故郷を取り戻す。
旅に出る前の自分だったら、その言葉をいまいち理解できなかっただろうとハルドメルは思う。
海を行く船の上で生まれ、旅をしながら育った彼女には、故郷と思える場所がなかった。友達と同じで、当たり前にそういうものを持っている人達に憧れていた。
ただ今は、彼女にとって大事な場所がある。いつも笑って、平和でいてほしい人たちがいる。その地へ訪れた時は心から安堵する。もし彼らのことを馬鹿にされたら腹が立つし、悲しい。心の中に根差した大樹のような、その身を預けても安心できる場所。そんな場所のことを、故郷と同等と思ってもいいものだろうか。
――戦争は嫌だ。それは多くの犠牲を生み、生きながらえたとしても、たくさんのものを失う。それでも、ただ黙って一方が搾取されることがあってはならない。もし自分にとって大切なその地が侵略されたら。大切な人達が圧政の元で苦しめられたら。それを想った時、彼女の答えは決まっていた。
(あなたもきっと、そうするでしょう?)
―――――
――とはいえ、これは紛れもなく戦争だ。長城を越えた先、初めて足を踏み入れるギラバニアの地では、あちらこちらに戦闘の爪痕が残っている。焼けこげた魔導アーマーの残骸、兵器で抉れた大地、しんと静まり返る人気のなくなった集落。それらを目にしながら、それでも。
見たことのない植生。同型は他の地域にもいるものの、毛並みや角の形が違う動物や魔物達。赤茶けた岩肌が続く大地に、照りつける陽射しにも負けず生きる姿がそこにある。こんな状況でも初めて見るもの、触れるものに心動かされるのは、冒険者の性というものだろう。
リセの案内でアラミゴ解放軍の本拠地、ラールガーズリーチに入った時、ハルドメルは思わず感嘆の吐息を漏らした。
堂々たる姿をしたその巨大な石像は、壊神ラールガーを模したものだ。どれほどの時間をかけて、どれだけの人の手を持って作り上げられたものか。石像だけではない、岩場をくり抜いて作られた道や施設も、ここで生きた人たちの証。その一端に触れられることが、純粋に嬉しい。
だからこそ、旅が好きだ。
だからこそ、そこに生きる者達を、彼らが築いてきた営みを踏みにじられるようなことがあってはならないと思う。
「ザナラーンも暑かったけど……こっちもすごく暑いね」
「でしょ? あっちは陽射しがじりじり焼いてくる感じだけど、こっちは熱気が包んでくる感じっていうか……」
ラールガーズリーチの中を案内し、説明してくれるリセはどこか嬉しそうで、誇らしそうでもあった。自分にとって大切な場所。それを知ってもらえること、自分の言葉で説明できることがそう思わせるのだろうか。祖国に対する熱い想いを語ってくれるリセに、ハルドメルもまた心動かされる。それほどまでに大切に想える場所があることは素直に素敵なことだと。そして、大切なものを護りたいと思う彼らの力になれたらと、そう思うのだ。
―――――
アラミゴ解放軍、その中でコンラッド率いる部隊にいる者達と同盟軍との協力が結ばれた。『軍』と呼ばれてはいても小さな組織の寄り合い。一枚岩ではない状態で、それでもこれは貴重な一歩だ。
鉄仮面の影響で人員不足に喘ぐ解放軍に協力すべく、クルル達は野戦病院へ協力し、アルフィノは一度戻って義勇兵を集めてくることになった。
「アレンヴァルドにも?」
「ああ、もちろんだよ」
「早く行ってあげて。今回来れなかったこと、すごく残念そうにしてたから」
アラミゴは、アレンヴァルドの故郷でもある。いい思い出なんかないよと話してくれたこともあれば、ほんの少しだけ、超える力で垣間見てしまったこともある。だが――。
『俺にも行かせてくれ!』
