り。陽炎。見渡す限りの岩、岩、砂。そういった中で見えたオアシスは、一際輝いて見えたものだ。
 暑さに参ってしまったハルドメルは、当時のヌン――少なくとも、ウ・オドではなかったことは覚えている――の好意でベッドを使わせてもらっていた。
「えっウソー! あれわたしたちと同い年なのー !?」
「でかすぎ! ヘンな肌色してるし」
「目つきもさいあく! かわいくなーい。あんなのがヌンのベッドつかってるなんて〜!」
 ――嫌な言葉というのは妙に記憶に残るものだ。外から聞こえる女の子達の声が少しでも薄れてくれればと、ハルドメルは熱で朦朧としながらも薄手の掛け布を頭から被った。

 気づけば夕刻になっていた。掛け布を被ったまま眠っていたらしい。広場の方からは賑やかな声がしている。恐らく夕食なのだろうが、ウ族には一時的に場所を借りるだけで、食事などは別々だと聞かされていた。お腹が空いたハルドメルは一先ず外の様子を見てみようと、そっとベッドから足を降ろす。それと同時にガタンと物音がして思わず身を竦ませた。
「おいチャカ! 音をたてるな!」
「わかってるってぇ」
 子供の、男の子のような声が二つ。建物の外からのようだった。
 なんとなく。ハルドメルは何となく見つかってはいけないような気がして、そうっと窓の外を覗く。そこにはミコッテの子供が二人いた。何かを抱えて運んでいるようだった。
(なんだろ……)
 子供二人で抱えるようなもの。手伝ったほうがいいのだろうかとこの時は呑気に考えていた。二人は広場ではなく、オアシスの水場の方へ向かっている。
 しかし少し向きを変えた時に見えたものに、ハルドメルは目を見張った。
(……あかちゃん……?)
 白い布で包まれたもの。隙間から覗いたミコッテの耳のような形がもぞもぞと動くのが見えた。そして、このおかしな状況が、急に怖くなった。
(何もない、よね……?)
 胸が掻きむしられるような不安。何もない。何もないはずだ。それを確かめるために彼女は二人の後を追いかけた。
 やはり二人は水場へと向かっていた。集落の中の、特に一番外側の方へ。ともすれば魔物に気づかれるかもしれないような所へ。
「ほんとにうまくいくのかあクバ?」
「ひざくらいまであれば人はおぼれるらしいぞ。布もあるししずむんじゃないか」
「ま、夜はさむいしおぼれるかつめたくなるかまものが来るかかな〜」
「ヌンのこうほは少ないにかぎるからな、わるくおもうな」
「うわーめっちゃあくやくっぽい!」
「なげたらさっさと行くぞ」

 怖かった。ものすごく怖かった。わけがわからなかった。でも、それが『いけないこと』だということだけは、はっきりとわかっていた。
「「せーのっ」」
「だめぇー !!」
 突然背後から聞こえた声に二人は驚いて手を離した。否、どの道放り投げるつもりではあったが、彼らが思っていたよりも少し上へすっぽ抜けたのは不幸中の幸いだった。
 夢中で足を前へ前へ運ぶ。山なりに飛ぶそれが着水するまでの僅かな猶予。普通の子供より背が高かったことが、この時ばかりは本当にありがたかった。
 手が届いた。必死に引き寄せて身体を捻る。その子が下敷きにならないように。
「ッ―― !!」
 息が止まりそうなほど、恐ろしく冷たかった。仰向けに倒れ込み、顔が水に浸かる。きっと時間にすれば一瞬のことであったが、抱き止めた温かさを離すまいとしながら、死に物狂いで身体を起こした。
「――ゲホッ! ゲホッ……ぅ、ぇッ……」
 腕の中から聞こえた泣き声で無事がわかった途端、ぽろぽろと涙が溢れてきた。呆然としたままの二人の子供を睨め付けるように見る。
「っ……どうして……ひどいことするの…… !! どうして…… !!」
 まだ幼い彼女は、『殺す』という言葉が出てこなかった。半ば悲鳴のように叫んだ問い。
 当の二人は、悪事がバレたばつの悪さと、見知らぬ少女の気迫にすっかり毒気を抜かれ、集落の中へ逃げるように走っていった。
「う……うぅ……!」
 わからなかった。ただ怖かった。水の冷たさも忘れてわんわん泣いた。大人達がなんだなんだとやってくるまで、腕の中にいる赤ん坊と、二人揃って泣いていた。


 昼間の熱と夜の水の冷たさで見事に体調を崩したハルドメルの記憶は、ここからさらに朧気だ。覚えているのは、ベッドの柔らかさ。すやすやとヌンの腕の中で眠る、白い髪をした赤ん坊。それから、男の子なのだと教えてくれたこと。
 ――ああ、それと、木から吊されてしょげているあの二人の姿。

