大切にしたいと、思った。この上なく素晴らしい友のことを。
魔導城プラエトリウムを制し、ガレマール帝国からの侵略の危機が一時的に去ってからも、ハルドメルは目まぐるしい日々を送っていた。
『エオルゼアを救った英雄』などという肩書きがつき、噂やら憶測やら曖昧な情報に尾鰭がつきまくり、人によっては『山のような大男』だの『隻眼の女戦士』だの、見た目の情報についてはめちゃくちゃな様子だった。一介の冒険者から一躍有名になってしまい、各地にちらほらと偽物が出現しているという影響もあるのだろう。ハルドメルとしてはそんな誤った情報のお陰か、街中で注目を浴びたり声をかけられるといったことは今のところ少なく、それはそれでありがたくはあったのだが。
秘密結社であった暁の血盟は帝国を退けたことで三国からも正式に認められ、志願者も大幅に増えた。規模と政治的な問題もあり、拠点をモードゥナのレヴナンツトールに移した暁は順風満帆かと思えばそんなこともなく。
蛮神問題、難民問題、国交問題。そしてアシエン。たとえ暁が直接関与する事柄ではなくても、それぞれが複雑に絡み合い影響を及ぼしてくる。一朝一夕に解決するようなものではなく、特に政治とカネが絡むとより厄介だ。蛮神を倒せば、帝国を退ければ収まるような単純なものならばよかったのだが、今まで武力の面で頼られることの多かったハルドメルは、ここにきて自身の無力さに軽く絶望すらしていた。
(賢いつもりはなかったけど、ほんとに何にもできないなぁ……)
代表として矢面に立って奔走しているミンフィリアとアルフィノのことを、心の底から尊敬する。適材適所とは言うものの、彼らの心労を考えれば自分のできることなどたかが知れていた。『英雄』の肩書きがある以上重要な会議に同席を求められることもあり、役に立つならと参加している程度だ。参加するだけで、話に入っていくことなどできないのだが。
(英雄……かぁ……)
クイックサンドでお気に入りのクランペットをつつきながらハルドメルはため息をついた。
イフリートを倒したあたりから聞くようになってきたその言葉。あの時も今も、ハルドメルは自分が『英雄』と呼ばれるほどの人間ではないと、思っている。ただ――。
『あなたはエオルゼアで顕現が確認されている主要な蛮神を、軒並み倒したことになるのよ』
ミンフィリアから伝えられた言葉。各国から贈られた感謝状。共に戦ってくれる仲間もいたとは言え、毎度毎度その現場に居合わせ、最前線で盾を掲げ、剣を振るってきた。
それ自体は事実で、流石に認めざるを得ない。確かに今の自分には、強大な敵に立ち向かえるだけの力はあるのだと。
皆がその偉業を認め、感謝しているというミンフィリアの言葉は確かに嬉しかったけれど、同時にもやもやとした、後ろめたいような気持ちを抱いているのも事実で。
「ハルドメルさんお届け物クポ〜」
「あ、うん、何?」
「お手紙クポ!」
急に意識が引き戻される。モーグリから渡された手紙を見ると、両親からのものだった。
なんだかんだ旅の途中で会えるのではないかと思っていたが、実際はそう簡単に遭遇するわけでもなく、時々こうして手紙のやり取りをしていた。
「何々〜? 最近は……えっラザハンにいるの…… !? そりゃ会わないわけだよ……」
『急にあなたが親離れしちゃうもんだから気が抜けちゃってね! ずっと働き詰めだったし、新婚気分でラザハン旅行してるよ!』
母の字でそう書かれた紙からは、昔ラザハンから香を仕入れた時と同じ匂いがした。旅をしたいと親元から離れたというのに、今や親の方が冒険しているのではないか……と思わず苦笑いする。
「まぁ、あの二人らしいけど」
口元が緩む。久々に顔を見たいなと思ったけれど、ラザハンにいるとあってはしばらく叶いそうもない。後で返事を書こうと手紙を丁寧にしまいなおし、ハルドメルは冷めかけているクランペットに意識を戻した。
「あなたの活躍を知り、暁に入ることを決意した。そのあなたと手合わせできるなど……子供達の稽古のためという理由もありますが……天にも昇る気持ちです!」
「ふふ、負けないよ、ホーリーボルダー!」
「いざ、尋常に!」
「ホーリーボルダーがんばれー!」
東方の国、ドマから逃げ延びてきた人々は、ここレヴナンツトールで開拓団の一員として力を貸すことを条件に受け入れてもらっていた。その子供達は急激な環境の変化にもめげず毎日修行に明け暮れている。今日はいつもの修行とは趣向を変え、指南役であるホーリーボルダーとハルドメルの実戦を見せるという話になったのだ。話を聞きつけたイダ達が勝手に観客を呼び寄せ大事になってしまっているが、やることは変わらない。声援を受けつつ、二人は剣を振るった。
「はッ」
「なんの!」
一撃。二撃。盾でいなして見せる。ホーリーボルダーとてクルトゥネと共に長く旅をしている冒険者だ。そう簡単にやられはしない。
(……強い!)
