すき

 朝、いつものように一人で食事をすませ、誰もいない家を出ればオートロックで鍵がかかる。
 隣の家の前で呼び鈴を鳴らすと、元気いっぱいの声と共に小柄な体が飛び出してくる。
「おっはよーッス!」
「ん、おはよう」
 軽々と体を受け止めると眩しい笑顔。
 セフィロスとティーダ。二人の付き合いもかれこれ3、4年になる。
 どちらも親がネグレクト気味であり、7つも年が上のセフィロスは時折家にやってくるティーダの面倒を、なんとなく見てやることが多かった。しかしティーダの両親が亡くなってからは自分から積極的に関わるようになっていく。
「忘れ物ないか」
「ない! 学校行くッス!」
 ティーダを構わなかったのは主に母親のほうで、父親は忙しく構いたくても構えない状態であったのだが、それでもティーダは母親に褒められたくて、愛されたくて幼いながらも一人で家事を覚えていった。
 こうして親がいなくなった今でも普通に生活できているのは、不幸中の幸いと言うべきか、皮肉と言うべきか。
「今日は体育あるのか」
「うん、得意なかけっこだから、一番になってやるッス!」
 セフィロスの親も相変わらず、滅多に家には帰ってこない。お陰で二人ともほぼ一人暮らしのような状態ではあるが、共に食事をしたり、時には相手の家に泊まって遊んだり、昔のように寂しいと思うことはなくなっていた。
 年の離れた二人ではあったけど、不思議と会話が途切れることもなく、会話がなかったとしても気まずくなるような関係でもなかった。
「な、晩御飯、ハンバーグでいい? この前リュックにアルベド風ソースの作り方教えてもらったんだ!」
「それは楽しみだな」
 両親を亡くし、笑顔を失い、その存在さえも儚く消えてしまいそうなティーダに手を差し伸べてから、セフィロス自身も少しずつ変化した、と。
 またティーダが笑えるようになったことに安堵の表情を見せながら、近所に住むティーダの後見人の男はそう言った。セフィロスにその自覚はなかったけれど、何だかくすぐったい気持ちになったのはよく覚えている。

 話しながら歩いているとあっという間にティーダの小学校に着く。セフィロスの通う高校も同じ方向にあるため、毎朝一緒に登校できている。さすがに帰る時間は合わないが、ティーダは嬉しそうだった。
 他にも何人か高校生が歩く中、女子達からの視線を感じた。
「セフィロスくーん、おはよっ」
「おはよ……」
 軽く返事をするときゃあきゃあ黄色い声を上げながら走っていく。高校入学当初は戸惑ったものの、今では見慣れた光景だ。
 この年頃になるとどうしても恋愛ごとへの興味は強まり、異性への態度も変わってくる。セフィロス自身、自分の容姿については自覚しているのだがどうにもやりにくい。
「相変わらずもてもてッスねー」
 ぶーと唇を尖らせて不満そうにするティーダの顔がおかしくて笑ってしまうと、不満そうな表情は消え、ティーダも笑った。
「まーしょうがないッス、セフィロスかっこいいし! でも彼女いないから今はオレのッスね!」
 えへへと無邪気に笑うティーダの頭を撫でてから、セフィロスは高校に向かって歩き出す。

 セフィロスは、人気がある。
 容姿も学力も身体能力も、さらには身長も、全てが一般的な男子のそれを上回っているのだから当然と言えば当然だ。
 今日も今日とて靴箱に入っている古典的なラブレターやらなにやらを取り出していると後ろから声をかけられた。
「また大量だな。いい加減恋人の一人も作ってみたらどうだ?」
「お前に言われたくない」
 振り返らないまま答えると横から手元を覗き込まれた。
「ジェネシス、人のを見てないで自分のも何とかしろ」
 ジェネシスと呼ばれた男の横にもう一人。その男も自分の靴箱から手紙類を取り出す。
「アンジールも随分と貰ってるじゃないか」
「というか、高校に入ってから急に増えたな、全員」
「まあそういう時期だからな」
 周囲の男子達からの恨みがましい視線をものともせず三人はそれらを鞄に詰めると教室へと歩き出す。
 ジェネシスとアンジールは幼馴染、セフィロスとは中学校で知り合い、大切な友人である。
 セフィロスに負けじと二人も成績優秀で、容姿も整っているため女子からは人気があり、男子からは羨まれる存在である。
 そんな三人が並んで歩いているだけで女子からは黄色い声や好奇の視線が向けられた。
「しかし、本当に作る気はないのか? アンジールは堅物だから仕方ないにしても」
「おいどういう意味だ」
「…………まあ、興味がないわけではないが、まだよく分からないんだ」
 興味がないわけではない。しかしセフィロスにとって恋愛とはテレビや本の中で見たような知識しかなく、最も身近にいる「夫婦」という一般には恋愛の末であるそれが機能していないのだから想像なんてできない。
 身近なところでも、学校であからさまに恋人関係を顕示するような者はいなかったし、誰かと誰かが恋人になった、程度の噂を時たま聞く程度だ。
 あるいは、街中で仲睦まじくしている恋人達を見ることもあったが、自分をそれに当てはめて想像するのは難しかった。
 そもそも、まともに愛情を受けずに育った自分が誰かを愛することができるのかという疑問は昔からセフィロスの中に燻ったままで。
「難しく考えなくてもいいと思うがな。一緒にいたいとか、一緒にいて楽しいとか、そういう奴もいないのか?」
「一緒に、か……」

