後に彼女が竜詩戦争の話をする時、そこから先の話は、それまでに比べて随分と、曖昧になる。――忘れたわけでは、決してない。ただ――彼女はあまり多くを語りたがらなかった。
「多少は、光の加護が戻ってきているようだが……蛮神を倒せたとて、加護を失っている今、まるで赤子のようだな、光の使徒よ」
―――――。
「英雄殿にも礼をせねばなるまい。ビスマルクを倒す手間が省けたのだからな」
―――――。
飛空艇に乗った蒼天騎士達。その総長ゼフィランが、教皇に恭しく一礼する。
――――る。
シドとアルフィノ、そしてウェッジ。一蓮托生のビスマルクとの戦いを制し、『鍵』を手に入れた。そしてそれはあまりにもあっけなく、アシエンと教皇の手によって奪われた。
「お疲れ様、ハル。とにかく、君が無事でよかった……」
戻ってきて、開口一番にアルフィノはそう言った。あんなことがあった後だ。今まで以上に、彼らは『失う』ことに敏感になっていた。
――無事でよかった。その言葉でハルドメルの肩が震えたことにアルフィノは気付く。
いつだって互いの身を案じ、無事を喜んでいた二人だった。その言葉が持つ重みを、アルフィノは改めて思い知る。
ハルドメルの肌はルガディン族の中でも少数派の、闇を思わせるような黒色だ。その色はヒューランの肌色で言う所の、紅潮した、だとか、顔面蒼白、だとか、そういった表現ができる感情を、とても読みにくくする。
光の加護を失った事で、アシエンに抵抗する術がなかった。殺されなかったのは運がよかったのか、さすがにそこまでは彼らも手が出せなかったのか。いずれにしても鍵を奪われたという事実に、彼女は悔しげに拳を握りしめた。そこにあるのが悲しみなのか、怒りなのか、その向き先が敵なのか、不甲斐ない自分自身なのか。その表情からだけでは読み取れない。
「……ここに来て新手のアシエン……鍵を奪われたのは想定外だったとしか、言いようがない……」
返事はなかったが、ハルドメルは小さく頷く。慰めでも励ましでもなんでもいい、彼女を放っておけない、とアルフィノは続ける。
「……しかし、私達はまだ生きている。彼らに立ち向かう意志も、折れてはいない……諦めずに追撃しよう……!」
アルフィノは不安を感じていた。いつも穏やかな海のような彼女は今、嵐が来る前のような、不気味にも思える静けさを宿している。
少し気を抜けば手の届かないどこかへ行ってしまいそうだった。それを引き留めるかのように手を握って言葉をかけると、ふ、とその瞳はいつもの柔らかさを僅かに取り戻すのだ。
「……ありがとう、アルフィノ」
「……私はできる限りのことをして、君をサポートする。君を一人で、戦わせたりしない」
「……うん」
「……だから、一人で戦おうとしないでくれ……ハル」
彼女がいつもしてくれるように、アルフィノはその身体に腕を回した。身長差のせいで、子供が大人に甘えるような、不格好なものになってしまうけれど。
「……ありがとう」
魔大陸アジス・ラー。
邪魔をしてきた帝国軍を、アルフィノ達が足止めしてくれている。
幻龍ミドガルズオルムの導きで魔科学研究所へと向かいながら、ハルドメルはぼんやりと取り留めもなく、皆の言葉を思い出していた。
『すまない……本当にすまない……何から何まで君に押し付けなければならないとは……』
『……私、押し付けられたなんて思っていません』
(だってこれは、私の望みでもあるから)
『憎しみは、憎しみを生むだけだって知ってるからね……』
(本当に、その通りだと思う)
『オルシュファンは……息子は私を説得しに来た時にこう言った。ハルは、我が友であり、希望であると……』
魔大陸の空は、場を守る障壁の影響もあるのだろうか、太陽も、月も、星も、なにも見えない、常に薄暗く禍々しい色をしている。
