代償は高く

 アーチャーがそのことを初めて相談されたのは、ローチとゴーストの関係が始まる二週間ほど前のことだった。
 神妙な面持ちをしたローチに何事かと身構えていたアーチャーに、ローチはこう言った。

「……オレ……ゲイかもしんない……」

――――――

「……で、結局どうだったわけ?」
「うん……」
 散々ベッドで唸っていたローチに事の顛末を聞かされ、アーチャーはまずそこを問うた。
 恋愛相談などという柄ではないが、『男が好きかもしれない』なんて相談をしてくるあたり自分を信頼してのことだろうと考え、アーチャーも一応真面目に話を聞いてはいる。ただ、大の男が初めて恋をした乙女のように微かに顔を赤らめている図にはなんとも言えない気持ちになった。――否、初恋ではあるのだろうか。男に対して、ではあるが。
「……嫌じゃなかった……し……やっぱり上司に対する尊敬とか信頼とか、そういうの以上だなって……」
 オモイマシタ、と何故か片言になって枕に顔を埋めるローチに苦笑する。だがすぐにばっと顔を上げると、
「あ、でも先輩にだけだから! 男なら誰でもいいってわけじゃないから! アーチャーとかオゾンとかにはぴくりとも来ないから!」
 などと安心していいのか失礼なやつだと思えばいいのかよくわからない言い分を述べた。
「あ、そ……ていうかその話からすると次がありそうだけど大丈夫なのか」
「うああああオレなんであんなこと言っちゃったんだろ……次があったらそれはそれで嬉しいかもしれないけど困るというか……」
 また始まった、と呆れながらベッドを転がりまわるローチを眺める。
 男同士の話とは言え、大事なルームメイトの恋路だ。上手くいこうが失恋になろうが、自分はそっと見守ろうとアーチャーは心に決めるのだった。

――――――

「連絡先交換しませんか」
 ローチがそんなことを言ってきたのは、初めて関係を持ってしまったあの日から何回目かのセックスが終わった後のことだった。
 服のポケットに入れていた携帯端末を取り出しながらローチは笑う。
「呼び出したらいつでも来るって?」
「まぁ、そういう呼び出しで使っても別にいいですけど」
 からかいのつもりだったのだが、苦笑で返されてゴーストは肩を竦める。
 現状、呼び出す時は通り過ぎざまに軽く体に手を当てたり、任務帰りのヘリの中で隣に座った時は背中にモールス信号を叩いたりと色々やっているが、そのうち誰かに気付かれないとも限らない。携帯を使用するのも悪くはないと思うが、ゴーストはあまり気乗りしなかった。
「メールも電話も履歴見られりゃおしまいだろ」
「すぐに消せばいいじゃないですか」
「めんどくせぇ……」
「えぇー……」
 その位、とローチは苦笑したが、元よりゴーストは携帯というものが苦手だった。
 使えない、というわけではない。ただ、どうにも相手との距離が近くなりすぎるような気がするのだ。
 立場上持たないわけにもいかず、一部の人間にだけ仕事用ということで番号やメールアドレスを教えている程度だ。マクタビッシュなどはプライベートでも親しいため時折送られてくる下らないメールや酒の誘いのやりとりをしているが、それ以外にはほとんど使っていない。
 ただ単に、自分の内側にあまり踏み込まれたくないだけなのだ。

「ダメならそれでいいんですけど」
 意外にもあっさりと引き下がったことに拍子抜けしつつ、どこかでほっとする自分がいるのは癪ではあったが。
「しかしまた何で急に……」
「変ですか?」
「まぁ今更か? って感じだな」
 この部隊に配属されてからそこそこの月日は経っているが、携帯の番号など話題に上ったこともない。そういえば、訓練や任務など以外のプライベートな話をすることがそもそもあまりなかったように思う。
 ただ、話す機会は多いほうだった。本人には決して言わないが、優秀な成績を持ちながらそれに驕らず、努力家であるローチは入隊時から他の新人よりも目をかけている。
 贔屓と言われてしまえばそうなのかもしれない。しかし目をかけると言っても他の者達と同様に訓練を課し、その上で見込みのある者に更に特別な課題を追加するという厳しいものだ。それらをこなして更に強くなると期待しているからこそ、他の者より厳しく当たる。
 ローチがどう思っているかは知らないが、厳しく指導しているにも関わらず与えた課題は全てこなして見せ、ゴーストを恐れることもなく『先輩』と呼んで笑顔を見せる辺り嫌われているわけではないと思っていた。
 それが今やこんな関係になっているのだから妙な話である。
「うーん……急に予定が変わったりした時にすぐ連絡できたほうがいいと思って……それに……」
 ローチは少しだけ照れくさそうに笑う。
「あの、おこがましいかもしれませんけど……友人として、というか……上司とか部下とか関係なく、もっと皆と親しくなりたいって前から思ってたので」
 他の皆はもう登録してるんですよ、と画面を見せてくる。
 TF141のメンバーはもちろんのこと、上官であるマクタビッシュの名前もある。中にはデルタフォースのメンバーの名前もあり、彼の交友関係が広いことが分かる。
「先輩にもずっと聞こうと思ってたんですけど、こういうの好きそうじゃなさそうだし、なかなか言い出すタイミングなくて」
「……まあ考えといてやるよ」
 やはり携帯というのはあまり好きになれないゴーストはそう濁して答える。それでもローチは「はい」と笑顔を見せた。

