※『愛を知らなかった男の話』と対になる話
終わらせることの、なんと容易い事か。
「お前にもう用は無い」
そう言って、彼の心を、体を縛り操っていた魔法を解き、同時に愛刀を無防備な背中へと突き刺した。軽い、あまりに軽い衝撃一つで、彼の命はここで終わる。
抵抗も叫び声を上げることも無い彼の体を突き刺したまま持ち上げる。ズズ、と重みでより深くまで突き刺さり、赤い色が服を染めていく。
ふと、彼が腕を持ち上げて刀に触れようとしているのに気付く。あの状態で抜こうとでもしているのか、と無駄な抵抗を鼻で笑うと刀を振って地面に打ち捨てた。
仰向けに転がった少年の顔を見たいと思って静かに歩み寄る。魔法は解けて、自我を取り戻して。操られていたとは言え、私の事を愛していると思い込まされて喜んで抱かれて、良い様に利用されて裏切られた、その絶望の表情を。
クラウドを、おびき寄せる為だった。恋慕だろうと親愛だろうと、あの人形が少年を大切に思っていることは知っていた。
だから、それを利用した。少年を通じて私の影を見るたびに奴は面白いほど動揺して少年を問い詰めたが、操られている彼が真実など口に出来るわけもない。
それでも少年を信じたいと思う人形も、ひっそりと抜け出して嬉しそうに私の元へやってくる少年も、可笑しくて仕方なかった。
少年を殺せば、あの人形は絶望するだろう。そして少年もまた、いつも太陽のような笑顔を浮かべていた顔を曇らせるだろう。
それが見たかった。宿敵とも言うべき男の、最も大切なものを奪う悦びを感じたかった。絶望を与えてやりたかった。
太陽が、絶望に沈むその瞬間を見たかった。
――その、はずだったのに。
「…………?」
近付いて見下ろした少年の表情は、酷く静かで、凪いだ海のように穏やかだった。
確かめてみても、やはり魔法は解除されている。仮にまだ解けていなかったとしても、いくら私を好きだと思い込まされていたとしても、こんな仕打ちを受けて平然としていられるはずが
「……ッ……!」
そんなはずはない。頭でそう思っていても、目の前に突きつけられた現実は酷く私を動揺させた。
少年は、笑った。私の顔を見て、――嬉しそうに、笑った。
いつもの、太陽のような無邪気で明るい笑顔ではない。ただ静かで、穏やかな。
「 」
僅かに唇が動いて、しかし言葉は音にならず、血の塊が吐き出された。
苦しそうに咳き込む彼の姿を見て、まるで自分が刺されたような痛みを覚えた。涙が滲んだ瞳は全てを見透かしているような気がして、酷く恐ろしいものの様に感じた。
ぽつ、と雫が地面に落ちた。それは次第に量を増やし、雨となって降り注ぐ。
彼の体から流れる血が水に溶けて地に広がる。
―痛い―
降り注ぐ雫は冷たくて、僅かに残された少年の温もりすら奪っていくのだろう。
―苦しい―
不意に彼を抱いた時の体温を思い出して、そして体を打つ雨の冷たさに身を震わせた。
―……怖い―
頬に流れた熱い雫が何なのか、最初は分からなくて戸惑った。少年の、焦点の合っていない澄んだ瞳がこちらを見つめた。
ひゅ、と引きつるような息を吸う音が断続的に聞こえる。肺に穴の開いた彼が上手く呼吸できてないのだろうか。寒くて体の震えが止まらない。
―セフィロス―
自分の体の変調に戸惑っていたら、彼の唇が自分の名を象ったのに気付いて、何を言おうとしているのかとその僅かな動きで読み取ろうとした。
―泣いてるんスか―
唇の動きから読み取れたのはそんな言葉で、また熱い雫が頬を落ちた。あぁ、そうか、これは――
ばしゃり、と力なく彼の横に膝をつく。体は悴んで震えて、ろくに力が入らない。
(私、が……泣く……?)
涙を流しているのは理解できたけれど、その意味が分からない。どうして私は泣いているのか。
もうすぐ、あの人形はここへ来るだろう。そうすればきっと私は満たされるだろう。では何故――。
「ッ…………」
少年がまた、笑う。僅かに口角が上がっただけのそれは確かに笑顔で、また胸が痛む。
「……っ……く……ぅ」
時折漏れる小さな嗚咽が自分のものだと気付いて、あぁ『泣く』というのはこんなにも苦しいのかと初めて知った。
止めようと思えば思うほど息苦しさは増すばかりで、雨に打たれて冷えたはずの体が燃えるように熱い。
何かに縋るように、手を伸ばしていた。
震える指先は彼の頬に触れて、そこからじわりと痛みが広がる。それを無視して、頬に指を滑らせた。
子供のようにいつでも温かかった体は氷のように冷たくて、ざわりと心が騒いだ。
かつての体温を思い出したかのような熱い雫が指先に触れて、堪らず声を上げた。
「……、……ぃーだ」
初めて呼んだ名前。声は驚くほど震えていて、やがてゆっくりと透け始めた体にまた雫が零れた。
縋りつくように服を掴んだ。それはすぐに空を切った。
それでも彼は穏やかな表情のままで。――そうか、もう
「……ティーダっ……!」
ふわり、ふわりと光が舞う。
最後に触れた唇は、冷たい鉄の味だった。