「んーと……ここ、かな?」
携帯画面に表示された地図をもう一度見て、子供は小さく頷いた。
この場所に子供がいることが珍しいからか、周りからの視線を集めていて少し気まずい。
(入って、いいのかな)
初めてくる場所と周りからの視線に緊張しながら建物を眺めていると、誰かに声をかけられた。
「お? どした? 迷子か?」
――――――
(しまった……)
鞄をもう一度見直しながらセフィロスは顔を顰めた。
「どうしたセフィロス。行かないのか?」
アンジールに声をかけられるも、生返事をしながら鞄を漁り、やがてため息をつくと財布だけ取り出した。
「なんだ、今日は愛妻弁当なしか?」
ジェネシスが茶化してくるが、いつものように返すこともできないほどセフィロスは落胆していた。
「……忘れてしまった。パンでも買う」
落胆といっても見た目はいつも通りに見える。が、付き合いの長い二人から見ればあまりにわかりやすくて相変わらずだなと微笑ましく親友を見つめた。周りからはクールだなんて言われているが、あの小さな恋人のこととなるとセフィロスはこんなにもいろんな表情を出すのだ。
「まぁ、オレとアンジールの弁当を分けてやってもいいぞ?」
「お前の弁当はアンジールが作ったんだろうが」
「そう言うな、今日はうちで収穫したリンゴのパイも」
「それはお前の母親が作ったんだろうまったく……ほら行くぞジェネシス、セフィロス。早くしないと食べる場所がなくなるかもしれん」
「場所の心配なんてないだろう、あそこはいつも空いてる」
学内でトップクラスの成績とルックスを誇る三人の弁当談義という妙な光景に周囲からの視線が集まっているが、そういう視線には慣れたもので三人は気にする様子もなかった。
――――――
この大学には特別棟がある。特別棟といってもかなり大きな建物で、食堂やフリースペース、インターネット設備と様々な施設が入っていた。
セフィロス達はいつもここにある個室のフリースペースで食事をとる。人の多い場所では女学生が集まってきてしまいゆっくりできないのだ。
そこでたまたま開いていた個室を使った所、それ以来その部屋はまるでセフィロス達専用という認識にでもなったように誰も使わなくなったため、便利ではあるのだが。
「……? 騒がしいな」
フリースペースでは他の学生達も弁当を広げたり雑談をしているが、その一角が妙に騒がしい。
騒がしいと言うよりはざわついている。セフィロス達が来てからは少しだけ強くなったようだった。
「見学に来た学生でもいるんじゃないのか? アンジールも言ってなかったか、子犬が来るとかどうとか」
「ああ……そういえば」
「あああああーっアンジールーー!!」
途端にそのざわついていた一角から声が上がる。飛び出してきた黒髪の学生を片手で制すとアンジールはため息をついた。
「騒がしいぞザックス。周りに迷惑をかけるな」
「ごめんごめんって。あ、よーっすセフィロスにジェネシス。セフィロスにお客さんだぜ~」
「セフィロスっ!!」
ザックスが言うやいなや、同じ場所から小さな体が飛び出してきた。それを見て一番驚いたのは他ならぬセフィロスだ。 確かにティーダの学校は今日休みだが、セフィロスの大学に来るような用事などないはずなのに。
「ティーダっ? どうしてここに……」
周囲からも驚きの視線が集まり、え、誰? 弟? 親戚? それにしては似てないなどと散々な言われようだが、こんな所で関係を話せば今以上に騒ぎは大きくなるので黙っておく。
抱きつくティーダを受け止めると、太陽のような満面の笑みで見上げられた。その笑顔に、セフィロスはこの上なく弱い。
「えへへ、来ちゃったッス。セフィロス、弁当忘れてっただろ」
その発言でまたも周囲がざわめく。弁当を忘れたことを知っていてそれを持ってこられるということは、一緒に暮らしているか鍵を持つほど親密な仲ということになるからだ。
成績優秀眉目秀麗、絵に描いたような出来た人間の元に、中学生になるかならないかというくらいの少年がそんな理由で尋ねてきたのだ。皆気にならないわけがない。
「忘れるなんてひどいッス。せっかくオレが……むぐっ」
これ以上ティーダに発言させて騒ぎが大きくなっても困るので一時退却だとティーダの口を軽く塞いで抱き上げた。
「……アンジール、ジェネシス、部屋に行くぞ」
「了解……君達、話はまた後で」
ジェネシスが笑顔でそう言えば大抵の者(主に女性)は聞いてくれるので、フォローは任せて足早に個室へと向かった。
――――――
やはり空いていた個室に入って抱いていたティーダを降ろすと小さく息を吐いた。
先ほどは恐らく「せっかくオレが作ったのに」と言う所だったのだろうが、それを聞かれればこんな少年に弁当を作らせているなんて!? とまたいらぬ混乱を招いてしまうだろう。
途中で止められてよかったという意味の安堵のため息だったが、それを見てティーダはしょんぼりと表情を曇らせた。
「オレ、来ちゃだめだった?」
「そういうわけじゃない……が、連絡は欲しかったかな」
「授業中はだめかと思って……ごめんなさいッス……」
「いや、いい。弁当ありがとう」
「ん」
くしゃりと髪を撫でて額にキスをすると花が綻ぶように笑顔が戻る。――と、背後から咳払いが聞こえてぎくりと体が固まった。
「あー……セフィロス、個室に入ったからといっていきなりは」
「ふっ、仲がいいことだな」
「おーすげぇ! 個室なんてあんのか」
ぞろぞろと部屋に入ってくる三人のほうは見ずにゆっくりと体を離して椅子に座った。当然ティーダは隣に座らせる。
