二人の距離

 ローチの様子がおかしい。
 ゴーストがそれにはっきりと気付いたのは、ローチと共に過ごした休暇が終わって最初の任務から帰還した後だった。
「あ、先輩お疲れ様です」
「おう」
 早々に装備を片付けたローチは共用のシャワールームへ向かう。その背を見送りながらゴーストは自分のロッカーを開けてため息をついた。
(……合わねぇ……よな……)
 訓練をしている間にも違和感を感じていたのだが、今ローチと言葉を交わしてそれはほぼ確信になった。

 ――視線が合わない。
 たったそれだけのことが、どうにも気になって仕方がない。
 元よりローチは人の目を真直ぐすぎるほど見つめて話す男だった。
 こうして視線が合わないのだと気付いてから、今までどれだけローチがシューティンググラス越しにでもゴーストと目を合わせようとしていたのかを知った。
 かといってローチの態度自体はいつもと変わらず、もやもやとした気分のまま装備を返却するとゴーストは自室へと戻る。
 共用のシャワーを使ってもよかったが、自室にもシャワーは設置されているし、今あそこに行くのはローチの後を追いかけているような気がして何故か気が引けた。
 自室に入るとシャワーを浴びることよりも先に煙草に火をつける。
 ――このもやもやとした気分は、何もローチの態度だけが原因なのではない。
 くるくるとよく動く、光の具合で色味を変える彼のヘイゼルアイを、ゴーストは思いのほか気に入っている。そのことに気付いてしまったからだ。
 いつの間にこんなに近づいてしまったのか。引いていたはずの境界線はすっかり見えなくなってしまった。
 元々ゴーストは人との関わりあいが得意ではない。髑髏柄のバラクラバという不気味な風貌と口の悪さで大抵どこに行っても変人扱いで、ゴースト自身それを気にしたことはなかった。
 だから今の、TF141という場所の居心地の良さに時折危機感を覚えてしまう。
 突出した能力を持つ人間は変わり者が多いのか知らないが、最初こそ驚いたり珍しがっていた隊員達も今ではすっかり慣れて軽口も叩くし、恐れ知らずにも悪戯を仕掛けてきたりする。
 そういう関係が心地良い分、失う時の痛みが大きいのを、ゴーストは嫌と言うほど知っている。
 戦闘中に悲しんだり私情を挟んでいる暇はないが、全て終わった後にじわりと実感していくあの喪失感は、どれだけ経験を積んでも慣れることなどできなかった。
 だから適度な距離を、ゴーストは保ちたがる。仲間が死ぬことは考えたくないし、みすみす死なないよう厳しく指導する。そうして過ごす内に自然と適切な距離感が出来ていく中で、ローチだけが異質だった。
 いつからなのかは分からない。最近のことなのか、もしかしたらもっと前からだったかもしれない。
 いくら距離を置いているつもりでも、いつの間にか近くにいる。それはもちろん物理的な距離ではなく、精神的な……心の距離の問題だ。
 どれだけ閉め切っていても、僅かな隙間から光が射し込んでくるように、当たり前のような顔をしてそこにいる。
 距離が近いと言えばマクタビッシュもそうだが、彼との親しさとはまた別の何かが、ローチにはある。それが何なのか分からずにもどかしい思いを抱いた。
 ローチが近づいてくるのか、あるいはゴースト自身が無意識に近づいているのか。いずれにしてもやはりローチは他の仲間達とは違う存在だった。

 そこまで考えて一つため息をつく。気付けば煙草の煙が部屋に広がり、鬱陶しげに窓を開けた。そうしながら、さて今日はローチを呼ぶか否かと悩んだ。
 今日の任務はそこまで激しい戦闘ではなかったものの、だからこそ中途半端に燻った火がなかなか消えてくれない。
 いい加減シャワーでも浴びれば気分も変わるだろうかとシャワールームへ足を向ける。服を脱ぎながらふと、そういえば最初の時はここから出てきたローチを取り押さえたのだったと思い出した。いくら基地内とはいえ油断しすぎではないかと後から少々心配になったものだ。
 ローチは成績は優秀なくせに妙な所でミスをする。本人は真面目にやっているのだろうが、変な失敗をしないかと周囲を冷や冷やさせるのだ。きっとそのせいで余計に気になるのだろうとゴーストは思う。
 危なっかしくて目が離せないから、訓練でも怒鳴る回数は一番多い。そんなローチだから、他より少し違うだけ――そう結論付けるが、今度はローチの言葉が脳裏に蘇る。

