『あー曹長? 御宅の若い子もうちょっとどうにかなんない?』
「ああ? 何だよ藪から棒に」
馴染みの事務員からの内線に出るなり、ため息混じりにそんなことを言われてサンドマンは首を傾げた。
『フロストくん? だっけ? 彼さっき消耗品補充の申請書持ってきたんだけどさ、ついでにゴミ出してくれないかって頼んだんだよ。 今ちょっと手が離せなくてさぁ……ダストボックスもそっちに戻る途中にあるから丁度いいと思って。そしたら何て言ったと思うよ!?』
「あー……『俺に何の得が?』?」
『分かってるなら注意しといてくれよ! 俺は別にいいけど他所であんなこと言ったら――』
電話の向こうで捲くし立てる彼は面倒見のいい男で、怒っているわけではなくそれなりにフロストのことを心配してくれているのであろうことはサンドマンにも分かっている。その人柄に感謝しつつ、さてあの問題児をどう躾けたものかと頭を悩ませる。
「毎度注意してるんだがなぁ、悪かったよ」
「何で謝ってるんだ?」
噂をすればだろうか。今まさに話題になっている問題児が何食わぬ顔で戻ってきた。
「まーた頼まれ事断ったんだって?」
会話が聞こえていたらしいグリンチが笑いながら答える。む、と少し顔を顰めたもののフロストはさっさと自分の席へ座った。
「「俺には何の得も無い」」
フロストが言うのと同じタイミングで言葉をかぶせたトラックが笑った。無表情の中に不機嫌をにじませる若者が本気で怒っているわけではないと分かっているが、あまり弄りすぎると拗ねるのでその加減は気をつけなければいけない。
最初の頃はどう扱ったものかと色々と気を使ったものだった。今でこそフロストも随分気を許してくれているが、最初の頃は借りてきた猫というか、歯牙にもかけないというか、とにかくつっけんどん、無愛想という概念が服を着て歩いているような有様だったのだから。
「……あぁ……あぁ……次行かせる時はよく言っとくよ。悪かったな、じゃあ」
「……俺が断ったのになんであんたが謝るんだ」
電話を切ると先ほどと同じような問いかけをしてくる。咎められて不機嫌というよりは、自分のせいでサンドマンが謝ったらしいことがお気に召さないようだ。
「あのねフロストくん? 部下のお前が失礼なことすると上司の俺に文句が来るんだぞ……って前も言っただろが。ちょっと手貸すくらいやってくれよ?」
「……善処する」
前回もそう言っていた気がする。この無愛想さで軍曹にまで上り詰めているのだから実力は確かなのだが。
「あー……さて休憩するか」
デスクワークで凝った肩をぐるぐると回しながらそう言うとフロストがすっと立ち上がる。
「コーヒー淹れる」
「俺のも」
「フロスト~俺のも~」
「あんたらは自分でやれ」
しれっと言い返すフロストにグリンチとトラックがけらけらと笑い、一緒に簡易キッチンに向かう。
「何だよさっきの怒ってるのか? 悪かったって」
「隊長殿からも何か言ってくれよ~さすがにキッチンに男三人はキツいぜ」
ああだこうだと言いながら、お湯を用意するフロストの傍らで自分達のカップにドリップコーヒーのバッグをセットしている二人に苦笑しながら「二人の分も淹れてやれ」とサンドマンが言う。――と。
「……あんたが言うなら」
と不承不承頷いて――お湯を注ぐだけなのだが――二人の分もついでに淹れる。
なんだかんだ言いつつ最初から全員分のお湯を用意しているのが、この後輩の可愛いところなのだ。
――――――
「お疲れさん!!」
長期任務から漸く解放された後、任務に参加していた者のほぼ全員――死傷者は除くが――が酒を飲みに来ていた。サンドマン率いるメタルチームもまた久々の休息を楽しんでいる。
「また腕上げたなぁフロスト」
「別にいつも通りやっただけだ」
