「ローチ」
「先輩!」
「悪いな、待たせたか」
「いえ、俺もさっき来たとこです」
「んじゃ入るか」
「はい」
会話だけ聞くとまるでカップルだな、とは二人が同時に考えたことである。もちろん、感じ方はそれぞれ違うものであったが。
今日はゴーストが普段色々と――それはもう色々と手伝ってもらっているローチに、奢ってやるという約束を果たすために基地近くの街へ来ていた。
最早侘びなのか礼なのかはたまた労いなのかよく分からないが、ローチがやたらと嬉しそうにしているので良しとする。
基地内の人間にはあまり見咎められたくないため、別々に出かけて目的の店の前で落ち合った。時刻は正午少し前。店に入るとまだ客はまばらだ。
「え、ショッピングですか?」
「嫌か?」
「いえ、食事だけって思ってたんで」
店員にオーダーした後で、食事が終わったらどうするかという話をするとローチが目を丸くした。元々約束はローチが『奢ってくれ』と言っただけで何を奢るのかなんて決めていなかった。大抵は食事のことを指すのだろうし、ローチもそのつもりだったようだから、ゴーストから食事以外の提案があるなんて思わなかっただろう。
「別に無理にとは言わねえけど」
「いいえ! すごく嬉しいです!」
「……おう」
邪気のない笑顔でそう言い切られてしまえば、いつものような皮肉も引っ込んでしまう。
自分のような人間と親しくなりたいなどと、本気なら物好きなやつだとは思っていたが、どうやら本当にその物好きらしい。――いや、あるいはショッピングそれ自体が嬉しいだけなのか。
『そう懐疑的になるな。単にお前が好きだから手伝ってるんだろうよ』
先日のマクタビッシュの言葉を思い出してその考えを消す。ショッピングという案はその後に続いた『たまには労ってやれ』という言葉に影響されてのことだが、このくらいのことで喜んでくれるのなら安いものだ。いつも無理をさせているのだから。
近くにあるショッピングモールの話をしながら、近頃の疲れた雰囲気を微塵も感じさせない笑顔を見せるローチを、ゴーストはどこかほっとした気持ちで見つめた。
――――――
「欲しいものがあれば買ってやる」
ゴーストにそう言われた時、ローチは浮かれすぎておかしくなってしまったのではないかと自分の耳を疑った。
だってあのゴースト中尉がだ。
訓練では罵声を飛ばし、任務になれば冷徹で容赦なく、敵味方共に恐れられる存在である人が何か買ってやるなんて言い出すとは。オゾンやスケアクロウあたりが聞いたら今度はRPGの雨が降ると言い出しかねない。
そんな男に食事を奢らせたり、あまつさえ体の関係まで持ってしまった自分は何なのかと時折頭を抱えたくなる。
「おい」
「はいっ!?」
物思いに耽っていたせいで声をかけられたことに大げさに驚いてしまう。その反応にゴーストも呆れたように肩を竦め、恥ずかしくて顔が熱くなった。
「ぼーっとしてんなよ。ちゃんと見てんのか?」
「はい、大丈夫ですっ」
食事が終わってから二人でショッピングモールをぶらぶらと歩く。
時折気になった店に立ち寄りつつ、何だか本当にカップルのデートみたいだと浮かれてしまう単純な思考に自分でも呆れながら、ローチは楽しい時間を過ごした。
遠い異国の文化や伝統品を扱う店に入って、いつか仕事でなく普通の旅行で行ってみたいだとか、カフェも経営している紅茶専門店に入って、この会社のこの茶葉が好きだとか、他愛のない会話をする。
ゴーストはあまり積極的に人と関わろうとしないし、むしろ人を遠ざけてしまう雰囲気があった。だが普段はバラクラバとシューティンググラスで隠されている仏頂面が、本当は笑うととても柔らかい印象を持つのだと、ローチはもう知っている。そして彼の不器用な優しさも。
だからローチはゴーストを好きになったし、話しながら彼の好みを知ることも楽しい。
好きな相手と一緒にいて、楽しくないわけがなかった。
「あ……」
そろそろショッピングモールからも出ようかという時に、ローチはあるものを見つけて足を止めた。それを手に取ってまじまじと見る。大きさもちょうどいいし、何より丈夫そうだ。
「どうした、やっと何か見つけたのか?」
ローチの行動に気付いたゴーストがからかい混じりに訊ねる。結局ローチはここに来るまで、何もゴーストに買ってもらおうとはしなかったからだ。
どんな高いものを買わせる気だと思いながら、少しはにかんだような顔で振り返ったローチの手元を見た。
「俺、これが欲しいです」
その手には、何の変哲もないただのマグカップが握られていた。周りは淡いブルーに染められ、デフォルメされたドクロのマークが端っこにさり気なく描かれている。
