立ち止まっている暇などない。悲しくても、苦しくても、時間は止まってはくれない。
できることがあるならば、やる。今までも、今も、これからも。
「以前の旅を思い出して、少し感傷的な気分になってしまうよ」
聖竜の眷属たるヴィゾーヴニルとイシュガルドを繋ぐため、仲介役を任せられたアルフィノとハルドメルは、特使であるルキアを連れて高地ドラヴァニアへと来ていた。
前にここを訪れたのは、ちぐはぐな四人での旅だった。だがその目的はあの時と同じ、竜との対話のためだ。つい先日のようにも、もう随分前のようにも感じる。
「……アルフィノ、大丈夫?」
ハルドメルははたと気付く。最近のアルフィノは、とても前向きで精力的に活動していた。それはクリスタルブレイブ設立直後の様子とも似ていて、心配になる。
「……無理はしてない、と言うと少し嘘になるかな。だけど、今は……立ち止まると、悲しみに追いつかれてしまいそうなんだ。イシュガルドにとっても大事な時期だし……少々気を張ってでも、前に進みたいと思ってね」
「無理しないで」
「大丈夫だよ。君こそ……いてくれればもちろん心強いけれど、無理はしないでくれ」
けれど今のアルフィノは、クリスタルブレイブの時ほど肩肘を張っていない。支えてくれる仲間が沢山いると、気付いたからなのだろう。そっと腕に触れたアルフィノの手に、自身の手を重ねる。アルフィノが嬉しそうに微笑んで、ハルドメルもつられて笑う。
(……私、自分のことばっかりだな)
誰もが何かを失った。誰もが悲しみを背負いながら、それでも前に進もうとしている。
アルフィノとて、友を失ったのはハルドメルと同じだ。アイメリクもフォルタン伯爵も、皆大切なものを失った。それなのに、自分の悲しみばかりに囚われて、情けないことこの上ない。
「……背中、押されてるかも」
「っ……そ、そうかい? ふふ、もしそうなら、とても光栄だよ」
アルフィノは少し照れたように頬を赤らめたが、嬉しそうに笑った。
――そんなアルフィノの変化を見てきたハルドメルだからこそ、イディルシャイアで出会ったクルル・バルデシオンの言葉には大層好奇心をくすぐられた。もちろん、アルフィノ本人が必死の形相をするものだから、問いただすのは我慢したのだけれど。
変革は痛みを伴うのだと、誰かが言った。
『豪胆将の精兵』を名乗る守旧派の者達は、人質をとり教皇庁に立てこもった。掴みかけた平和への道が壊されようとしているのを、黙って見過ごすはずもない。アルフィノもハルドメルも、人質の救出のために迷うことなく突入部隊に参加した。
(シュファンも、そうするんだろうな)
一角獣を背負う、友の姿を思い出す。彼がここにいたのなら、同じように迷いなく戦いに身を投じただろう。民のため。友のため。けれど今ここにいる、一角獣を背負う騎士は彼ではない。彼ではないが、彼と同じ誇り高きフォルタン家の騎士であり、ハルドメルの友の一人でもあった。
「アルトアレールさん!」
不意の一撃によろめいたアルトアレールはしかし、すぐさま体勢を立て直して反撃する。
「問題ない……!」
力強い返事にハルドメルも頷く。実戦経験はあまりないと言ったが彼は決して弱くはない。
「こんなところで倒れていては……あいつに顔向けできん……!」
そう、決して弱くはない。それでも隣に立って戦うハルドメルにはわかってしまう。その腕は、オルシュファンにはまだ及ばないと。
――ライバル視しているところがあるのだと、ある時アルトアレールは語ってくれた。血を分けた兄弟という事実、母親の拒絶、やがて家督を継ぐ己の立場――多くの問題に板挟みにされたアルトアレールもまた、複雑な思いを抱えて生きてきた。
負けたくない、後れを取ってはならないという想いは今、少し形を変えて、彼の中に息づいている。
「我が一族からの友情と信頼の証しとして、受け取ってもらいたい」
白き翼、ヴィゾーヴニルが偶然にも少女を助けたことで、立てこもり事件は一先ず終息へと向かっている。
フォルタン家に報告にきたハルドメルに、アルトアレールは一角獣の盾を渡した。その重みを受け止めて、ハルドメルはそっとその盾を抱きしめるように両腕で抱える。
エドモン・ド・フォルタン伯爵が近くその座を降りること。自身が家督を継ぐことになり、怖じ気づきそうな自身に、貴族であることの意味に悩んでいるのだ、とアルトアレールは語ってくれた。信頼されているのだと思うと、少し嬉しい。
