『今日は来れるか』
『すみません、この前も話しましたけど今日はちょっと遠慮させてほしいです……オゾン達に飲みに誘われてますし』
『了解』
簡潔なメール文を確認した後、ため息と共に削除する。
意味もなく画面を指でなぞりながら、ベッドの上で身を丸めた。
これからゴーストは基地内で探すなり街に出るなりして女を抱くのだろうか。
ローチが行かなければそうして当然だろうし、そもそもローチとの関係ができる前だってそのようにして処理していたはずだ。それは理解している。
男よりも女を抱くほうが、生物としては自然なのだ。頭では理解している、けれど。
(……思ってたより……キツい……かも)
じくじくとした痛みを耐えるように、胸の上でシャツを握り締める。
本当なら今すぐにでも部屋に飛んでいきたいくらいだ。
(俺こんなに女々しかったかなぁ……)
軽い自己嫌悪に陥りながらも、自分で決めたことだろうと軽く頬を叩くと出かける準備をするために立ち上がった。
――――――
(……やっぱ駄目か)
しばらくは来るのを控えるかもしれないと言われていたものの、僅かな可能性にかけてメールをしたゴーストは予想通りの結果にため息をついた。
近頃の状況を省みて、少し距離を置こうかと考えていた矢先のことだったので丁度いいと了承したが、どうもすっきりとしない。
身の内に燻る熱はじわりとゴーストを侵食する。ここの所ずっとローチを呼びつけていたせいで、相手を探すのが酷く億劫だ。
(……抜くか)
ごろりと寝返りを打ってティッシュがあるのを確認すると、のろのろとズボンに手をかける。前を寛げ、まだ反応はしていないそれに軽く下着の上から触れて目を閉じた。
――閉じて、しかしゴーストはすぐに目を開く。
動揺を抑え、もう一度目を閉じてみるがため息と共にまた開く。
「……何だよこれ……」
目を閉じて浮かんでくるのは、柔らかな曲線を描く女性の肢体などではなかった。
ローチの表情、声、匂い、セックスの時だけに見せる淫らな姿。そんなものばかりが思い浮かんできて、頭痛を耐えるかのように額を押さえた。
(毒されてんなぁ……)
しばらくローチばかりを相手にしていたせいだと考えながら、ゴーストは熱を逃がすように息を吐くと服を正して立ち上がった。
――――――
事が終わって、体を寄せてくる女を無視しながらゴーストはぼんやりと天井を見た。
(だりぃ……)
――街へ出て、相手はすぐに見つかった。適当に入ったバーのカウンターで飲んでいたら声をかけられ、相手もその気らしいとわかってすぐに安ホテルに入り――そして今に至る。
熱は治まった。だが顔も体も特に文句はない、むしろ『いい女』の部類に入るだろう相手を抱いたのに、ゴーストの中にはただ倦怠感だけが残った。
「随分つれないのね」
目だけ横に動かすと、蠱惑的な笑みを浮かべた女がいる。答えることなく体を起し、適当に汚れた部位をタオルで拭うと服を身につけ始めた。
「あら、もう帰るの? 本当につれないわね」
「用事はすんだだろうが」
素っ気無い返事をしても女は気を悪くするどころか、くすくすと面白そうに笑った。
「ねえ、連絡先交換しない? その傷、軍人さんか何かでしょう……男所帯だと溜まりやすいんじゃない? 顔も好みだし……電話くれたらいつでも優先でお相手するけれど」
「……悪いがそういうのは……」
間に合ってる。
そう答えそうになった自分に、ゴーストは愕然とした。
(何、考えてんだ……)
ローチはただ、ゴーストの我侭に付き合ってくれているようなものだ。
受け入れる側という、本来男なら屈辱的であろうその行為を、嫌な顔一つせずに。
それを、『間に合っている』?