酒が入って上機嫌に話すグリンチにフロストは相変わらず素っ気無い返事だ。いつものことなので別段気を悪くすることも無く、グリンチはつらつらと話を続けながら時折トラックが茶々を入れる。
「でも俺もそう思うぜ? 俺に権力があったら昇進と特別休暇を考えるところだ」
「それほどでもない」
サンドマンが褒めると謙虚なのかなんなのかよく分からないが素直に受け入れるのもいつものことだ。
「あ? もうなくなっちまった」
早々にグラスもボトルも空になってしまい、フロストに追加を頼む。
「わかった」
するとフロストはすぐさま立ち上がってカウンターに向かう。
「くそー曹長の命令はホイホイ聞きやがって~」
「主人に忠実なんだろ、なあ隊長?」
からかうような二人に笑い返す。
――そう、フロストはサンドマンの言うことには素直に従う。よく口にする『見返り』を求めることも無く。
「ほら」
「おうサンキュ」
わしゃわしゃと頭を撫でてやると、子供扱いするなと無下に払われてしまった。日焼けに弱い白い肌が僅かに赤い。それが酒のせいだけではないと、サンドマンは気付いていた。
「……なぁ、俺もそれ少し飲みたい」
「お、いいぞ。ほら」
フロストのグラスに酒を注ごうとボトルを持ったところで背後から肩に手を置かれた。振り返ると、何度か共に仕事をしたことのある男だった。年も近く、気の合う男で何度か飲みにいったこともある。
「よう、久しいな。ちょっと見ない間に老けたか?」
「久々だってのに酷くねぇ? あんたにだけは言われたくなかったぜ……」
「どういう意味だコラ」
「おい、ちょっと御宅の隊長さん借りてもいいか?」
「どーぞどー「サンドマン」」
遠慮の無いやりとりに懐かしさを感じていた矢先、フロストに引き止められるように呼ばれ軽く額を押さえた。可愛くもあるが、慣れた人間以外とのコミュニケーションに消極的なのは困りものだ。
「すぐ戻るから大人しくしてろ。というかアレだ、お前もたまには他の部隊のやつらと話せ。ほら仲の良いTFの坊主来てただろ?」
「ローチとはいつもメールで」
「あーあーそういうんじゃなくて。ほら」
渋るフロストの空いたグラスに酒をなみなみと注いでやると、不満げではあるもののTF141のメンバーがいるほうへ歩いていった。グリンチ達に目配せして後を任せると、先ほどの男についていく。
他愛の無い話をしながら久々に顔を見る面子のいるテーブルに向かっていると、ふと耳に入った単語に思わず顔を顰めた。
『――見ろよ、ハイエナ君だ』
『最近付き合い悪いよなぁ?』
見下すようなせせら笑い。ねっとりとした陰湿な攻撃性。
不快なそれらをこれ以上聞くまいと意識を逸らし、サンドマンはふんと鼻を鳴らした。
――ハイエナ。それは時折耳にする、フロストの別称だ。
蔑称、と言った方が正しいだろうか。
それをはじめて聞いた時は酷く腹が立ったものだった。
フロストは、任務には忠実だ。だが、それ以外のことで人に頼まれ事をされれば見返りを求める。相手が下手に出ようが自分の利益にならないことはしない。それはあたかも、他の動物が必死に捕らえた獲物を奪ったり、その屍肉を漁るハイエナのように、卑怯で姑息だ――奴らはそう言っているのだろう。
そう言われていることはフロスト自身も気付いているのだろうが、本人が何も言わないのでサンドマン達も気にしないよう勤めている。
しかしそれだけでサンドマンの怒りが収まるわけではなかった。自分一人が腹を立てたところでどうにかなることでもないが、兎に角その呼び方も、そう呼ぶ奴らも気に食わなかった。それが少しだけ治まったのは、新聞を読んでいる時に見かけた一文がきっかけだった。
その記事の内容自体は忘れてしまったが、そこには確かにハイエナのことが書かれていたのだ。
一般的なハイエナのイメージは、やはり他人から利益を掠め取るような姑息なものや、屍肉を漁る意地汚い姿だろう。
