逃げるなよ

 何回目だろう。
 突き刺さる感触を確かめながら、男はぼんやりと考えた。
 そもそも数えてすらいないのだから、分かるはずもないのだけれど。

 ず、と壊れ物を扱うように――実際『壊れ物』なのだが――殊更丁寧に刀を引き抜く。
 その体をゆっくりと地面に横たえて、もう冷たくなってしまった頬に指を滑らせると、僅かに残った涙の跡に自分まで心臓を突き刺されたような痛みを覚える。

 これで、いいのだ。
 自分に言い聞かせるように何度も心で念じる。涙の跡は男を咎めるようにしその存在を主張していた。
 遠くに見える光の渦。もうすぐ浄化が始まる。またすぐに会えると分かっていても、男はその場から去ろうとはしなかった。

――――――

「セフィロス!!」
 ティーダの声が荒野に響く。他に仲間はいない。彼らの大半は既に他のカオスの者に倒されてしまった。
 怒りとも、悲しみともとれる――恐らく両方だろう――瞳で、ティーダは真直ぐにセフィロスを睨む。ぎりりと拳を強く握り締めた。
「思い出したのか……」
「ッ……!!」
 ずき、と痛む頭を押さえる。急激に取り戻した記憶は膨大すぎてティーダを苛む。
「思い出したよ……なんで、こんな……!」
 ふらつく体をなんとか支えるティーダを見て、セフィロスは小さくため息を吐いた。できることなら思い出す前に終わらせてやりたかったのだが、彼が生きる姿を見ているうちに時間はあっという間にすぎてしまう。
 今までにも彼が以前の戦いの記憶を取り戻すことはあったし、取り戻す前に片をつけてしまうこともあった。
 最近は随分と思い出すのも早くなってきている。幻光虫を利用すれば容易に思い出すことが出来るのだと、体が覚えているのかもしれない。

「……、これで何回目だよ……ッ! セフィロス!!!」
 激昂する彼にセフィロスは答えない。答えられない。回数を数えることなど何の意味もないからだ。
 ちき、と自分の身長よりも長い愛刀を握りなおす。他の者に邪魔される前に、片をつけてしまわねばならない。
「逃げるなよッ!!」
 大気を震わせる怒りと悲しみに、ぴくりと体が反応した。セフィロスにとってティーダの戦闘力など取るに足らないものなのに。
 一歩、また一歩と近づくティーダに僅かに後ずさる。

 どうして、こんな気持ちを知ってしまったのだろう。
 最初の頃、ただ雛のようについてくるだけだった彼は次第に本来の明るさを取り戻し、セフィロスの心にも変化をもたらした。
 気付かなければ、こんなことなどしなかっただろうに。
「逃げてなど……」
「逃げてるだろ!」
「私はッ」
 びく、とティーダが足を止める。ゆっくりと持ち上げられた刀が、それ以上近づくなという意思を伝える。
 あぁ、こんな風にためらうから。
 だから記憶が戻る前に片をつけなければいけないのに。

「私は……ただ……」

 風がさらりと白銀の髪を撫ぜる。
 僅かに目を細めたその仕草が、ティーダには泣きそうな子供のように見えた。
「ただ……」

――――――

 ティーダが元の世界の記憶を取り戻したのは、彼が始めてこの世界に召喚された戦いの、終わりが近い時だった。
 その頃はまだカオス側だったティーダはセフィロスと行動を共にし、この繰り返される戦いを終わらせようとしていた。
 願い虚しく、その時の状況では輪廻を断つ方法も分からず、コスモスの戦士も殆どが倒されてしまっていたがティーダはまだ諦めていない。
 ティーダの存在に徐々に感化されていたセフィロスも、いつしか協力的になっていた。そんな時。

『セフィロスは元の世界のこと、結構思い出したんスよね』
『思い出した、というより……見た、というのが正しいかもしれん』
 コスモスの連中というのは相手がカオスだと容赦がない。ティーダの語りかけに聞く耳を持たず襲い掛かってくるものだから、その傷の手当をしていた。
 夢の終わり。ティーダの世界にある場所を模して作られたその地で、彼はそんなことを聞いてきた。
『ライフストリームってやつ?』
『ああ』
 ライフストリームは生命エネルギー。人の知識、記憶そのものだ。セフィロスの世界に存在するその力を、そこから知識を吸収する術をセフィロスは知っていた。
『オレも幻光虫で思い出せるかな?』
 幻光虫はティーダの世界のものだが、その存在や理屈はライフストリームと同じだ。できるだろうと答えれば当然ティーダはその方法を知りたがった。

 セフィロスが記憶を見たのは、殆ど無意識のうちにやっていたことだった。
 自身の思想の根源とは言え、思い出したくもないような陰惨な、憎しみに満ちた記憶ではあったが、今こうしてそれらに囚われないでいるのはティーダの存在のおかげだ。
 たまたま彼がそばにいただけかもしれない。それでも、確かにセフィロスは彼に『救われた』のだ。そんなティーダの願いを、無下にできるわけもなく。
『思い出しかけてるんだ、すごく、大事なこと』
 それを知りたいのだというティーダと共に、宙を漂う幻光虫に手をかざした。
 たとえそれが自分のように陰惨な記憶だったとしても、今度は自分が彼を救えたらいい、とすら願って。

 ――もしも時間を戻せるのなら、決して思い出してはいけないとティーダに伝えたい。共にティーダの記憶を見てしまった、記憶を見る術を教えてしまった自分を殺してやりたい。

