千年続いた戦争が終わり、長く閉ざされていたイシュガルドという国が、エオルゼア軍事同盟へと戻る式典が行われている。
クルザスは雪が多く降り、どんよりとした寒空の印象が強いのに、その日の空は皮肉なほどに蒼く澄み渡っていた。
さく、さく。
雪を踏みしめて歩く。少し前に降った真新しい白に跡を残しながら、ハルドメルは丘の上を目指していた。
やがてその場所に辿り着く。最初にそれを遠目に見た時ひゅ、と息を呑んだものの、彼女はゆっくりと足を進めた。
「――オルシュファン」
その崖先には石碑があった。前に立ち、呼びかける名前に返事をする者はいない。
「……ここは、イイ眺めだもんね」
ハルドメルの視線は眼前の、皇都イシュガルドに向けられた。
風に乗って、街のざわめきや、式典の演説であろう声が微かに聞こえてくる。是非にと参加を促されたものの、ハルドメルは友に会いに行くからと断ったのだ。
「ハル、ここにいたのか」
「アルフィノ、タタル」
ぼう、と立っていたところに不意に声がかけられる。振り返れば、大事な仲間であり、友である二人が花束を抱えて立っていた。
「式典に出なくていいの?」
「ふふ、君には言われたくないな」
「……それもそうだね」
微笑んで返す。その石碑に、親友の誇りである一角獣のカイトシールドを立て掛ければ、タタルもそれに続くように花束を添えた。
――竜と人との戦争は終わった。多大なる犠牲を出した果てに。邪竜を倒したのも、偽りの歴史に終わりを齎したのも、どちらも復讐心からであることを知る者はあまりにも少ない。
「長い……長い旅だった。失ったものも大きく、辛い旅路だった。でも私達は決して歩みを止めてはいけない」
戦争が終わっても、何もかもが良い方向に向かうわけではない。帝国、蛮神、行方がわからないままの仲間達。やらなければいけないことは山積みだ。
かつてアルフィノが掲げた『エオルゼアの救済』という目標は、彼の中でまだ消えていない。途方もなく、壮大すぎると笑われても、彼は確実に一歩一歩その道を歩んでいく決意を、改めて友の――オルシュファンのために建てられた慰霊碑に向けて誓う。
そしてエスティニアンという友を必ず救い出すという決意もまた。
「強いなぁ、アルフィノは」
「まだまだこれからさ。 前にも言っただろう? 私が君を頼ってきたのと同じくらい……君がオルシュファン卿を頼りにしていたのと同じくらい、頼もしくなることも私の目標だ」
ハルドメルはつい閉口した。アルフィノがあれだけ何度も言葉をかけ、心配してくれていたのに。結局のところ彼女は、その本心を誰にも打ち明けることなく、一人で戦ってしまったから。
聡い彼のことだ、きっとそのことも理解しているだろう。
「……ごめんなさい」
「……これからこの国は、大きく動く。変革を進める者、受け入れる者、拒む者……千年続いた歴史が根底から覆されるんだ。祝賀会の時以上に、反発し合う力に巻き込まれるかもしれない」
今でもまだ、祝賀会の記憶は薄れることはない。縛られた腕の痛みも、打ち付けられた床の冷たさも。
「君の心がどうあれ、結果としてこの国を救ったのは事実だ。真実を暴いてしまったこともまた……ね。そのことを快く思わない者もいるだろうし、君を利用しようとする者もいるだろう。――戦う力はまだ足りなくても、そういった悪意を遠ざけることくらい、私達にだってできるんだ」
「そうでっす! 今までも暁の受付嬢は、怪しい人みーんな追い返してきたのでっす!」
「政治や交渉なら、君より慣れていると自負しているよ。暁や、君に対する交渉事は任せてくれ。私にできることだ、やらせてくれるだろう?」
「……もう十分、頼もしいよ。私、すぐ置いて行かれちゃいそう」
堪らず声が震えそうになるのを抑えながら、ハルドメルは困ったように眉根を寄せて笑った。アルフィノの目には迷いがない。真っ直ぐなその眼差しは、クリスタルブレイブを立ち上げた頃のような――それ以上に純粋な、強い決意を秘めていた。
「もしいつか、君が立ち止まりそうになったら……今度は私がその背を押したい。君は強いから、そんな日は来ないかもしれないけれどね」
「……追い越しちゃっていいのに」
