銀色だ、と思った。
きらきらとした陽の光を浴びて、鈍く光る銀。
その色だけが、脳裏に今でも焼き付いていた。
「ハル、来週からは黒衣森方面だから前回と同じやつをお願いしてきてね」
「はーい」
緩く波打った、深海のような紺の髪が揺れる。レッドルースター農場の風車の間を走る人影は、十歳の子供であった。――が、その身長は、子供と呼ぶには少し、いやかなり大きい。
「スカルンマルさーん」
「はいよハルちゃん、お使いか?」
「うん、来週にはここを発つから、前と同じのを用意しておいてほしいの。積めるだけ積んで行くんだって」
「何、もうそんなに経ったのか。一ヶ月なんてあっという間だなぁ。寂しくなるよ」
私も、と答えた人物は、一見お使いを頼まれるような年齢には見えない。
それもそのはずだ。その子供はエオルゼアで最も数が多いと言われるヒューラン族ではなく、ルガディン族であったから。
ルガディン族はエオルゼアの中で一番大柄で、男女共に屈強な肉体を持つ種族である。成人の殆どが身長二ヤルムを優に超え、子供もまた他の種族とは一線を画す大きさになる。
現にハルと呼ばれたその子供は齢十歳であるにも関わらず、一般的な成人のヒューラン女性――正確に言うならばミッドランダー族であるが――と然程遜色ない身長であった。体格の良さもあり、もし肌の色でルガディン族とわからなければ成人と間違われる大きさだ。
しかしながら言葉を交わす人物もまたルガディン族であったため、その身長差から彼女はまだ子供なのだと、他の種族から見てもわかったことであろう。
「今回の滞在は長かったけどもう出発の日が来ちまうんだな。ハルちゃんには特別におまけつけとくから、うちの商品をいっぱい宣伝してきてくれよ! まだまだ新しい農法を試してるからな」
「ありがとうございます! ここで採れるもの全部おいしいから、きっとすぐ売り切れちゃう!」
「いつもお父さん達の手伝いしてハルちゃんは偉いねぇ。うちの息子にも見習わせたいよ」
近くで傷物のチェックをしていた女性も話に加わる。それはこの少女が――ハルドメル・バルドバルウィンがよく言われる誉め言葉だ。
行商人を両親に持つこの少女は、今よりも幼い時から親と一緒に各地を転々としている。
旅先で困ることのないようにと、読み書きはもちろん簡単な計算も教わっており、大人相手でもあまり物怖じしない。ルガディン族らしく幼いながら筋肉の発達も良く、荷運びの手伝いから簡易な帳簿まで、家業をよく手伝っている。
そんな彼女を、出会う大人達はよく誉めた。それ自体はもちろん嬉しいことではあったが、彼女自身は少し複雑に思っていて。
両親の手伝いは自分がやりたくてやっている。それは間違いない。だが彼女は、気軽に遊びに行くという選択ができない、一つの悩みを抱えていた。
この付近で滞在するにあたって一時的に借り受けている家屋の管理人と話した後、その家から出ようとしたところで勢いよく扉が開き、何かが体にぶつかった。
彼女自身は何ともなかったが、ぶつかってきた小さな体は跳ね返って後ろに倒れた。
「わぁッ」
「わ! ご、ごめんね、だいじょうぶ……」
「ひゃっ……ご、ごめんなさいい!」
ぶつかってきたヒューランの子供は恐らく同年代だが、ハルドメルの顔を見るや否や管理人――親の後ろへ隠れるように逃げ込んだ。
「くぉら! ドア開けるときは気をつけろっていつも言ってんのに!」
「だ、だから謝ったじゃん! いででで!」
「ごめんねぇハルちゃんバカ息子が失礼して……話は終わってないよバカ息子!」
「い、いえ! 私は大丈夫ですから……」