『じゃあ俺じゃなくてオゾンとかスケアクロウがいても同じようにしたってことですか?』

 あの時ゴーストは言葉を濁したが、本当は思っていたのだ。部屋にいたのがローチ以外の誰かだったなら、こんなことにはなっていなかっただろう、と。
 余裕もなく衝動的なことだったとは言え、セックスさせろと迫るなど今考えてもどうかしているし、それを求める程にローチには心を許していたのかと思うと、複雑な心境だった。
 すっかり都合のいいセックスフレンドのようになっているが、あくまでローチは大事な部下であり、仲間なのだ。
「……距離、置くべきか……」
 二人の関係をある程度知り、ゴーストの気持ちにも勘付いているアーチャーが聞けば「このクソ鈍感野郎」とでも罵られそうなことを考えながら、シャワーを浴びる前に携帯端末を手に取り、ローチに予定を聞くメールを打った。

――――――

「そんないい雰囲気になってたくせに告白どころか進展もしてないって……」
「返す言葉もございません……」
 ローチはアーチャーに、ゴーストとの休日のことを掻い摘んで報告しつつ、胸の内に抱えていた諦めを吐露した。男同士だから、きっと上手くいかないだろうと思っていたことを。
 アーチャーが怒ることはなく、「まぁそうだろうな」と言ってくれたのは救いだった。
 例え男女であったとしても、想いを告げ、それが拒否されてしまうとそれまで通りに付き合っていくことは難しい。気まずくなったり、疎遠になったり、友情が失われてしまうことだってある。
 ましてや、ゴーストとローチは男同士であり、同じ部隊で共に戦う仲間でもある。毎日顔を合わせる相手とそうなってしまうと、仕事にだって支障を来たすかもしれない。
 仕事に私情を挟むような二人ではないが、少しのミスが文字通り命取りになるような職だ。拒否が怖いだけでなく、自分のせいで相手をそんな危険に晒すかもしれないと考え二の足を踏むローチの気持ちは分かるのでアーチャーも非難したりはしない。
 ただ、アーチャーからして見ればゴーストの気持ちがローチへと傾いているのは一目瞭然であり、だからこそ最高のタイミングを逃したことを惜しいと思うのだ。
「その時言ってりゃ上手くいったと思うんだけどな」
「そうかなぁ……先輩酔ってたし……」
「……」
 ……であるのに、当の本人の反応がコレである。ゴーストも大概であるが、ローチは自分の気持ちには割と素直であるくせに、好きな相手からの好意には鈍いらしい。
 もどかしさに頭を掻き毟りたい衝動に駆られつつ、ため息に留める。
「……で、これからどうすんの」
「……ん」
 今日は部屋に来られるかというゴーストからのメールを眺めて、ローチは枕に突っ伏す。
 あれ以来、ゴーストの顔をまともに見ることが出来ない。一度あのアイスブルーと目が合うと、あの日の事を思い出してローチの想いに火をつける。
 あの日、あの瞬間だけと思ったことを、際限なく求めてしまいそうになる。
 このままではきっと、気持ちを抑えられなくなる。それもそう遠くない未来に。
 ならば、そうやって今まで築いてきたものを壊すより、綺麗な思い出のまま終わらせたほうがいいのではないかと、そう思っていた。
「……とりあえずちょっと、距離置こうかなって……」
「……本当にそれでいいのか、お前」
「ごめん、折角相談に乗ってくれてたのに」
「俺は別に怒ってない。お前の気持ちを聞いてる」
 ローチは言葉に詰まる。アーチャーの言わんとすることは分かるし、ローチだって本当は、諦めたくなどない。僅かな希望でもあるなら縋ってみたい、けれど。
「……もしさ、地雷原で偶々運よく金塊手に入れたからって、それ以上進んで探そうとは思わないでしょ?」
「何だその例え」
「あはは……ごめん」
「もーいい。好きにしろ」
「怒んないでよー」
「怒ってない。お前のネガティブぶりに呆れてる」
「怒ってんじゃん!」
 ぷいとローチに背を向け、自分のテリトリーである二段ベッドの上の段に上がってアーチャーは寝転がる。
 片や相手の気持ちに鈍く、片や相手どころか自分の気持ちにすら鈍感な二人をどうくっ付けてやろうかと、ローチの情けない声に適当に答えながらアーチャーは思考を巡らせた。
 まったく世話のかかる二人だ。