どこにでもありそうな、子どもの小遣いでも買えるようなそれを見てゴーストは呆れたような声を上げる。
「何だそりゃ、そんな安物でいいのか? 金のことなら別に……」
「いえ、これがいいです……あっ! 別に先輩がお金持ってなさそうとか思ってるわけじゃないですから!」
誤魔化すように照れ笑いを浮かべる。
「まぁ、お前がいいならいいけどよ……もうちょっといいデザインあるだろ」
「俺は好きですよ。それに先輩の部屋に置くならあまり派手じゃないほうがいいかと思って」
「……は?」
ローチの言葉を聞いたゴーストの動きが止まる。少しだけ悪戯っぽく笑うと、ローチはマグカップに視線を落とした。
「値段は安くてもいいんです。……その代わり、先輩の部屋に置かせてください。そんで、とびっきり美味しい紅茶を淹れてください」
ただ買ってもらうだけなら簡単だが、すぐに忘れられてしまうかもしれない。だからローチは、その物に付随した思い出も欲しかった。ゴーストがそれに気付くことはなかったが。
それじゃ駄目ですか、と頬をかいて困ったように眉を下げるローチに、ゴーストは言うべき言葉が浮かばなかった。ただその意味を考えて、僅かに心拍数が上がる。
(……それって……)
事が終わった後に紅茶を淹れてやるようになったのはいつからだったか。
それはゴーストなりの、無理をさせていることへのせめてもの償いと気遣いであった。
紅茶を淹れてくれというのは、それはつまり、これからもゴーストの呼び出しに応えるつもりであるということなのか。
「……分かってて言ってんのか……」
「? 何がです?」
つい零れた独り言をローチは聞き取ったようで、きょとんと目を丸くした。
(ああクソッ)
ローチの手からマグカップを引っ手繰ると「買ってくる」とだけ言ってレジへ向かう。
驚きながらもその場で待っているローチに少し安堵しつつ、ゴーストは軽く口元を押さえた。
(なんだよ……)
顔が熱い。
(何であいつはああなんだ……)
本当は嫌なのを言い出せないんじゃないかなどとあれこれ気を揉んでいたのが馬鹿らしくなってくる。
ローチは嫌がってなどいない。全くと言っていいかもしれない。むしろ……。
「次のお客様」
店員に呼ばれてはっと顔を上げる。幸い後ろに人は並んでいなかったが慌ててレジの前に立ちマグカップを渡した。
「……ああ、簡単にでいいんだが……プレゼント用なのでラッピングを……」
「はい」
手際よくマグカップを包んでいく店員を眺めながら、ようやく落ち着いてくる。
(……つか何で動揺してんだ俺は)
あっさりとゴーストの悩みを吹き飛ばしてしまったローチに、どこまで人がいいのかと改めて思う。そのうち誰かにつけこまれるのではないかと心配になるほどだ。
ゴーストがしている事に対してもっと見返りを求めたって許されるだろうに、先ほどの要求だってあまりにもささやかすぎる。
そんなものでいいのか? 本当はもっと別のものが欲しいんじゃないのか?
相も変わらずマイナス方面に考えがちなのは、最悪の事態を予想しながら動く職業ゆえだろうか。
だが、これがいいのだとはにかんだ表情を思い出して自然とその考えを引っ込めた。
そういう人間なのだ、ローチは。
「あ、先輩」
会計を済ませてマグカップのあった場所に戻るとローチが気付いて近づいてくる。
「あの……すいません」
「あ? 何が」
申し訳なさそうに言われて思わず間の抜けた声で返してしまう。特に心当たりがなく疑問符を浮かべているとローチが一人で慌て始める。
「いやっあの、先輩の部屋のカップこの前一つ割れちゃったし……ああいやそうじゃなくて……折角気を使ってくれたのに安物買わせてしまって……えっと……」
どうやら『何か買ってやる』というゴーストからの珍しすぎる提案をマグカップ一つという小さな買い物で終わらせてしまい、機嫌を損ねたと思っているらしい。叱られた犬のようにしょげているローチの頭をやや乱暴に撫でると、綺麗に包まれたマグカップを押し付けた。
「別に怒ってねぇよ。宝石とかブランド物強請られたわけでもねえし……それにお前がそれがいいって言ったんだろうが。安物とか言ってんじゃねえよ」
「いて」
軽く額を小突くとそこを手で擦りながらローチはへらりと笑った。
「へへ……はい、ありがとうございます。大事にしますね」
「俺の部屋に置くなら管理も俺になるけどな」
「やだなあ、洗うのくらいやりますって」
「あー……いや……」
歩きながらゴーストが横を歩くローチの頭にぽんと手を乗せる。前を向いたまま、少しだけ言いにくそうに。
「嫌味を一々真に受けんな。俺がやるっつってんだよ……いつも無理させてるし、な」
ローチは目を瞬かせ、その言葉の意味を考える。