だがハイエナの中には屍肉を漁るよりも、自らが狩りをすることが多い種類もいるのだ、と。
彼らは並外れたスタミナとスピードを併せ持つ優秀なハンターだ。
そしてフロストもまた、正確に敵を仕留め、他人が打ち漏らした敵もすぐさま見つけ出し始末する、優秀な男だ。
そう考えれば、ハイエナという別称もいい意味に捉えることもできるのだ、と考えられるようになった。少なくとも、サンドマンの中では。
だからといってあのように馬鹿にしたような呼び方をする者達への怒りがなくなるわけでもなかったのだが、以前よりは落ち着いていられるようになった。ように思っている。
ただ、『ハイエナ』という呼び方をする男達の、どこか獲物を狙うような絡みつく視線には、何か蔑称以上の意味があるような気がして酷く不愉快だった。
久々に再会した男達との話を終えた後、酒場の熱気から逃れるためにテラスに出て手すりに凭れた。酒が入って温まっているとはいえ、外の空気は冷えて肌寒く、サンドマンの他にテラスに出ている者はいない。否、いなかった。
「話終わったのか?」
「おう、お前もちゃんと話してきたか?」
「そのくらいできる。疲れるからやらないだけだ」
馬鹿にするなとでも言いたげなフロストがグラス片手にサンドマンの隣へやってきた。
二人で手すりに凭れながら夜風に当たる。店内の酔っ払い達の騒がしさも、店内とテラスを結ぶ扉を閉めてしまえば軽減された。
ぽつぽつと話しながら、ふとサンドマンはその視線を真っ向から受け止めてみる。
ぱち、と驚いたように瞬いて、少し気まずそうに逸らされる。
「何だよ」
「んー? 別に」
そう言いつつも、サンドマンは酒から水へと中身を変えたグラスを傾けているフロストの横顔をじいと見つめた。
気付いたのはいつだっただろうか。
その視線も、態度も。自分には見返りを求めず素直に従うことも。
気付けば、他の者達と明らかな差ができていた。
最初こそ、扱いづらい男が自分にだけは懐いてくれているのだと思っていた。
けれど、違った。それなりに親しいものは他にもいる。その中で、より一層自分が特別な扱いを受けているのだと、フロストの行動が雄弁に語っていた。
弱みを見せたがらず、一人で何でもこなせるよう努力する彼だからこそ、他人の力を借りようとはしないし、そうしようとする人間には対価を求める。それがサンドマン相手には些細なことでもわがままを言う。自ら進んでサンドマンを手伝おうとする。
誰にも媚びないフロストの、そうした態度と好意はサンドマンに得も言われぬ嬉しさと優越感を与えてくれた。
今ではサンドマンも自然とフロストのことを眼で追いかけ、もっと近づきたいとすら考えるようになってしまっている。
正直こんなくたびれた中年の何がいいのかは分かりかねるが、一応はヘテロであった自分がこんなにも一人の男に興味を持ってしまっている、その事実をサンドマンは自覚し、受け入れていた。
「なあフロスト」
「うん?」
「お前、恋人いねぇの?」
グラスを持つ手に力がこもったように見えた。
「……何、急に」
「いや、最近おじさん誰かから熱い視線を感じてな。まあ俺がモテるのはしょうがないが……おい突っ込めよ。まぁ兎に角そういうことがあって、そういやお前はどうなんだろうと思って」
「…………」
わっと店内から野次と歓声が上がる。大方テレビでスポーツ中継でもやっているのだろう。娯楽の少ないここではこうして集まった時にスポーツの、しかも自分達の国のチームの中継が始まるとつい盛り上がってしまうのだ。窓を見ると、やはり皆がテレビに注目してこちらに背を向けていた。
「……別に、いないけど」
「へぇ、意外だな。お前若いし顔もいいんだからモテるだろ?」
「…………」
「ちなみに俺もいない。モテちゃいるようだが相手はシャイなのか名乗り出てこねぇし?」
なぁフロスト。