同盟軍に協力し、アラミゴ解放軍と結びつける。その話が舞い込んだ時、アレンヴァルドは自ら志願しに来た。当然アルフィノもその気持ちは理解していたが、代表数名で行くこと、あくまで中立の立場としてのスタートだったことから、心苦しくも断らざるを得なかった。その時改めて彼の、故郷に対する想いを垣間見たのだ。
「きっと真っ先に手を挙げてくれるだろうね……亡命してきたとは言え、やはり故郷というのは特別な場所だろうから……」
「うん、私もそう思うし……アラミゴの人達の大事な場所のために、協力したい」
鉄仮面と名乗って人々を扇動し、夥しい犠牲を出したイルベルドも、元を辿れば故郷への想いがあったからこその行動だった。彼のやったことは決して許されないものだったとしても、そこにあった想いは無下にしてはならない。例え手段がどうあれ、千年の戦争を終わらせようとしたイゼルや教皇達がいたように。
「既知の蛮神についてはウリエンジェ達が対応してくれているし、アラミゴ解放は生半可な覚悟で成し遂げられるものではない……それに立ち向かうだけの熱を持った彼に、私としても是非協力してもらいたい」
「こっちでもできることは何でもやっておくから、そっちはお願いね、アルフィノ!」
「あぁ、行ってくるよ!」
アルフィノは変わった。小さくとも、自分の力でできることから着実に積み上げようとしている。その姿に、ハルドメルもまた力をもらっているのだ。
(私もがんばらないと!)
―――――
故郷を取り戻したい。圧政に苦しめられず、ただ平穏に暮らせる場所になってほしい。仲間の、友達の、そんな想いに協力したいと思っていた。そしていつだって、自分の考えの浅さに愕然とするのだ。
『オレはアンタみたいな、故郷を放り出して逃げ出した奴のことを同胞とは思わない!』
アラガーナで目にする、帝国の圧政に苦しめられた人々の怒り、疲弊、無力感。
ラールガーズリーチにいた闘士達はいずれも、祖国奪還の想いを強く抱いていた。だからこそこの差に、胸が締め付けられる。
(アレンヴァルドが、いなくてよかった)
彼もまた、帝国の支配下から逃れるためにエオルゼアに亡命した一人だ。彼があの言葉を聞けばきっと傷つく。そこだけは、少し安堵した。
職がなく、リトルアラミゴや貧民街で暮らすしかできない人達も、彼らにとっては裏切者になるのだろうか。逃げ延びた先で必ず安定した生活が得られるわけではなく、あの国境を越えられずに捕まる者もいるだろう。それでも、この地に残った人たちにとっては――。
「ハルドメル……大丈夫か?」
「あ……ご、ごめんなさい、ぼーっとしちゃって」
メッフリッドに声をかけられてはっとする。慌てて取り繕うものの、彼は苦笑いしたままだ。
「リセより余程酷い顔をしていたぞ。お前が気にすることでもないだろうに」
ハルドメルはリセに視線を移した。郷土愛がないから逃げたのだろうと、そう言われて彼女も酷く思いつめた表情をしていた。そう、自分よりも当事者たるリセのほうが辛いはずだと、ハルドメルは一度深く息をつく。
「……故郷とか、同胞ってなんだろうって……ちょっと考えてました」
自分でもまた苦笑する。そんなこともわからないのが少しだけ恥ずかしいのだと言いながら、両親と旅をして暮らしてきたこと、故郷と呼べる場所がないことを話した。家族と言う最小単位の社会を軸に生きてきたハルドメルには、『同胞』という感覚もまたなかった。
「今は、大事な人達とか、その人達がいる場所を護りたいって思うんですけど……でもさっきの人が言ってたみたいに、逃げた人は故郷のことを大事に思ってても、もう『同胞』と思ってもらえないのか……とか、色々考えてたら、よくわからなくなって……」