『人はいつまでも変わらないままではいられない。誰かを失ったのなら特にね……』
ヤ・シュトラが言っていた言葉を不意に思い出す。そうだ、失うことはあまりにも、大きい。変わらないままではいられない。その通りだった。
(皆……進もうとしてる)
友二人と語り合った夜を思い出す。
強くなりたい、と言った。オルシュファンのように。苦しみを乗り越えて尚前へ進めるように、強く。その誓いを、反故にしたくなどない。
「……シュファンも、言ってました。騎士爵を賜る時に、自分は未熟だ、それを受けるにはまだ早い……って思ったんだって」
「……そう、なのか」
その話を初めて聞いたのであろうアルトアレールは意外そうに、そして少し、悔しそうに苦笑した。本人の口からは、終ぞ聞くことはできなかっただろうから。
「……君は、どう思う? イシュガルド建国神話の根底が揺らいだ今、我ら貴族が……私が爵位を継ぐことに何の意味がある?」
答えは、すぐに出た。そしてその答えはきっと、オルシュファンも同じだろう。
「……民と、友のために」
答えに、アルトアレールは微笑む。その表情は、オルシュファンとよく似ていた。
「そうだな……君の言うとおり、あの男の……我が弟の、言葉を信じるだけだ。イイ騎士とは、民と友のために戦うもの……と」
「……はい!」
弟。その言葉に、ハルドメルは表情を綻ばせた。我が事のように喜ぶその様子に、アルトアレールは思わず苦笑する。
「そんなに、君が喜ぶことだろうか?」
「……シュファンが二人のことを、兄、弟って言ってた時、嬉しそうでした。だから、私も嬉しいです」
「……結局、お互いの前でそう言うことは、なかったがな」
――後悔。兄として、家族として、何もしてやれなかったと目を伏せるアルトアレールに、ハルドメルは首を横に振った。
「これから、たくさん話してあげてください。誇り高きフォルタン家のイイ騎士で……自慢の弟だ、って。そうでしょう?」
「……あぁ、その通りだ」
変わらなければいけない。けれど、急激な変化について行けないこともまたある。
ファルコンネストで準備に奔走する人達、式典を待つ人達を眺めながら考えるのは、魔女マトーヤに投げかけられた言葉だ。
『掲げているその目的は、自分の……誰かの、死を捧ぐほどの願いかね』
元よりハルドメルは、冒険をしたくて旅に出た。その中で、困っている人の役に立てるならと暁の血盟に協力した。そこには大義も願いもなかった。
――今は?
「まだ行ってなかったのかよハル。休んでろってアルフィノにも言われたんだろ?」
「エマネラン」
従者のオノロワを連れたエマネランは、アルトアレールが気にかけていたとおり、いつものような覇気がない。ハルドメル自身がそうであるように、急激な変化や悲しみに、まだ気持ちがついてきていないのだろうとは感じ取れた。ただ言葉をかけてみても、どこかはぐらかすようにするりと話題を変えるばかりで、どうしたものかとハルドメルも悩んでいる。
「……オレ様は別になんともねぇからよ。それよりここの飯うまいんだぜ。給仕の人も美人だったしな! あっ! 美人だからって惚れたわけじゃないぞ!」
「……わかった、ちょっと行ってくる」
考え事をしていたからか、エマネランにも心配されているのかもしれない。アルトアレールに任されたのにな、と後ろ髪を引かれつつも臨時の食堂へ足を踏み入れた。
給仕の女性が温かい飲み物を渡してくれる。イシュガルドでは紅茶を飲むことが多かったが、ここで出されたのはコーヒーだった。これだけ人が多いと、茶葉も足りなくなるのだろうかと思いながらそれに口をつける。随分と、苦みの強いコーヒーだった。
「……みんな、平和の兆しが見えて嬉しいんだわ。ずっと、戦いばっかりだったから」
その女性は、独り言とも取れるような言葉をかけてきた。周りを見渡す。皆一様に、平和の訪れに期待し沸き立っている。
賑やかな雰囲気は、石の家で皆と宴をした時のことを思い出して頬が緩んだ。暁も少しずつ、仲間が戻ってきている。――戻らない人もいる。その人を何より大切に思っていたであろうサンクレッドの気持ちが、今のハルドメルには痛い程よくわかった。
「……っ……、……?」
瞼が急に、重くなる。同時に眩暈のようなものを感じて、焦った。これは、超える力のそれではない。――不味い。
