小さなコボルド族、ガ・ブの嘆きが生じさせた、不完全なタイタン。被害を出さないためにそれを討伐して戻ると、アルフィノは心底安心した表情でハルドメルを迎えた。
「あぁ、ハル……! 無事に戻ってくれたか……」
「うん、もう大丈夫だよ」
「ハル! よかった、ひとつ安心したわ……」
「アリゼーもありがとう」
アリゼーはハルドメルの無事に安堵したが、その視線はすぐにガ・ブに戻ってしまう。
――両親の死を間近に見た上、蛮神の力の影響を受けている。大人ですら辛い出来事であるはずで、あんな小さな子供がすぐに立ち直れるとは到底思えない。ハルドメルもまた、大切な友を目の前で喪った。ガ・ブの嘆きも痛いほどに理解できたからこそ、その化身であるあのタイタンを力で捻じ伏せることは、言葉では言い表せない苦しさがあった。
ガ・ブはテンパードになってしまったのか。定まらない視線でぼう、と立ち尽くすだけのコボルドの子供は、人に危害を加える様子もない。わずかな望みに賭け様子を見ようと言ったアリゼーは、ガ・ブを連れて黒渦団に借りたテントの中へ入っていった。
それを見送ると、アルフィノは改めてハルドメルに向き直る。
「……すまない、いつも君には、辛い役目ばかり任せてしまうね」
「……最近のアルフィノ、謝ってばかりだよ。私なら」
「大丈夫……ばかり聞いていると、逆に心配になるものだよ」
「……お互い様ってこと?」
「ふふ、そうかもしれないね」
傷を、と言われて見透かされていることに気付く。大人しく腕の装備を外して見せれば、溶岩の如き泥を受けたせいで酷い有様だった。エーテルを鎧のように身に纏う防護の術があるとは言え、すべてが防げるわけではない。その身はタイタンとの戦いであちこちに傷ができている。
「魔法だけで治せない傷もあるが……早めに処置しないと命に係わることもあるんだ。心配されるのが心苦しかったら、早い申告を頼むよ……もう大切な友を失いたくはないからね」
「ごめんね……いつもありがとう、アルフィノ」
温かな光に包まれると、ゆっくりと傷が癒えていく。あの日から今日まで、ずっと歩みを共にしてきた。守らなければと思っていたのに、いつの間にか支えられている。驕っていたのはハルドメル自身も同じだったと理解したし、アルフィノ自身もまた友を救える男になりたいと願いを口にした。
少しずつ、もっと仲間を頼るように、頼られるように、お互い変化を続けている。
「アルフィノがコボルドと対話しようとしてくれて、すごく嬉しかったし頼もしかったよ」
その言葉に、アルフィノは少し照れたようにはにかんだ。
戦わずにすむのなら。誰も大切なものを、人を、失わなくてすむのなら、それがきっと一番いい。侵略を防ぐためとは言え、同胞であるはずの属州の人間とも刃を交えなければならなかった帝国との戦い。悲しみと憎しみの連鎖を続けていた、イシュガルドとドラゴン族の戦争。その渦中を歩んできたからこそ、尚のこと強くハルドメルは思う。
力で捻じ伏せるのは簡単で、和平への道は険しく困難だ。蛮神を召喚する者達にとって人間は侵略してきた側だからこそ、余計にそうだろう。それでもアルフィノは、その最初の一歩を踏み出し、対話を試みたのだ。
「以前の私ならただ君に頼り、力で解決するだけだっただろうね……目の前の困難を一つ一つ乗り越えて、信頼を得て……融和への道筋を作った君を傍で見ていたからこそ今がある」
「もう、頼りにしてるのはこっちの方だよ」
「……やはり、お互い様のようだね」
二人同時に笑い合った。
ガ・ブとアリゼーはニーム浮遊遺跡の端っこで、静かに星空を見上げていた。二人がキャンプの中にいないことに気付いたハルドメルはその背を見つけるとほっとしながら近づく。
「……誰 !?」
「キャンプにいないから、探しにきたよ」