『そうそう、ファルコンネストに行った時にね。すごいと思ったんだよあの尖塔。どんなに酷い吹雪でも、あの上にある炎で、一目で帰る方向がわかるから』
『フフフ、まるでお前のようだな!』
『……すぐそういうこと言う。でも……ああいう風になれたらいいね。私にとっては、シュファンがそうだけど』
『……お前も人のことは言えないと思うぞ?』
希望の灯火。行く先を示す標。誰かにとってのそれになれるのなら、よかった。けれど今の自分がそれに相応しくないことは、ハルドメル自身が一番よく知っている。
(……ごめんなさい)
自身に与えられた特別な力。それ故にできることがある。それを為しにきた。本当だ。大切な友のため、大切な人達のために戦う。それも本当だ。だが彼女は一つだけ、誰にも伝えていない隠し事があった。それがたまたま、他の目的と合致しただけのこと。
(……ごめん、なさい)
希望だと言ってくれた人達。信頼を積み重ねてきた人達。無事の帰りを祈ってくれている人達。――いつも、無事を祈ってくれている、最愛の友への。
これは裏切りだ。たくさんの人が与えてくれた親愛への冒涜だ。
――それでも、この心を無視することは、どうしても、できない。
(今から、私は)
――自分の身を守るためではなく。
――誰かを、助けるためでもなく。
(私が、そうしたいと、望むから)
――友の命を奪った者達を。
(殺したいから、剣を取る)
「竜の眼を喰らいし聖剣アスカロンよ……この地に眠る、微睡みの神より力を引き出せ!」
強大な力のうねり。その一撃で敵を滅ぼさんと、蛮神と化したトールダンが周囲のエーテルを食らい始める。
―――――。
それを阻止せんとハルドメルが踏み込もうとして、それは別の剣に阻まれる。
「来たれ、我が円卓の騎士よ……!」
トールダンがエーテルを食らい、神の一撃にも等しい魔法を発動させる――その時間を稼ぐために騎士達が姿を現した。
「光の使徒を抑えろ、ジャンルヌ卿、アデルフェル卿。他の者は、我らが王の神聖なる魔法のために力を捧げよ」
凛とした声が響き渡る。人智を超えた力を得た蒼天騎士が、彼女の前に立ちふさがった。
――蒼天騎士団のことは、知識だけは、知っている。覚えている。
全部、オルシュファンが教えてくれたことだから。
「一人で乗り込んでくるとは大した度胸だ。ゆくぞジャンルヌ!」
「おうよ、相棒ッ!」
アデルフェル・ド・シェヴロダン。『美剣』と呼ばれる容姿端麗な剣士。幼いころから厳しい剣の修行をし、いくつもの功績を挙げてきた。
ジャンルヌ・ド・クールシヤン。共に戦ってきたアデルフェルとは相棒と呼べるほど固い絆で結ばれている。料理が趣味で、本職の調理師でも唸るほどの腕。
「我らが王に盾突くとは……裁きよ、降れ!」
「あの二人を退けた…… !? 罪人よ……寒さに震えるがいい!」
エルムノスト・ド・ラ・トローマイユ。前総長時代からのベテラン。信仰心の厚い男。雷の魔力を乗せた斧の一撃は、彼独特の戦い方。
オムリク・ド・プーラニョン。聖アンダリム神学院を首席で卒業した俊英。旧態依然とした司法制度の改革を志している。
(……興味ない)
――――る。
「アラァ随分必死ネェ? オトモダチを殺されたのがそぉんなに頭にキてるのかしらァ?」
「エオルゼアのためと言いながら、ご自分でも随分と人を殺してきたでしょうに」
シャリベル・ド・ルジニャック。強引な取り調べと、苛烈な拷問により多数の異端者を処刑してきた元異端審問官。
ヌドゥネー・ド・ジャンベル。貴族の出だが権力争いに興味を持たず、魔法学の研究に没頭。その才と知識を認められ蒼天騎士団に招かれた。
「おいおい情けねぇなお前ら! たった一人相手に! 俺が粉砕してやる!」
「決闘裁判に教皇庁……お前とはまだヤりたりねぇ! 覚悟しやがれ!」
「お前らだけ楽しむな! 突き殺してやる!」
ゲリック・ド・モンロアン。力任せに振るった斧の一撃はドラゴン族の頭部を吹き飛ばしたという逸話もあるほど。力勝負を何より好む。
