戦場の熱

 ゴーストはベッドの上で軽く頭を抱えた。

(何だこの状況)
 ここはゴーストの私室……の、ベッドの上。そこまではいい。
 そのベッドには部屋の主であるゴーストと、そして彼の部下である男が寝ていた。そこまでもまだぎりぎり許せる。
 問題なのはこの狭いベッドの上で大の男が二人、裸同然の状態で並んで眠っていたことだ。
(思い出せ思い出せ思い出せ思)

 隣で寝返りをうった部下の男……ローチを尻目に、ゴーストはここで起こった出来事を思い出そうと記憶の本棚をひっくり返した。

――――――

 ――熱い。
 その感覚は、戦場に長くいるゴーストにとってはよく知るものであった。
(めんどくせぇ……)
 ヘリが基地に近づくにつれてそれは増していく。

 それは、激しい戦闘があった時によく起こることだった。
 命の危機に瀕すると生物は「種を残す」という生存本能が働き、一時的に性欲が増す……という話があるらしい。
 紛争地帯や、時には大規模な災害時などにレイプが横行するのは、そういった本能が働くというのも理由の一つなのかもしれない。
 と言っても、それは理性ある人間であるならば抑えなければいけない衝動だ。ただ本能のままに交わるなど獣のすること。
 気を紛らわせようと思考を巡らせてはみたが、あまり深くは考えられなかった。
 人一倍危険に飛び込むゴーストにその本能は強く強く働きかける。
 戦闘中であれば闘争心へと変換できるそれも、危険な状況が去ってしまえば「さあ安全になった今のうちに種を残せ」と無視できない性欲を煽った。
 基地に着くまでには治まるだろうと予想していたのに一向にその気配はない。どころか次第に増している。
 こんな所で醜態を晒すわけにはいかないと理性を総動員し、毅然とした態度を保ち続けた。

 当初の予想以上に激戦となった任務は明け方を過ぎて完了し、現在は午前九時、十時といったところだろうか。
 基地に到着すると装備をさっさと返却して自室に戻る。幸い怪我は殆どなく、細かな傷は自室で手当てできるものだ。
 が、とにかくこの体に澱み続ける熱をどうにかしなければと考えながら、いつもの癖で部屋の鍵をかける。
「…………」

 そこでようやく、部屋に人の気配があることに気付いた。
 常ならば絶対に気付くはずなのにと心中で舌打ちしながら、足音を消して気配のあるシャワールームに近づく。
 相手はまだゴーストに気付いていないらしい。
 職業病なのか、体が一瞬で戦闘モードへと切り替わってくれたのを幸運に思いながら、警戒もなしにシャワールームから出てきた体を一瞬で捕らえた。

「ふぎゃ!!」

 なんとも間抜けな悲鳴を上げた人物は、ゴーストもよく知った……毎日嫌というほど訓練で怒鳴りつけている男だった。

「あっ……てててて……あ、先輩、お疲れ様です……」

 押さえられたまま困ったように笑った男――ローチを見て、緊張が一気に解ける。
 そして最近になって、不精な自分を見かねて彼が時折部屋の掃除をしにくるようになったのを思い出した。
「すいません、帰ってくる前に終わらせようと思ってたんですけど……」
(――やべぇ)
 ローチが何事か言っている。
「先輩?」
(あつ、い)

 ローチが話している言葉が頭に入ってこない。
 緊張の解けた体は再びその熱を思い出した。どころか、余計に増幅していた。部屋に戻るまではまだ抑えられていたものが、もう手の付けようもないほどに膨れ上がっている。
 はぁ、と吐き出した息は酷く熱い。
 目の前には未だ床に押さえつけられたまま、困惑したように横目でゴーストを見上げてくる獲物がいる。

 ――そう、獲物だ。

「うっ、わ!?」
 後ろ襟を引っ掴み、引き摺るように歩きながらゴーストはバラクラバとミリタリーアイウェアを外して適当に放り投げた。
「っ!」
 有無を言わさずローチを放り投げた先にあるのはゴーストのベッドだった。
 訳が分からず、痛みに呻くローチが体を起すより先にその上に馬乗りになり、両肩を手で押さえる。
「……あ、の……」
「付き合えローチ」
「えっ」

 上がった声はやっぱり間の抜けたものだった。
「相手しろ、って言った」
「あ……」
 最早隠し切れないそれをローチの太股に押し当てる。みっともないと思いながらも荒くなる呼気を抑えられない。
 流石にこの状況で何を求められているかわからないというほど初心でもないだろう。更に言えば彼も戦闘後にこういう状態になった経験があるのか、戸惑ったように視線を彷徨わせた。相手をするのは本意ではないだろうが、このまま知らぬ顔をして出て行くのも気が引けるのかもしれない。
「……オレ男ですけど」
「女にゃ見えねぇな」
「こういうことは女性にお願いしたほうが……」
「こんな状態で外出れるわけねーだろクソローチつべこべ言わず相手しろ嫌なら今すぐ出て行け」
 本当なら今すぐにでも身の内に溜まる熱をぶつけてしまいたい。だがそれはゴーストが最も嫌悪する行為だ。
 ぎりぎりの所で理性を保ちながら、最後の温情だと逃げ道を作る。
 ゴーストとていくらこんな状態だからと無理強いしてまでセックスしたいわけではないし、そもそも男を抱く趣味もない。

 ただ、たまたま彼が目の前にいたから。それだけだ。

「…………」
「…………」
 逃げ道を作ったというのに、ローチはまだ動かない。
 いい加減襲うぞと手を動かしかけた時、ローチはぽつりと呟いた。

「……それは、命令ですか……?」
「…………」
 一瞬熱を忘れそうなほど予想外な質問に、ゴーストは呆れ混じりのため息をつく。
「……命令だったらお前は大人しく掘られんのか?」
「……じゃないです……けど……」

