ぽちぽちと小さな端末を操作する。後輩からのメールに返信するためだ。
『映画館のチケットを知り合いに二枚もらったんですけど、もうすぐ期限が切れるやつで……よかったら次の休暇一緒に行きませんか?』
そんな内容のメールだった。
(ったく……そういうのだったら女でも誘……)
断る旨の文章を打ち込んでいた手がはたと止まる。
――女。
そう、おかしな話だが、今の今まで失念していたことに気付いた。
ローチが話しに出したことはないし、ゴーストが訊ねたこともない。あの日、ゴーストを受けいれた時点で、恋人はいないのだろうと無意識に思い込んでいた。しかし――。
(ゲイじゃねぇっつうなら気になる女の一人くらいいないもんかね……)
一度考え始めるとどうにも気になってくる。続きの文章を考えながらも、思考の隅で疑問がチラつく。
「……何だってんだクソ」
気もそぞろに打ち終ったメールを送信しながらゴーストは悪態をついた。
しばらくすると端末が震えてメールの着信を告げる。
『了解です。でもまだ奢ってもらう約束果たしてませんから、忘れないでくださいね!』
実際ここに彼がいたのなら、笑いながら言うのだろう。そう思えば、ふっとローチの笑顔が脳裏に浮かぶ。
戦場には似つかわしくない朗らかなそれは、あまり摺れたところのない素直な性格も相まって大抵の人間に好印象を与えるだろう。
時にはその若さと突出した成績の為に妬みを買うこともあるようだが、上手く切り抜けていける強かさもあるし、同じTFのメンバーからはおもちゃにされつつも可愛がられている。
美形というわけではないが顔立ちは整っており、初心な所が可愛いのだと他部隊の女性陣からの人気もあるのだと噂に聞いた。
そんな彼が何故、と最初の疑問に戻る。
否、一応彼は言っていた。ゴーストが苦しそうだったから、少しでも役に立てるならいいと。だが本当にそれだけで何度も男に足を開くものだろうか。今更な疑問ではあるが、ローチがあまりにあっけらかんとしているので気にならなかったのかもしれない。
欲求が溜まっていても、ローチとてその気になれば女の一人や二人見つけることは容易いだろうし、ゴーストもローチが来なくなるのならば相手になりそうな女を捜すだけだ。
であるのに、ローチは呼び出せば必ず来る。行為の後は腰が痛いだのと不満を上げるが、行為自体を拒否したことは一度としてなかった。
それは『度を越したお人よし』という言葉で済ませられるものなのだろうか?
(……本当は嫌だが言い出せない、とか)
それはNOだ。ローチはあれで、嫌なことははっきり嫌と言える人間だ。相手が上官だからといってただ大人しく従うような性格でもない。
(この関係をネタにして俺を強請る?)
これもNO。
(……上官の俺のご機嫌を取って……)
NO。全てNOだ。そもそもローチは実力もあり、隊長を任せられる資質も持ち合わせている。媚を売らずとも自ずと上に来ることは明らかだろう。
ゴーストも一応人の上に立つ者として、それなりに見る目はあるつもりだ。
故に、ローチという人間が下心を持って自分とこんな関係を続けているとは思えなかった。
だからますますわからない。本当に、ただ善意でこんなことをしているのだろうか?