――――――

「……ってわけでだめだった」
「あの人そういうのやらなさそうだもんな」
 すっかり相談役……もとい聞き役が板についてきたアーチャーが相槌を打つ。
 いい加減連絡先の一つでも聞いてきたらどうだと彼に言われたのが事の発端だ。結果は芳しくなかったが、『親しくなりたい』と伝えられたことは少なくとも前進であるとローチは前向きに考えているようだった。
「連絡できないのはちょっと不便だけど先輩が嫌ならしょうがないよな~」
「…………」
「アーチャー?」
 机に頬杖をついて聞いていたアーチャーが黙り込んで何か考え事をしているようなのでローチは首を傾げる。すぐに「何でもない」との答えが返ったあとは他愛ない話をしてその日の反省会は終わった。

 ベッドに潜り込みながら、アーチャーは密かにため息をつく。
 その呼び名の通り、彼は狙撃手である。
 相手の動きをよく観察し、その動きを予測し、風向きなどのあらゆる要素を計算し狙い撃つ。
 そんな役目が主だからかはわからないが、自然と日常生活の中でもその観察眼は活かされ、心の機微には聡い方だ。
 だからこそローチの話を聞いて、そして普段のゴーストの様子を見て思うのだ。

(……案外、いけるんじゃないか?)
 少なくとも、妥協で男を相手に選ぶというほどゴーストは性に奔放ではないだろうとアーチャーは思っている。その時点で、例え僅かであってもローチに好意があるだろうことも。そして携帯の連絡先のことも、話で聞く限り本気で嫌がっているようには思えない。
 もしかしたら照れくさいのか、ただ本当に面倒なだけか、あるいは過去に何かあったか――いずれにせよ、『連絡先が必要だ』と感じるきっかけでもあれば、教えてくれるのではないか。
(……やれやれ)
 手のかかるルームメイトだ。そう思いつつもアーチャーは口の端が吊り上ってしまうのを重々承知していた。

――――――

(あ……)
 数日に渡った任務から帰還した後、装備を返却したゴーストが傍を通る時に寄越した合図に気付いたローチは微かに熱くなる顔を自覚し、努めて平静を装った。

『終わったらすぐに来い』

 最早幾度目か分からないそれに、まだ時折戸惑う。
 ゴーストは欲求をぶつける相手が欲しいだけかもしれないが、ローチはそうではない。
 彼と同じようにローチも性的欲求が高まることはあるし、それを解消できる相手が彼であるならばむしろ願ったり叶ったりだ。

 だが、それだけでは足りない。
 自覚して以来想いは強くなるばかりで、体だけでなく彼の心すらも欲しいと子どものように駄々を捏ねる。
 ゴーストが、男であるローチを抱くことができるからといって、男を好きなわけではない。
 ただ単に、都合がいいから――それを考えるとじくりと見えない内側が疼く。
 そう都合よく好きになってもらえるはずもないのに、心のどこかで期待をしてしまう。
 かと言って自分から想いを伝えて今の――体の関係だけではなく、仲間としての信頼関係を失いたくない。
 女々しい自分を殴りたい衝動に駆られながら、ローチは小さくため息をついた。
「なあなあ、ちょっと前から気になってたんだけどさ」
「ん?」
 肩に寄りかかりながらオゾンが話しかけてくる。何故かスケアクロウも反対の肩によりかかり身動きが取りづらい。この二人がこういう絡み方をしてくる時は大抵ろくなことではないと学習しているローチはさり気なく体を退かそうと試みるががっちりと肩に手を回されてしまった。
「最近なーんか中尉とコソコソやってねぇ?」
「なんでさ?」
「だってヘリの中でも隣のこと多いし、さっきみたいに出て行く時にさり気なく近く通ったりさ~」
「そんな事言われても……偶然だよ」
 平静を装いつつ内心冷や汗ものだ。やはりいつまでもこういった手段で呼び出しをしていては不味いと思いながらなんとかこの話題を終わらせようと思考を巡らせる。
「……そういや最近部屋空けること多いよなお前」
「はっ!?」
 その発言はこともあろうかアーチャーによるものだった。信頼していたルームメイトの突然の裏切りとも言える言動にくらりと眩暈がした。
「ちょっと詳しく聞かせてもらおうか」
「なに、酒は奢ってやる」
「じゃお言葉に甘えて」
「ちょっと!!」
 スケアクロウとオゾンに両腕を捕らえられ連行される。後ろを歩くアーチャーに視線を向け、何故あんなことを言うのかと恨みがましい視線を送るがそ知らぬ顔であくびをしている。
(アーチャーのアホおおおおおおお)
 心の中で叫びながら、一刻も早くここから逃げ出す方法を考え始めた。