――――――

(……今日は随分……)
 善がってたな、と。シャワーを浴び終え体をタオルで拭きながらゴーストはぼんやりと思った。
 ローチと出かけた休日以来していなかったから溜まっていたのだろうかとも思ったが、そういうのとはまた少し違うような気もした。
 ローチはいつものように必死に声を抑え、熱に浮かされ潤んだ瞳はやはりゴーストから逸らしていた。何だか少し物足りないと思ったのは何故だったのだろう。

「ローチ……ローチ?」
 自分は後でいいという言葉に甘え先にシャワーを浴びたゴーストは、くったりとして動かないローチに声をかける。どうやら待っている間に眠ってしまったらしい。
 仕方ないので体を抱き上げてシャワールームへ運ぶ。その間に声をかけても起きる気配がなかったので浴槽へ座らせ、自分も服が濡れないようにと身につけていたズボンと下着を脱いで中に入った。
 こんなことなら寝てしまう前に一緒に入らせればよかったかと思いながら、お湯にしたシャワーをゆっくりと浴びせる。

(あったかい……)
 夢見心地でローチはそう感じる。
 夢の中で、ローチはゴーストと抱き合っていた。
 嵐のような行為が終わった後の穏やかな抱擁が心地良い。
 夢の中のゴーストはあの日のように優しく、ローチの名を呼びながらキスをくれる。
 だからローチも、夢の中でだけはゴーストの名前を呼んだ。

 ――ふと、雨音のようなノイズが耳に入り、体が温まる。ゆるゆると体を撫でる感触に、ああ、体を清めてくれているのだと感じた。
 湯気でぼやけた世界にアイスブルーの瞳が見える。
「――ローチ? 起――のか――?」
 彼がローチと呼んだので、そうじゃないと抗議する代わりに腕を伸ばして首に回し、顔を近づけて耳元で囁いた。
「…………ン……」

 ゴーストの思考は凍りついた。
 寝ぼけているのか、どこかぼんやりとしたローチと目が合って、何だか久しぶりだなと思っていた矢先。
 腕を伸ばして抱きついてきたのでやはり寝ぼけているのかと好きにさせ、そのままシャワーを続行しようとしたゴーストの耳元で囁かれた言葉が、ゴーストの本当の名前のように聞こえたからだ。
「……ロ……チ……?」
 声が掠れる。だって、知らないはずなのだ。この名前は、本当にごく一部の限られた人間しか知らない。ローチが知る機会だってない。ない、はず――。
(……俺が、教えた……?)
 そう考えたが覚えがない。ひょっとするとローチと出かけたあの日、記憶が曖昧な時に教えた可能性も考えられたが、やはり自分がそう簡単に名前を教えるはずがないと否定する。
 もしかしたら聞き間違いかもしれないと、そっとローチの体を揺すってみた。
「ローチ……」
 すぅ、と耳元で穏やかな寝息が聞こえたので、ゴーストはそれ以上考えるのを諦めた。
 さっさと終わらせて寝ようと思いながら手を動かしていると、先ほどの囁きが脳裏に蘇る。
「……っ」
 愛おしそうなその声を思い出して下半身がかっと熱くなった。
 誤魔化すように手を速め、洗い終えたローチの体を抱えてバスタオルでくるむ。
 自分の体を拭きながら、微かに反応してしまった下半身から意識を逸らそうと深く息を吐いた。
(……気のせいだ)
 サイモンなんてよくある名前だし、はっきりと聞き取れたわけではない。もしかしたら全く別の言葉だったかもしれない。そう考えて自分を落ち着かせる。
 ローチの体からもしっかりと水気を拭き取り、ベッドに敷いていたバスタオルを剥がして洗濯篭に放り込んだところで、さてどうしたものかと考える。
 常ならば事が終わるとローチは自室へと戻るのだが、こんなに気持ちよさそうに眠られては起すのも忍びない。
「……まぁ……いいか……」
 ローチをベッドに寝かせ、自分もその隣に横になる。
 すやすやと眠るローチにふと手を伸ばして、しかし触れることなく引っ込めた。
 何だかもやもやするような、ざわざわするような、落ち着かない気分だ。
 それを断ち切るようにローチに背を向けて、ゴーストはゆっくりと目を閉じた。

