「来て早々にとんだ災難だったな」
「でもシュファンが来てくれたから助かったよ!」
「当然だ! 友のピンチに駆けつけるのがイイ騎士だからなっ」
二人で並んで皇都を歩く。はしゃいでいる場合ではないのだが、アバラシア雲海の浮き島の数々や見慣れない動植物達を見た後では、冒険者として心が躍ってしまうのは仕方のないことだ。
イシュガルドという国もまた、実際中に入り、目で見て、歩くたびに新たな発見をする。ここに来る前はしばらくキャンプ・ドラゴンヘッドに篭もっていたということもあって、目にする光景の一つ一つが新鮮で、旅に出たばかりの頃の気持ちを思い出した。
――オルシュファンの説得の元、無事に皇都へ客人として招かれたハルドメル達は、その厚意に少しでも恩返ししようとそれぞれ活躍していた。
イシュガルドに入れたのは、自分達を信頼してくれるオルシュファンが伯爵を説得してくれたからであり、オルシュファンの言葉で、伯爵が自分達を信じてくれたからだ。その信頼に応えたい。そうした行動の先にきっと、次の信頼は得られるのだろう。その結果で英雄だなんだと呼ばれても、やることも、やりたいことも変わらない。英雄という言葉が以前よりも重く感じないのも、オルシュファンのおかげだ。
皇都に入ってまだ三日目。初日は一先ず落ち着きなさいと伯爵に諭され休息の日とし、昨日は伯爵からの依頼でエマネランの任務に協力した。
最初こそ退屈そうにしていたエマネランだったが、バヌバヌ族に捕まるわ帰れば伯爵にお叱りを受けるわで随分と凹んだようだった。
捕まったエマネランを救うために突入した時はもう夜中で、イシュガルドに戻る頃には空は白み始めていた。仮眠をとった後、ドラゴンヘッドに戻る前に折角だから皇都を案内したいというオルシュファンの提案に乗った。アルフィノとタタルは早速それぞれ任された仕事の予定があるらしく、二人だけだ。一度フォルタン家の執事にも案内してもらったものの、オルシュファンの目から見たイシュガルド案内もまた、新たな発見がたくさんある。
その合間合間でつい困っている様子の街の人に声をかけていると、オルシュファンも笑って付き合ってくれた。上層に比べ被害の大きかった下層は、まだまだ崩れた瓦礫も多ければ、何かにつけ問題が起きたりと手が足りていない。できる範囲のことはやりたいと、身体は自然と動く。そんなハルドメルを、オルシュファンはいつも眩しそうに見た。
「シュファンはいつも丁度いいタイミングで駆けつけてくれるよね」
「まあ前回は、フランセルの異端審問だったからな……寧ろ遅いくらいだった。今回あの場に駆けつけられたのは、お前のおかげでもあるぞ」
上層へ戻る道すがら。その言葉にハルドメルが首を傾げると、オルシュファンは嬉しそうに目を細める。
「今まで本家に顔を出すのは少し、気が重かったのだがな。お前がいると思うと寧ろ楽しみになった! いつもは書簡で済ませてもいいところを昨日は足を運んで……そこでエマネランが捕まり、お前が救出に向かった話を聞いたのだ」
「……そっか。ふふ、来れるなら毎日でもいいよ! って言っても、多分明日からはアルトアレールさんの任務に同行するけど」
「む、忙しい奴め。客人なのだからもっとゆっくり……まあお前のことだから、そうは言っても先ほどのように、なんだかんだと皆を助けてしまうのだろうな」
親友の心境の変化はハルドメルにとっても嬉しかった。きっかけはどうあれ、こうして通うことが増えれば、少しずつでも家族とのやり取りが変わるかもしれない。苦しい記憶の方が多いであろうこの家の居心地が、少しでも良くなればいい。そのきっかけが自分だと言うなら、それはこの上なく光栄だと思った。
「エマネランと話してて、やっぱり兄弟なんだなって思ったよ」
「そうか? 似ているとは自分で思ったことはないが……」
「んー……」
ハルドメルは少し考える素振りをした。宝杖通りの露店で買ったホットココアを一口。温かく柔らかな甘味が口に広がる。