 今ならばあの夜に起きたことの意味がわかる。だが子供だった当時の彼女にそれが理解できないのは至極当然のことだった。
 衝撃的な出来事だったこともあり、無意識に思い出すことを避けていたのだろうし、それ以降両親も行く要件がなかったのか、再びあの地を訪れることはなく、今の今まで忘れていたのだが――。

「あの、ウ・オドさん」
「なんだ、まだ何か用か?」
 この人は、あの時のヌンではない。それが何を意味するか、ハルドメルにはわかっている。彼らの風習を非難こそしないが、少なくともあの人は子供に優しい人だったな、と思い出して、少し寂しくなった。
「私、子供の頃ここに来たことがあって……それであの、もう一人男の子がいませんでしたか? 髪の白い……あの二人より年下の……」
「……」
 ウ・オド・ヌンは僅かに目を見開いた。それは一瞬のことで、すぐ不機嫌そうな表情になってしまったが。
「そいつはもういない」
「……そう、ですか」
 男は、想像以上に気落ちした様子のハルドメルを見て面食らったのか、慌てて訂正した。
「待て、いないというか……ここから出て行った。勝手に金を持ち逃げしてな……最後まで迷惑な奴だった」
「あ……そ、そうなんですね……そっか」
 あからさまにほっとした様子を見て、ウ・オド・ヌンは顔を顰めた。
 子供の時分にこんな辺鄙な所に来たことがある――そんな者の話は一つしか聞いたことがない。そして男は『あの事件』のことも知っていた。
(この姉ちゃんがね……)
 果たしてこれは悪縁なのかどうか。三人のティアの中で一番戦闘能力が秀でていると感じていた青年は、様々な要因を経てここを出て行った。男にとっては一つの脅威が消えてせいせいしていた所だが、こうも早く彼を知る者がこの地を訪れるとは、何がしかの縁を感じずにはいられない。
(厄介な奴だ……)
 願わくは、冒険者となったらしいあの少年が、この女冒険者と出会わないことを祈るばかりだ。


 砂の家に戻るなり、イダが賑やかに迎えてくれる。パパリモが呆れながら嗜めるのがセットだ。そんなやり取りにも慣れてきて、仲間がいるのはありがたいなぁと嬉しくなる。
「あ、ウ・ザル! おかえり〜! 帰ったばかりのとこ悪いんだけどね!」
 その名前に、どきりと心臓が跳ねた。イダが声をかけた先を見る。そこにいるのは。
「いや、ほんと今帰ったばかりなんですけど……」
「ごめんごめん! でも今弓術師ギルドがイクサル対策で人手不足みたいでね、遠距離からの支援に長けた人をってことなんだけど……」
 白い髪の。
「まあ、弓なら多少は……」
 耳と、尻尾がある種族で。
「謙遜しなくてもいいぞウ・ザル。君の腕前は弓術師ギルドも一目置いてる」
 ――男の子。
「……あの、何か?」
「……あ、えっと……」
 まじまじと見ていたことに気づかれる。ほんの少し、左右で色が違う青い目は、砂漠の中のオアシスのように綺麗だった。
「あれ、挨拶まだだっけ? 最近砂の家も人が増えたもんね〜」
「彼はウ・ザル・ティア。僕とイダがグリダニアで見つけてスカウトしてきたんだ。君と同じ『超える力』持ちだよ」
「……変な名前だなーとか思ってます?」
 苦笑いする彼にふるふると首を横に振った。ザル。死を司る十二神の一柱。その名を冠した門をくぐって戦場に向かえば、一度『死』を経験したとして戦場での『死』を免れられるという、有名な願掛けもある神。
「……いい名前だと思う」
 本心からそう思った。彼がその名をどう思っているのかは、わからないけれど。
「――元気そうで、よかった」
 つい零れた言葉に、イダもパパリモも、ウ・ザルも怪訝な顔をした。元気そう――と形容するには、彼は些か大人しいから。
 やや老成しているようにも見える彼は、きっとあそこで苦労したのだろう。果たしてこの不思議な縁は、死を免れた彼と、それをほんの少し手助けした自分へ与えられた、ザル神の導きなのだろうか。わからないけれど、今はただ嬉しかった。
「私の名前は、ハルドメル・バルドバルウィン。――多分あなたよりちょっとだけ、年上だけど」
 ハルって呼んでほしいな。笑ってそう言うと彼は、少しだけ思案して。
「じゃあ、そうする。よろしく、ハル」
 差し出された手は、――当たり前だが、記憶の中よりずっと大きく成長していた。その手を握れることが、とても嬉しかった。
「よろしくね、ウ・ザル」

「えっ、あんたがイフリート倒した人 !?」
「え……一応?」
「一応? じゃないだろ!」

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