サンドマンがフロストを見る。フロストもまたサンドマンの眼を見返した。視線が絡んで離れなくなる。年甲斐も無く体が熱く感じるのは、酒のせいだけだろうか。
「今フリーで退屈だし、楽しませてくれる相手は歓迎するんだけどな」
なぁ、ともう一度呼びかけて手を伸ばす。
頬に触れ、微かに震えたが抵抗は無い。それはサンドマンが顔を近づけても、やがて柔らかいものが唇に触れても同じだった。
その日から、二人は恋人となった。
――はずだった。
キーボードを叩きながらサンドマンはため息をついた。ちらりと視線を動かせば、最近恋人――になったはずの男が同じようにパソコンに向かって作業していた。
あの後、グリンチが自分達を呼びに来たためその日はキスだけに終わったが、休暇があるのだからとサンドマンは深く考えていなかった。
迎えた次の日、サンドマンは早速フロストに会おうと彼の部屋や基地内の行きそうな場所を探したが、彼の姿はどこにもなかった。後から出かけていたのだと人伝に聞いて、恋人になった翌日にそれはないだろうと思ったものの、もしかしたら照れているのかもしれないと、この時もまたサンドマンは深く考えなかった。
次の日、そうだ電話をすればいいのだと思い立った。仕事の電話は事務所の内線があり、私的なことも直接会って話すことが多いため、自分の携帯端末を使う習慣がなかったのだ。
早速フロストに電話をかけたが、返ってきたのは「今日は友達と約束があるから」という答えだった。
この時もまだ、サンドマンは疑っていなかったのだが。
休暇が終わって訓練漬けの日々が始まり、急なお呼び出しで戦地に赴くこともあり、なかなか話す機会も訪れない。いざ話しかけても人目があるからか当たり障りの無い会話しかできない。あまり使わず苦手なメールも使って誘ってはみるものの、曖昧に濁されて終わる。
――避けられている。
サンドマンがその考えに至るのは至極当然であった。
フロストと接する時の態度があまりにも平然としているため、もしやあの日のことは夢だったのでは、あるいはキスを拒まなかったのは酔っていたからでは、という疑念もあったが。
「フロスト」
グリンチとトラックは報告書を適当に書き上げてさっさと出て行ったのでここにはフロストとサンドマンの二人しかいない。
「何?」
相変わらず呼べば素直にこちらに来てくれることは嬉しく思いつつ、近づいてきた彼の手を引いて唇を合わせた。
フロストはキスを拒まない。それだけが、あの日の出来事を夢ではないと教えてくれていた。
口内を味わい、瞼、頬、鼻へキスを落としながら、サンドマンはそろりと不埒な手をフロストの体へと這わせてみる。
「っ」
が、途端にフロストは腕の中から逃げ出してしまった。
「……こんな所で盛るなよ」
「部屋だったらOK?」
「馬鹿」
この流れももう慣れてしまったサンドマンはまだ食い下がる。
「じゃあ今度街に遊びに行こうぜ。やっとまとまった休暇くるし、未だにキスだけなんて――」
「折角の休暇なんだからゆっくり過ごし方がいいだろ」
「人をジジイ扱いすんんじゃねぇよ。オジサンだってまだまだ遊びたいんだぞ?」
「ほら報告書。俺先にあがるから」
「おいフロ――」
すたすたと扉へ向かう姿に呼びかけた声は止まり、代わりに大きなため息がこぼれた。
――避けられている。
サンドマンがそう思ってしまうのも仕方ない状況だった。
あの日、サンドマンを拒まずに受け入れたはずの男は、何かにつけて誘いを断る。
訓練や仕事が忙しかったというのもあるが、今のように顔を合わせた時にキスするくらいしか恋人らしいことをした覚えが無い。
折角恋人ができたというのにキスしかできないというのは流石にフラストレーションが溜まってくる。セックスできればいいというわけではないが、せめて恋人らしい甘い空気の一つでも味わいたいと思うのは贅沢だろうか?
