息が白く染まるのは、何も煙草の煙のせいだけではない。
今日はひどく、寒い。
夜の闇がその白さを殊更際立たせる。
だが男は、別段寒いとは思わなかった。
「先輩……?」
野営テントの中から出てきたらしい後輩の声が背後から聞こえた。
「何してるんですか……折角休憩時間なのに」
今は、とある標的の偵察、監視の任務中だ。夜になり、街外れの古びたホテルに泊まっている標的を見張るために、すぐ傍の山中に潜んでいる。
二時間置きに交代しては仮眠を取っているのだが、テントを抜け出したことに気付いたらしい後輩――ローチは訝しげに傍に寄ってくる。
「……街がうるさくて眠れねぇだけだ、放っとけ」
「あぁそっか、今日はクリスマスイブでしたっけ……」
街はイルミネーションで溢れ、微かに聞こえる喧騒は酷く耳障りで、思い出したくもない、しかし決して忘れることの出来ない記憶を呼び覚ます。忌々しげに短くなった煙草のフィルターを噛み潰した。
「あーあ、クリスマスだってのにこんな所で何やってんでしょうね……」
「……参加してぇのか、アレに」
「先輩寒くないんですか? そんな格好で」
こちらの質問を完全にスルーして質問を返してくる男に呆れてため息をつく。ブランケットも何も持っていないからだろう。昼間、日が出ているうちはいいが、夜は冷え込む。だがゴーストは必要ないと思った。
今でもこの身を内から焦がす絶望と憤怒の炎は消えず、夜気程度で落ち着こう筈もない。
短くなった煙草の火を消して携帯灰皿に押し込むと、新しい一本を取り出す。
「人のことばっか気にしてんじゃねぇ。これ吸い終わったら戻るからお子様はとっととクソして寝ろ」
後ろを見ることもなくひらひらと手を振ると遠ざかる足音が聞こえて、火をつけたばかりの煙草の煙とともに深いため息をついた。
――が、また足音が近づいてきたかと思うと、後ろからふわりとブランケットがかけられる。
「そんな格好だと冷えます。風邪ひかないでくださいね」
肩に少し触れた手は、温かい。
「それじゃあ……」
「待て」
無意識に呼び止めて、少しだけ後悔した。だが彼はもう立ち止まってしまっている。
――お前が悪い。
心の内で彼に責任をなすりつけると、とんとんと指先で隣の地面を叩いた。
「こっちに来い」
「はぁ……」
戸惑いながらも素直に従うローチに更に注文を重ねる。
「座れ」
「はい……」
「もっと寄れ」
「はい?」
「いいから」
「ん……」
要求どおり隣に座るローチに腕を回すと、ブランケットの中に彼も招きいれた。
「えっ……ちょ、冷たッ」
「うわ熱っお前どんだけ体温高いんだ気持ち悪い」
「失礼な! 先輩が冷たすぎなんですよ!」
「おい逃げんな前が閉じれねーだろうがもっと近づけ」
「やです先輩冷たいから」
「命令だ」
「…………」
「返事は」
「……Yes, sir」
観念したようにため息をつくと、ローチが体を寄せてくる。
大きなブランケットは二人分の体をすっぽりと覆った。
「ったく熱すぎだお前」
「どうせ子供体温ですよ」
拗ねたような口ぶりのローチは先ほどの「お子様」扱いが不服だったようで、思わず噴出した。
「……先輩は」
「ん」
「……嫌いなんですか?」
「…………」
何を、とは言わなかった。先ほどスルーしたくせに今蒸し返すかと思いつつも、煙の混じらない白い息を吐き出した。
「……大嫌いだよ、こんなクソッタレな祭り事は」
ローチは何も言わなかった。
ただ、ローチの側にある冷えた指先に、温かいものが触れた。
「それ、吸ったら戻りましょう。いくら俺をカイロ代わりにしたって、冷えるものは冷えます」
「……そうだな」
次第に短くなる煙草が、少し惜しい。
風向きが少し変わって、街から聞こえる雑音が遠くなった気がした。
隣から伝わる暖かさを感じながら、今日初めてゴーストは『寒いな』と思った。