「おい……おいローチ、聞いてんのか」
「もうっ、静かにしててよゴースト!」
小声で文句を言いながら、少年はそろりそろりと足音を忍ばせて歩く。その後ろでは、不気味な髑髏柄のバラクラバとサングラスをつけた男が腕組をして立っていた。膝から下がなく、ぼんやりと透けている為『立っている』という表現も些か妙であるかもしれないが。
最近ずっとこうだ。何かと『助言』してこようとする自分にしか見えない幽霊男に、少年は唇を尖らせた。
――――――
彼との出会いは一月程前。
少年――ローチは高熱でうなされていた。病院に運ばれ、山を越えて目覚めた時に、彼が『見える』ようになっていたのだ。
曰く、ローチの背後霊だという。それまで霊感というものに縁がなかったローチは戸惑ったが、何か悪さをする様子もなく、今では大分慣れて近所に住む知り合い程度の気軽さで話している。
――のだが。
「おいローチ、好き嫌いしてっとデカくなれねぇぞ。お前ただでさえ小柄なんだからな」
「お、勉強か? ちゃんとやっとけよ、将来困るからな。サボんねぇように見張っといてやる」
「またゲームか? ちったぁ外出て運動しろよ、効率的な筋トレ方法なら俺が教えて――」
――このように何かとローチのやることに口を出してくる。しかも背後霊である為四六時中一緒にいるのだ。部屋から追い出すこともできず、学校にも友人の家にもどこにでも着いてきて、ある意味家族よりもローチのことをよく見ている存在と言える。
そのお小言にうんざりすることもあるが、ローチはなぜか彼を嫌いになることはなかった。
ただ、今のような状況になった時ばかりは、ゴーストはやたらと饒舌で、少しだけ面倒くさいと思ってしまうのだ――。
現在、ローチは友人達と放課後にスクールの外で隠れ鬼をしているところだ。
範囲は広く取らず、時間を決めて鬼を交代しているため全員が一度は鬼役になる。先ほど鬼役を終え、ローチは今逃げる側をやっているのだが、鬼ごっこやかくれんぼ……こういう遊びをする時、ゴーストは妙に的確な指示を出してくるのだ。
「鬼がこっちに近づいてるぞ。息を潜めろ。隠れながら移動するんだ。見つからなけりゃ走り回ることだってないんだからな」
「わかってるってば……!」
範囲が狭いため隠れる場所はそう多くはない。遊具の影に隠れながら移動する。見つからないかという緊張で鼓動が速まるのを感じながら、ローチはさっと駆け出して少し離れた倉庫の影に滑り込んだ。
――と、鬼役が他の子を見つけたらしくそちらへ駆けていき、ローチは深く息を吐いた。
「はぁぁぁ……」
「今のはなかなかよかったぞローチ。鬼役の時もラビットを捕まえてたし、もっと鍛えりゃ……、……あー、いや……」
「……? 何?」
愉快そうに話していたのに急に言葉を濁すゴーストに首をかしげると、緩く首を振って「何でもない」と答えた。
「まぁ、よくやったな」
そう言ってゴーストは手を伸ばす。触れることはできないけれど、時折こうして頭を撫でるように手を動かしてくれる。
「…………」
サングラスの奥にある瞳が、見守るような柔らかい視線を向けていることを、ローチはなんとなく理解していた。
「……ありがと」
言ってしまってから、かーっと顔が熱くなった。やっぱり面と向かって言うのはちょっとだけ照れる。
「なーに赤くなってんだ。走ってもねぇのに」
こつんと小突くようなジェスチャーをして笑うゴーストに、ローチはむ、と思いつつそっぽを向いて答えた。
「だってゴーストに褒められるの、嬉しいから」
「…………ふーん」
沈黙が横たわる。
ますます熱くなる顔を自覚しつつ、ちら、とゴーストを見れば、ゴーストもまた明後日の方向を向いていた。
「…………」
先ほどまでの照れはどこへやら、ローチはそっと立ち上がるとゴーストの顔を見ようと移動した。
「……んだよ」
ゴーストは真正面から見つめられないようさりげなくまた顔を逸らした。バラクラバとサングラスで隠されているのに、ゴーストがどういう表情をしているのかがわかったような気がしてローチは笑う。
「えへへ、なんでもない」