鋭い目付きで振り返ったアリゼーは、その姿を認めるとふっと表情を緩めた。その隣に腰を下ろして、一緒に星空を眺める。
バハムートと第七霊災についての真相を共に探ったことが、もう随分と前に感じられた。あの件以降、一人でエオルゼアを旅していたというアリゼーは、出会ったばかりの頃と随分雰囲気が変わっている。彼女の旅の話、感じたこと、考えたことを聴きながら、ハルドメルは頬を緩めた。その変化は、アルフィノのそれにも少し似ていた。
「……力は強くなっているはずなのに、って言ってたの……ちょっと、わかる気がするな」
「……あなたでもそう思うの?」
「そりゃ、思うよ。私はただの――」
星空を見上げたまま、ハルドメルの言葉はふと途切れた。アリゼーはその横顔を盗み見たが、彼女の黒い肌は夜に紛れ、闇に慣れた目でも星灯りだけでは表情を伺い知ることはできなかった。
「……ただの冒険者だよ。戦うことばっかり上手くなって……気持ちの方は、どうかな。さすがに旅立った最初の頃よりは、変わってるけど」
気配で、彼女が苦笑したのがわかる。アリゼーにとって、ハルドメルという人は強く、頼りになる存在だった。エオルゼアを襲った第七霊災――その元凶たるバハムートの真核すら打ち破ってみせた、真なる英雄。大きく勇ましいその背中に何度助けられたのだろう。
『あなたは、私の剣になる覚悟がある?』
『……剣なんておこがましいけど、依頼人のことは必ず守ってみせます!』
『……いい返事ね、さすがは英雄だわ』
その時の会話をふと思い出して、アリゼーは無性に恥ずかしくなった。
『……あなた、遠目に見てた時は寡黙な剣士ってイメージだったけれど……随分物腰は柔いのね』
『……えーっと……? それは、褒めてもらってる……のかな?』
ハルドメルは、小さな瞳からなる三白眼に、傷のある顔、感情を読みにくくする黒い肌に、ルガディン族の例に漏れず一際大きな逞しい身体――と、見た目だけでも迫力がある。そこに『英雄』という肩書きがついているのだから、誰もがその屈強さを思わずにはいられないだろう。人に抱く印象は、見た目に引きずられやすいものだ。その例に漏れず『強い』というイメージだけを持っていたアリゼーは、その考えを少し反省した。
第七霊災を巡る調査の中では、アリゼー達の祖父であるルイゾワの姿があった。そのことに気を取られてばかりで、他のことを――彼女自身のことちゃんと見たことがなかったのかもしれない、とアリゼーは回想する。調査への協力を依頼したのでさえ、『英雄』という功績があったからに過ぎなかった。旅する中で聞く噂も、一国の歴史を変えてしまうほどの手柄やその勇猛な戦いぶりばかりで。
強くて、頼りになる。それはきっと、間違いではない。
だが――彼女はいつでもアリゼーに付き従い、その身を守るために誰よりも前へ立った。その背中しか見ていなかったのではないかと、今になって漸く気付いた。
「……ねえ、あなたの話も聞かせてよ。イシュガルドでは、どんな旅をしたの?」
「うーん、どこから話そうかなぁ」
その内側を、知ってみたい――まだ遠いとばかり思っていた背中が本当は、もう少し身近なところにあるのではないか。そう思ってアリゼーは話をねだる。
まるで本に描かれたような、壮大な物語。人々に称えられ――その後無実の罪で反逆者として追われ、逃げ延びた先で千年続いた戦争を終わらせた、英雄の話。そうだとばかり思っていたのに、彼女の口から出てくるのは、助けてくれた友の話、後見人となってくれた貴族へ協力した話、ちぐはぐな仲間達との旅の話。噂で聞いた英雄譚のように大きく動くのは、聖竜フレースヴェルグとの邂逅と竜詩戦争の真相に至ったところからで、それまではとても小さな積み重ねだった。否、聖竜と会った後になっても、ラウバーンの救出だ、クリスタルブレイブの解体だ、と自身の嫌疑を晴らすことに繋がったとは言え、竜詩戦争に関係ないことまで、本当にたくさんの話があった。
