イシュガルドがエオルゼア同盟軍への復帰を宣言した日と同じように、この日もまた空はよく晴れ渡っていた。
押し進められる変革に異を唱えた者達の声は、まだ記憶に新しい。だが四国合同演習でイシュガルドが勝利したことにより、貴族も平民も関係なく手を取り合って前に進めるのだという、希望の道筋が示された。その熱冷めやらぬうちに、改めて竜と人との交流を再開する宣言式典が行われている。
「――先逝く者が戦いの末に遺したのは、ほかでもない、貴方の命だ」
アイメリクの言葉に、皆聞き入っている。涙を見せる者もいる。
ハルドメルは自身の胸に手を当てる。今この心臓が鼓動を打つのは、世界で一番大切な親友が、その身を挺して護ってくれたからだ。どれだけ心を尽くしても、返しきれない程の恩。
(それでも……今日をあなたと迎えたかったよ)
誰しも悲しみが消え去ることはきっとない。だからといって、忘れるわけでも、捨てるわけでもない。そっと寄り添いながら、共に歩んでいくのだ。
「竜と人との融和……この願いが再び歴史に曲げられぬよう、すべての証人の心と石に刻んで、和平の誓いと成さん……!」
宣言と共に、聖竜フレースヴェルグとシヴァを描いたレリーフが披露され、会場が沸いた。
異端者の崇拝の象徴と忌み嫌われていたそれが本来の意味を取り戻す。その瞬間に立ち会えたことに、人々は歓喜する。――だが邪竜の咆哮によって、それはかき消されてしまった。
邪竜の影に乗っ取られた友。憎悪そのものが具現化したような存在に全身が総毛立つ。
宣戦布告と言わんばかりにヴィゾーヴニルに槍を突き立てたエスティニアン。その身体を操る邪竜の影の咆哮は、近いうちに空へ響くだろう。
不安が渦巻く中、『英雄』でも『暁』でもない一個人として話がしたいのだというアルフィノに誘われ、二人は雪の家に訪れていた。初めてここにやってきた日と同じ、温かなジンジャーティーを手に。
魔女マトーヤの言葉は、アルフィノの心にも深く刺さったようだった。なんのために戦うのか。それは、誰かの命を捧ぐ程の願いなのか。
「君を支えられるようになりたい……その願いと同じだ。私は、友を救える男になりたい」
怨念と憎悪に塗りつぶされたエスティニアンの魂を、救い出せるかはわからない。だがアイメリクが国を預かる者として、友を討つより他ない立場にいるのなら――それ以外の道を選べるのは、自分達だ。
「あの姿を見て、助けられる道があると考える人はきっといない……。困難でも……それでも私は、その道を探したい……だから同じ友として、君の力を貸してくれ……ッ!」
一人の人間として。一人の友としての願い。なんだかんだと言いながら、今、初めて対等になれたような気がして、ハルドメルは微笑んだ。
「……私もね、マトーヤ様の言葉、ずっと考えてたんだ」
アルフィノの紺碧の瞳と視線が絡む。ここまでずっと、共に歩んできたから、この先にある困難にも、共に立ち向かえる。
「私は、アルフィノや、ミンフィリアさん……賢人の皆みたいに、世界の救済なんて大それたこと、考えたこともなかった。旅をしたい、困ってる誰かの力になれるなら、手を貸したい。それ以外、なんにもなかった」
アルフィノもまた微笑んだ。それは、実にハルドメルらしいと思ったから。
「……でも私も、私の叶えたい願いを見つけた。わかったんだ」
その答えはもう、あの日、ドラゴンヘッドで出ていたのだ。
「私の願いは、私の大切な友が、その大事な人達が、いつも笑って、幸せでいられること」
「――そこには、君も含まれているんだね」
「……うん、だから、大丈夫」
その『大丈夫』に、アルフィノは静かに頷いた。
竜の眼をその身体から引き剥がす――それが、今考えうる中でエスティニアンを救えるかもしれない、唯一の道。そのためには邪竜の影と戦い力を弱める必要がある。
聖竜フレースヴェルグの助力を取り付けた直後、おどろおどろしい咆哮がドラヴァニアの空に響き渡った。全てを討ち滅ぼさんと、邪竜の影が動き出したのだ。
その雄大な翼と、エーテルの力によって凄まじい速度で飛ぶ竜の背に掴まりながら、アイメリク、アルフィノ、ハルドメルの三人は、一直線に皇都を目指す。
竜の背に乗って皇都へ戻るのは、これが二度目だな、と密かに思った。
「――ありがとうございます、聖竜フレースヴェルグ」