(……まあ、嫌そうではないんだよなぁ)
フロストはサンドマンが手を変え品を変えあらゆる誘いを持ちかけても断る。断る、というよりは、逃げているように感じられた。
あの性格だから嫌なことははっきりと断ると知っている。であるのに、誘いをかければ、嫌ではないものの曖昧な言葉で濁し立ち去ってしまう。
嫌でないのなら何故? 幾度と無く自問してきたが一向に答えは見つからない。
「あーークソッ!!!」
苛々に耐えかねて手近にあったゴミ箱を蹴飛ばした。中身の無いそれは派手に吹き飛び賑やかな音を立てた。
――――――
押せど引けど待てど暮らせど、手ごたえの無い相手に業を煮やしたサンドマンはフラストレーション解消のため、自然と別の人間と遊ぶようになっていた。
一度だけ、苛立ちに任せて聞いたことはあるのだ。何故誘いに応えてくれないのかと。
フロストは表情を曇らせただ一言、「ごめん」とだけ言った。
謝罪がほしかったわけではないのに、と思う。
サンドマンとて男であるし、枯れたわけでもない。恋人がいるならばそれらしく甘い時間を過ごしたいと思うし、セックスだってしたい。であるのに、未だにキスしかしていない関係のままだ。果たして、今の状態を恋人と呼んでもいいものだろうか。
いくら考えても答えは出ず、苛立ちを発散させるように、今日も一人バーに向かってしまう。
飲み相手はちょくちょく変わる。基地内で顔馴染みと誘い合わせて行くこともあったし、たまたま席が隣り合った別部隊のものと飲むこともあった。今日は後者だったが、前にも飲んだことのある男だった。三つほど年は下だったか。しかし物怖じせず何でもストレートに話す、明朗快活な性格で面白い男だ。
「もう帰るのか? まだ飲み足りないぜ?」
「悪いな、今日はそこまで気分が乗らなかった」
「そっか。まあまた会った時は一緒に飲もう」
「サンドマン!」
兵舎に戻る途中で知った声に呼び止められる。振り返れば少し怒ったような、不安そうな顔のフロストが立っていた。ややこしいことになりそうな雰囲気を感じたサンドマンは普段通りのトーンで返す。
「おう、どうしたフロスト」
「グリンチ達が探してた。話があるって」
「はいはい……悪いな、急ぎみたいだからまた今度」
「あぁ、こっちこそ。それじゃあ」
男と別れ、とりあえず人気のないところまで歩いてから「なんだよ」と少し苛立ち混じりの声で問う。
「……あいつはゲイだぞ」
「だからなんだよ」
「あいつはあんたのケツを狙ってるんだよ」
あの男が同性愛者であることは、飲んでいる時に本人から聞いていた。サンドマンが好みのタイプだとも言っていたが、だからといってどうこうなるわけでもない。恋人もいると言っていた。
付き合いは浅いものの、その中でサンドマンの人柄を信用してのカミングアウトだったのだろうから悪い気はしなかった。元はヘテロであったサンドマンだが、フロストの件もあり偏見も抵抗もない。そのことを感じ取ったのかもしれない。
だからこそフロストの発言に腹が立った。否、嫉妬したり、心配してくれているのならば恋人としては喜んで良いことなのかもしれない。だが彼のことを知りもせずそのようなことを言われるのは心外だ。散々人を放っておいて、こういう時だけ恋人面など。
――そうだ、そもそも彼や、他の者達と飲み、遊ぶようになったのはフロストがまったく自分の誘いに乗らないからではないか――。
アルコールの力で薄まっていたはずの苛立ちがまたふつふつと湧き上がってくるのを止められない。
「……お前に関係があるのか?」
「…………」
「俺には時間は割かねぇ、言葉もねぇ……股だって開かねぇ。お前に関係があるのか?」
フロストは、何も言葉を発さなかった。
怒るか、悲しむか、ある程度の反応を予想していたサンドマンだったが、それに反してフロストはすっと表情を消すと無言で立ち去ってしまった。
「……何だよ……クソ」