「ちょっと変わってるけど、優しくてポジティブ……なとこ?」
「変わってるとは心外だな。私は好きなものを愛でているだけだというのに……!」
続けてハルドメルの強さについて熱く語り出したオルシュファンにくすくすと笑いながら、フォルタン家の近くまで戻ってきた。雲海を見下ろせるラストヴィジルまで行くと、冷たい風が頬を撫でていく。
「イシュガルドにも『海』はあったね。気付かなかったよ」
「だが、お前が好きなのは本当の海のほうだろう?」
「うん。でもここも、すごく綺麗」
この雲海がどのくらい深いのか見当もつかない。だがこの壮麗な都を作るため、そこに聳え立つ危険な岩山に、多くの人の手で基礎を築いていったのだろう。国や歴史を作り上げた人達に思いを馳せる。これもまた旅の楽しみの一つだ。
「お前の言う通り、朝焼けの空色は確かに美しいな。眠れない日は、一人でぼんやり眺めたものだが……」
「……眠れない日があったんだ」
「フフ、ドラゴンヘッドにいた時も眠れずに二人で夜通し語り合ったではないか……!」
「あはは、確かに! ドラゴンヘッドは朝日よりも夕日がよく見えるよね。スチールヴィジルの景色も好きだなぁ」
「気に入ってくれて嬉しいぞ!」
オルシュファンがキャンプ・ドラゴンヘッドに戻るまで、そうやって二人で話していた。その背中を、一人の男性が静かに見ていた。
「どうやら、曇っていたのは、私の目だったようだ」
アルトアレールはそうして、感謝の言葉を述べた。ゼーメル家やデュランデル家の支援をするアルトアレールと共に、ハルドメルも任務にあたっていた。無事異端者の情報を持ち帰った彼女に対し、実力を侮っていたと語るアルトアレールは、深い謝意を示す。その真摯な眼差しは、フォルタン伯爵に、そしてオルシュファンともよく似ていて――。
「……やっぱり、似てますね」
表情を緩めるハルドメルに、アルトアレールは僅かに驚いたように目を見開いた。その言葉の意味するところを理解し、初めて言われたと言わんばかりに。
「……そう、だろうか」
「顔立ちもですけど、真面目なところとか……」
アルトアレールは、はたと気付く。やっぱり、という言葉。そしてオルシュファンと腹違いの兄弟であるということを話した時、彼女は特段驚いた様子がなかったことに。
「知っていたのか? 生まれのことを……」
「あ……はい、聞いてました。すみません、余計なこと言って……」
「いや……」
気まずそうに人差し指で頬をかく彼女に、アルトアレールは以前見た光景を思い出す。
ラストヴィジルで並んで話す二人の姿を。
「……貴殿は随分と……親しいようだな」
「……はい! 私にとっては一番の、親友です!」
ハルドメルは、誇らしそうにそう答える。その回答にまたしてもアルトアレールは、僅かに驚いた様子を見せた。それはすぐに、いつもの生真面目な表情に戻ってしまったのだが。
「そうか……とにかく、此度は本当に良い経験になった。ありがとう、ハルドメル殿」
「こちらこそ!」
握手を交わした後、アルトアレールは父、エドモン・ド・フォルタン伯爵に事の次第を報告した。もちろん、自身が彼女のことを疑っていたこと、その疑念が『オルシュファンの紹介であったから』ということを包み隠さず。
伯爵はそのことを咎めることはなく、寧ろどこか、嬉しそうな気配すら感じさせた。
「エマネランは相変わらずではあるが……あれはあれでいい経験にはなったようだ。お前も、学びを得たようだな」
「はい」
窓の外を見る。帰ってきたばかりだというのに、彼女はまた忙しそうに走り回っていた。しかしながらその姿はどこか楽しげでもある。
「……ここ最近、あやつがよく訪ねてくるようになった。お前も話す機会が増えるだろう。ドラゴン族の動きも活発になっている……連携を取れるようにしておきなさい」
「……はい」