「おーいローチ!!」
「!!」
びくっと肩が跳ね上がる。ローチが振り向くと、クラスの中でも一番足の速い『ラビット』と呼ばれている少年が呼んでいた。
「十分経ったから終わりだってさ……ていうか、誰かと話してた?」
「いやっ独り言!」
「隠れてるのに独り言なんて言うなよな~」
呆れながら集合場所に行くラビットを追ってローチも物影から出る。
後ろを向くと、いつも通りのゴーストがローチの後ろについてきていた。
――――――
「ゴースト、あのね、ああいうのはやっぱりあんまり口出してほしくないよ」
「なんでだよ」
帰りのスクールバスの中で人が少なくなってきたのを確認すると、かばんを抱えて不自然にならない程度に口元を隠しながらローチは小さな声で話しかける。
「なんかさ、ズルしてるみたいで嫌なんだ。今日だって、ラビットを捕まえられたのはゴーストが咄嗟に教えてくれたからだし……」
流れる景色を眺めながら、ゴーストは真面目な子供に苦笑した。
ローチは同年代では小柄な方で、それ故に身体面では他の者より少々劣る部分もある。その上、密かに負けず嫌いで頑固な所もある。
ゴーストの助言を少々煩いと思いつつも、足の速いラビットをどうしても捕まえてみたいという気持ちが勝ったのだろう。今日はゴーストの咄嗟の指示に従って見事捕まえることができ、他の子供達からも賞賛され喜んでいたが、やはり思うところがあるようだ。
「やっぱり、ちゃんと自分の力でできるようになりたい」
「……ああ、わかったよ。でも隠れ方とか移動の仕方とか教えるのはいいだろ? 知識をどう使うかはお前次第だ。ゲーム中は黙ってる」
「……うーん……そういうのなら、いいかなぁ……」
「勉強とかは今までどおりだから安心しろ」
「えぇー」
露骨に嫌そうな顔をするローチにけたけたと笑う。そうこうしているうちにスクールバスはローチの家の近くまで来ていた。
ぴょんとバスのステップから降りて自宅へ向かう途中、女性の声に呼び止められる。
「ゲイリー君おかえりなさい、ちょっといいかしら?」
ベランダから手を振ってローチを呼ぶその女性は近所に住んでおり、ローチの家とは家族ぐるみで付き合いのある人だった。
ローチが駆け寄ると、二階から降りてきた女性は家の中から持ってきたものを渡す。
「アップルパイを焼いたの。ちょっと家を空けられないから、持って帰ってくれないかしら?」
「わぁ、ありがとうございます!」
「お母さんにもよろしくね」
「うん、わかっ――」
「あぶねぇ!!」
え、と声のした方を向くと、反射的に突き飛ばそうと伸ばされたゴーストの手がローチの体を抜け、髑髏柄のバラクラバが眼前に迫っていた。
「っうわあ!!」
驚いて尻餅をつくのと、ガシャンという音が響いたのは同時だった。
女性の悲鳴が響き、尻をさすりながら目を開けると、足の間には無残な姿になった小さな植木鉢があった。
「ゲイリー君! 怪我はない!? 大丈夫!?」
「……ぅ……ん……」
助け起こされ抱きしめられる。女性は何度もローチによかった、とごめんなさいを繰り返していた。
もやがかかったような思考のまま、ローチはゴーストを見た。
まるで自分が傷を負ったかのような、今にも倒れそうな顔で――否、見えはしないのだが――ローチを見つめていた。
それが酷く、酷くローチの心をかき乱した。
わけもわからず涙が出た。
抱きしめてくれた女性にしがみついてしゃくり上げる。
瞼の奥で、赤い炎が揺らめいていた。
――――――
もしかしたら、自分が言わずともローチには当たらなかったのかもしれない。
当たったとしても、たいした怪我にはならなかったのかもしれない。
だがだからといって、見過ごすことなどできるはずもない。
見守ることが存在理由だと、彼に認識され、世界に存在した時に思った。
でも、それだけでは足りない。
もう目の前で失うなど御免だった。
見守るだけでは足りない。
彼を守るためならば、どんなことでもやってやろう。
たとえ疎まれようとも、自分の知る全てを教え、時に導いてやれるような存在でありたい。
そう、思った。