 躊躇いがちに伸ばされた手が、ゴーストの頬に触れる。
 いつもなら温かく感じるローチの熱が、今はほんの少しだけひやりとして心地いい。

「…………」
 ローチの手がぱたりとベッドに落ちて動かなくなる。押さえていた肩からも力が抜けた。
 少し、困ったように眉を寄せて、苦笑した。

『いいですよ』

 言外にそう言っているような気がして、最後まで保っていた理性の糸がふつりと切れた。

 首筋に噛み付いた。
 服の中に手を突っ込んだ。
 熱い。
 あつい。

 ただ熱くて、苦しくて、心地よくて。

 そこから先は、よく覚えていない。

――――――

「…………」

 じわり、じわりと最中の記憶も蘇ってきてゴーストは頭痛を耐えるように軽くこめかみを押さえた。
「ん……」
 もぞりと動く気配にらしくもなく肩が跳ねる。
 かすかに開いた眠たげな瞳が、ふらふらと彷徨いゴーストへとたどり着く。
「……せ、んぱい」
 寝起きだからなのか先ほどの情交の名残か、少し擦れた声が記憶を呼び起こし一瞬熱を思い出しかけるが、流石にこれ以上する気は起きない。
 あくまで平静でいようと一つ息を吐くと、そっと指先で額に触れてみる。
「あー……悪かったな、大丈夫か?」
「……はい」
 へらりと笑って答えるが、動かないところを見るとまだ体がだるいのかもしれない。
 あ、と小さく声をあげたローチの視線を追えば、時計は正午に差し掛かろうとしていた。
「二時間くらい寝ちゃってたみたいですね、オレもう戻ります……いてて」
 言って体を起すと腰のあたりを押さえて苦笑する。聞けば、事が終わった後にふらふらになりながらも後始末をしたらしい。
 目覚めたときに体に不快感がなかったのは気を失うように眠ってしまったゴーストの体をローチが拭いてくれたからに他ならない。
 結局は力尽きて、服を着ることもしないままベッドに倒れこんだらしいが。
「あーくそ……最悪じゃねーか……」
「先輩任務で疲れてたんだから仕方ないですよ」
 服を身につけながらローチは気にした風もなく朗らかに笑った。そんなローチの態度を、ゴーストは不思議に思う。
「……お前、平気なのか」
「何がですか?」
「こういうの慣れてるのか」
「慣れてないですよ! こっちは初めて……」
 そこまで言って、余計なことまで口走ったことにローチが赤面した。誤魔化すように顔を逸らしてごにょごにょと言い訳する。
「そもそも……逃げなかったのはオレの意思ですし……事が終わった後で今更騒いだりしません」
「そうか」
 慣れていると言われても困るのでその返事に少しだけ安心する自分が、何だかおかしかった。
「あ、でも、相手がオレでよかったです。先輩、女性相手にあんな乱暴にしちゃだめですよ?」
「……そんなに酷かったか?」
「あっいや、オレがこういうの初めてだったからそう感じただけなのかもしれないんですけど!」
 思い出そうとしても記憶は飛び飛びだ。如何に余裕がなかったのかまざまざと思い知らされて一人でわたわたと慌てるローチを尻目に軽くため息をついた。
「まぁ……巻き込んで悪かったな」
「今度何か奢ってくださいね」
「ああ」
 身なりを整えたローチが部屋を出ていこうとドアに手をかけ、もう一度振り返った。
「あの、先輩」
「ん」
「もし……また困ったことがあったら……オレでいいなら、呼んでくれていいですから。オレにできる事だったら、先輩の力になりたいです」
 そう言って少し照れたように笑うと、今度こそローチは部屋を出て行った。
 静けさに包まれた部屋でゴーストはローチの言葉を反芻した。
 一つため息をつきベッドを降りると、とりあえず下着とズボンだけ身につけて煙草を銜えた。
 火をつけてゆっくりと吸い込み、再びため息と共に吐き出した。
「……なんだそりゃ」
 言いながら、呆れたように笑う。半ば強引に、しかも手酷く抱いた相手に『次』の話をするなど、余程のお人よしらしい。
 だが不思議と悪い気はしなかった。彼ならば、次があってもいい。そう思えてしまう。
 紫煙を燻らせながら、ゴーストはふと気付いた。
 セックスの後はいつも気だるさばかり残るのに、今日は妙に充足感を感じていると。

――――――

 自分とアーチャーが共同で使っている部屋に戻るなり、ローチはベッドに飛び込んだ。
 枕を抱きかかえてああ、とうう、の中間くらいの唸り声を上げながら左右に転がる。
「……何やってんだお前」
「アーチャァァ……」
 いつの間にか昼食を終えて終えて戻ってきたらしいルームメイトを情けない声で呼ぶと、枕に顔を埋めたままローチは呟いた。
「……オレ、役者に向いてるかも……」
「はぁ?」

 上手く話せた、と自分で自分を褒めたいくらいにはあの時動揺していたのだ。

 何故ならローチは、ゴーストに淡い想いを抱いていたのだから。

 それは恋愛というほど甘いものではなく、かといってただの憧れや尊敬と片付けるには強すぎるもの。
 気付いた時から今日まで、ずっと曖昧なまま持て余していた感情。
 数刻前、成り行きとはいえゴーストに体を求められて、曖昧だったそれははっきりとした形を持ってしまった。それを受け入れてしまった。
「これからどーしよ……」
「だから何なんだよお前」
 アーチャーの呆れた声を受けながら、何だか無性に叫びたくなるような、走り出したくなるような、むずむずと落ち着かない感情を持て余すのだった。

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