『……お主らはしかと、力と意志を見せた。それを信じると決めたのは我。礼には及ばぬ』
「……ミドガルズオルムも」
姿は見えずとも、幻龍の意志は常に傍にある。語り掛ければ、頭に直接響くような声が聞こえた。
『我は我が子に後悔せぬよう助言を与えただけのこと。ヒトの子に助力したわけではない』
「……ふふ」
その返答に血の繋がりを感じて、忍び笑う。落ちないようにと背にしがみつきながら、ハルドメルは目を閉じた。
風を切る音を感じながら、その瞼の裏で見える光景があった。
超える力など発動していない。それでも確かに、視た。竜と人が共に暮らす、穏やかな時代。そこには自身の住み処に入り込み、彼のための居城をせっせと築き上げる人々を疎ましそうに見ながらも追い出さない、ニーズヘッグの姿もまた、あった。
戦場と化した雲廊は、凄惨たる状況だった。容赦のない邪竜の眷属の猛攻。皇都を護るために命をかけて戦う人々。度重なる仲間の死に、怯え、士気を失う兵士達がいるのもまた、当然のことであった。
そこへ現れた、竜の背に乗る人の姿は、彼らに希望を与えられたのだろうか。
「ハルドメル殿! 信じていたぞ!」
戦場の中心に降り立てば、アルトアレールの声が聞こえた。
ハルドメルは振り返って笑う。その信頼が、嬉しくて、心強い。だから、前に進める。
傷を負った仲間を抱えていく人。邪竜だけでなく聖竜まで現れた戦場から撤退する人。
その流れに逆らうように、一歩、一歩。
竜と人との戦い。その決着は、一人の冒険者に託された。
(私は、一人で戦わない)
寂しくて、悲しい。けれど、優しくて、温かな聖竜の力が流れ込む。
剣を抜く。信じてくれる友のために。信じてくれた竜のために。そして。
「――あなたの悲しみを、終わらせたい」
身勝手な考えなのかもしれない。それでも、妹を殺された憎しみに永劫に囚われ続けるその姿は。肉体を失って尚、一人孤独に戦い続けるその姿は、痛ましくて、悲しい。
それを憐憫と受け取ったか、頭が割れそうな程の怒りの咆哮を邪竜は上げる。千年もの間憎しみを募らせ続けた竜の怨念に、もう言葉は届かない。
ハルドメルは深く息を吸って前を見据える。大切なものを奪われた憎しみを、その片鱗でも理解できるからこそ、終わらせたかった。そしてそれと同じくらい、大事なことがあった。
「私の友を、返してもらうよ」
『殺してやる……殺してやるッ!』
怨嗟の声が、ハルドメルの胸に突き刺さる。自身も望んだことがあるからこそ、鏡写しのその言葉は鋭利な刃物のようだ。その痛みを受け止めながら、まだ意識を保っている友の元へ、ハルドメルはアルフィノと共に駆け寄る。
殺してくれと懇願するエスティニアンの言葉を聞かず、ぎょろりと不気味に蠢く竜の眼をその身体から引き剥がさんと力を込めた。
「や、やめるものか! やめるものか、絶対に……絶対に貴方を救ってみせるんだ!」
フレースヴェルグの眼が二人を守ってくれているとは言え、食い込んだ邪竜の眼の怨念はアルフィノを絶叫させるほどの力を迸らせる。
――身体を蝕む昏い力の奔流が、不意に弱まった。よく知った、温かな気配がそこにある。
――いかなる困難も、決してお前を挫かせることはできない。立ちはだかる壁があっても、必ず誰かが手を差し伸べる――
それが、邪竜の力に対抗する中で見た幻だったとしても。
(……いつも、一番イイところで駆けつけるんだから)
ずるいなぁ、と苦笑したら、彼も笑った。
(私は、一人じゃない)
この身に、友の祈りが宿っているから。
イシュガルドという一つの国は今、大きな変化の中にある。
千年に及ぶ戦争は終わり、その根幹たる建国神話もまた崩れ去り。数多の悲しみを抱えて、重い足取りでも、前へ進もうとしている。
――踏み出した先の明日は、きっと楽しい。それが現実になるように。
『また式典に出ないつもりかい? ちゃんと出たのは融和宣言の時だけじゃないか』
アルフィノに諫められたことを思い出しながら、くすりと笑う。ハルドメルは今、幻龍ミドガルズオルムの幻体の背に乗り、ドラヴァニア雲海――白亜の宮殿を目指していた。
『今日は、ヒトの大事な催しがあるのではないのか』
「私はいなくても大丈夫だから……それに、早く返さないとね」