アルフィノは首を横に振る。穏やかに微笑むその表情は、オルシュファンのそれと少し似ていた。
「私は君を追い越したいんじゃない。追いついて、隣に立てる存在になりたいんだ」
ハルドメルは、返す言葉を見つけられなかった。ただ、小さく頷いた。
「さて、私達はそろそろ行くよ」
「ハルさんも一緒に行くでっすか?」
「……先に、行ってて」
「わかったよ。また後で、ハル」
遠ざかる足音を聞きながら、ハルドメルは白い息を吐きだした。
ゆっくりとその場に腰を下ろして、膝を抱える。僅かに目を伏せたら、ここに来る前の、キャンプ・ドラゴンヘッドに立ち寄った時のことが思い起こされた。
「ハルさん……ッ!」
彼女の姿が見えた時から、砦は騒然としていた。足を踏み入れる前から人が集まり、そして最初に飛び出したのはメドグイスティルだった。
「ハルさん……よかった……無事で……よかった……ッ」
「メグ、さん」
「皆……皆心配してたんですから……!」
ハルドメルの身体を抱きしめたメドグイスティルの言葉に、皆一様に同意している。涙を見せる者すらいる。そんな中でハルドメルは、ただ一つの言葉を伝えることしかできない。
「……ごめ、……なさい……」
「ハルさん」
ヤエルもまたハルドメルをそっと抱擁する。堪えきれずに雫が一粒転がり落ちた。その温かさが、優しさが胸に響いて、酷く痛む。
「私達の主は、あなたを守ったことを誇ってる。あなたが戦争を終わらせたことも……あなたが無事に帰ってきたことも……心の底から喜んでる。私達も皆、そう思ってる。……だからどうか、自分を責めないで」
身体が震える。その言葉は、皆の想いは、今の彼女にとって薬でもあり、毒でもあった。
「ハルさん、旅立つ前に言っていただろう?」
コランティオの言葉で、あの日を思い出す。邪竜ニーズヘッグを討ちに行く、その前のことを。
『あなたと、あなたの大事な人達が、いつも笑って、幸せでいられるように――』
「我が主にとって……あなたもまた、大事なひとだ。どうかその願いを、叶えて欲しい」
今、言葉を発すれば、全て嗚咽になってしまうような気がして。
ハルドメルはただ頷いただけだった。
「……皆、強いなぁ」
敬愛する主を失っても、その意志を継いでいくのだと微笑んで見せた砦の人達。
未来を見据え、平穏をもたらそうと奔走する人達。
誰もが何かを失って、悲しんでいる。それでも前に進もうとしている。
「……私、……本当に、幸せに生きてきたんだ」
砂の家で灯りが消えた日も、姉のように慕う人を失っても、祝賀会で反逆者の汚名を着せられた時も、無理矢理でも前に進んできた。それなのに。
ただ一人の、世界で一番の親友を、目の前で失った。自分のせいで、死なせた。それが、こんなに、こんなにも。
「……皆、こういうのを、乗り越えてきたんだね」
失うのが怖いからと、友達を作れなかったような臆病な自分。それが如何に滑稽で幼かったか。なんて、贅沢な悩みだったのか。
「進むよ……ちゃんと、進む……でも、」
唇を噛む。笑われるだろうか。呆れられるだろうか。心配させるだろうか。
わからない。知る術はもう、何もない。
「……笑う、のは……ちょっとだけ……待って、て」
――彼女が何より許せなかったのは、邪竜でも、友を貫いた男でも、教皇でもない。
世界の誰もが許すと言ってくれたとて、彼女自身は許せなかった。
「ごめ……な、さ……ッ」
オルシュファンを殺した全てが憎かった。殺してやると思った。そのはず、なのに。
「……ッ……ぅ……」
心の奥。深く、深く。
本能とも呼べるかもしれないその場所で感じたのは――高揚感。熱した鉄のようなその感覚を、彼女はよく知っていた。仲間達と――友と交わした本気の手合わせでも。一歩間違えれば死ぬような蛮神との戦いでも感じるその熱は。
言えない。誰にも、言えるわけがない。彼以外には。
『本気で戦う喜び』なんて。
「……めんなさ、い……ッ……!」
それを感じてしまった自分自身が、何よりも、誰よりも、憎くて、憎くて――殺してやりたかった。
周りの優しさに触れれば触れるほど、僅かでもそれを感じてしまった自分自身が、許せなかった。
慟哭と、謝罪。
いつ終わるとも知れぬそれを、若草色を纏う青年が、少し離れた場所から見つめていた。