「どうりでアルフィノがあんなに変わるわけだわ……随分と色んな経験を積んだのね」
殆ど独り言のように零す。アリゼー自身アルフィノのことを言えたものではないが、人にものを頼む時にあんなに申し訳なさそうにしている兄を、初めて見たのだ。
そうなる理由がこの旅路にあったのだと、当事者から聞いて納得せざるを得ない。
「アリゼーも変わったと思うよ。前より……うん、もっと優しくなった」
「……何よ、前はつんけんしてたって言いたいの?」
「そうじゃないよ」
唇を尖らせると、ハルドメルがふふ、と笑う。その大きな体を縮めるように、膝を抱えた。
「ガ・ブと話す時ね、アリゼーがしゃがんで優しく声をかけてくれたから、答えてくれたでしょ? 私見た目がこんなだし、しゃがんでもまだ大きくて……やっぱり怖がられちゃうんだよね。だからアリゼーが来てくれて助かったんだ」
見た目で怖がられやすいのだとは、どこかのタイミングで聞いたことがある。アリゼー自身は彼女を怖いと思ったことはないにせよ、その見た目や逸話だけで内面を想像していた時期があったのだから、つい閉口してしまった。
「アリゼーもアルフィノも、十六歳なのにしっかりしてて、自分の意見をちゃんと持ってて……前からすごいなぁって思ってたんだよ。二人とも元々優しかったけど……今はそれが、もっとたくさんの人に向けられてるなって感じてる」
「……あなたには負けると思うけれど」
学業のことで褒められることは多かった。何せ最年少でシャーレアン魔法大学への入学を許され、双子揃って神童と持て囃されるくらいだったのだから。だが人当たりのいい兄に比べ、優しいという評価を家族以外から受けた覚えはあまりなく、率直に気恥ずかしかった。
ハルドメルの話は、旅へと戻る。蛮神と化した教皇トールダンと蒼天騎士団を討った後も、融和への道に納得しきれなかった人達の話、邪竜ニーズヘッグの影を屠り、本当の意味で竜詩戦争が終わった話。
長い旅の話の中でアリゼーが気になったのは、祝賀会の後に匿ってくれたという騎士のことだ。その時の話をしていたハルドメルの声は、他と比べて嬉しそうであったから。
「オルシュファンっていう騎士は、きっとすごい人なのね。あなたと対等に手合わせできる実力もだけど……信じていると言っても、匿うのも、あの鎖国状態だったイシュガルドに入れるのも大変だったでしょうに」
「……うん! 世界で一番最高にイイ騎士で、世界で一番大好きな、私の親友だよ」
嬉しそうに、弾んだ声。あぁ、やっぱりまだ何も彼女のことを知らないのだ、とアリゼーは少し悔しい気持ちになった。
「……一緒に旅したエスティニアンとか、イゼルとか、アルフィノより? 暁の賢人達や、バハムートの時協力してくれてた、ウ・ザルやアレンヴァルドよりも?」
「……ふふ、皆には悪いけど、うん、そうだよ」
暗闇の中で聞いた声は、まるで少女のようだった。声自体は少し低めの、落ち着いた女性のそれなのに、その真っ直ぐすぎる声色に何故かアリゼーの方が恥ずかしくなって赤面する。
「そう、なの……ふぅん……そんなにすごい人なら、一度くらいお目にかかってみたいものね」
誤魔化すようにそう言ってみたが、ハルドメルからは数瞬の間返事がなく、その僅かな間さえアリゼーは妙にそわそわした。
「……そうだね。もっとたくさんの人に知って欲しいな。シュファンのこと」
親しいことを示すその呼び方に、やはり少しだけ悔しい気持ちを抱く。
ハルドメルのことをまだあまり知らなかったアリゼーは、そこに少しの寂しさが混じっていることに気付けなかった。
――アリゼーが彼の結末を知るのは、もう少し先の話になる。