ハルドメルは自然と口角が上がるのを自覚する。
彼女にとって戦いというのは大抵、自分や他人の命が危険にさらされる時だ。けれど今は違う。純粋に腕を競い合うもの。命のやり取りではない、本気の一対一のそれに高揚を覚える。訓練用の木刀を何度もぶつけ合いながら、『差』を見極めていく。
「こちらからも行きます!」
「っ、と!」
力強い一振りを盾で防げば、痺れるような衝撃が腕を覆う。単純な力だけなら恐らくホーリーボルダーの方が上だろう。だが。
(速さは、こっちが上!)
続く横薙ぎの二撃目を低い姿勢で躱し、地面を蹴った勢いで懐に入り込んで突きの一撃。
「ぐぅ!」
「まだ!」
振り抜かれた剣を叩き落とすように盾の打撃を使った二撃目。しかしこれは寸でのところで避けられる。
観客達の多くは『英雄』のほうが強いと思っているかもしれないが……そんなことは全くない、とハルドメルは手応えを確かめる。ホーリーボルダーは強い。
(まだ……!)
呼吸を詰めてさらに三撃目。身体の捻りを生かし、鞭のように振り下ろす。
「ぐわっ……!」
今度はまともに食らった。ホーリーボルダーが地面に膝をつくが、心配そうにしながらも応援を続ける子供達の声を受け、再び立ち上がる。
「すぐ終わらせるわけにはいかないというのもあるが……悪いなホーリーボルダー、私も参戦させてもらう!」
「クルトゥネ……!」
「こんな戦いを見せられて……じっとしているのはさすがの私にも無理だ!」
憧れの『英雄』の戦いを前に高揚しているのはクルトゥネもホーリーボルダーも一緒だった。ホーリーボルダー一人でも手強いのにと思いこそすれ、やめてほしいとは思わない。ハルドメルは再び高揚を自覚する。強い人との手合わせは、楽しいのだ、と。
「やっぱねえちゃんはすげえや!」
「さすが俺達の英雄! エオルゼアの守護者はこうでなくちゃな!」
手合わせは大いに盛り上がった。
二対一で『英雄』が勝ったということもあり、多くの賞賛の声が浴びせられる。正直なところ過剰に褒め称えられるのは恥ずかしかったし、対峙した二人が強かったことも伝えたかった。だが勝ってしまった以上、実力は証明されてしまった。下手な謙遜は嫌味に取られることもあると旅の中で学んだ彼女は照れながらも、甘んじてその賞賛の嵐を受ける。
「ハルドメルさん! 手合わせの件本当にありがとうございました。やはり、あなたはとても強かった……!」
「今回ばかりは、私も熱くならずにはいられませんでした……もっと強くなってみせますよ、私達も」
「こっちこそ、すごく楽しかったよ! 二人とも強かった!」
興奮冷めやらぬといった様子の二人と健闘を称え合う。先ほどの高揚感を思い出し、微かに熱の篭もる息を吐いた。やる気に燃えるホーリーボルダーと戦技のことについて話しながら、ふと一人の顔を思い浮かべる。
(……シュファンとも、手合わせしたいなあ)
フランセルを助ける際、駆けつけたオルシュファンと共闘したことを思い出す。僅かな間ではあったが、彼がいかに強いかはしっかりと肌で感じ取れた。きっと剣を合わせれば、多くの学びが――そして今日のような高揚が得られるだろう。
(でも忙しいだろうな……)
あれ以降、キャンプ・ドラゴンヘッドには何度か顔を出している。
ヤエル達はいつも温かく歓迎してくれるが、肝心の友はと言えば、異端者やドラゴン族のことで忙しいのか、なかなか顔を合わせられずにいた。
「ああ我が主……なんと間の悪い……」
とはコランティオの言。
「ふふ、あなたに会えなかったと知ると物凄く肩を落とすから、最近は黙ってるの」
とはヤエルの言である。
初めて友と呼べた人なのにな、と思っていた彼女の耳にその話が飛び込んできたのは、数日後のことである。
「え……フォルタン家からの支援物資が……?」
「あぁ……どうやら異端者の集団に奪われてしまったらしい……あちらに連絡をいれなければな」
怪我の治療を受けている冒険者を横目に見ながらスラフボーンが説明してくれる。各地から続々と届いているレヴナンツトール開拓のための支援物資。それをフォルタン家が用意してくれているとは初耳であった。イシュガルドという国からではなく、キャンプ・ドラゴンヘッドを預かるものとして、近隣の土地を守る者同士として出資してくれているのだと。
「お前は確かフォルタン家の騎士とも親交があったな。忙しいのは重々承知しているが……現地へ赴き力を貸してやってはくれないか?」