(わっかんねーな……)
がしがしと頭をかきながら寝返りをうつ。次第に考えるのが億劫になって睡魔に体を任せる。
どうしてこんなにもローチとのことが気にかかるのか、その理由には気付かないまま。
――――――
「断られちゃった」
「残念だったな」
笑ってそう言ったが、アーチャーから見ればローチが意気消沈しているのは火を見るより明らかだった。
想いを告げることなくただ体を重ね続けているという歪な関係が、彼の中にじわじわと影を落としはじめている。
ただでさえ、男同士であるという障害があるのだ。
下手に想いを告げれば拒絶されるかもしれない。職務中や表向きの態度は変わらないだろうが、きっと決定的な溝ができる。
であるならばいっそ、何も言わないままでいい、今のこの関係も失くしたくないと、そう思う女々しい自分が嫌なのだ、とローチは話した。
そんなローチに、ならば少しでも距離を縮めて成功率を上げろと背中を押したのはアーチャーであり、連絡先を交換するよう進言したのもこのためだ。
が、結果は芳しくなかった。手の中で端末を弄びながら「あーあ」と残念そうに声を上げている姿がなんとも居た堪れない。
自分が口出しをしている以上、放ってはおけないのだ。
「そんな落ち込むなよローチ。奢ってやるからデートは俺と行こう」
「えっ奢り!?」
ぱっと顔を上げたローチだったが、何かを思い出したように申し訳なさそうに笑う。
「いや……そもそもこのチケットだってアーチャーがくれたし……その上奢りってわけにも」
「いーんだよ、知り合いに貰ったやつだから映画に関しては俺の懐痛まないし」
「でも……」
「失恋で傷心中のローチくんを励ましてやろうって優しさがわからないか? んー?」
「失恋じゃないし! あだだだだ痛い痛いわかったお願いしますっ」
軽くチョークスリーパーをかけながらそう言うとローチが白旗を揚げる。わしゃわしゃと少し癖のある髪を撫でてやれば、ようやくいつもの朗らかな笑顔を浮かべ、「ありがとう」と言った。
――――――
任務帰りに、翌日が休暇だから久々に飲もうと誘いを受けたゴーストは夜にマクタビッシュの部屋を訪れた。
美味いティー・リキュールを貰ったのだと早速グラスを用意して飲み始める。
ストレートでもいけるが、カクテルでも楽しめる。カクテルにしてしまうとあまり酒を飲んでいるという感じはしないが、高品質な茶葉を使用しているというそれはマクタビッシュが薦めるだけあってなかなか美味い。
仕事でのちょっとした愚痴や、この本は面白かったなんて他愛のない会話をする。不気味なバラクラバとシューティンググラスという風貌、口を開けば罵詈雑言ばかりであまり人を寄せ付けないゴーストが比較的早くマクタビッシュと打ち解けられたのは、彼の人柄と、こうして話をする機会をたびたび作ってくれたからだろう。
「……大尉殿、ちょっと聞きたいことが」
「おっ? お前が相談なんて珍しいな!」
「……別に相談というほどじゃ……」
話のネタも一段落したあたりでゴーストが話を切り出すと、ほろ酔いで気分の良くなったマクタビッシュが食い気味に乗ってくる。
相談、ではあるのだろうが、なんとなくそう認めるのが癪で言葉を濁す。
「大したことじゃないんですが、ローチのことで……」
「あぁ、お前ら最近仲いいよな」
「……そう見えます?」
「うーん? 何となく?」
小首を傾げるモヒカン男は可愛くもなんともないが、傍目に見てもそんな風に感じるのかと内心少し冷や冷やしながら話を続けた。
流石に体の関係があるなどとは言えないため、ちょっとしたきっかけで部屋の掃除やら書類整理を手伝わせるようになったと言った。
「……で、あいつ文句も言わずに呼んだらちゃんと来るんですよ。本当は嫌なの言い出せねぇんじゃねえかって最近思いましてね」
「そのくらいの手伝いならいいんじゃないか? 俺もやってもらったことあるよ」
ぴくり、とその言葉に反応してしまう。
「……大尉も?」
「前に報告書出しに来た時にな。俺はちょくちょく掃除する方なんだが忙しい時期でちょっと手が回ってなくて、自分からやるって言ってくれたよ」
「……俺も最初はそんな感じでしたね」