(……最、低だ……)
自分はローチを何だと思っているのか。何様のつもりだ、と自己嫌悪に襲われる。
だが冷静な自分が、嘲笑うように言った。
『でも、事実そうだろう。セックスフレンドみたいだって思っただろう』
(……違う)
『言い繕ったってやってることは同じだ。この女みたいに、都合のいい性欲処理の相手として利用してるだけだ』
(違う……っ)
たとえやっている事が同じだったとしても、見知らぬ男に容易く脚を開くような人間とローチを一瞬でも同列のように思ってしまった自分を酷く恥じた。
『俺でいいなら、呼んでくれていいですから』
そう言ったローチの言葉に甘え、近くにいるから、すぐ呼び出せるから、拒まないからと何度も脚を開かせていたことを、その意味を今更のように思い知る。
「ねぇ、聞いてる?」
女の声ではっと我に返る。
陰鬱とした気分のまま、重い体を動かして服装を整えると上着を手にとってドアへ向かう。
「ちょっと」
「……そういうのは、必要ない」
背を向けたままそう言って部屋を出た。もう声がかけられることはなかった。
――――――
TF141の中でも、ローチとアーチャー、オゾンとスケアクロウは特に仲がいい。部屋が隣であったり、任務を共にすることも多いからだろう。その四人は今日、揃って夜の街に繰り出している。
ダーツで勝負をしては一喜一憂し、下らない下ネタで笑いあったりと久しぶりの馬鹿騒ぎに、ローチもついつい酒のペースが早くなった。ゴーストのことを一時的にでも忘れたい、という思いもあったかもしれない。
「うー……酔ったー……」
「大丈夫か?」
二軒目に移動してしばらくすると早々にローチはダウンして隣に座るアーチャーにもたれかかった。元よりそんなに酒が強いわけではない。
「ちょっと外いってくる……」
「一人で平気か?」
「へーきー」
「人にぶつかんなよ~」
オゾン達の声を背中に受けながらふわふわした気分のまま店の外に出た。冬が近づいて大分空気も冷えてきたが、酒で火照った体には丁度いい。
「ふぐっ」
出入りする人の邪魔にならないよう入り口から少し離れようと移動した時、何かに真正面からぶつかってよろめいた。倒れそうになり咄嗟に腕を掴まれて、ああ人にぶつかってしまったのだと酒で鈍った思考で悟る。
「……ローチ?」
「ぅえ?」
ぶつかった鼻を擦りながら視線を上げると、ローチが恋焦がれる冷たく澄んだ青の目とかち合った。
「へ……ええっ!? 先輩!?」
急に思考がクリアになり、慌てて体勢を立て直すとゴーストの手が離れた。偶然の出会いにゴーストも目を丸くしている。
「奇遇ですね、こんなとこ、で……」
ぶつかったのがゴーストでよかったとほっとしたのも束の間、不意にゴーストの体から漂ってきたそれに気付いてぎくりと体を強張らせた。
(……香、水)
然程詳しくないローチでも、それが女物の香りであることくらいは分かる。
(……いや、落ち着けゲイリー、ショック受けてる場合か)
分かっていたはずだ。こうなることは覚悟していただろう。自分にそう言い聞かせて、強張りを緩めようとそっと息を吐く。
「酔ってんのか? ふらふらしてんじゃねぇぞ」
「あはは……すいません」
特に気取られた様子もなく、安心してついいつものようにゴーストと視線を合わせてしまった。
けれど「しまった」と思うよりも、そこにある疲れと陰りの色を感じてローチは心配になる。
「……あの、大丈夫ですか?」
「……? 何が」
「何となく、疲れてる感じに見えたので……」
それは本当に感覚的なものだ。少し眠たげに見える垂れ目の奥にある強い意志の光が好きだった。だから、微妙な変化に心が波立った。
ゴーストはローチの言葉に僅かに目を見開いたが、すぐに視線を逸らす。やっぱり何かあったのだろうかと思ったが、ローチはそれ以上詮索しなかった。
「別に……何もねぇよ。そういやお前はオゾン達と一緒か」
「あ、はい。良かったら先輩もどうですか? 気分転換にでも」
そう言ってローチは何気なくゴーストの手をとって誘う。意識したわけではなく、自然とそうしていた。
「っ……何でもねぇって言ったろ!」
それを、反射的に振り払った。事もあろうかローチに苛立ちをぶつけるような言葉まで投げつけて、ゴーストはハッとした。
「……い、や……今のは……」
驚いて、手を払われた格好のまま呆然としているローチを見て、じりじりと腹の底が焼け付くような焦りを感じた。
――手を払ってしまったのは、罪悪感からだ。
都合のいい相手だとローチをいいようにしていた自分が、今しがた女を抱いてきたばかりの自分が、彼に触れる資格などないと思ったから。
ローチの朗らかで明るい笑顔を穢してしまうような気がして、怖かったから。
「……悪い……もう帰るところだったんだ」
言いながら、やはりゴーストは目を逸らしてしまった。一刻も早くここから立ち去りたいとすら思った。
「あ……そう、だったんですか。すみません、引き止めちゃって」
「……悪い」
「いえ、大丈夫です」
ゴーストは意を決してもう一度地面に落としていた視線を上げて、ぎょっとした。
「ロ……」
「……? なんですか」
はらはらとローチの両目から落ちる雫にうろたえる。
