雪が降る中、そっと慰霊碑の前にニメーヤリリーの花と、小さく可憐なローズマリーの花を添える。草原を駆けるような爽やかな香りが鼻孔を掠めた。
「しばらく帰ってこられなさそうだから、挨拶にきたよ」
そう言いながら、ハルドメルは慰霊碑の隣に腰を下ろした。地面は雪に覆われ冷たかったけれど、寒さにも随分と慣れたもので、さして気にせず膝を抱え、親友に語りかける。
「……ねぇシュファン」
あなたならどうするのかな。
その問いかけは、彼に対してであり、自分に対してのものでもあった。
目を閉じて、思い返しながら話す。あの日からあった出来事を。これから始まるであろう戦いの話を。
鉄仮面率いるアラミゴ解放を目指す一団が新たな作戦を敢行しようとしている。
ギラバニアからやってきたメ・ナーゴという解放軍兵士からの知らせに、エオルゼア同盟軍に復帰したイシュガルドを含む四国は、対策のため会議を開いた。
その道すがら、アイメリク達と共にキャンプ・ドラゴンヘッドに立ち寄ったハルドメルは、フォルタン家の次男であるエマネランが新たな指揮官に任命されていたことを知った。
「空席のままにはできないなって伯爵……エドモンさんが言ってたけど……」
「ハハ……オレが指揮官だなんて驚きだよな?」
苦笑いしたエマネランは、まだ少々頼りない。だが自信のなさそうな表情の中にも、秘めた決意があることは見て取れた。自分の指示で人を傷つけた――人々の信頼を損ねたあの日の彼とは比べるべくもない、責任を自覚し、背負う覚悟をした表情だ。
「自分にできることを、自分なりにやってみるつもりさ。オノロワやキャンプを守るみんなの助けを借りながらな」
「――かっこいいよ、エマネラン。ラニエットさんもびっくりしそう」
「っ……ま、まあなー! いやーさすが相棒はわかってんなー!」
「ハルドメル様、相変わらずおだてがお上手です、はい」
「ふふ、本心だよ」
屈託なくそう言い切るハルドメルの笑顔に、エマネラン以外の人間も気恥ずかしさを覚える。いつも彼女は心の底から人を誉め、感謝し、尊敬する人だった。
「ドラゴンヘッドも、イシュガルドのことも、お願いするよエマネラン。……私の家でもあるんだから」
「……あぁ、任せとけ!」
地道に実績を積み上げて指揮官となったオルシュファンとエマネランでは、簡単に比べることはできない。剣の腕も書類仕事も、まだまだエマネランは経験不足だ。――だが。
「国境線の警備もエマネラン様の監視も、僕達がしっかりやっておきますのでご安心くださいハルドメル様、はい」
「私達も新指揮官様には早く一人前になっていただきたいので、びしばし行きますよ~!」
「お、おいお前ら、そりゃ新人だけどよ! ちょっとくらい指揮官に対する尊敬の念ってものがねぇのか!」
「あはは、がんばってね、エマネラン!」
少々頼りなくとも放っておけない、この人の力になってあげよう――そう思わせる人望。そして自分の実力不足の時は、人に頼る事のできる素直さ。彼が持ち得るその才能は、唯一無二のものだ。だから、安心して任せられる。
なんといっても、キャンプ・ドラゴンヘッドの皆は、そんな指揮官を支えてくれるとびきりイイ部下ばかりだから。
「……っ、武器を収めてください……!」
鉄仮面の思惑通りに事が進んでいる気がする――アルフィノの懸念は当たっていた。
彼らがバエサルの長城を攻めれば、エオルゼアにも戦渦が広がる。それを防ぐために防衛網を敷き、各国のグランドカンパニーが周辺に配置された。――それを、利用された。
あたかもエオルゼア同盟軍が帝国領たる長城に攻め入ったかのような状況にされ、ハルドメルは鉄仮面を止めるためにその姿を探し長城を駆け抜ける。
(あの時演説を聴いてた人達も、影武者の人も……いるのかな……)
彼らの願いは、故郷アラミゴの奪還だ。エオルゼア諸国も、帝国に支配されたかの地を忘れたわけではない。だがどの国も自国のことで手一杯で、長く後回しになってきたというのは、確かな事実だ。
だからといって――よりにもよって、漸く足並みが揃ってきたところだったのに、こんなにも強引に事を進めるなど。