そう言いながら、『自分だけじゃなかったのか』という安堵と同時に、何かもやもやとした不鮮明な感情が胸に広がる。
ゴーストがローチにやらせているのは掃除なんてものではないが、やはり彼がお人よしであることに違いはないのだと、無理矢理自分を納得させた。
「だろう? あいつは気が利くし素直だからなぁ。戦闘に関してはまだ経験不足なところもあるが実力もあるし伸びもいい。お前のことも尊敬してるって言ってたし、可愛い後輩じゃないか」
「……尊敬……ですか」
程よくアルコールの回ったマクタビッシュは上機嫌にぺらぺらと話す。
尊敬している――ローチから直接聞いたことはないが、そう思われていると知って悪い気はしない。そういえば以前も『ゴーストの役に立てること、頼りにされることは嬉しい』というようなことを言っていた気がする。近寄りがたい雰囲気を持ち、訓練等でも罵声ばかり飛ばすゴーストに好意的な感情を持つ人間は少ない。新人となれば尚更だ。だから、出会ってからの月日はまだ短いにも関わらず、そこまで慕われているというのは何だか面映い。
「お前だって、あいつが媚売ったりするようなやつじゃないって分かってるだろう?」
「えぇ、まあ……」
「ならそう懐疑的になるな。単にお前が好きだから手伝ってるんだろうよ。たまには労いの一つでもしてやれ」
「そう……ですね」
頷くゴーストにマクタビッシュも満足げに笑う。
だが、慕われているのだと知り嬉しくは思っても、心の内に広がる靄を晴らすまでには至らなかった。
その後もしばらくぽつぽつと話してから酒の席はお開きになり、マクタビッシュの部屋を後にして、一人夜気にあたりながら煙草をふかす。
ゴーストの内では、先ほど考えたことがぐるぐると渦巻いていた。
『自分だけじゃなかった』
ローチはよく気が利く。人当たりもよく、素直で、自ら掃除なんかの手伝いも申し出るような人間だ。
(あいつは……)
『自分だけじゃなかった』
ローチにとっては、マクタビッシュもまた尊敬する上官だろう。厳しくはあるが、優しく包容力もある。意地の悪い自分なんかよりもきっと、ずっと尊敬しているのだろう。
(もし……)
もし、あの時。
ローチを求めたのが自分ではなかったら。
例えばマクタビッシュが、ゴーストと同じように戦闘での興奮状態のままで、ローチに行為を望んだら。
ローチはそれを、受け入れたのだろうか。
「……っ……」
ぎりりとフィルターを噛む。心の靄はどんどん濃くなっていく。意味もなくイライラする。
舌打ちして煙草を地面に落とすと火を踏み消した。
ふと携帯端末を取り出して連絡先を開くが、すぐにしまう。
ローチを呼び出そうとしてしまう自分に軽くため息をついた。
今は戦闘後でもなんでもないのだ。理由がない。なのに、イライラしているからとそれをローチにぶつけるなど馬鹿げている。彼は、都合のいい娼婦でもダッチワイフでもないのに。
「くそったれ……」
――――――
「あれ、お前らどっか行くの?」
「ローチくんと映画館デートでーす」
「デートって……」
「なんだよそれ俺らも連れてけー!」
外からにぎやかな声がする。
休日をのんびり過ごしていたゴーストはその声に立ち上がり部屋を出た。昨日の酒はまだ少しだけ残っていたが普段の生活をする分には何の差支えもない。
見れば、今から出かけるところだったのだろう私服姿のローチとアーチャーがオゾンとスケアクロウに絡まれている。
映画館、と言っていた。先日のメールのあれか、と思い出しながら煙草を取り出して火をつけようとした。
『自分だけじゃなかった』
「……ちっ」
昨日考えたことが脳裏に蘇り、そのまま気分が失せて煙草を箱に戻した。
――当然だ、自分は断ったのだから。余っているチケットがあるのなら他の誰かを誘うのは至極自然なことである。
本当は別に、行ってもよかったはずなのだ。予定などなにもないのだから。
ただ億劫で――違う。踏み込みたくないのだ。悪い癖だとゴーストはため息をつく。
連絡先を教えるのを渋った時と同じだった。
普通の人付き合いはする。だが必要以上に踏み込ませない。無意識にしてしまうそれは、防衛本能だろうか。