頭に乗せられた手に僅かに力が入っているせいでしっかりと上を向くことができなかったが、ちらりと見えたゴーストの耳が僅かに赤いのを見て、体中がぼっと熱を帯びた。
「あ……の……はい、ありがとう……ございます……」
声が尻すぼみになっていったが、それだけ言って俯くのが精一杯だった。
(うわー俺今絶対顔赤い……にやにやしてる……)
まだ手に持ったままだったマグカップを鞄にしまいながら心臓よ落ち着けと念じる。
普段から皮肉や憎まれ口ばかりのゴーストが、どんな気持ちで今の言葉をくれたのか。それを考えただけでそわそわと落ち着きがなくなってくる。
(な、なんで今日……こんなに優しいんだろ……)
本来優しい人物なのは知っているが、食事やショッピングなど、任務以外のプライベートなことをを共にするのは初めてだったし、プレゼントや労わるような言葉を貰ったことだってない。
何だか自分が与えられてばかりで、嬉しいは嬉しいのだが戸惑ってしまう。
良い事が続いた後は悪いことが起きる――そんな迷信じみた考えが頭を過ぎった。職業が職業なだけに、悪いことと言えば洒落にならない内容ばかりだ。
こんなふわふわした気持ちのままで次の任務でヘマをしてはいけないと、ローチは緩みきった顔を軽くぺちぺちと叩いた。
――――――
ショッピングモールを出た後もしばらくの間街をぶらついた。楽しい時間はどうして早く感じるのだろうと、子どものようなことを考える。実際、ショッピングモールを出た時に時計を見ると驚く程時間が経過していた。
もうすぐこの休日は終わってしまうのだと思うと、どうしようもなく寂しい。今がずっと続けばいいと、敵うわけもない夢を見たくなる。
「えっ、夜もですか!?」
「もともとこっちがメインだったんだけどな」
だから、ゴーストが店を予約してあると言い出した時には、喜びで舞いあがってしまう気持ちを抑えるのに必死だった。
日が暮れて街の明かりが数を増やす頃にゴーストの言う店に辿りつく。
ひょっとしてここまで来る道順や時間も計算していたのだろうかと思ったが、質問するのはやめておいた。聞くだけ野暮というものだろう。
「なんか……結構高そうなお店ですね」
「奥の個室とかはそうだけどな、残念ながら今日は普通のテーブル席だ」
「残念なんて……」
「あーわかったわかった早く入れ」
ゴーストに背を蹴られて苦笑しながら店内へ入る。
普通の服装なのが心配だったが、そんなに形式張った店ではないから気にするなということだった。
「この店よく来るんですか?」
「何回かな。最初に来たのはTFの顔合わせの時だ。飯も酒もなかなか美味い」
そう言ってゴーストが笑う。
客が増えてくると店内も少しざわつき、レストランというよりちょっとしたバーのような雰囲気で、なるほどこのくらいなら居心地も悪くないと納得した。
出てくる食事はどれも素晴らしく美味しかった。任務の時は味も素っ気もないレーションばかり食べているだけに、余計そう感じるのかもしれない。
昼間も随分と色んなことを話した気がするのに、食事と酒の合間にも話題がつきることはなかった。ゴーストの酒のペースがいつもより速いことが気になったが、ローチの興味はゴーストが語るマクタビッシュら上官の意外な一面や失敗の話に向いてしまっていた。
「今日は本当にありがとうございました」
「おう……」
店から出て夜風に当たりながら、今日が終わるのを惜しむようにゆっくりと歩く。
ローチが改めて礼を言うが、ゆっくりと歩くと言うよりはどこかおぼつかない足取りのゴーストは返事も上の空だ。
「先輩? 大丈夫ですか、あああああ!?」
「んー……」
横を歩いていたゴーストの体がローチによりかかってくる。ローチとて兵士として鍛えているのでそのまま一緒に倒れるようなことはなかったが、抱きとめる形になって戸惑う。更にはゴーストも倒れまいとしたのか反射的にローチの体に腕を回してきたので、夜風で少し冷ましていた体温は再び急上昇した。
「せ、先輩しっかりしてくださいっ……」
ぺしぺしと背中を叩くがあまり効果はないようだ。抱えて運べないこともないが基地まではまだ遠いし、タクシーを捕まえて戻ろうかとも考えたが、二人で一緒に出かけていたことが知られてしまうかと考え直す。
(いや……街中で酔ってた先輩を見つけた……ってのでも……)
あれこれと上手い言い訳を考えてみるが、ある一つの考えがローチを誘惑する。
二人は外出届を出している。これには一応『外泊』も含まれるのだ。
ローチはゴーストの様子を窺う。支えればしばらく歩いてくれそうだが、意識は朦朧としているようだった。
(……もう少し……)