「っ……退いてください!」
止めようと立ち塞がる者達の武器を折り、弾き飛ばし、あくまでもハルドメルは撤退を呼びかけた。エオルゼア、ひいてはイシュガルドをも救った英雄の呼びかけに、戸惑い、躊躇いを見せる者も多い。
朝焼けのような紺と朱の交わる、波打つ髪。夜を思わせる黒い肌。海を切り取ってきたような碧の瞳。一睨みしただけで相手を委縮させる鋭い目付き。その大きな身体も相まって、遠目に見てもそれが誰であるかがわかる。ましてや彼女に直接助けられた者、その姿に憧れた者も多い。彼女が通った道筋の限定的な範囲であっても、動揺は確かに広がっていた。
そうして戦意の薄れた者達の中を彼女は駆け抜ける。エオルゼアはアラミゴを見捨ててなどいない。こんな強引なことをしなくても、協力し合えるはずだ。そう、ハルドメルは信じていた。だが鉄仮面の――イルベルド・フィアの妄執と絶望、親友への失望と羨望が入り交じった憎悪の深さは、誰にも予想しえないものだった。
折り重なる無数の遺体。無念と絶望を表すかのように、天へと伸ばされた腕。見開かれたままの濁った瞳。身を投げ地に墜ちたイルベルドの両手にある竜の眼から、闇よりもなお昏い怨嗟のエーテルが溢れ出す。
誰が予想し得ただろうか。雲海から竜の眼を得て戻って来られる者がいるなど。誰が想像できただろうか。その莫大なエーテルと夥しい怨嗟の念が、新たな蛮神を生み出す、その術式を成立させてしまうなど。
その強大な光と力を感じた時、誰もが思った。――敵わない。人の手では。たとえ幾度も神殺しを成してきたかの英雄ですらも。
(――でも)
ハルドメルは震えそうな手を剣に添える。あの光から生まれ出るモノが、どんな存在かはわからない。逃げたところで、それで助かるわけでも、終わりになるわけでもない。
アレは帝国どころではない、全てを燃やし尽くす破壊の権化だと、肌で感じられるほどのエーテル量。退くことも無意味ならせめて、ただ終わりを待つのではなく、僅かな可能性に賭けて立ち向かうべきだ。それが、これまでの旅で数多の困難に立ち向かってきた彼女の答えだった。
だがかつてアリゼーと挑んだ地下に眠る蛮神バハムート。あれですら蛮神そのものではなく、その真核にあった魂たる存在を打ち破ったにすぎない。あの光に勝てる道筋は、全く見えなかった。
「どうにか……してみせるさ……」
だからこそ、パパリモのその言葉に誰もが瞠目した。カルテノーの戦いでルイゾワ・ルヴェユールが行使した封印魔法を使ってみせると。
「……っ、あ、アルフィノ……」
「…………」
封印魔法について、ハルドメルは何も知らない。知らなかったが――そこにある気配を明確に感じ取って思わずアルフィノを呼んだ。アルフィノは苦々しい表情で僅かに目を伏せるだけで。それだけでもう、充分だった。
「パパリモさん……っ」
「イダを連れて行ってくれ……早く行け、ハル! 僕は足止めしかできない……君達に託したいんだ!」
「ハル……!」
アルフィノが耐えかねてその手を握った。アルフィノはこの場にいる中で、一番、誰よりもハルドメルをわかっているつもりだ。
目の前で友が命を散らす様を見てきた。その渦中で、たくさんのものを背負って戦わなければいけなかった彼女は、誰よりも強く、誰よりも沢山傷ついて。ただ、その傷を、痛みを耐えて前に進めてしまうだけなのだ。本当は誰よりも人一倍、失うことを恐れる彼女に酷い仕打ちをしていると理解して、それでも。
――ハルドメルが動けなかったのは、ほんの数瞬のことだっただろう。その唇は確かに「ありがとう」と言っていた。
彼女は選ぶ。自分の意志で背を向け、自分の足で飛空艇に飛び乗った。――あぁ、また、とアルフィノは歯噛みする。仲間を失うことはこの場にいる全員が、帰りを待っているアリゼー達だって、受け入れ難く苦しいことだろう。そうだとしても――竜詩戦争からまだ然程時が経っていない今、ミンフィリア、そしてパパリモという仲間を見送らねばならないハルドメルの胸中を、アルフィノは想わずにはいられなかった。
あのバハムートをも捕らえたという兵器、オメガの起動。