「……お前はエオルゼアでも多くのアラミゴ人を見てきただろう?」
メッフリッドの眼差しはどこか優しい。かつてクォーリーミルで出会った時の彼は、仲間を助けんと必死で、誰も手を貸してくれないことに怒りを覚えていた。あの険しい表情は、今はない。
「なら分かるはずだ……どれだけ遠く離れても、故郷を想う気持ちは同じだった。忘れたことなど一日もない。無謀でも、非道でも、無力感に苛まれても……皆故郷を想っていたんだ」
ハルドメルの脳裏に、幾人もの姿が過る。クォーリーミルで苦しんでいたメッフリッド達。職もなく貧民街を彷徨うしかない難民達。難民や蛮神への対応をしながらも祖国を憂いていたラウバーン。絶望を抱き暴走したイルベルド。ザナラーンで生まれた、祖国を見たことがないアラミゴ二世の若者、ウィルレッド達ですら、アラミゴの奪還、帰郷を強く願っていた。愛国心がないなどと、どうして言えるだろうか。
「俺は逃げた先でお前に出会って救われたし、こうして再起することができた。アラミゴに残っていたら帝国に虐げられ、命を落としていたかもしれない。だから俺はお前に感謝しているし、亡命したことを後悔していない。……俺の部下達も、きっとそうだ」
その言葉に、つい目の奥が熱くなる。鉄仮面の影武者をしていた彼も、クォーリーミルで助けたメッフリッドの部下であった。
「戦いたくても戦えない事情も、今しがた聴いてきたばかりだろう? 故郷を想う気持ちは皆同じ……戦い方は、人ぞれぞれというだけだ」
「……あはは、すみません、励ましてもらっちゃって」
情けなさとありがたさ、ちょっとの照れ隠し。そんな感情が混ざり合う。リセもまた、メッフリッドの言葉で少し気を持ち直したようだった。
「アラミゴ人は義理と人情を重んじる。あの時の礼には到底足りないが……少しくらいは返させてくれ」
笑うメッフリッドが、酷く頼もしく感じた。
―――――
バエサルの長城から戻って来たアルフィノは、石の家に暁の血盟員を集めてアラミゴ解放への義勇兵を募った。それに真っ先に手を挙げたのは――やはりアレンヴァルドだった。その場にいた誰しもが予想していたことであろうし、友人であるウ・ザルもまた尻尾を揺らめかせた。そして続くように、自分も行くと声をあげる。他にも幾人かのものが賛同し、アルフィノを中心として冒険者ギルドや各地の伝手を使って更なる義勇兵を募ることとなった。
「義勇兵は給料ないんだぞ」
「……暁からの給料はあるし、蛮神の方は今は手が足りてるみたいだしな」
その返答にアレンヴァルドが笑う。なかなか素直な物言いをしない友人の、不器用な協力が嬉しかった。
イシュガルドで機工士の手ほどきを受けたウ・ザルは、早速その力を発揮している。つい先日にはシルフ領にほど近い場所の哨戒任務で出くわした魔導兵器を倒し、その残骸から故障した機工兵装パーツの代替品になるものを抜き取って使うなど器用な一面も見せていた。
元々使っていた弓より銃のほうが有効な場面がある――そういった考えがあったのももちろんだろうが、故郷の解放を願うアレンヴァルドを見て、『帝国と戦うなら尚の事』と機工士ギルドの門を叩いた友人にアレンヴァルドは心底感謝しているのだ。ウ・ザルもそれがわかっているから、面映ゆいことは勘弁してくれと、ついぶっきらぼうになってしまうのだけれど。
「ギラバニア、どんなとこだ?」
「前もちょっと話したけど、日中はかなり暑い……って言ってもウ・ザルは慣れてるから平気だろうな。でも岩場が結構熱くなるから、日陰だとしても置き場所に気をつけないと機工兵器の不調の原因になるかもなぁ。あと、乾いてるから砂が入りやすい、か?」