何か言い返してくれたのであれば、どんな形であれフロストの考えを知れたかもしれないのに。こんな反応をされるとは思いもせず、ただただ行き場の無い苛立ちと後味の悪さだけが残る。
結局、――結局、フロストにとっては、自分はその程度の相手だったということなのか。
「……くそ……」
――――――
「これ、報告書」
「ん」
あれから数日が経った。
あの日以来、フロストもサンドマンも、互いに積極的に関わろうとしなかった。会話も必要最低限のもののみで、二人の間にできてしまった見えない壁は、周囲の人間をも圧迫し始めている。
そしてこの日、とうとう耐えかねたグリンチは、人気のなくなった事務所でサンドマンに詰め寄った。
「あんたな……いい加減にしろよ」
「何がだよ」
「フロストとのことに決まってんだろこのクソ甲斐性なし」
「はぁ!? 俺が!?」
フロストと付き合っているということは誰にも言ってないという考えは浮かばなかった。今まで燻っていた不満に、グリンチの言葉が火種となって落ち燃え上がった。
「あんたはあいつに何をした?」
「何もしてねぇ……ってかさせてくれねぇんだよあいつが! どう誘っても断りやがるし、そのくせ俺が他の奴と飲んでると文句つけてくるし、わけわかんねぇよ」
「おいおい隊長殿、あんたはいつから『察してちゃん』になったんだ?」
「だから何が言いたいんだお前はっ」
ふー、と心を落ち着けるようにグリンチが息を吐く。彼にしてみてもフロストはかわいい後輩だ。方向性は違えど、サンドマンと同じようにフロストを大事に想っている。だからこそ。
「あいつはいつだってあんたの為に頑張ってたよ。時々見てるこっちが恥ずかしくなるくらい、あんたが好きだって全身で訴えてたし、あんただってそれがわかってたから恋人になろうって思ったんだろ? なのに、どうしてこんなことになってるんだ。あいつの何を見てきたんだ」
「…………」
「あんたはあいつのことをどれだけ知ってるってんだ? あいつはあんたの好きなコーヒーの濃さだって、あんたの好きなスナック菓子だってあんたが教えなくても全部知ってる。あんたはあいつに何をしてやったと言える? まさかキスとか、デートに誘うだけで満足なんてしてないよな? それだけであいつが好きだって、表現してる気になってるのか?」
グリンチの言葉に、サンドマンは何も言い返せなかった。彼の言うことは正しくて、反論の余地もなかった。
何をした? 何を知ってる? そう言われて、初めてサンドマンは自分がずっと受身でいたことに気付いた。
――そうだ、だって、ああそうだ、恋人になったと、そう思ったあの日だって。
『今フリーで退屈だし、楽しませてくれる相手は歓迎するんだけどな』
そうだ、サンドマンは一度もまだ、彼に好きだとすら伝えていない――。
漸く眼が覚めたらしいサンドマンの様子にグリンチは一息つくと、怒りと激励を籠めてその背中を思い切り蹴飛ばしてやった。
――――――
フロストと話がしたい。そう思い、グリンチに蹴られた背中をさすりながらサンドマンはフロストを探した。
この時間はトレーニングルームにいる――そう知っていたのは幸いだった――はずだと足を向けると、既に日課を終えたフロストはシャワールームへ入ったと、近くの自販機で買ったコーヒーを飲んでいたトラックが教えてくれた。――あの二人にはあとで酒でも奢ってやらねばならないだろう。いやついでに何で色々知ってるんだと蹴りも奢った方がいいかもしれない。
そう考える余裕も出てきたところでシャワールームに入ると、フロストは同じデルタフォースのメンバーである男と一緒にベンチに座ってにこやかに談笑していた。
それだけならまだよかったのだが、二人は半裸のままであったし、フロストの膝の上にある雑誌を見ているせいで距離が近い。
面白くない。そう思う自分に気付いて、あの時のフロストもこんな気持ちだったのだろうかと少し悔いた。