グリノー・ド・ゼーメル。武術の腕は一流だが、仲間であるはずの騎士をも殴りつけ撲殺したことすらある、人格に難のある男。
ポールクラン・ド・ファヌイイェ。平民出身でフォルタン家の騎士団に所属していたが、素行に難があり追放される。グリノーとは互いの実力を認め合った友人。
(……関係ない)
――て―る。
「十二騎士の力を持ってして尚……下がれお前達! ……排除するッ!」
「ヴェルギーン副長! 続きます!」
ヴェルギーン・ド・ブールバニュ。蒼天騎士団副長。不撓不屈の精神で『折れない槍』と渾名される。総長の座を固辞し、副長として騎士団を支えている。
イニアセル・ド・ヴェナン。元竜騎士という異色の経歴の持ち主。戦場での経験と、教皇庁への厚い忠誠心を買われて抜擢された。副長のヴェルギーンを敬愛している。
(……どうでもいい、お前らなんか)
―してやる。
「――神に抗う愚か者め」
ゼフィラン・ド・ヴァルールダン。周囲に惑わされず、地道な努力を重ね続け――やがてその実力と実直さ、慎重さを見込まれ、若くして蒼天騎士団総長になった男。
――友を、その手で貫いた男。
「そんなにあの騎士に会いたいのか?」
お前は
お前は、
お前、だけは
「ならば貫いてやろう。あの男と同じように―― !!」
(殺してやる……ッ !!)
咆哮する。銀に閃く剣の切っ先を、その心臓目掛けて突き立てる。
手応えは、確かにあった。だがその身体は空しく霧散する。
わかっている。彼らはとうに人外の存在に成り果て、その肉体は既になく、蛮神の一部として顕現しているに過ぎない。そのエーテルでできた身体をいくら傷つけても、殺すことができない。
だから、殺す。その神の存在ごと、全て、全て。
きっと今、ハルドメルは初めて理解している。祝賀会の時のラウバーン。家族を殺されたエスティニアン。妹竜を殺されたニーズヘッグ。――友を傷つけたならず者を滅多刺しにしたオルシュファンの気持ちも。
『これで終わりだ……!』
莫大なエーテルを蓄えた聖剣が輝きを増す。常人が受ければ、それこそ触れただけで存在が消え去るであろう程の力。
恐れはない。迷いもない。やる事は一つだけだから。
エーテルの身体を保つことすらできなくなった蛮神ナイツ・オブ・ラウンドは、哀れな老人の姿へと戻った。蛮神の一部となっていた騎士達もまた、光となって霧散していく。
一歩、また一歩と近づく。これで、漸く。
「貴様は一体……何者なのだ……!」
何か、恐ろしいものでも見たような老人に、ハルドメルは淡々と答えた。
「……私はただの、人殺しだよ」
剣を振り上げる。全て終わる。この一振りで。
「――――」
だが、その時は、こなかった。
微かに鼻孔を掠めた香りが、その腕をほんの一瞬躊躇わせた。こんなところに、あるわけがないのに。
親しみを込めて呼んでくれた声が。交わした言葉が。共に見た景色が。その香り一つで、鮮やかに脳裏に蘇る。
復讐は、成し遂げられなかった。
蛮神という手段で戦争を終わらせようとした老人は、戦いの負荷に耐え切れず絶命し、身は光となって解けていった。
その心臓に、刃が突き立てられることはなかった。
「……ぁ……」
耳障りな金属音が響いた。
――エスティニアンがそこにたどり着いた時、すべてはもう終わっていた。
そこにいたのは、一人の少女だった。
そう、としか、言いようがなかった。
ただ、ただ、大切なものを失って泣きじゃくる子供。
もう二度と返事をすることのない友を呼ぶ、少女の慟哭。
それだけだった。
慰めの言葉など持ち合わせていない。それでもエスティニアンは、彼女の傍に膝をついた。
――きっと、あの騎士なら、こう言うのだろう。
「――無事で、よかった」
嗚咽が大きくなる。エスティニアンは酷く頼りないその背を擦った。その震えが止まるまで、ずっと。