『…………あ、……』
 急激に脳に叩き込まれる大量の情報に呆けていたティーダは、やがて小さく声を漏らした。
 その意味を、共に記憶を見てしまったセフィロスは理解する。……理解しても、体は動かない。体を支配するのは大きすぎる喪失感だった。

『……か……そっか……だからオレ……終わらせなきゃ、って……思、ッ……』
 夢を終わらせる夢。それはこの世界でも同じ意味を持つのだろうか。
 静かに、静かに笑いながら涙を零したティーダを、セフィロスはただ見つめた。

(どうして)

『ごめんなセフィロス……でもありがと。教えてくれて』

(どうしてお前が)

『……セフィロス……?』

 知っていたはずなのに。

 世界は、いつだって残酷だと。

『……おまえは……』
 聞き取れるかも怪しいほどに擦れた声は、しかし言葉を続けることができなかった。
 それでも何を言わんとしているかわかったのか、ティーダは僅かに瞳を揺らめかせて笑った。――笑おうとして、失敗した。

 ぽつ、と。それは真っ白な紙に落としたインクのように黒い感情。――自分の心が穢れなき白だなどと微塵も思っていないが。
 一度落とされた穢れは消えることなく、じわりじわりとその範囲を広げ浸食していく。

 ――そうだ、世界はいつだって残酷だった。
 だから、セフィロスは、世界を否定した。

――――――

「なぁ……セフィロスだって最初は一緒にいてくれたじゃんか……! 一緒に終わらせるって……!」
 輪廻を繰り返すうちに、コスモス側へと転生してしまったティーダ。それでもセフィロスのやることも、ティーダのやることも変わらなかった。
 ティーダへと向けた刀をぴたりと止めたまま、セフィロスはぽつりと。

「……お前を、消したくないだけだ」
 びく、とティーダの肩が揺れる。それは知りたくもなかった、彼の記憶で垣間見た真実。
 輪廻を断つ夢。夢を終わらせる夢。全て終われば夢幻の如く無へと消え去るその運命。
「お前の存在を否定する世界を救う必要がどこにある」
 元の世界で父を倒し、全ての元凶を倒し、死の螺旋から解放したティーダは世界から消えた。
 それが何の因果か、このような異世界に召喚され再び存在することになった。
 けれど。けれどこの世界の輪廻が終わってしまったら。
「お前が消える必要はない」
 戦士達には帰る場所がある。肉体を失い、ただの思い出になりかけている自分にすらあるのに、彼にはそれが、ない。
 たとえ世界が違えども、ティーダがどこかで笑っているのならそれでいいと、思えたかもしれないのに。
「……私は……」
「セフィロス」
 名前を呼んだティーダは少し俯いて、きっと悲しい顔をしているのだろうと思う。
 そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

「オレを消したくないってさ、セフィロスがそう思ってくれてるって、嬉しい。ほんとに、すっげぇ嬉しい」

―でも、だめだよ―

 このやり取りは何回目だっただろう。今回が初めてなのかもしれないし、もしかしたらもう何度も同じことを繰り返しているのかもしれない。
「繰り返しても、悲しみしか生まれないんだ」
「……それでもいい」

(お前が消えないなら)

「……セフィロスは、優しすぎッス……」
 そう言ってティーダは、泣き笑いのような表情を浮かべて、水の剣を手にした。

――――――
 何度やっても同じだった。
 ティーダはこの世界の輪廻を断とうとするし、自分はティーダを消させないために、輪廻を終わらせないようにする。
 互いの想いは近いはずなのに、どうあっても交わらない平行線のように、隣り合いながらすれ違い続けている。

 いつも傷は最小限にとどめる。そうすれば浄化の時に修復され、次の戦いに参加することができる。
 ティーダの存在を消さないために、この世界を存続させるために、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
「ティーダ」
 呼びかけても返事があるはずもない。返事を期待したわけでもない。ただ名前を呼ぶだけで、少しだけ気分が落ち着くのだ。

 自分のやり方が間違っていることなど知っている。
 当の昔に、セフィロスという人間は壊れているのだから。

 浄化が始まるまでの間にも魔法で傷を修復していく。これで大丈夫。次の戦いにもティーダはいる。
「ティーダ……」

 さらりと目にかかる前髪を梳く。今のセフィロスを他人が見れば、それはきっと途方にくれた子供のように見えただろう。
「もう少し……時間をくれ」

 何度も逃げた。ティーダの言葉から。ティーダの決意から。ティーダとの別れから。
 消えて欲しくないという自分の願いだけで、ティーダの願いを無視した。
 消滅を避けられるのならどんなことも受け入れた。彼や彼の仲間を何度手にかけても、彼が存在し続けるなら耐えられた。

 こんなのは、ただの子供のわがままだ。駄々を捏ねて、現実を受け入れられないだけ。理解している、けれど。
「もう、少しだけ……」
 セフィロスも、ただ無為に時間を過ごしていたわけではない。この世界が終わってもティーダが存在していられる方法を探し続けた。
 もう少しだけ。彼を消さない方法を探すために。

 ――あるいは、彼との別れを、受け入れるために。

「ティーダ」

 そして世界は再び光に包まれる。

――――――

■五万打企画リク■
CPはセフィティダで、
ティーダ「逃げるなよ」

狸様、ありがとうございました!

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