扉を開ける音で気付いたのかフロストがこちらを向いた。サンドマンを見るや、その目が不安げに揺れたのに気付いてまた苛立ってしまう。その空気を察したのか、男はそそくさと服を身につけシャワールームを出て行った。
あの男とは比較的仲が良いことは知っていたが、あのように仲睦まじく話すまでとは思わず、問い詰めたい気持ちをぐっと堪える。それをやってしまえばこの前と同じ轍を踏むだけだ。
「なにか仕事でも?」
言葉を捜しているとフロストが素っ気無く問う。また荒れそうになる気持ちを抑えながら、サンドマンは答えた。
「プライベートの話だ」
「は、プライベート? 話すようなことなんてないだろ」
鼻で笑うフロストに、何故かサンドマンは悲しさを覚えた。話がしたいのだと言っても突き放そうとするフロストが、無性に悲しい。それまで苛立ちばかりだったというのに。
「もう……しつこいよ……あんた……」
話がしたいの一点張りなサンドマンに、うんざりしたようにフロストが俯いてしまう。やがて諦めたように深いため息をつくと、ぽつぽつと、言葉を紡ぎ始めた。
「……俺が陰でハイエナって呼ばれてるの、知ってるだろ? 俺はその通りのやつなんだよ」
小さい、ともすれば聞き逃してしまいそうな声で、フロストは語る。
――恋情などなくても人と交わることに、なんの抵抗も無い。ほんの少しだけの温もりと優しさを求めて、誰にでも足を開いてきた。
たったその程度の、微かなもので十分だと思えるほどに、愛情に飢えている自分が大嫌いで。なのに、それでも、一人でいることにはどうしても耐えられない半端者なのだ。
それはあたかも――ハイエナのように。
餌がなければ骨すら食して食いつなぐ卑しさも。
一見して性別がわからないような、曖昧で半端なところも。
フロストの淡々とした告白にサンドマンは言葉を失った。そんなことを考えていたなんて思いもしなかった。本当に、自分は彼の何を見ていたのだろう。
「でもあんたは……あんただけは、特別だから……簡単にやりたくなかった……。もう普通の身体じゃないんだよ、一回やっただけで、今まで何人銜えてきたんだって、わかるようなやつなんだ。あんたには、知られたくなかった……呆れられたくなかった……」
ぐっと、膝の上に置かれた手が握り締められる。力を籠めすぎて、その指先は哀れなほど白くなっていた。
「フロスト」
「あんたが俺を好きじゃないのはわかってるよ……でも、あの時、嬉しかったんだ……だから」
思い出だけでも欲しかった。
そう、無表情に語るフロストが、泣いているように見えた。
己の愚かさを悔いた。もっと自分がしっかりしていれば、この男はここまで思いつめずにすんだのではないか。
彼の、サンドマンには想像もできなかったネガティヴさにはどうしてそこまで、と小さな怒りを覚えた。
だがそれを上回る罪悪感と、そして、それらを上回る、フロストへの気持ちがサンドマンの心を占めていく。
「フロスト」
「ッ!」
正面からフロストを抱きしめれば、可哀想なほどにびくりと身体を震わせ、だが声は気丈に振舞った。
「やめろ、同情なんかいらない」
「違う、違うよ、デレク」
彼の本名を口にすれば、ヒュッと息を詰まらせて抵抗が弱くなる。
「俺はお前が好きだよ、デレク」
まったく伝えられていなかったことを、はっきりと、言葉というカタチにする。
うそだ、だとか、冗談やめろ、のようなことを腕の中でもごもご言っている彼が、自分でも不思議なくらい愛おしく感じた。
身体を少し離して――それだけでも少し震えていた――視線を合わせる。戸惑う瞳がうろうろと忙しなく動くのに小さく笑うと、頬に手を添えて触れるだけのキスをした。
「嘘じゃねぇ。信じられねぇなら、これからじっくりわからせてやるよ。覚悟しとけ」
デレク。もう一度愛おしげにそう呼んでから、サンドマンはその身体を力強く抱きしめた。