愛を知らなかった男の話

※『愚かでやさしい子供の話』と対になる話

 あぁ、来ちゃったなって、思ったよ。

「お前にもう用は無い」

 心を覆っていた膜のような魔力が無くなって、とす、とまるで抵抗などないかのように、冷たい感触が胸を貫いた。

 時間が止まったらいいのに、と思った。感覚は何処かに追いやられたかのように何も感じない。
 一瞬遅れて酷い痛みが胸を貫く。ゆっくりと振り返ろうとしたら上手くいかなくて、地面に足がついていないことに気付いた。
 自分の胸から突き出た、彼のきれいな髪と同じ銀の刃。手を伸ばして触れようとしたら、それより先に地面に投げ捨てられた。

 仰向けに転がって、灰色の空が見えた。胸の激痛もあるし、肺に穴が開いているせいか上手く呼吸もできないけれど、不思議と心は穏やかだった。
 ぱしゃりと足音がして、視界に黒いコートをまとった男が入ってくる。今、彼の顔を見て、あぁやっぱり勘違いじゃなかったと嬉しくなった。
 力なんて全然入らないけれど、今自分は笑っている気がする。すると彼が酷く驚いた顔をした。そんな顔は滅多に見たことがないのでまた笑ってしまった。

―セフィロス―

 名前を呼ぼうとして、出てきたのは血の塊だけだった。赤い粘液が喉に絡み付いて咳き込む。
 ろくに呼吸できてないから余計苦しくて涙が滲んだ。酸欠になるより前に、自分の血で溺れてしまいそうだなんてぼんやりと思った。

 なぁ、セフィロス。
 俺さ、知ってたよ。

 アンタが、クラウドに絶望を与えるためにオレを利用してたことも。
 そのために、オレの心に魔法をかけて、操っていたことも。
 ――アンタがオレを、愛してないことも。

 気付いたのは、いつだったんだろう。
 それは多分、オレを抱いた次の日の朝。いつもならとっとと帰ってるアンタが、その日だけはオレを抱きしめて眠ってた。あの時の顔、見せてやりたい。子供みたいで可愛かったッス。
 その時、かなぁ。なんか、胸の奥が、ぎゅーってなってさ。オレ、セフィロスのこと好きなのかって。
 魔法で操られてたから、体も心もセフィロスの思い通りに動かされてたけど、でも封じられた奥のほうで、ずっと思ってた。
 証拠に、ほら。刀で貫く直前に、アンタは魔法を解いたのに。

 オレは、まだセフィロスが好きだよ。

 ぽたり、と水が降ってくる。次々と落ちてくるそれはやがて雨となって降り注いでくる。
 体、冷えるから早く行けばいいのに。――嘘、本当はもうちょっとだけ、そこにいてほしい。
 不意に暖かい水が落ちてきて、もう霞んでよく見えない視界にセフィロスを映した。
 震えて、いるみたいだった。寒いのかな。ひゅーひゅーと上手く息ができないし声もでない。それでも何か伝えたくて必死で声を出そうとした。

―セフィロス―

 掠れた息しか出ないけれど、僅かな唇の動きで読み取ったのか、ぴくりと反応した。
 また、暖かい水が落ちてきて、それが涙なのだと漸く気付いた。

―泣いてるんスか―

 ゆっくりとオレの横に膝をついた彼の顔はやっぱり霞んでよく見えなかった。代わりにぽたり、とまた落ちてきた雫がそれを教えてくれた。

―泣くなよ―

 もうすぐクラウドが来るんだろ。アンタの願いは叶うのに、何で泣くんだよ。
 ……でも、セフィロスの泣き顔って初めてみるなぁ。なんか、嬉しいかも。
 僅かに口角が上がる。震える指先が頬に触れて、酷く胸が痛い。

 なぁ、泣くなって。

 ――ごめんな、もう、腕上がらないんだ。セフィロスのこと、抱きしめてやれない。アンタの涙も、拭ってやれない。
 でも抱きしめたら嫌がるんだろうな。いっつもオレの腕押さえつけて、絶対触らせようとしなかったもんな。
 でも、自分では気付いてないかもしんないけどさ、アンタ意外と寂しがりだから。

 だから、なのかな。セフィロスは放っておけないッスよ。

 人間離れした力を持っているくせに。

 自分のことを、モンスターだと言ったくせに。

 酷薄な笑みの中に隠した、絶望を知ったかなしい瞳が、酷く人間臭くて。

 そばに、いたいと。
 そう思った。

 もちろん、クラウドに酷いことをしようとするのは許せないし止めたいけれど、もうそれもできないみたいだ。

 触れた指先がそっと、頬を撫でていく。

 頬を伝った熱い流れに、自分も泣いていることを自覚した。

「……、……ぃーだ」

 聞いた事の無い、震えた声。そういえば初めて名前呼ばれたなぁって気付いて、何かすごく嬉しい。
 手を伸ばそうとして、もうどこも動かないことを思い出す。
 意識ももう殆どなくて、ただ、名前呼んでくれて嬉しいなって思った。

 ほら、いつも言ってんだろ。ちょっとは笑えって。ほら、笑顔の練習。
 あれ、オレ今笑えてるのかなぁ。

 音も、色も、光も、温度も。
 何もかも感じなくなって、意識も体も世界に解けていく。

 ただ一つ、言い忘れたことがあって、どうか彼に届くようにと願いながら、もう動かない体で

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