「……来い、カーバンクル!」
アルフィノの持つ魔導書に魔力が走り、組み上げられた術式によって仮初めの命が生み出される。輝く身体を弾ませ、魔法生物カーバンクルが主人の指示で魔物へと立ち向かう。
ヴァスの塚のすぐ傍で、ハルドメル達の帰還を待つばかりの身であるアルフィノは、魔法の鍛錬のため一人魔物と戦っていた。魔法の才がある、と言ってくれたイゼルの言葉の後押しもあるが、一番はハルドメルの――仲間の足手纏いになりたくない、少しでも自分の力をつけたいという想いからだった。
カーバンクルに指示を出しながらも、自身でも攻撃魔法を放つ。もちろん、癒やしや防護魔法等、仲間を支援するものも使い慣れていく必要がある。甘えてなどいる場合ではない。こうしている間も彼女らは、命を失うかもしれない危険な戦いに身を投じているのだ。
「ッ!」
目の前の魔物が力尽きたところで、背後にもう一体の敵が近づいていることに気付かなかったアルフィノは、防護魔法を放ちながら衝撃に備えた。
「あ……」
だが予想していた衝撃は来ず、魔物は天から降ってきた無慈悲な槍にその身を貫かれる。当然、エスティニアンの手によるものだ。
「あ、ありがとう、エスティニアン殿……」
「焦っているのが丸わかりだぞアルフィノ。鍛錬するならもう少し集中しろ」
「……その通りだ……少し、休憩するよ……」
カーバンクルの魔力を解いて、ヴァスの塚に戻り一息つく。だがその視線は自然と、蛮神を呼び出しているグナース族、『繋がりし者達』の拠点へ向いた。そして太陽の位置も確認する。彼女らが出発してまだ半刻も経っておらず、どうしようもなく焦燥に駆られる。
「落ち着かないのもわかるが、何もできることがない時っていうのは、これからも必ずあるんだ。まあいきなり冷静になれと言っても難しいだろうが……」
「いいや……エスティニアン殿の言う通りだよ、本当に……」
冷静さを欠けば魔法の効果も威力も乱れる。焦りは自分の身だけではなく、仲間にも危険な影響を及ぼすのだ。エスティニアンの言葉を受け止めながら、アルフィノは気を落ち着かせるように、静かに深く息を吸った。
「……俺は家族をニーズヘッグに殺されたが、その時はガキだった。その上奴は本格的な活動期に入っていたわけでもなかったから、復讐したくてもできなかった」
エスティニアンが身の上話をしてくれるのは、多分これが初めてだ。ここに来るまでの道中で襲ってきたドラゴン族も、そして不浄の三塔で話したヴィゾーヴニル達も、人の力では簡単に太刀打ちできない存在だということはアルフィノも肌で感じている。そのドラゴン族の頂点たる七大天竜ともなると想像もつかない。
心は復讐したいと思っていても、それを成すだけの力がない。機会もない。そのもどかしさは、今のアルフィノとは比べるべくもないだろう。
「……さぞ辛い時間だったのだろうね。帰りを待つというだけでも、こんなに無力感に苛まれるというのに」
「だからこそひたすら己を鍛え続けた。暇さえあれば鍛錬していた。必ず奴に槍を突き立ててやる日がくるのだと信じてな。それが今じゃ蒼の竜騎士なんてご大層な身分だ」
称号などに興味はなく、ただ戦う力が欲しかったのだとエスティニアンは語った。どれだけの憎しみを積み重ねてきたのだろう。今のエスティニアンに至るまでにどれほどの辛酸を舐めてきたのだろう。まだ彼の半分程度しか生きていない自分が酷く未熟に思えて、アルフィノは僅かに目を伏せる。
「焦りと失敗は常に一緒にやってくると思え。俺もドラゴン狩りを成したいあまりに死にかけたこともある」
「エスティニアン殿ほど強くても、か」
「新兵の頃の話だ。まあそれがきっかけで、アイメリクと知り合ったんだがな」
微かに苦笑いしたエスティニアンに、アルフィノも少し頬を緩める。それは、友人を想う時のそれだったから。
「俺は魔法の類はわからんが、少なくともお前が戦うことに向いてないことはわかる」
相変わらずはっきりものを言う人だ、とアルフィノは苦笑する。
だが、時にはお坊ちゃんなどと揶揄しながらも、暁でも、ルイゾワの孫でもない、一人の人間として扱ってくれる彼のことを好ましく思っていた。
「……お前は仲間を支援する方が向いている。それこそ、周りを見て誰を優先して治癒するべきか、敵の攻撃に備えるべきか、冷静な判断が必要になる役目だ。戦うこともだが、まずは得意な魔法を優先で伸ばしたほうがいい」
それはイゼルの言葉と同じくらい、アルフィノの背中を押してくれるものだった。自身の未熟さばかりに気を取られていたアルフィノは、旅の仲間それぞれが自分のことを見て、想ってくれていることに気がついた。
「……ありがとう、エスティニアン殿」
「さて……待つばかりは俺も手持ち無沙汰だ。複数体相手にしたいところだが、お前にはまだ荷が重いか?」
「……いいや、やってみせるとも」
「よし」
兜で見えないエスティニアンの目元は、いつもより優しげであった。
白亜の宮殿。かの聖竜と謁見できる場。その少し離れた所に四人はキャンプを張った。
聖竜を呼び出すには風向きが悪いからというのはモグタンの言だ。
「イゼルのシチューすごく美味しかったなぁ。レシピ教えてもらえるかな?」
「ハルドメルもよく料理をするのだな。もちろんいいとも……母直伝なんだ。気に入ってもらえて、母も喜ぶ」