「ふむ」
「アレンヴァルド、少しいいかい?」
話の最中にアルフィノがやってきた。ウ・ザルはまだ少しだけ、苦手意識がある。彼の犯した大きすぎる失敗を恐らく、完全に許すことはできない。けれど失敗を受けとめ、それでも立ち上がり、成長しようとしている彼を認めてはいるのだ。かつてアバとオリが言っていたように。
「え……俺がとりまとめを……?」
「あぁ、是非君に頼みたい。アラミゴ解放を強く願う君にね」
アルフィノの話は、アラミゴ解放に参加する義勇兵達のとりまとめをアレンヴァルドにしてほしいというものだった。暁の血盟員、その中でも超える力を持っているとは言え、ただの一兵卒だと思っていた自分に唐突に与えられた役割。
「……重いか?」
「重い……ていうか、実感わかない、というか」
「義勇兵を募るのはまだ少し時間がかかる。返事は後でも構わないが……」
アルフィノも、アレンヴァルドの戸惑いは理解できた。だからこそ焦らせず、彼の考えを尊重したいと思う。だがアレンヴァルドは意を決したように顔をあげた。
「……いや、やる。こんな俺が……なんていつも思っちまうけど……でもアラミゴの……故郷解放のために、俺のできる全力を尽くしたい。ここでやらなきゃ、アバとオリに笑われちまう」
「……あぁ! ありがとう、アレンヴァルド。よろしく頼むよ!」
微笑んで手を差し出せば、しっかりと握られた。その力強さは、何よりも頼もしかった。
そこからはあっという間だった。義勇兵集めといってもそう長く時間をかけてもいられない。帝国軍がいつ再び攻め込んできてもおかしくはないのだ。人員は引き続き石の家のタタル達を通して募るものの、ある程度人数が集まってきたところで一旦同盟軍に合流することとなった。
初めて一か所に集められた義勇兵達。その殆どはアラミゴ人だ。だが中には、帝国に一泡噴かせたいという血気盛んな冒険者もいた。
そんな彼らの前に進み出る若者は、鈍く光る銀の鎧を身に着けていた。
「――俺の名は、アレンヴァルド・レンティヌス。アラミゴ解放のための義勇兵、そのとりまとめを任されました」
義勇兵の中に混じり、ウ・ザルもその言葉を聞いている。その生い立ちによるものか、いつだってどこか、自信のなさを抱えて生きる友人。けれどいなくなってしまった、自分達にとって『英雄』と呼ぶべき二人から贈られた鎧を纏ったその姿は、堂々として誇らしく見えた。
「俺は、アラミゴ人とガレアン人の混血です。純粋なアラミゴ人から見たら、そんな俺がこの部隊のとりまとめなんて、って思うかもしれない」
野次を飛ばすものはいない。まだ二十にもならない若者の言葉に、誰もが耳を傾けている。
「親に捨てられて、生きるために罪を犯して……いい思い出なんてろくにない。だけど、俺はアラミゴ人として生まれて、アラミゴ人としてあの地で育ちました。混血でも……俺の、故郷です。だから戦いたい。俺みたいな奴が生まれない、何にも怯えず暮らせる場所になってほしい。未熟者かもしれないけど……どうか、力を貸してください!」
背筋を伸ばし、頭を下げるアレンヴァルドの姿に、雄叫びのような歓声が返る。二十年前、祖国を守り切れずにこの地へ流れた壮年の男も、一度も祖国の土を踏んだことがない若者も、誰もが気持ちを一つにした。
「はぁ~~……」
義勇兵達の士気は上々。最初の挨拶という大仕事を終わらせた友人に近付き、ウ・ザルはとんと拳で肩を叩いた。
「……かっこよかったぞ、隊長」
「よしてくれよ……」
「本心で言ってる」
「あ~~もう!」
いつもは素直じゃないくせにと少し悔しそうな顔をするアレンヴァルドに笑う。たまには素直になってみるのもいいものだ。