どくどくと早鐘を打つ心臓とは裏腹に、意識は静かに遠のいていく。何事かを言っている女性の声も、殆ど頭に入ってこない。けれど。
「――全部、お前のせいだ」
その言葉だけ、やけにはっきりと聞こえて。
ハルドメルはその言葉にどこか、安堵する自分を感じていた。
大切な人を失った彼女の悲痛な叫びは、あの場にいた多くの人の心を動揺させた。
竜との戦いが終わろうとしているのに、人との争いが起こる。否、戦いが終わろうとしているからこそ、共通の目的を失い、今まで抑えられてきていたものが噴出してきているのか。
エマネランが、気を失ったオノロワを運んでいく。
『変革を進める兄貴たちも、さっきの反対派の奴らだって、本音は幸せに笑っていたいだけだろ !? なのに、もれなく全員、不幸面だ!』
エマネランは、楽しいことが好きだ。噂話でも、催しものでも、色々な所に顔を出す。遊び人なんて言われることもあるけれど、その実誰かを――周りを笑顔にすることは、オルシュファンに負けないくらい得意だと、ハルドメルは思っている。
笑ってほしい。幸せでいたい。そんな当たり前の願いすら、千年の歴史と悲しみの前では、こうもうまく行かない。
「……踏み出した先の明日は、きっと楽しい……」
オノロワの言った言葉を呟く。
それは、とても眩しくて、あたたかくて、きらきらしている――希望だ。
ハルドメルはファルコンネストの、そこにある高い高い尖塔を見上げた。どんな吹雪でも、どんな暗闇の中でも、あの塔の火は必ず人を導いてくれる。オノロワの言葉と、よく似ていた。きっといいことがあるのだと、信じさせてくれる。
そこに辿り着くためには、前へ。一歩ずつでも、前へ踏み出さなければいけない。そのために今、誰もが苦しみ足掻いている。
――こんな時、彼ならどうするだろうか?
嘘みたいな、綺麗事だったとしても。
「このエマネラン・ド・フォルタン、イシュガルドの明日のために、剣を捧げさせてくれ。……どうか、頼むッ!」
その力強い宣言は、父であるエドモン・ド・フォルタン伯爵も驚いたようだった。エオルゼア同盟軍との合同演習への参加。アイメリクの快諾の返事を聞いたエマネランは、一目でわかるほどにほっとしていた。
初めて自分で選んだ道だろう。それをハルドメルは友の一人として、嬉しく思う。その最初の一歩を、より後押ししたい。神殿騎士団本部から帰る道すがら、ハルドメルはエマネランを呼び止めた。
「なんだよ。オレ様ってばちゃんとできてただろー?」
少し調子を取り戻してきたらしいエマネランに悪戯っぽく笑いかけて。
「……合同演習まで、まだ日があるから」
(私は、こうする。シュファンもきっと、やるでしょ?)
「あなたの相棒と……英雄サマと、稽古しよう!」
皇都の中にある騎士団の訓練場は騒然としていた。何せあの救国の英雄と、遊び人だと有名なフォルタン家の次男坊が剣術の稽古をするというのだから。
「な、なぁ相棒……どんどん人が集まってねえか?」
「気のせい気のせい」
「いや気のせいなわけねーって!」
「そういえばラニエットさんが来るって聞いたような……?」
「何っ、そりゃイイとこ見せねぇとな!」
きょろきょろと想い人の姿を探すエマネランの横で苦笑する。そこへ飛び込んできた人に、二人は同時に驚いた。
「アルトアレールさん! 今日はファルコンネストに行かれたんじゃ?」
「あちらは一旦、落ち着きを取り戻している……合同演習が先に行われることもあって急ぎの用もないのでな……少しだけ時間を貰ってきた」
「なんだよ兄貴。また小言か?」
アルトアレールは早足でやってきたのか、呼吸を落ち着けると背筋を正してハルドメルを見た。
「……愚弟に稽古をつけてくれると聞いた。感謝する……同時に、突然の申し出で悪いのだが……私も一緒にやらせてもらえないだろうか」
「……!」
真剣な眼差しは、爵位を継ぎ、国を――イシュガルドを護ると決めたアルトアレールの強い意志を宿していた。自然と、唇が弧を描く。
「……もちろん!」
訓練場に剣戟の音が響き渡る。
「いっ……!」
盾で受けとめた衝撃の強さにエマネランは一瞬怖じ気づく。フォルタン家の指南役とは違う、冒険者の戦い方。だがそれはエオルゼア三国の混合部隊との演習を目前に控えた彼にとって、十分すぎる経験になる。
(……なんだ)
何度か打ち合ってハルドメルは素直に驚いていた。剣術の稽古がうまく行かずに落ち込んでいると、以前オノロワから聞いていたから。