今日が終わらなければいいのに、という願いを、ほんの少しだけ神様が手助けしてくれたのかもしれない。
「……先輩、一旦どこかホテルに入って休みましょう。何ならそのまま泊まってもいいですし」
「……おう」
わかっているのかわかっていないのか、とりあえず返事をしたゴーストを支えながら夜の街の中にホテルを探した。
(もう少し、だけ)
――――――
「申し訳ありません、本日はもうダブルのお部屋しか残っていなくて……良いお部屋なので他より少々値段も上がりますが……」
「あ、じゃあそこでいいので、お願いします……」
最初に見つけたホテルは満室で、次に訪れたのがこのホテルだ。手続きをしながらロビーにあるソファに座らせているゴーストをちらりと見る。どうやら先ほどより少し意識がはっきりしてきたらしい。
「ほら先輩、行きましょう」
ローチが手続きを終わらせ、ゴーストに肩を貸して歩き始めると案内をしてくれるスタッフの女性に微笑ましそうな目で見られて気恥ずかしかった。
「酔っ払い客はよく来ますか?」
「ええそうですね。ですがご案内する部屋は造りもしっかりしているので、酔われたお客様が多少騒がれても大丈夫ですよ」
「あ、はは……そうですか……」
何だか妙な方向に気を遣われた気がしないでもない。苦笑いだけ返すと女性スタッフは先を歩き、部屋のドアを開けて二人を通してくれる。ローチに部屋の鍵を渡すと、一礼して出て行った。
部屋の中を見回すと、確かに良い部屋と聞いただけあって広く、内装も白や木目調などでまとめられすっきりとしている。シンプルだがどこか品の良さを感じさせる部屋だ。
ゴーストをベッドに座らせて、設置されている冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して渡した。
「悪いな……」
「いいえ。でも先輩がこんなに酔うって珍しいですね」
水を飲んで一息つくと、ゴーストは小さく呟いた。
「……素面じゃ……言えねえからな……」
「……? 何ですか?」
よく聞き取れず聞き返すと、ゴーストの瞳とかち合う。
いつもはシューティンググラスに隠されているアイスブルー。それを一番見ているのはひょっとして自分ではないだろうかと、そんな考えがふと過ぎる。自分はゴーストにとって、他の兵士とは違う存在なのだと思いたがっているようで、そんな自分に呆れてしまう。
「お前が……本当は嫌なんじゃって……最近考えてた」
「嫌、って……?」
「だから」
そこでゴーストははあ、とため息をつく。ぼんやりとした照明しか点いていないおかげで、僅かに赤い肌にローチは気付かないようだった。
「俺の部屋に来るのが……セックスとか掃除とか……とりあえず全部だよ全部。俺に気ィ遣って、嫌だって言い出せないんじゃ……って……けどお前……本当に……違うんだな」
片手で額を多い再び、今度は少し大きいため息をつくゴーストに、ローチは漸く合点がいった。
そして今日一日の事を思い出す。やけに優しく感じたのは、ゴーストがそのことを気にして、ローチを気遣ってくれたからなのだろう。
自然と顔が緩んでしまう。やはりゴーストは優しい人だと思いながら。
「嫌じゃないですよ。掃除だって俺から言い出したことですし……それに俺、本当に、好きなんですよ」
ゴーストが顔を上げる。僅かに見開かれた瞳には驚きと戸惑いがあるように見えて、ローチはすぐ次の言葉を続けた。
「先輩の淹れてくれる紅茶」
「……はぁ?」
「世界で一番美味しいと思ってます」
「……お前は紅茶一杯で買収できんのかよ……」
「あ、ちゃんと先輩のことも好きですよ?」
「もういい、悩んだ俺がアホだった」
「本当ですって」
本当に、と、密かな想いを込めて胸中で呟く。
何だか胸の奥がぎゅう、と苦しくなって、目が熱いのを誤魔化すみたいに笑ってみせた。
ゴーストは何も言わなくなった。暗闇に光るアイスブルーの瞳がじっと見つめてきて、ローチは僅かに狼狽する。そこに情欲の色が灯ったように見えたからだ。
「……ローチ」
「なん、ですか」
声が掠れて、顔が熱くなる。
ゴーストのごつごつとした手がローチの手に触れてますます困惑する。
いつもと違うその空気に、しかしゴーストもまた戸惑っているようにも見えた。
「……いいか……?」
何を、と聞くまでもなく分かる。だが……だが、とローチは思う。
常であれば問答無用でまずベッドにローチを放り投げてから確認をとるような男なのだ、ゴーストは。
であるのに、これはなんだ。どうしたことだ。
ローチとしてはもちろん、好意を持つ相手に求められるのは吝かではない。
だが、と頭の奥で冷静な自分が警鐘を鳴らす。それがぎりぎり、ローチを引き止める。
