終:再会

 薔薇色の空が、次第に青へと変わっていく中で、家までの道のりをゆっくりと歩いて帰る。
 隣を歩く存在そのものが幸福そのものであるように思えて、それを逃がさないようにジェクトは手を握る力を少しだけ強める。
 すると、弱く握り返してくれるのがたまらなく嬉しい。

「……多分さ」
 不意にティーダが口を開く。まだ太陽に熱せられていない風が肌に心地いい。
「あれは、昔のオレ……だった気がする」
「昔?」
「オレ、置いてったからさ」
「……よくわかんねぇぞ、分かりやすく言えよ」
 ジェクトの言葉に機嫌を損ねるでもなく、ただ苦笑してティーダは答える。握る手の力が少し強くなった。
「アンタがいなくなって……母さんもどんどん元気がなくなって……だから、オレも大人にならなきゃいけないって思って」
 もう子供ではいられない。一人で何でも出来る大人にならなければいけない。そう思うようになった。
 アーロンという保護者ができても、甘えるようなことはしたくなかった。
 ジェクトの代わりに、自分が母を守るのだ、と。
 だから、泣き虫で弱い自分を、捨てた。ジェクトがいなくなったあの日に、置いてきた。
 思えば、『おかあさん』から、『かあさん』と呼ぶようになったのも、あの頃からだった。
「アンタのことも……誰かと……比較されるのも、きらいだったし」
 少しだけ、強張った指。温めるように、包むように手を握りなおす。

 本当に小さかったころは、まだジェクトのことが好きだった。それが歪んでしまったのは、ジェクトの態度や周囲の言葉の影響があったからだ。
 いつも、乱暴な言葉しかくれないジェクト。
 幼い時分は、ジェクトの優しさに気付けなかった。それでも、強い父に憧れ、父のようにトップで活躍する選手になりたいと思ったし、その才能に嫉妬もした。
 けれど周りからはジェクト二世と呼ばれ、いつでも比較されてきた。
 母親ですら、ジェクトが失踪してからは何かと、似ているところを指摘していた、ような気がする。
「いつもアンタの名前ばっか出されて、比較されてさ。……スピラでもちょっとあったし……そういうのがさ、苦手だった」
 スピラでもジェクトは特別な存在で、その息子と知ると態度が変わるものもいたし、そっくりだという青年の面影を重ねられ、複雑な感情を抱いたのは記憶に新しい。
「だからさ、そういうの……おれはオレでも、比べられるの、嫌だったんだろうなって」
 少し俯いて苦笑いするのは、照れくさいからだろうか。

「ま、アンタ十年いなかったし、ガキの頃と比べんのはしょうがないと思うけどさ」

 ティーダは、なかなか視線を上げようとしない。まだ少し、目が合わせ辛いのだろうか。ジェクトは先ほどから穴が開くほどその横顔を注視しているというのに。
「馬鹿だよなー。記憶なくなったって、考えること一緒なんだから、何も意味なかったっつーか」
「何も、ってわけでもねぇだろ。ちょっと遠回りしただけだ」
 ジェクトがそう言えば、ティーダはますます顔を背けてしまう。が、髪の隙間からのぞく耳が赤いことにジェクトは気付いていた。
「……なんか、優しすぎて気持ち悪い」
「ああ? 何だとこらお父様に向かって」
「うっさい!」
 あれだけ大泣きした後で今更恥ずかしいもなにもないだろうとは思うのだが、これ以上苛めて臍を曲げられても困るのでジェクトは口を閉じた。
 けれど、やはり何となく間を持て余して、結局先に口を開いてしまう。
「……なあお前、記憶がなかった間のことも全部覚えてんのか?」
「……」
 きょとんとして、ちらりと視線だけジェクトに向く。それはすぐに前を向いてしまったが、口元には小さく笑みが浮かんでいた。
「……秘密」
「んだよ、教えろよ」
「やだ」
 先ほどの口ぶりからして全く覚えていないというわけではないだろうが、風呂場でのあれやそれやも覚えているのだろうかと、一度気になると何となく落ち着かない。
 そんなジェクトの心中を分かっているのかいないのか、ティーダは小さく笑うとするりとジェクトの手から逃れた。
 喪失感に反射的に手を伸ばすが、それは空を切る。
 小走りにジェクトの数メートル先を行くティーダは、立ち止まって振り返る。
「いつまでだらだら歩いてんだよ、早くしないと日が暮れちゃうだろ」
「何言ってんだ、まだ朝だろ」
 苦笑すると、ティーダは一瞬だけ、切なそうに目を細めた。前を向いてまた歩き出す。
「一日なんてあっという間なんだぞ。それにアンタ、十年さぼってたんだから」
 何を、とは聞かなかった。
「十年分しっかり働いてもらわないと」
「へいへい。じゃ、ジェクト様のおぼっちゃまは何をして欲しいって?」
 ゆっくりと歩くティーダに追いつくように、ジェクトは少しだけ歩みを速める。その差はいつかゼロになるだろう。
 ティーダは思案するように、歩きながら空を見上げた。
「……いろんなとこに行きたい」
「ああ」
「いろんなこと教えてほしい」
「……ああ」

 ご飯を食べて、寝て、おかえりとか、ただいま、とか、当たり前のやり取りをして。

「アンタと」

 振り返る。そこには強く、負けん気に満ちた瞳がある。

「アンタと、ブリッツがしたい」
 不敵な笑みと言葉に、ジェクトもつられるように笑っていた。
 胸が温かく、熱いもので満たされていく。
 それは何にも代え難い喜び。

「……ガキが、オレ様に勝とうなんざ十年早ぇよ」
 その答えに、ティーダは嬉しそうに笑った。

「もう十年経ったって!」

 空が、薔薇色から青へと移りゆく。
 その真ん中で、青と紅の瞳が交錯する。
 何だか無性に抱きしめたくなって、一歩踏み出すとそれよりも早くティーダは駆け出した。
「あっおい!」
「いつまで突っ立ってんだよ! 早く帰ろ!」

 オヤジ! と。
 呼びかける声が夜明けの空に響く。

(ああ……)

 ジェクトは静かに目を伏せた。じわりと奥が熱くなるのを自覚しながら思い出すのは、あの日の光景。
 あの夕焼けの中を歩いた日と同じで、しかし全く別の意味の言葉と笑顔。

「あぁ……帰ろう」

 今もあの日も、ジェクトを呼ぶのは、間違いなくティーダだった。
 それは、確かに、ジェクトの望んだ光景だった。

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