「は、はい、もちろんです」
事態としてはまったく芳しくないのだが、彼と話をする機会ができたことに何とも思わないと言えば噓になってしまう。ハルドメルは久々に友に会える機会だとそわそわとした気持ちのまま、キャンプ・ドラゴンヘッドへと向かった。
「シュファーン……いる?」
ドアの隙間からひょこりと顔を覗かせると、書類から視線を上げたオルシュファンとかちっと視線が合う。久々に顔を見られて思わず顔が綻んだ。部屋の中に入ると喜色満面といった様子のオルシュファンが足早に近づいてくる。
「ハル !! !! !!」
「わ……あはは、久しぶり」
「どうした、更に強靭になった肉体を私に披露しにきたのか !?」
「え、肉体は披露しないけど……」
「……違うのか?」
「? うん」
「……………………本当に?」
「シュファンに話があって、会いに来たんだよ」
そう言って笑うと、彼は数秒固まった後、くるりと背を向けて軽く咳払いをした。
「……そうか、それならば……うん、いやしかし、お前の顔を見れば重要な要件があるということはわかるぞ。盟友たるこのオルシュファンに、何なりと言うがいい」
(人の調子を狂わせることにおいて右に出るもののいないオルシュファン様が……)
(調子を狂わされている……!)
二人の話を聞きながら肩を震わせているヤエルとコランティオがいたとかいなかったとか。
以前フランセルが異端嫌疑をかけられた時にも学んだが、異端者とはイシュガルドにとって、ドラゴン族側についた『裏切り者』だ。であれば疑い調べるのは当然のことではあるが、やはりあの『異端審問』というやり方はおかしいと、今でも思う。だが今追っている『氷の巫女』率いる異端者集団については、実際に支援物資の略奪、商人や荷を運ぶ人たちに危害を加えているのだから、当然無罪なわけがないのだが。
スノークローク大氷壁で消えた異端者のことをドリユモン卿に伝え、オルシュファンにも伝えるためドラゴンヘッドへまた戻る。雪に慣れたレンタルチョコボは嫌な顔一つせず走ってくれてありがたい限りだ。
オルシュファンは相変わらず鍛えられた肉体について思いを馳せていたようで、どこか恍惚とした様子で語る姿に苦笑いもした。
「時が許せばサシで向き合い、稽古をつけてもらいたいが……」
――が、その言葉に思わず心臓が跳ねる。ホーリーボルダー達と対峙した時の高揚を思い出して、そわそわと指を組み替えた。
「ハル?」
「わっ……ご、ごめん、報告だよね」
心ここにあらずといった様子にオルシュファンは首を傾げたが、報告の内容はしっかりしたもので感心した。その真摯さは、出会った時から変わらない。だからこそオルシュファンは彼女を信頼し、友と呼んだ。親友を救ってくれたというだけではない。その強さもひたむきさも、他人のために怒れる優しさも、尊敬に値する人だと、感じたからだ。
一通り話し終えると、ハルドメルは少々落ち着かない様子でオルシュファンに声をかける。
「あ、あのねシュファン……」
「フフ、どうした。お前がここに残るというのなら、レヴナンツトールへは代わりの伝令の一人や二人……」
「今は忙しいかもしれないけど……私もシュファンと、手合わせしたい」
「……」
「け、稽古とか、教えるのはやったことないし、できるとも思えないけど……オルシュファンは強いから、手合わせして私も勉強したい」
「…………」
急に俯いて黙り込んでしまったオルシュファンに、何か不味いことを言ってしまっただろうかと慌てる。せっかくできた友達に嫌われてしまったら――。おろおろしているとオルシュファンは低く、抑えたような声で。
「……時間さえ……」
「……?」
「時間さえッ……あれば……今! すぐにでも !! やりたいに決まっているだろう !! くっ……戦神ハルオーネよ……これは一体何の試練だというのだ…… !!」
その言葉で、ああ、同じ気持ちなのだと、肩の力が抜ける。同時に、まだ信じきれていない自分に呆れもする。頭を抱えるオルシュファンの前で、ハルドメルは笑って小指を差し出した。
「……じゃあ、落ち着いたら、絶対! 約束……してくれる?」
「当然だッ」
すぐさま絡んだ少し無骨な小指。初めて自分から持ちかけた、友との約束。別れを恐れていたかつての少女は、いつのことになるかもわからない約束に心を弾ませた。