だがローチは、ゴーストの引く境界線を容易く踏み越えようとする。それが時に怖くもあり、そして。
「あ、中尉」
ゴーストが見ていることに気付いたアーチャーが声を上げる。全員の視線が向き、一瞬躊躇ったが近くへと歩いていく。
軽く挨拶を交わすとローチと目が合う。へらりと笑う顔が何故か、叱られてしょげた犬のように見えて戸惑う。
「なーどうせ行くなら一緒に行ってもいいだろ? 皆で見たほうが楽しそうじゃんコレ」
「でもチケットないよ?」
「そんくらい自腹で払うって~」
「……なんの話してんだ?」
「ローチと二人で遊びに行こうとしてたんですけどこの困った大人二人が」
「誰が困った大人だコラァ!」
話が聞こえていたので内容は一応知っていたが尋ねると、オゾンとローチが話している横でアーチャーが答えた。すかさずスケアクロウが突っ込むがスルーされる。
「で、どうすんのローチ」
「え? 俺は別にいいけど」
「さっすがローチくん話が分かるー」
「うわっやめてよもー」
肩に腕を回されぐしゃぐしゃと頭を撫でられながら笑うローチの顔に、何だか少しほっとする。
最近のローチはどことなく疲れたような顔で笑っていた。それは大体決まってゴーストの部屋に呼び出した時で、だからこそ本当は嫌なのではないかと思ったのだ。
ふとアーチャーからの視線に気付いてそちらを見ると、なにやら訳知り顔でふむ、と顎に手を当てた。
「……折角ですから中尉も一緒にどうです?」
「は?」
「えっ」
ローチとゴーストが声を上げたのは同時だった。何となく視線が合い、気まずそうにローチが笑う。
「予定がなければですが」
「あ、アーチャー、先輩は」
「……そうだな、たまには行くか」
「えっ」
またも声を上げるローチに不服かと問えば勢いよく首を横に振る。
あまりにもラフすぎる格好だったので着替えてくると言って一度部屋に戻る。どうやらオゾン達も同じように自室に戻ったらしく、声が少し遠ざかるのを感じながら部屋に入りドアを閉めた。
「……何やってんだか」
一度は断っておいて、今日になって急に行くと言い出すなどと。ローチだって面食らっていた。本当に、何をやっているのだか。
だが驚きの中に一瞬喜びの色を見出した時、胸の内にあった靄も、防衛本能も、何だかどうでもよくなってしまったのが不思議だった。
用意を済ませてローチ達と共に街へ繰り出す。
見えない尻尾をちぎれるほど振っていそうなローチの笑顔が印象的だった。
「中尉、折角だから昼飯奢ってくださいよ」
「何が折角だ、たかってんじゃねえ明日の外周追加すんぞ」
「横暴! 職権乱用!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐオゾンとスケアクロウをいなしながら、横目でローチを見ると、ひどく楽しそうに笑っているので。
「……安いとこならいいぞ」
「えっ……マジで」
「銃弾の雨でも降るんじゃねーの……」
「……じゃあお前ら無しな。あと外周二十追加な」
「「NO!!」」
そんなやり取りをしていたらとうとう堪えきれずにローチが噴出した。肩を揺らして笑う姿にまた不鮮明な感情がふわりと沸き起こる。けれどそれは昨日のように不快なものではなかった。
結局は全員に奢ることになり、肩を竦めながらふと思い立ってメールを打った。すぐには送らず、端末をポケットにしまってしばらくしてから送信する。
するとローチがメールに気付いて端末を取り出した。画面を見るその目が見開かれ、動揺を隠すように端末を鞄に戻す。
『今日の奢りは別だ。約束はまた何れ』
簡潔な文章は、きちんと届いたようだった。
その後、映画館でローチが一番端の席に、隣にゴーストが座った時に、ゴーストにしか聞こえない声でローチが呟いた。
「……はい」
ちらりと横目で見やれば、とても嬉しそうにはにかんだので、ゴーストは何も言えずに目を逸らした。
調子が狂う――そう思いながらも、悪い気はしなかった。
ふわふわしたような、体がぽかぽかと温かいような感覚は、きっと酒が残っているせいだと思った。
――――――
(とっととくっ付いちまえばいいのにこのバカップル……)
「アーチャーどうかしたか?」
「別に……」