『ふむ、律儀なものだな、ヒトの子よ。――最も、我が子は汝がこうして足を運ぶのを信頼してこそ、あの場から去ったのであろうが』
「ふふふ、光栄だね」
やがて白亜の宮殿に辿り着く。その場でモーグリ族から貰ったラッパを鳴らせば、今までのような冷たいものではなく、どこか穏やかさを感じさせる咆哮と共に、聖竜が姿を現した。
『やれやれ……随分と気安く呼んでくるようになったものだな』
「ごめんなさい。でも大切なもの、預かったままですから」
聖竜が目を細めると、ハルドメルの身体からぼう、と光が溢れる。
その身に宿った、人智を超える力が抜けていく。その全てが消え去る瞬間、エーテル酔いになった時のように、ぐらりと身体が傾いた。倒れこそしないものの膝をついた彼女の傍へ、ミドガルズオルムの幻体が支えるように寄り添った。
「っ……お返しします、聖竜フレースヴェルグ。あなたのおかげで、人は邪竜の影を払うことができました」
『……確かに、受け取ったぞ』
黄金色の光が、ゆっくりと聖竜の左の眼孔へと入っていく。これで本当に、終わりだ。どこか清々しい気持ちを抱きながら、ハルドメルは立ち上がる。正しき主の元へ戻った黄金の眼。それを見上げて、微笑んだ。
「……偉大なる聖竜。失礼を承知で……あなたに触れてもいいですか?」
『……理由を訊いてやろう』
「……あなたに感謝を。感謝のハグを私はしたい」
聖竜フレースヴェルグは呆れ半分、驚き半分で、両腕を広げた人の子を見下ろした。その背に乗せることすら、千年ぶりだったというのに。
『……恐れを知らぬ娘だ。それともそうでなくては、人の英雄など務まらぬということか』
「大切な眼を託してくれたあなたを、恐れるなんてしません」
澱みなく言うハルドメルに、聖竜は呆れとも諦めとも取れる息を吐いて、やがてゆっくりとその頭を彼女へ近づけた。
「――聖竜フレースヴェルグ。あなたの力は、少し寂しくて、でも優しくて温かかった。私を……人を信じてくれて、ありがとう」
気まぐれに口を開けば、簡単に食い殺せる距離。それを恐れることなく、ハルドメルはその顔先に両手を添え、額をつけた。それは奇しくも、聖竜が愛した人の仕草とよく似ていた。
『力に溺れることなく我が兄弟を眠らせてくれたことを、感謝している。――ありがとう』
その言葉に、ハルドメルは表情を綻ばせた。イゼルが彼女に希望を託した――その理由を改めて聖竜は理解する。
「もう一つ、わがままを。背に乗せなくていい。私と一緒に空を飛んでほしい」
『……人の欲は真に深いものだな。何故、そのようなことを?』
問いかけに、ハルドメルは答える。そう、恐れることなく。
「あなたと、友になりたいから」
その純粋さには、どうにも調子を狂わされる。
夕日が照らすドラヴァニア雲海を、父祖たるミドガルズオルムの背に乗った冒険者と共に飛びながら、聖竜は微かに嘆息した。
『我が望むのは静寂……だがお主には兄弟の怨念を鎮めてくれた恩がある。その礼だ』
「はい、ありがとうございますフレースヴェルグ!」
白亜の宮殿から北へ。ドラヴァニア雲海にある数々の浮き島を辿るように、穏やかな風に乗りながらゆっくりと飛翔する。視線を上げれば、遠く、ニーズヘッグの居城が見える。
「……彼の領域に行った時、人が作った建造物がたくさんあるのを見ました。彼の竜も、人が足を踏み入れるのを許していた時代が、あったんですね」
まるで我が事のように寂寞の表情をする人に、聖竜は懐かしむように目を伏せた。
『……人をその背に乗せこそしなかったがな』
「……はい」
過ぎ去った遠い時代。それでも確かに、そこにあった。竜が詩を紡ぐように、人もまたこの事実を、歌に、文字に、あるいは絵にしながら、語り継いでいかなければならない。
「わがままをきいてくれて、ありがとう」
『言ったであろう、これは礼だと』
「ふふ、そうでした」
ドラヴァニア雲海を一周するような短い空の旅は終わりを告げる。白亜の宮殿へ向かいながら、聖竜は少しだけ微笑んだ。
『さらばだ人の子よ。我が子らの融和を願う心が守られることを、切に望む』
「はい、必ず!」
白亜の宮殿へ向かうフレースヴェルグから離れ、ミドガルズオルムの翼はイシュガルドに向かうために羽ばたいた。
遠く聞こえた咆哮の意味は、ミドガルズオルムだけが知っている。