それはシドとネロの協力、そしてイダ――もといリセの決意によって為された。
パパリモが封印魔法を使うことで時間を稼いだからこそオメガを起動でき、新たな蛮神の脅威を、一時的とは言え退けられた。
――結果だけ見れば、最善の選択だったと言えるのだろう。残された爪痕は痛々しくとも、仲間のためにそれぞれが悲しみを抱えながらも前を向いている。
雪の家に転がり込んだ時は両目いっぱいに涙をためていたタタルですら、『今はぐっと堪えて踏ん張る時だと思うのでっす』と言った。下も後ろも見ている場合じゃないぞと自分を鼓舞してはみても、重苦しいものも、じくじくと痛み続ける傷も増えるばかりだ。
「……だから来ちゃった」
えへへ、と眉を下げて笑う。しばらく戻れないだろうというのも、だから挨拶をしに来たというのも本当だ。だがここに来れば――親友の隣に来れば、ただ一人の人として、自分の内にあるものを素直に吐き出せたし、そんな自分を容易く受け入れることができた。それでいいんだと、言ってくれる人だったから。
『何か他に良案でもあるのか? また、そこの英雄様にすべてを押しつけて、成功すりゃおだてて終い、失敗したらすべておじゃんってか?』
あの光の繭にどう対処するか――その話に割り込んできたネロが言い放った言葉に、誰もが苦々しい顔をして言い返せなかった。
『貴様も、気付いているのだろう――!』
イルベルドの言葉が脳裏を過る。その特異な力を利用されていると。
お前は利用されている。押し付けられている。
君にばかり頼ってすまない。押し付けてすまない。
何度も言われてきた言葉だ。
「……私、自分で選んだよ」
拗ねたように、唇を尖らせる。たとえその時取れる方法がそれしかなかったのだとしても。足を進めたのは、その手に剣を取ったのは、最後は自分の意志だったのだとハルドメルは想っている。だからこそ、そんな風に言われるのは……少しだけ悲しかった。
冷たいが、優しい風が同意するように頬を撫でる。ハルドメルの手が右目より上、こめかみにある傷にそっと触れた。
「アラミゴのことも……きっと仲介だけじゃなくなると思う。だから、私が剣を取る理由を考えてた」
それも伝えに来たんだと、ハルドメルは笑った。誰にも知られなくていい。ただ一人、親友が聴いていてくれればそれでいい。――否、彼だけに知っていてほしい。この我儘を。
エオルゼアの人間が蛮神を召喚した。それを帝国が見過ごすはずもない。アラミゴだけでなく、エオルゼアにも戦渦が広がりかねない緊迫した状況の中で、それを放っておけるようなハルドメルではもちろんない。
だが、『困っている人のため』だけではなく、『自分の願い』も持っておきたい、持っておくべきだと、思うようになっていた。
「私が戦うのは、友のため。アレンヴァルド……ウィルレッド……あの二人を故郷に連れていってあげたい。それから――」
彼女は少し間を置いて、静かに友を見つめた。
「自分のため。私、もっともっと旅がしたい。いろんなものを見て、聞いて、感じて……あなたにも話したい。いつかガレマルド……イルサバード大陸だって普通に旅できるような、そういう世界がいい。だから戦いは終わりにしたい。そのためにできることがあるなら、やりたい。そんな理由で――人を、殺すのかって、言われてもしょうがないけど」
苦く笑う。自分のやる事を正当化したいわけではない。ただ――ただ誰かのためと言いながら状況に合わせて選ぶのではなく、『自分で』戦いを選ぶ理由を、明確にしておきたかった。称号も、周囲の願いや期待も関係ない、自らの意思を。
「……ギラバニアに行くのはね、初めてだから、本当は楽しみ。皆には、言えないけど」
冒険者としての気持ちを隠さず、冗談めかしてそう言う頃には、内側にある痛みも重みも、大分和らいでいた。やっぱりシュファンはすごいなぁなんて思いながら、まだここにいたいとぐずる足を宥めて立ち上がる。彼が望んでくれたように、笑って旅をするために。
「お土産話、楽しみにしててね。――いってきます!」
一際強い風が吹いて、ローズマリーの花弁を空へと攫っていった。