――――――

「でぇ、ローチくんは結局誰が好きなわけ?」
「何回目すかそれ」
 オゾンとスケアクロウが使っている部屋で始まったローチへの尋問は途中からただの飲み会と化していた。
 すでに出来上がっているオゾンに冷静な突っ込みを入れたのはアーチャーで、スケアクロウは夢の住人になっていた。
 一応明日が休暇とは言え羽目を外しすぎではないかと思わないでもないが、これが彼らのストレス解消法なのだろう。
 変な抜け方をして怪しまれるわけにはいかないと、結局今の今まで捕まっていたローチはそろそろと逃げる体勢に入る。が。
「こら軍曹ォ! 答えるまで返さんぞー!」
「だから何度も言ってるじゃないですか! いませんってば!!」
 唇だけでアーチャーが嘘つけ、と言っているのが見え、腰にまとわりつくオゾンを押し退けながら再び恨みを込めた視線を送ってやる。オゾンには見えないよう、聞こえないようにローチもまた唇を動かした。
『なんであんなこと言ったんだよ!』
『どうどう』
『落ち着けるか!』
『……ま、そろそろ頃合だろうな、頑張れローチ』
『はぁ?』
 意味ありげな笑いを浮かべるとアーチャーはグラスを傾けた。それと同時に部屋のドアが勢いよく開かれ、気味の悪い髑髏柄のバラクラバを付けた男が断りもなしに入ってくる。
「せ、んぱ……うわあああああ!?」
「おいこいつ借りるぞ」
「どーぞ」
 ローチの腰にまとわりついていたオゾンを蹴り飛ばし、腕を引っ掴むとゴーストはローチを強引に引き摺っていく。
 手を振ってそれを見送りながら、アーチャーはそのまま気絶するように眠ってしまったオゾンを見下ろしながらため息をついた。
「……Good luck」

――――――

 翌日の朝、鈍い体の痛みとともにローチは目覚めた。
 ベッドの上でゆるゆると視線を動かすと、煙草を片手に新聞を読んでいるゴーストが視界に映る。

『も……ゆる、し……て……ッ』

 それと同時に昨夜の痴態をぼんやりと思い出して火が着いたように熱くなった。
 散々待たせてしまったゴーストはかなり怒り心頭で、なんと言えばいいのか、色々と激しかった。それこそ思い出すだけで身悶えたくなるような。
 会話も何もなくベッドに押し付けられて恐怖を感じもしたが、それはすぐ快楽に流されてしまった。
「起きたか」
「先輩……」
 ローチが目覚めたのに気付いたゴーストが短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
 まだ若干苛立っているように見えて、すこし躊躇いながら体を起した。
「あの……すいません、昨日」
「全くだクソローチ、人のこと散々待たせやがって」
「すいません……」
 しゅんと頭を垂れて謝るしかできない。遅れそうだと連絡したかったが、生憎とローチはゴーストへそれを伝える手段を持たなかった。

「……携帯」
「……え?」
「携帯出せ」
「はぁ……」
 言われるままに服のポケットに入っていた携帯端末を取り出し、一応ロックを解除してから渡す。
 それを操作し、何かを確認したらしいゴーストがぽいっとそれを投げ返す。
「うわっちょっと先輩……ッ……わっ」
 床に落ちる前にそれを受け止めて非難の声を上げると、突然着信を知らせる振動が伝わり、驚いて手を放してしまった。
 結局床に落ちてしまったそれを拾い上げると、見知らぬ番号からの着信。
 目線を上げると、自分の携帯端末をポケットへとしまっているゴーストの姿。
「……先輩、これ」
「後でアドレス送れ」
 新しい煙草に火をつけたゴーストの背中と、画面に表示された番号を何度か見比べ、ローチは昨夜の無体のことも忘れ、頬を緩めた。
「はい!」
「次無断で遅れたらあんなもんじゃ済まねぇからな」
「……はい」
 流石にあれはもうごめんだと苦笑しながら、ローチはその番号をメモリに登録した。

――――――

(なあアーチャー! 先輩と連絡先交換できたんだ)
(あ、そ。ヨカッタネ)
(???)

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