聖竜との邂逅はすぐには叶わなかった。焦っても仕方ないと風向きが変わるのを待つことにした四人は今、交代で見張りをしながら仮眠を取っている。
いがみ合うエスティニアンとイゼルを時に宥めることもあったが、ここに来てその関係性には僅かに変化が見られている。エスティニアンは壮麗なこの遺跡群を見て、イゼルは対話もままならぬほど怒り狂うドラゴン族と改めて対峙して。お互いに少し、その態度を軟化させるところがあったようだった。
「……私達がいない間に、二人は随分と親しくなったようだな」
「うん、そう思う。ちょっと兄弟みたいな感じ」
仮眠を取る二人の方を見て、互いに頬を緩める。ラーヴァナを無事討伐して帰った時、心底安堵しているアルフィノをエスティニアンはからかっていた。とは言えそれに嫌らしさはなく、アルフィノも恥ずかしそうではあったが――互いに信頼が深まったのだろうと思わせる様子であった。
「ソーム・アルで戦うアルフィノ、前よりもっと頼もしくなっててびっくりしちゃった。エスティニアンさんと鍛錬したお陰だね」
「随分無茶をしたそうだがな……」
ハルドメル達がいなかった間の話は、移動の合間にアルフィノから聞いている。エスティニアンは興味なさそうにしていたが、気恥ずかしいところもあるのだろう。アルフィノが彼を誉める発言をする度、やや苦い顔をしていたのを思い出してハルドメルはふふ、と笑った。
このキャンプで、四人は初めてお互いのことをよく知る機会を得た。のんびりなどしていられない、皇都がドラゴン族に攻め入られるか否かという瀬戸際。それを止める手立てを探る旅路。そんな中でゆっくりと言葉を交わす暇などなかったから。
「旅に出てから、何度も感じるんだ。皆大変な道を歩いてきてるんだなって」
「……平穏に生きてきたことに、罪悪感を覚える必要はないわ。本当は皆そうなるべきなのだし……自ら危険な道を選ぶ人もいるのだから」
イゼルの表情は優しかった。彼女も霊災が起こるまでは、平和に暮らしてきた少女だったからだ。だが今は、人と竜との融和を願い戦いに身を投じている。過ちを犯した事実はあれど、その覚悟と行動力は並大抵のものではない。ハルドメルはいつだって、周りの人達を強く、逞しいと思っている。周りからは、ハルドメル自身も大概そう思われているのだが。
「幸せな生き方だったからこそ、今の貴女があるのだろう。エオルゼアの希望……その名に恥じない強さは、辛い経験をすれば得られるわけじゃない。きっと貴女が貴女の選んだ道で、見て、聞いて、感じて、考えてきたからだわ」
「うーん……あんまりそう言われると、照れちゃう」
「ふふっ」
お互いに笑う。やらなければいけないことはあるけれど、この穏やかな時間がいずれ終わってしまうのは惜しいな、と思いながら。
「私ね、色んな人に助けられながら歩いてるよ。今もそう……三人の誰かが欠けてても、ここまで来られなかったと思う」
「……それは……私も、そう思う。エスティニアンのことは正直気に食わない……でも、その力には確かに助けられている……」
蒼の竜騎士は、竜の眼の力を引き出し尋常ならざる強さを得られる。だがそれを抜きにしてもエスティニアンという男は強かった。その強さは家族をニーズヘッグに殺されたからという、憎しみ故に得たものだ。その力を竜殺しのために振るうのだということを知らなければ、イゼルは彼のことを素直に尊敬できたのかもしれない。
「エスティニアンの言ったことを覚えているか……? 人と竜が共に歩んだ時代があったことを認めざるを得ないと……私は正直、とても驚いた。いくら真実を突き付けても、どうせつっぱねるのだと、心のどこかで侮っていた」
信じていた事を覆されるのは、人を不安に駆り立てるものだ。簡単には認めたくないものだ。だがエスティニアンはそれを受け入れた。対話が成功しなければ邪竜狩りをするという意志こそ変わらないものの、教えられたことに偽りがあったのだと認めた。憎しみに囚われているとばかり思っていた男の変化に、イゼルは自分の浅はかさを恥じた。
「共に旅をする一人とすらわかり合えず、ここまでずっといがみ合っていた。そんな私が説く人と竜との融和は、さぞ滑稽だっただろうな」
「そんなことないよ」
すぐさま返されたその言葉にイゼルが顔を上げると、微笑む海色の瞳とかち合った。否、海を見たことはないけれど、こんな色なのだと教えてくれたハルドメルの笑顔は、今でもイゼルの脳裏に焼き付いている。
「エスティニアンさんもイゼルもいがみ合ってたけど……でも今、こうやってお互いのこと知って変わってきてるでしょ? 人と竜でもきっとそれができるって、私は信じるよ。信じたい」
あまり苦労をしてこなかったと語る彼女は自覚が無い。温かな場所で、明るい場所で生きてきたからこそ持ち得ることのできた純粋さもあるのだと。暗闇の中にあっても失われない、標となる灯火。それは、確かに『希望』だった。
「……ありがとうハルドメル。そうだな、そうであると、私も信じる。きっと成功させてみせる」
「うん、頑張ろうね」
「……早く会いたいものだな、聖竜フレースヴェルグ……」
宵闇の中で密かに交わされる話。それは二人と、輝く星々だけが知っている。