「エマネランっ、経験が、足りないだけ、だねっ!」
「おわっ! き、急に速くなるなよ!」
「筋が、イイっ!」
褒められているのだと気付いたエマネランが、その顔に僅かに喜びの色を見せた。周りに強い人がいるせいで、どうしても見劣りしてしまっていたのだろう。その太刀筋は決して、彼が自信を無くすほど酷いものでは、絶対になかった。
「!」
「こちらも、忘れてもらっては困る!」
アルトアレールとは教皇庁でも共闘した。あれからまた腕を上げたようで、その一撃は重く鋭い。だが――。
「まだ!」
「くッ……」
「まだ、足りない!」
剣を打ち合い、盾すらも武器とする。二人を相手にしながらも、ハルドメルは一歩も引かない戦いぶりで観戦している者をも魅了した。
汗が流れる。それを雑に拭いながら、彼女にしては珍しく――挑発するように笑う。
「……オルシュファンは、もっと、強かったっ!」
「……!」
「ったりまえだろ! あんな筋肉バカと一緒にすんなよぉ!」
アルトアレールの目にさらなる闘志が宿る。泣き言のように文句を言いながら、エマネランもまた食らいつく。強く、もっと強く。彼の愛した国と、そこにいる人達を、護ってもらわなければいけないのだから。
稽古の後、息も絶え絶えになりながら、エマネランは言った。
「と、当日は……ぜってー……オレ様を助けるなよ……ハル……」
「……どうして?」
「……お前と、いると……なんとかなるって……大丈夫だって……思っちまう……だ、だから……助けんなよ! オレだって……やれるんだ……!」
「……うん、わかった!」
たとえ一人で、超えられなかったとしても。
「実に気持ちのよい戦いだった……。コロセウムで『アラミゴの猛牛』の名を馳せていたときも、これほど滾る熱戦は経験したことがない」
ラウバーンの言葉に、忘れようとした――消し去りたいと思った心を思い出す。
合同演習は、イシュガルドの勝利で終わった。喜びに沸く周囲の声とは裏腹に、ハルドメルの心は今、風が止まった海のようだ。
一度、目を伏せた。思い浮かぶのは、数多の戦い。友との三度の手合わせ。そして友の命を奪った者達への、復讐。
いつだってオルシュファンは、全力で向き合い、心の底から楽しんでくれていた。
――確かに復讐だった。敵討ちなどという言葉では取り繕えない、ただ憎しみから生まれた行動。
どちらもまったく違うのに、彼女は――その心の奥底は熱く、熱を帯びた。今もまた。
「……局長」
ハルドメルの様子に何か思うところがあったのか、ラウバーンは静かにその言葉の続きを待った。
「……戦うことは、楽しいですか?」
コロセウムの覇者。前人未踏の通算千勝を為した彼はしかし、望んでその戦いに身を投じたわけではなかった。帝国軍の間諜と誤解され投獄されたラウバーンは、莫大な保釈金を支払うために獄門剣闘士となったのだ。
そんな男に投げかけるこれは愚問だろうか。そう思いながらも、今の戦いの中でもまた感じてしまった熱を、その是非を知りたかった。
「……戦いを肯定するわけではない」
「……はい」
「だが自分が認めるほど強い者と戦う時……魂が震えるほど、熱くなる。貴様もそうだな」
「……、はい」
「吾輩はこれを、悪だとは思わない」
ハルドメルが顔を上げる。長い間、戦い続けた剣闘士。片腕を失っても尚強い彼の言葉は、鎚が金属を打つようによく響いた。
「闘志の一部なのだ、これは。負けられない、絶対に勝つ、退かないという、強い意志の力。それがなければ、恐れを抱き、痛みを避けようとし、瞬く間に敗北するだろう」
「……闘志」
彼もまた、この高揚に葛藤することがあったのか。それはわからない。だがその言葉の一つ一つは、間違いなくハルドメルの中に刻まれる。
「悪ではないが……善でもない。それをただの悦楽だと認識した者は、ろくでもない末路を辿るばかりだった。『飼い慣らせ』。貴様はまだ若い……それに、とんでもないお人好しだ。道を誤ることなど、あろうはずもない……恐れるな」
「……はい! ありがとうございます、局長」
その表情から迷いを消したハルドメルは、ラウバーンに礼をすると、皇都に向かって歩き出した。
(――大丈夫)
全てが解決したわけではない。それでも心の中で唱える言葉は、あの日、自分に言い聞かせるように零したよりもずっと、地に足をつけたようにしっかりとしていた。
(私は、大丈夫だよ、シュファン)
この足は、まだ、前に進める。