微かに開閉する口からは言葉が出ず、悪戯に時間が過ぎる。そんなローチに痺れを切らしたのか、ゴーストは触れた手を掴んで軽く引きながら。
「……お前としたい」
「、っ」
心臓を掴まれたような痛みが走る。
今までしてきたのはあくまで、女性の代わりだと思っていた。思い込もうとしていた。
そうでなければ、のめりこんでしまいそうだったからだ。
それなのに。
「……嫌か」
ゴーストは言った。『お前としたい』のだと。いつも、激しい戦闘があった任務の後でしか求めてこなかったのに。
例えこれが酒の力で、酔った勢いで言ったことのだとしても、『女の代わり』ではなく『自分』を求めてくれたゴーストにローチが否と言えるはずがなかった。
だからローチに出来たことと言えば、せめてベッドが汚れないように、バスタオルを敷こうと提案することくらいだった。
――――――
「……ふ……ッ」
「我慢すんなよ、基地の薄い壁の部屋じゃねぇんだから」
「んっ」
噛んでいた指を外されて声が洩れる。いつも枕に顔を埋めるなりシーツを噛むなりして声を抑えているからすっかり癖になっているのだ。そんなローチに苦笑すると、ゴーストは再び胸へと舌を這わせた。
「せ、んぱ……ッ……ぁ」
尖りを含まれ、柔く噛まれて息が弾んだ。反射的にゴーストの肩に手をかけ離れさせようとしたが、上手く力が入らない。その間にもゴーストの手はローチの肌を這う。
(な、んで……こんな……っ)
ローチは困惑していた。今日のゴーストの行動はあまりにも、いつもとは違いすぎる。
ゴーストとのセックスは、一言で言ってしまえば淡白だ。
余計なことを考えさせない、ただ互いに吐き出すだけの行為。だから前戯も後ろを解す以外にあまりしないことが多かった。
それはゴーストが『女役』という負担の大きい立場のローチを気遣い、手早く終わらせようと思ってのことだったのかもしれないし、単に面倒だと思っていただけかもしれない。
かと言って気持ちよくないわけではなく、そんなセックスに不満はなかった。
だが今のゴーストは違う。
「んッ、ん……」
肌を撫で、舐り、時には軽く爪や歯を立てて、じわじわとローチの内に快感と期待を積み上げていく。その動きは限りなく優しく、ローチは声が上がるのを、呼吸が乱れるのを抑えることができない。
――突き放すような淡白なセックスだったからこそ、ローチは今まで耐えられた。
あくまでこれは互いの欲求が一致しているから行われるだけの行為であって、決してそこには感情などないのだと。体をつなげても、ローチに対する特別な想いなどないと思えたからこそ、ローチは自分の感情を抑えられていた。
密かに背を押してくれるアーチャーには悪いと思っていたが、ローチは最初から諦めている自分を心の底で自覚していた。
どうせ、叶うはずはないのだ、と。
「だから我慢すんなって……」
呆れたように苦笑するゴーストが肌の上を彷徨っていた右手を伸ばし、声を堪えようと噛んでいたローチの唇を指先で撫でた。
くすぐったくて緩く開いてしまうと、隙間から指先が侵入してくる。二本の指で舌や上顎をくすぐられて鼻にかかった甘い声が零れた。
「んぅ、……ふっ……ぁ」
その間もゴーストの舌と左手は胸の尖りを転がし、押し潰してはローチを悶えさせる。むず痒い快感に堪らず身を捩ると、意図せずゴーストに腰を押し付ける形になり、まるで強請っているようだと羞恥で体が火照った。
「んん、む……ッん……ふ、ぁ」
口内まで犯されているようだと頭の片隅でぼんやりと考えていると、名残惜しむようにぐるりと中を撫でてから指が引き抜かれた。
唾液にまみれたゴーストの指が下肢へと伸ばされ、僅かに身構える。
「っん!」
唾液でぬるつく指が入り口を撫で、揉み解すように指の腹でぐにぐにと圧迫される。
やがてつ、と指先が侵入を果たし、ローチは熱の篭った吐息を洩らす。それなりに回数を重ねてきているとは言え、未だ行為に慣れる事はない。
「ぁ……やッ……先輩……っ」
まだ一度も触れられていないのに勃ちあがり透明な雫を滲ませているそれに指が絡み、ローチは反射的に手を伸ばした。愛撫を積み重ねられた体は甘く疼き、少し触れられただけでも達してしまいそうだ。
「いい加減諦めろ。今更恥ずかしがることなんてねぇだろ」
「っ……男の、喘ぎ声なんて聞いても、楽しくないでしょう……」
むすりとして言い返すと可笑しそうに唇が弧を描く。からかわれているのだと思い、ふいと顔を逸らすとわき腹を撫でられて腹筋が波打った。
「あんまり息詰められるとこっちだってやり辛いんだよ。お前だって我慢してると苦しいだろ?」
「あッ!」