血を分けた兄弟であるが、思えばまともに会話したことなど、数えるほどしかないのかもしれないとアルトアレールは回想する。それは母が彼を認めなかったという理由もあれば、アルトアレール自身が母の態度に引きずられていたというのもある。それはエマネランとて同じであっただろう。だが彼は、いつもは挨拶程度であるのに、先日訪ねてきた時は珍しく更に声をかけてきた。話題は、あの冒険者のことだった。
『アルトアレール卿! ハルは……ハルドメル殿は今日は?』
『……彼女なら、エマネランとアバラシア雲海へ赴いている』
『なるほど、そうでしたか! そういえばアルトアレール卿の任務にも共に赴く予定があるとか……彼女と共闘できるなど羨ましい限りですな!』
この時、アルトアレールは内心動揺した。境遇が境遇なだけに、子供の時分から彼は、家ではあまり喜びの表情をすることはなかった。少なくともアルトアレールはそういう印象を抱いていた。フォルタン伯爵の正妻、即ちアルトアレールの母が病死した頃からは、少しずつ家の雰囲気も変わり、自分達も大人になり、彼も笑顔を見せることがあった、ように思う。
キャンプ・ドラゴンヘッドを任されるようになったオルシュファンは、『民と友のため』と精力的に仕事に当たっていた。その話は当然本家にも伝わってくる。時に『変人騎士』と揶揄されるほど、外では他人の肉体を褒めちぎる一面を見せることや、部下達に大層慕われているのだということを聞く度に、自分達は彼のことを何も知らないのだと思い知らされた。
そしてこの時も。共闘できることが羨ましい、と語るオルシュファンは本当に。本当に心底、羨ましいと、楽し気な笑顔を見せた。そんな表情は、初めて見たから。
『失礼します! エマネラン様が……』
飛び込んできたその報告に、彼は躊躇いなくすぐ自分も出立すると言った。そう簡単に家を空けられない身であるアルトアレールは、部下達を招集し送り出すことしかできない。
『お前……ドラゴンヘッドは……』
『留守の間は部下に任せてあります。皆優秀なイイ兵士達です。我が友と、弟の危機を救わずして帰るなど騎士の名折れ。それこそ部下達にも叱られてしまいますからな!』
そう言って笑って飛び出していった。そして彼らは、無事弟の救出を果たし、蛮神ビスマルクの情報も持ち帰ってきた。
アルトアレールとの任務でもまた、彼女は愚直なほどに与えられた任をこなした。アルトアレールが避けた危険な任務も、彼女は恐れることなく実行して見せた。オルシュファンが彼女に向ける信頼を、この時漸く理解したのだ。
――もしかしたらその実力や実績など関係なく、ただ異性として好意を抱いているだけなのではないかとも、思っていた。ラストヴィジルでの、あの仲睦まじい様子を見れば、誰しもそういう考えがよぎるだろう。もしそうであるならば、伯爵に語った言葉は上辺だけのもので、私情で犯罪者を国に招き入れるという愚行を犯したことになる。だが、そんな単純な話ではなかったのだということは、身を持って知った。
「……似ている、か」
報告の後、自室に戻ったアルトアレールは一人ごちる。そんなことを言われたのは、そう、多分初めてだった。
イシュガルドにおいて、フォルタン家の事情を知らぬ者などそうそう居ない。下層の民も、貴族達のスキャンダルや噂話には敏感だ。そうした話を嘲弄することで日々の鬱憤を晴らす者も多いだろう。だからこそ、事情を知っていれば『似ている』などと呑気な評を伝えてくるはずもない。いたとすればそれは、皮肉や嫌味だ。
だが彼女は本当に、純粋な意味でそう言っていた。オルシュファンの出生を知って尚、屈託なく言ってのける。そこには皮肉も嫌味も、何もない。その言葉は彼女の人の良さを感じさせると共に、ただオルシュファンという人間に信を置いているだけではないのだとわかるものだった。
オルシュファンのことを慕っているだけならば、彼を冷遇した伯爵夫人と、それに追従したアルトアレール達のこともまた、快く思わないはずだ。だが――。
「……本当に、目が曇っていたようだな」
自嘲気味に苦笑するアルトアレールはしかし、胸の支えがとれたような、どこか晴れやかな心持ちであった。