「セフィロス顔赤くね?」
「気のせいだ」
ザックスに茶化される。ちなみにザックスはセフィロス達が通っていた高校の学生で、剣道部の後輩だった。特にアンジールは目をかけていたため仲が良い。
騒ぎのせいで少し遅くなったが皆弁当を広げた。セフィロスはもちろんティーダが持ってきてくれた弁当だ。
「いつも思うが、その年でそれだけ作れるのは大したものだな」
「へへ、セフィロスのために頑張ってるッス!」
アンジールに褒められてティーダはご機嫌だ。アンジールも料理が得意なため、たまに会う時はよく料理の話をしている。新しいレシピを教えてもらったりしているので、ティーダはアンジールを師匠と思っているらしい。
「あっ、アップルパイがある! ジェネシスが作ったんスか? 教えて欲しいッス!」
「いいだろう、今度レシピを書いてこよう」
「だからお前が作ったんじゃないだろう……」
「やべーこのアップルパイうめぇぇぇ」
「こらザックス、パイのかけらをこぼすなよ。……パイシートは少々手間だし、初めてなら市販のものでもいいかもしれないな」
一人二人増えるだけで随分と賑やかになるものだと、ティーダの作った卵焼きを食べながらセフィロスは部屋を眺めた。ジェネシスに言わせれば「子犬二匹」になるのだろうが。
普段は三人で雑談しながら食事をするが、こんな風に賑やかなのもいいものだ。幼いころから一人の食事に慣れきってしまっていたセフィロスにとって、それは新鮮な光景だった。似たような境遇であったティーダも、今日は一段と楽しそうで自然と顔が綻んだ。
「そういえば、子犬はよく入れたな。一人で大丈夫だったか?」
「あぁ、入り口のとこに立ってるの見つけたからオレが声かけたんだよ。そしたらセフィロス探してるって言うじゃん? びっくりしたぜ。年下の恋人がいるなんて聞いてたけど、まーさかこんなちっちゃい子囲ってるなんてぁ痛ッ!」
「妙なことを言うな」
叩かれた場所をさするザックスを尻目に食べ終えた弁当箱を片付ける。ティーダが感想を聞いてくるが、リポーターのように言葉が出てくるわけでもなく普通のことしか言えない。それでもティーダは「美味しかった」というだけで喜んでくれる。
「また腕を上げたな」
「えへへ、次もがんばるッス」
ジェネシスにもらった食後のアップルパイをほお張りながらティーダはご満悦だ。随分とここが気に入ったらしい。
「そういやティーダ、この後はもう帰るのか? オレはまだ見学があるけど」
「んん……」
ちら、と様子を伺うようにセフィロスに視線を向ける。こんな時のティーダはとても消極的だ。それは、まだティーダの両親がいたころに身についてしまった、『出来るだけ周りの手を煩わせたくない』という子供らしからぬ考えのせいだ。
セフィロスとしては、これ以上ティーダを大学内で歩かせたくはないし、一人で帰らせるなんて持っての外だ。大学の中だとしても、良からぬ考えを持つ者がいないとも限らないのだ。けれど、ティーダの願いはできるだけ叶えてやりたい。
「……ザックス、一緒に行動できるか?」
「おう、ティーダのことは事務室行って、弁当の件と、あと見学扱いってことにしてもらってるし、午前中も教師に許可とって一緒にいたから大丈夫だぜ」
「い、いいッス! オレ帰るからっ」
「ティーダ」
わたわたと慌てるティーダを捕まえて膝の上に乗せる。向き合って視線を合わせようとすると俯いてしまうので顔を手で挟んで無理やり持ち上げた。
「……もうちょっと我侭でいいと、言ってるだろう」
「……うー」
「まだ見て周りたいんだろう?」
むむむと口を開かないティーダに苦笑するとセフィロスは一度手を離した。昔の事があるせいとは言え、こうなったティーダは意外と頑固である。
「仕方ないな。お前が一人で帰るというなら俺は午後の講義をサボってお前と一緒に帰る」
「えっ……それは駄目ッス! セフィロスはちゃんと授業でるッス!」
「なら、ティーダは講義が終わるまでザックスと見学していてくれ。同じくらいに終わるはずだから、終わったら、一緒に帰ろう」
「うぅ~……」
やがて小さく頷いたティーダの頭を撫でると視線を感じた。ジェネシスは何やら笑みを浮かべながらこちらを見ているしアンジールは気まずそうな顔だし、ザックスもやたら楽しそうだ。
「いや、本当にいい顔をするようになったなセフィロス……俺は親友として嬉しいぞ」
「しかしなセフィロス……いくら俺達しかいないからといってそういうのを目の前でやられるとだな……」
「ははっ、アンジール照れてやんのー」
ティーダは少し照れたようにセフィロスの体に抱きついて顔を埋めた。けれどその顔が嬉しそうに笑っているのをセフィロスは知っている。これでもう少し、甘え上手になればいいのだが。
「そうだティーダ、秋には文化祭があるみたいだから、いっぱい見て回りたいならその時にまたくるといいぞー」
「ぶんかさい?」
「おいザックス」
余計なことは教えるなと言いたかったのだがすでにティーダの目はきらきらと輝き始めている。
文化祭こそ、様々な催し物と学生と外部の人間とが入り混じるカオスな世界だ。絶対に一人でなんて来させられないし、一瞬も目を離せない危険な場所だろう。
けれど。
『セフィロス! オレ……オレも文化祭行きたいッス!』
ザックス達からある事ない事説明されて目を輝かせるティーダがそう言い出すのに時間はかからなかった。
そして、素直に自分の望みを言えたティーダに、セフィロスが首を横に振るはずもなかった。