――――――

 「……っ」
 早朝、空が白み始めるころに目を覚ましたローチはバクバクと暴れる心臓を鎮めようとしながらじりじりと後ずさった。目の前で穏やかな寝息をたてているゴーストから目を逸らして記憶を遡る。
 ゴーストがシャワーに行ったことは覚えているが、そこから先の記憶がなく、どうやら眠ってしまったらしいと悟る。体に不快感がないことからゴーストが清めてくれたのだろうと察し、顔から火が出そうなほど熱くなった。
 アーチャーは事情を知っているので問題はないのだが、他の者に朝帰りするところを見られるのはまずいと、そそくさとベッドを降りて服を身につける。この時間ならまだ人は少ないはずだから、部屋から出るところを見られる可能性も低い。
「……帰るのか」
 眠たげな声が聞こえて肩が跳ねる。振り返ると気だるそうに上半身を起したゴーストがローチを見ていた。所々に傷が刻まれた、鍛え上げられた筋肉が惜しげもなく晒されていて、ようやく冷めてきた熱が復活する。ロッカー室で着替える時やセックスの時に見ているだろうと言われても、状況的にやはり気恥ずかしさを覚えてしまう。
「昨日は寝ちゃってすいません……あの、体もありがとうございました」
「いい。疲れてたんだろ」
 欠伸を噛み殺しながら何でもないことのように言われ、ローチの中にぐ、とこみ上げる想いがあった。
(……あんまり……優しくしないで欲しいんだけどな……)
 膨らむばかりの気持ちが手におえなくて途方に暮れる。
 だがローチはもう、少しずつ距離を置こうと決心したのだ。自分を奮い立たせるように拳を握り締めてゴーストを見た。やはり、視線を合わせることはできなかったが。
「あの、先輩……実はしばらくの間、来れなくなるかもしれないんですけど……」
「ああ? なんで」
「え、っと……最近ちょっとスコアがよくないから自主練増やしたいっていうのと……」
 そうだったか? と微かに首をかしげるゴーストは寝起きでまだ頭がはっきりしないのかもしれない。言うなら今のうちだとローチは勇気を出す。
「アーチャー達に最近疑われてて……」
「疑う?」
「……こ……恋人がいるんじゃないか、とか……あ、アーチャーと同室なの知ってますよね。時々夜に部屋抜け出してるの気付かれてたみたいで……下手に紹介しろとか言われても困りますし、暫らく様子を見て疑いを晴らそうかと」
「あー……そうか…………わかった」
 僅かな間を置いてゴーストは納得してくれた。ほっと胸を撫で下ろしつつ服装を整える。
「一応メールするぞ……来れそうな時だけ来い」
「あ、はい」
「……まぁお前が来なけりゃ俺も女探しに行くだけだし」
 ――背を向けていてよかったと思った。
「避妊はちゃんとしてくださいね」
「バァカ、誰に言ってんだクソローチ」
 冗談めかして言うと枕が飛んできた。大して勢いのないそれを敢えて受けると、先ほどの動揺が軽い衝撃と共に薄くなった。
「それじゃあ失礼します。また次の訓練で」
 ドアを少し開け、周りに人がいないのを確認するとするりと音もなく部屋を出る。

「……あ……紅茶」
 部屋を出た後でゴーストがそう呟いたのをローチは知らない。

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