手を伸ばすことも、言葉をかけることもできず、ゴーストはただ見ていることしかできない。
「……え……あ、あれ……うわっ」
道行く人からの視線もあり、ようやく自分が泣いていることに気付いたローチは笑いながら泣くという器用なことをしながらごしごしと顔を擦り始めた。
「あはは、すいませ……あれ……あ、すいません、なんか、止まんなくて……はは」
「お、い……」
強く擦ったところで涙が止まるわけでもなく、自分の意思とは関係なく流れてくるそれにローチも焦る。
(ああもう何泣いてんだよ馬鹿……かっこわるい……はずかしい……なさけない……)
そう思うと余計に涙が出てきて、ローチはもう止め方が分からなくなってしまった。
――数分前。
「でさぁ、そしたらロイスの野郎が……」
オゾンの話に笑いあいながら酒を飲み、アーチャーはふとローチがまだ戻ってこないことが気になった。
「なぁ、あれ中尉じゃね」
スケアクロウが入り口近くの窓を指差す。視線をそちらに向けると、確かに外にいたのはゴースト中尉その人であった。しかも、ローチと一緒に話している。
「こんな時間に一人で街にって……ナニやってたんだか」
にやりと笑うオゾンが何を考えているのか手に取るようにわかって苦笑する。しかしアーチャーとしては少し気がかりだ。何せあの二人は色々と、只ならぬ仲なのだから。
「あれ……? なんか様子……」
「あっ泣かした! 中尉がローチ泣かした!」
騒ぐ二人は放置してアーチャーは歯噛みする。一体何を話していたのか、涙で濡れた頬をごしごしと擦るローチと、それを見て立ち尽くすゴースト。
「ちょっ……中尉がおろおろしてる」
「ぶはっ……めずらし……おい動画動画」
携帯端末のカメラを起動するオゾンを尻目にアーチャーは立ち上がった。行き先は当然あの二人のところである。
「おいアーチャーどこ行くんだよ」
「……お前ら余計なことはするな、そこから動くな。Stand by……OK?」
「「…………Roger that」」
アーチャーの気迫に押されて二人は戸惑いながら頷いた。
足早に店の入り口へ向かうその背中を見送り、スケアクロウとオゾンは顔を見合わせる。
「……何あれ、修羅場に乗り込む彼氏かなんか?」
「いやぁ彼氏っていうより『ウチの子泣かせんな』的な……」
「オカン?」
「兄貴?」
うーんと二人して首をかしげながら窓の外を見守った。
「こんばんは中尉」
お互いにどうしていいか分からず途方に暮れていたゴーストとローチは、その声が天の助けのように思えた。
「アーチャー……」
「すいませんね、ローチが迷惑かけたみたいで」
「っ……いや、俺が……」
「ほら、こっち向け」
「うぐ……」
ゴーストが何か言うよりも早く、アーチャーはハンカチを取り出すとローチの顔を少し乱暴に拭いた。ローチはもごもごと少し苦しそうだったが、されるがまま大人しくしている。
「ったく、いい大人がなーに泣いてんだか」
「はは……ごめん、ありがと……あっ先輩は悪くないんだ、俺が勝手に」
「あーはいはい。ろち君は泣き虫でちゅもんねー」
「なっ……ちょっと!!」
アーチャーがローチを抱きしめ、子どもをあやすようにぽんぽんと背中を撫でる。恥ずかしがってもがいていたローチも、しばらくすると諦めて大人しくなった。
そんな光景を前にぼうっとしていたゴーストは、不意にアーチャーと視線が絡んだ。それは一瞬のことだったが、ふ、と笑うように目を細められた気がして、何故か酷く癇に障った。表情には出さなかったが。
「ごめんアーチャー、もう大丈夫」
「ん」
アーチャーから解放されると、ローチはゴーストに向き直って恥ずかしげな笑みを浮かべた。
「すみません……お酒入ると涙腺弱くなるみたいで……へへ」
「いや……俺も悪かった……」
「いえ! 先輩は悪くないんですホント! 気にしないでください!」
目元が赤いまま、いつものように笑うローチを見て、ゴーストはまた胸の奥がざわざわとするのを感じた。悪くないと言われても、納得できないまま沈黙してしまう。
「……えと、先輩帰るところだったんですよね」
間が空いてしまい、咄嗟にローチが話題を振る。そういえばそうだったと、漸く少し冷静さが戻ってきた。
「ああ……邪魔したな」
「いいえ、こちらこそ……それじゃ、おやすみなさい」
「良い夢を、中尉」
「……あんま飲みすぎんなよ」
それだけ言うと、ゴーストは基地へ向かって歩き始めた。
――しばらく歩いて、何となく後ろを振り返ると、二人は店内に戻るところだった。
アーチャーに手を引かれ、笑いながらついて行くローチを見て、言いようのない感情がカッとせり上がってきた。
それを飲み込もうと二人から目を逸らし再び前を向くと、たまたま転がっていた空のアルミ缶が目に入って思いっきり踏みつけた。
(くそ……くそっ……! 何なんだ……ッ)
ぐしゃりと無残に潰れたそれをもう一度踏みつけ、ぐりぐりと地に押し付ける。
何人かが何事かと視線を投げてきたが、そういう光景には慣れているのか、ただの酔っ払いだろうとそのまま通り過ぎていく。
そんな視線を受けても、ゴーストは御しきれないこの衝動と苛立ちをなかなか抑えることができなかった。
「……くそ……」
零れた呟きは、誰に聞かれることもなく闇に溶けていった。