 その言葉で、すぐに浮かんだのはティーダの顔だ。けれどそれは違う、と自分に言い聞かせる。年の離れた、弟のような存在。確かにそこに愛情はあるけれど、それは親愛や、友人としてのものだ。
 適当に言葉を濁して自分の席に座るセフィロスを見ながらジェネシスがぽつりと呟いた。
「なあアンジール、お前なら言わなくても分かると思うが……」
「あぁ、多分お前と同じ事を考えている」
 二人は、セフィロスのことを、そしてセフィロスといつも一緒にいる少年の事を知っていた。事細かに訊いた訳ではないが、二人の関係やいきさつもある程度把握しているし、時折会うこともある。
 そして少年と一緒にいる時、少年の事を話す時、考える時、セフィロスがどんな表情をしているかも、二人は知っていた。
「気付いてないんだろうな、アレは」
「多分、気付いてないんだろうな……」
 そう呟く二人も、セフィロスが無意識のうちに、その感情に気付かないように自身に言い聞かせていることは知らなかった。

――――――

「ねぇねぇティーダ君! いつも一緒に来てる人、お隣の家に住んでるんでしょ?」
「そーッスよー」
「いいなぁ、アタシああいう素敵な年上の人と付き合いたーい!」
 セフィロスの人気は同年代に留まらず、時折その姿を目にする小学生達にも広がっている。
 異性という壁をを意識し始めたばかりの少女達は喜々として漫画などに描かれる恋愛話に憧れを抱きつつ語り合う。少年達は面白くないのか、「お前みたいな年下相手にされねーよー!」などとちょっかいを出している。
「そんなことないって。セフィロス年下にも優しいッス」
 ティーダの発言により女子たちが色めきだつ。自分の両親も年の差婚だという者もおり、話は尚も盛り上がっていた。
「ねぇティーダ、あの人って何歳なの?」
「高1。オレと7つ違いッス」
 答えながらも、ティーダは先ほどの言葉がひっかかってもやもやとした気持ちを抱いていた。

『年下なんか相手にされない』

 小さな棘が刺さった時のちくちくした痛みのような、小さな不快感。
 セフィロスは年下にだって優しい。7つも違う自分の面倒をもうずっと見てきてくれている。年上が好きだとか年下が嫌いだとか、そもそもそういう話題すら会話に出てきたことはないけれど。
「んー……」
 言葉に言い表せない、初めて抱いた感情を持て余しながらティーダは小さくため息をついた。

――――――

「ね、セフィロス君。一緒に帰らない?」
 またか、とセフィロスは思う。正直なところ、少々うんざりしているのだ。
 この手の誘いを受けたとしても、最終的に来る告白をセフィロスが一度も受け入れたことがないのは既に知られているはずである。
 それでもまだ、こうしてやってくる者は多い。最初に告白なら受けないと言ったところで、めげずに勝手についてくる者もいた。その上で告白してきて、断ったら断ったで色々と言われたり泣かれたりするのでたまったものではない。
 いつも通りに、告白なら受けないと告げてさっさと歩き出す。ティーダは今頃夕食の準備をしているのだろうか。 慣れてきたとは言え、ティーダの家は広すぎる。仕事が早く片付いた時は後見人のアーロンが一緒にいてくれることもあるが、できるだけ早く帰ってやりたい。
 先ほどの女子生徒はついて来るタイプのようで、やや斜め後ろを歩いていた。話しかけてきても適当に相槌をうったりするだけだ。こんな対応をされて尚付き合おうと言うのだから、彼女らはまず見た目で選んでいるのだろうということは容易にわかる。
「セフィロス君はさ、好きな人いるの?」
「……別に」
「嘘。じゃあどうして今までの告白全部断ってるの? 好きな人がいるからじゃないの?」
「それは……まだ、あまり考えられない……というか」
「『興味がないわけじゃない』って言ってたって聞いたよ?」
 耳ざとい女だと思わず舌打ちしたくなった。断る理由なんて、いいじゃないか。ただ付き合うつもりはない。それだけで。
 もう家は目と鼻の先だというのに尚もしつこく食い下がる女をどうにか追い払いたくて歩みを速めようとすると、それより早く手を掴まれた。
 驚いて振り向くと彼女の顔が近づいて、よろめくように身を引いたら運悪く背中が塀にぶつかってしまう。
「興味があるなら、試しでいいから付き合ってみない? 私が彼女の間は何してもいいよ?」
 周囲はすでに薄暗く人気もない。尚も迫ってくる女に覚えたのは嫌悪だけだ。
「おい、いい加減に……」
 唇が触れそうなほど近づく。怪我をさせると面倒なのでそうならないように体を引離そうとすると――