にちゃりと濡れた音を立てて緩く指が上下するだけで声が上がる。アイスブルーと目が合うと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「我慢して苦しいよか、キモチイイほうがいいだろ」
そう言うとゴーストは身をかがめ、あろうことかローチのそれを口に含んだ。
「ぅあッあっ! や、めっ」
生暖かく柔らかい口内に包まれ舐られ、手のひらで袋を転がされる。後孔に突き入れられた指も動かされてあっという間に高みへ導かれた。
背を撓らせ、ゴーストの口内に押しつけるようにしながら熱を吐き出す。
はぁはぁと荒い呼吸のまま、ゴーストが後ろの指を引きぬいて口内にある白濁を手のひらに出すのをぼんやりと眺める。しかしすぐ我にかえって慌てた。
「す、すみませんっ」
「何がだ?」
言いながら指にローチの白濁を絡め、再び後孔に挿入する。滑りを帯びたそこは二本目の指も飲み込んだ。
「……ッ、だ、って……くちに……」
「飲んだわけじゃねぇし一々気にすんな」
「でも……ッく……あ……」
違うのだ、という言葉は声にならず喘ぎ声に消されていく。
だって、初めてなのだ。こんなに長く時間をかけて愛撫されるのも、口でしてもらうのも。
「んん、あ、あっ……はぁッ……」
ゴーストの無骨な指が何度もしこりを撫で、そのたびに耐えきれない声が上がる。もう我慢なんてしていられる余裕もなく、いつの間にか三本目の指が入っていたことにも気付かない。
息を乱し、過ぎた快感に身を捩り、目尻に溜まった涙が零れるとふっと笑う気配がした。
「泣いてんじゃねぇよ、ったく」
呆れたような言葉とは裏腹に穏やかに笑うゴーストは後孔を弄る手はそのままに、少し体を上に移動させてローチの目元に唇を落とす。
「んっ」
涙の跡を辿るように何度か触れ、降りた先にある耳を甘噛みされ体が跳ねた。
(なんで……)
再び疑問が浮かぶ。同時にじわりと、ローチが隠し続けてきた想いが頭をもたげ始める。
指が引き抜かれ、代わりに熱塊が押し付けられた。
期待と不安の入り混じる瞳でゴーストを見上げると、熱を灯したアイスブルーに見下ろされる。そこには確かに情欲の色があり、ローチの興奮を煽る。
望まれている――求められている――そこにある感情を、期待しそうになる。ローチはそれが、怖かった。
「はッ……ぁ……!」
ぐっと腰を押し進められて思考が飛ぶ。熱い楔に体を割り開かれる感覚は慣れる事はない。それでも体は苦しさを和らげようとする術を覚え、ゴーストを受け入れていく。
「は、ぅ……」
「平気、か……? もうちょい頑張ってくれ」
締め付けられてゴーストも辛いだろうに、ゆっくりと慣らすような動きに愛しさが募る。
やがて全て納まると、ローチもゴーストも感じ入ったように大きく息を吐いた。
ローチはただ幸せだった。今日一日をゴーストと共に過ごして、こんなに優しく抱かれて、それだけで充分満たされていた。これ以上のことなんてもうなくていい、期待なんてしてはいけないと思っていた。
だからゴーストの手が頬に伸びた時は、また無意識に涙を零してしまったのかと考えたし、ゴーストの顔が近づいてきても綺麗な瞳だとぼんやり眺めているだけだった。
二人は一度もキスなんてしたことがなかったから。
「んッ……!?」
驚いて思わず中にあるものを締め付けてしまったが、ゴーストは小さく呻いただけで構わず唇を合わせてきた。
軽く啄ばむように何度も触れ、舌で割り開かれる。ゆっくりと舌を絡められ、口内を擽られる。二人の腹の間にあるローチのものがひくんと震えた。
「んん、んっ……ふ、ぅ……!」
「……は……ローチ」
低く情欲を滲ませた声が耳元に吹き込まれてぞくぞくとした快感が背筋を這う。
それはローチの期待を煽る。有り得ないと思いながら、想いが膨らむのを止められない。
(なんで……優しくするんだ……こんな……これじゃ、まるで……)
恋人のようじゃないか。
そう思った瞬間燃えるように体が熱くなる。
妄想でしかなかったことを、一夜だけ叶えられるかもしれないと悪魔が囁く。それは禁断の果実だった。
「せ、んぱい」
「何だ……?」
やめろと静止する声はあまりにも小さかった。
「……を……」
「ん?」
「今日……今……いや、一度、でいいので……な、名前、を……呼んで、くれませんか……」
震える声で言い終わった後に猛烈な後悔が襲ってくる。怪訝な顔をするゴーストを見て更に焦りが募った。
「いやっ……軍に入ってから恋人とかいないし、皆コードネームで呼び合うから名前呼ばれる機会ってない、から……たまには……あの」
「…………」