「駄目ーーーーーッ!!!」
 聞きなれた声と共に横からやってきた不意の衝撃に耐え切れず倒れた。残された女は呆然と立ち尽くしてこちらを見ている。
「だっ……だめーーー!!!」
 腰に抱きついたまま叫ぶ少年にセフィロス自身も驚く。突然のことだったとはいえ、セフィロスが倒れるほど全力でぶつかってきたのだ。そのせいか少しだけ鼻が赤くなっていた。どころか大粒の涙をぼろぼろ零しながら嗚咽混じりに必死に訴えるのだ。

「だ……だめ……だめッ! セフィロス盗っちゃだめっ……おれ、のっ! セフィロスはッ、オレのなの! オレだけのなの!! 盗らない……で! 盗っちゃだめ! ぅぅ、……ッだめぇ……」
「ティー、ダ……」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら抱きつくティーダを、しばし呆然と見つめた。しかしすぐに我に帰ると、その小柄な体を抱き上げた。女が何か言っていたようだったが、セフィロスは一度も振り返ることなくティーダの家へと入っていった。

「ティーダ……落ち着いたか」
「ん……」
 ベッドの端に腰掛け、ずっとティーダを抱きしめたまま背中をさすって宥めていたセフィロスは、ほっと小さく息をついた。
 ティーダが泣いた。それはもうわんわんと。両親の葬式の時ですら必死に、ひたすら泣くのを我慢していたティーダが。

「セフィロス、が」
 ようやく言葉を発したティーダの頭を撫でると、またぐすりと鼻を鳴らした。
「い、いなくなっちゃうかと、思っ……あの人、すきに、なって……どっか、行っちゃう、って、」
「ティーダ……あの人とは本当に何でもないからな。ちょっと強引だったが……」
「お、おれ……また、置いてッかれ……と……、……!」

―また、置いていかれると思った―

 ティーダが泣きながら伝えた言葉に、セフィロスはぎりぎりと胸が締め付けられるような痛みを覚える。
 いつだってティーダは置いて行かれた。夫を愛するあまりティーダを省みなかった母親に。そして彼女は死ぬときですら夫と一緒だった。
 身近な人間がいなくなる。自分を置いて、どこかへ行く。ティーダがそれを人一倍恐れるのだということは、誰よりも知っていたはずなのに。
「……ごめん、ティーダ……ごめん」
「やだよぅ……っ……他の人、とこ、行っちゃ……やだ……」
「行かないよ……ティーダを置いて、離れていったりしない。だって俺は、」
 ―だって、俺は―
「セフィロスぅ……」
 ごしごしと顔を擦る手を止めさせると、擦りすぎて赤くなっていた。
「オレね、セフィロスがあの人と…………くっつきそうになってね、すっごい、嫌だった……ッス」
「…………」
「嫌だって気持ちが、ぶわーって出てきて、あの人のこと、すっごい嫌いになって、でももしセフィロスが、あの人のこと好きだったらって思ったら、怖くて、悔しくて、悲しくって」
 ぎゅう、と胸の辺りを握りながらティーダは続ける。その感情が、言葉が意味するところはつまり。
「やだよ……セフィロスが、オレ以外の人とあんなくっつくの、やだよぅ……オレが一番じゃないとやだッ……セフィロスはオレのなのっ」
 それはティーダが滅多に見せないわがままで、初めて見せる嫉妬と独占欲だった。誤魔化し続けた想いが、目を逸らし続けた感情が溢れてくる。

「オレ、セフィロスが、すきだよ」
 親愛とか、家族愛とか、そんなものじゃなくて。
「……ッ……」
「セフィっ……? く、くるし」
「俺だって……好きだ……ずっと、前から……ずっと」
 もう、制御できない。七つ下の、小柄な体をきつく、逃がすまいと抱きしめる。ティーダを置いていくなんて、離れるなんて、最初から無理に決まってる。だってこんなにも愛しい。
「ずっと一緒にいたい……絶対離れたりなんかしない……今までもこれからも、俺が好きなのは、ティーダだけだ」
「せ、ふぃ……ろ……」
 ぽろりと落ちた涙の跡を拭って、頬に手を添える。それでもまだ躊躇った。一度進んでしまえば二度と後戻りできない。
 ティーダはまだ幼い。その感情は判断を誤った、一時的なものかもしれない。いつかその気持ちは風化していくのかもしれない。
 それでもティーダは、言葉にしなくても理解したのか、セフィロスの大好きな笑顔を浮かべた。
「オレも、好き。今までもこれからも、ずっとセフィロスがすき。だから、オレを全部あげるから、セフィロスの全部が欲しいッス」

そんな、なんの漫画で覚えたのか聞きたくなるような台詞。
「……あぁ、全部ティーダにやる。だから、ティーダの全部をくれ」

 嬉しそうにはにかんだ顔を見つめながら、こつんと額をくっつけて、涙の跡にキスをした。

 疑問があった。親からの愛情をろくに受けなかった自分が、誰かを愛することができるのかと。
 答えなんて、最初から出ていたのだ。

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