苦しすぎる言い訳に頭を抱えたくなる。そもそも何故このタイミングでそんなことを言い出したのかというのも問題なのだが、そこまで気が回る余裕もなかった。もたもたしているうちに体の熱が逃げてしまうと、ローチは誤魔化すように笑う。
「す、すみません……今の忘れて……」
「ゲイリー」
「ッ!」
「……っおい……」
ローチの一世一代の願いをあっさりと叶えてしまったゴーストは、軽く自身を締め付けられて不満気な顔をする。
「いきなり締めんなよ……」
「す、いませっ……本当に呼んでもらえると思わなくて……びっくりして……」
「ったく……」
呼んでもらえた。それだけでカッと顔が熱くなるのを止められない。
少し気が殺がれてしまったのを元に戻すように、ゴーストは胸や首筋に幾度か唇を落としながら緩く腰を動かした。
途端に火が点く体にくつりと笑いつつ、ふと思いついたことを口にする。
「……何ならお前も呼んでみるか?」
「え……?」
「名前」
目を瞬かせてしばらく考えた後、意味を悟ったのか困惑を見せるローチにゴーストは笑みを深めた。ゴーストの名前を知るものなど、本当に限られた数しかいないのだから。
「サイモン」
「あ……」
「サイモン・ライリー……俺の名前」
困惑したままのローチを放置してゴーストは悪戯に体を弄り始める。少しばかり困らせてみたかっただけなのだ。この部下にはどうにも、嗜虐心を煽られる。
対するローチは戸惑っていた。
自分の名前を呼ばれるだけでよかったのに、こんな機会が与えられるとは思ってもいなかった。
――禁断の果実は未だ手の中にある。手放せばまだ戻れるだろう。
しかし一度噛り付けば、二度とその味を忘れられなくなる。今までいた場所に、戻れなくなる。
それでもローチの背中を押したのは、『今日だけだ』という思いだった。
こんな機会はもう二度と訪れないだろう。ならば今日だけ、一時の夢を見たっていいではないか。
目が覚めれば魔法は解けてしまう。
今だけ。今日だけ。その言い訳が、果実を口元まで運ばせた。
「……サイ、モン……」
「……ゲイリー」
僅かにゴーストのものが質量を増したような気がしたのは、ローチの願望がそう思わせただけの錯覚だろうか。
名前を呼んだ瞬間から胸が疼き、愛しさが溢れる。
軽く唇を合わせながら、肩から腕へと撫でる手がやがて手へと辿りつく。
指を絡めて優しく握られ、とうとうローチの中に残っていた最後の砦が崩壊した。
(今日、だけ……今、だけ……)
もうこんな機会ないのだと、制止する声をねじ伏せる。
理性を手放す代わりに、ローチは空いた手をゴーストの背へとまわした。
「あっあっ、ん、あッ」
最初こそ緩やかだった動きも、次第に激しさを増していく。
与えられる快感に身を震わせながら、ゴーストに縋りつくことしかできない。
「サ……ッん……サ、イモンっ……」
名を口にするたびに、名を呼ばれるたびに胸がいっぱいになる。ほろりと落ちた涙を舐められ、熱い吐息が肌に触れた。
「ゲイリー……っ」
「あぁっ……!」
ゴーストが更に体を倒して挿入が深くなる。首筋を甘噛みされながら激しく腰を打ち付けられ、肌がぶつかり合う乾いた音が室内に響いた。
何度もしこりを擦られ、直接触られてもいないのに溢れる先走りが自身を濡らしていく。
過ぎた快感で次第に頭の芯がじんわりと痺れてくる。ゴーストのキスを受けながらぐりっと押し込まれた時、ローチの内側で渦巻いていた快楽が爆発した。
「ッ、う、あああぁああッ!! ――ッ!!」
「ぐ……っ!」
がくがくと脚を痙攣させながら悲鳴を上げる。中にあるゴーストを締め上げ、自身の先端からは勢いのない白濁がとろりと零れていく。
制御できないほどの悦楽が恐ろしくて、助けを求めるように必死にゴーストに手を伸ばした。
射精をした時はすぐに引いていくはずの快楽の波がいつまで経っても消えずに、ローチは喘ぎながらぼろぼろと涙を零した。
「あ、あッ……ぅう……」
「ッ……悪い」
「えっ……あッ!?」
ゴーストは一言謝ると、未だ絶頂の余韻が消えないローチの腰を掴んで激しく突き上げ始めた。
「せんぱッ……あ、あっ、や、め……やだ、あッ! むりっ……も、むり、だめッ! ぅあ、ああッサイモンっ」
頭を振り乱し、がくがくと体を痙攣させながら制止するも、意味のある言葉を吐けたのは最初だけだった。
強すぎる快感は苦痛に等しく、押し返すようにゴーストの腰に手を伸ばすも力が入らず意味を成さない。
縋るものを求めて彷徨う腕をゴーストが掴み、自分の背へと導いた。
「サイモ、ン……っ……サイモンっ……」
「ッ……く……は……ゲイリー……!」
前を擦られながら最奥を暴かれ、白濁を吐き出しながら中のものを締め付ける。
獣のような低い呻き声が耳元で聞こえたかと思うと、ゴーストが震えて最奥に温かいものが広がった。
「ぁっ……は、ぁ……は……」
荒い息のまま、どちらともなく唇を合わせた。力を失ったゴーストが体から抜けていく感触にすら体を震わせながら、箍の外れたローチは熱に浮かされたように呟いた。
「サイモン……」
「ん……?」
もっと。
吐息と共にゴーストの耳元へその言葉を送ると、口付けが深いものへと変わり激しく口内を蹂躙される。
「あっ、んッんっ……! サイモン……ッ」
体勢を変え再び挿入され、ローチは悦びに体を震わせた。
「サイモンっ………………き、だ……っ」
うわ言のように、何度も名前を呼びながらその言葉を呟いた。
ローチは確かにその言葉を口にしたし、ゴーストの耳にも届いていたが、快楽と心地よい酔いに支配された二人の思考はそれを拾わず、記憶の海に沈んでいく。
何度も揺さぶられて、抱きしめられて、名前を呼ばれて。
なんてしあわせなんだ、と思った。
その日、度重なる行為に疲弊しやがて気を失うその瞬間まで、ローチは幸福感で満たされていた。
――――――
(紅茶のにおい……)
ぼんやりと覚醒してきた頭で最初に思ったのはそれだった。
重い瞼をのろのろと持ち上げると、前には壁しかない。どうやら壁側を向いて寝ていたらしいと理解し、何気なく寝返りをうった。
「ッい゛!!」
「ん?」
寝返りは成功したものの、腰の辺りに走る鈍痛に思わず悲鳴を上げる。
「おい、大丈夫か?」
心配そうに声をかけ、顔を覗き込んでくるアイスブルーの瞳と目が合い、一瞬で昨晩のことを思い出して全身に火が点いた。
「あ゛っ……い゛、や……」
「落ち着け」
喉が掠れてはっきりと声が出せないことにまた顔が熱くなり、焦っているとゴーストがミネラルウォーターを手渡してゆっくりと上半身を起させてくれた。
自分の熱でお湯になるんじゃないかと馬鹿なことを考えながら喉を潤すとようやく一息ついた。
「で、大丈夫か?」
「……はい……すいません」
「どっか痛むか」
「腰がちょっと……あ、さっきのは寝ぼけて油断してたからびっくりしただけで、そんなに痛くは……痛いというよりはだるいです……」
「そうか」
くしゃりと頭を撫でられて、まだ昨日の幸せな夢の続きを見ているんじゃないかと錯覚しそうになる。
体に不快感はなく、ゴーストが清めてくれたのだと察してますます熱が上がりそうなのを、水を飲むことで誤魔化した。
ローチが平気そうなのを確認すると、ゴーストは電気ケトルで湯を沸かしながら部屋に備えてあったらしいカップを傾ける。先ほどの紅茶の匂いはこれだったらしい。
「悪かったな……昨日は随分無茶させたみてぇだし……」
その言い方に引っかかりを覚えたローチは少しのデジャヴを感じながら訊ねてみた。
「……ひょっとして覚えてないですか?」
「いや、ヤった事自体は覚えてる……詳細は覚えてねぇ」
「別に詳細に思い出さなくていいですからッ」
真っ赤になって言うと、珍しくばつが悪そうな表情をしたゴーストは沸騰が完了したらしい電気ケトルを取りながらローチに背を向けた。
何となく気まずくて、声をかけることができずにローチは手の中のボトルを弄ぶ。
「ん」
紅茶の香りが部屋に広がる頃、ローチの前にマグカップが差し出された。
思わずあ、と小さく声を洩らす。それは昨日ローチが買ってもらったばかりのマグカップだった。
少し大きいそれになみなみと注がれているのはロイヤルミルクティー。
「悪いな、勝手に開けちまった」
「あ、いえっ……ありがとう、ございます」
机の上には昨日買ったばかりの茶葉の封が切られているのが見えた。ミルクはわざわざ買ってきたのだろう、他にも朝食用のパンがいくつか見えてローチは頬を綻ばせた。
寝起きの体に優しい少しぬるめの温度とまろやかな香りが、心の奥まで染み渡る。天邪鬼であまり多くを語らないゴーストの優しさが伝わってくる。
「……やっぱり先輩の淹れてくれる紅茶、美味しいです」
「……朝食はどうする? 起きれそうならその辺のカフェに行ったほうが美味いもん食えるぞ」
「はい、大丈夫です」
にへらと笑うとゴーストもまた頬を緩ませた。
ホテルを出て朝食を取った後は、別々に分かれて基地へと戻った。
戻った時刻は正午少し前。つまりほぼ丸一日を、しかもあんな濃密な時間をゴーストと過ごしたのかと思うと、ついだらしなく顔が緩みそうになる。ゴーストは、夜の事を覚えていないようだったけれど。
忘れてしまったならそれでいい。魔法はもう解けた。あの瞬間だけでいいと願ったのはローチ自身なのだから。
そう思いながらローチは、もう今まで通りの付き合い方はできないかもしれないと、密やかにため息をついた。