その手を放してあげてはと言いかけたが、ぎゃんぎゃんと言い合いをする二人に気圧され、「失礼しまーす……」と遠慮がちに声をかけ、その場を後にするしかできなかった。
「……はぁ」
わかってはいても、ため息が出てしまうのは仕方のないこと、と自分を慰める。
この世界では、ベージュや褐色の肌を持つ者が半数以上を占めている。その代表格たるヒューラン族の人口が多いのだから、自然とそうなるのだが。
そんな中でルガディン族、特にハルドメルと同じゼーヴォルフの民は緑から青、白と多種多様な肌の色を持っている。ハルドメル自身は父譲りの薄らと緑がかった黒という、ルガディンの中でも比較的少数派の肌色をしていた。
エレゼンやミコッテなど同じような肌色を持つ種族ももちろんいるが、ルガディンという豊かな体躯を持つ種族が故に、同年代の子供からは怖がられることが常である。
曰く、肌色の影響で表情がわかりにくい。背が高く恰幅も良いため、見下ろされる圧迫感がある。そして、海を閉じ込めたような小さな瞳からなる三白眼は、睨まれているように感じる目付きの悪さなのだと。
「……そんなにコワい顔に見えるのかな」
とぼとぼと帰り道を歩きながら口を尖らせる。体こそ大きいものの、その仕草は子供のそれだ。
両親から愛され、大人達にも可愛がってもらっている彼女は、自身の容姿を憂いたことはない。だが頻繁に怖がられるようでは悩みもする。
そういった事情もあり、元から穏やかな性格である彼女は輪をかけて大人しく……言ってしまえば引っ込み思案になってしまっていた。自分を怖がる、自分より小さな相手に対して、ではあるが。
同年代のルガディン族とは遊べることもあるものの、今回のように一ヶ月も滞在することは珍しく、短い期間でお別れになってしまう。すぐさま打ち解けて仲良くできるわけでもなく、既に出来上がったコミュニティの中へは、入る彼女も入れる子供達もどこかぎこちないことが多くて。
怖がられるのは悲しい。
すぐお別れになるから寂しい。
そんな環境から、彼女はいつからか友達を作るのを殆ど諦め、より親の仕事に関わるようになった。大人達は彼女を怖がらない。可愛がってくれる。褒めてくれる。ただそれでも、寂しさがなくなるわけでもなく。
「……なにやってんだろ」
あーあ、と近くにあった小石を蹴った。それは普段の彼女であれば絶対にやらない行動だ。何故なら――。
「あ」
蹴った石は思ったよりも遠く飛び、壁のように大きなグゥーブーにこつんと当たった。
『いいかいハル、外を歩く時はさっさと歩くんだ。よそ見したり石を蹴ったりして遊んじゃいけない。もし石が魔物に当たったらどうなる? ……そうだ、気をつけるんだぞ』
普段の言いつけを忘れるほどに落ち込んでいたことに思いを馳せる暇もない。くるりと振り返ったグゥーブーと目が合い、背筋がざわりとした。
「っ、ぅ……」
緊張で声が漏れる。父から与えられた護身用のナイフを手に取るが、実戦経験などまだない十歳の少女は、どうかこのまま引き下がって、と祈る。石をぶつけてごめんなさい。でももう何もしない。だからどうか、と。
一歩歩く度にその重量が地面越しに伝わってくる。グゥーブーから目を離さないまま、じり、と少しだけ後ずさった。
「!」
グゥーブーの細く長い、鞭のような腕が振り上げられる。恐怖で声が出せないこともあるのだと、彼女はこの時初めて知った。
「目を閉じろ !!」
突然聞こえたその声に、恐怖で竦んだ身体は反応できない。
飛び込んできたのは、閃く銀。陽の光を浴びて鈍く光る、銀色だ。
ガン、と金属の音がした。一瞬で少女と魔物の間に飛び込んできたその銀閃は、盾で一撃を防いだようだった。
「ッうあ……!」
目の前で走った閃光に視界が焼かれる。目眩しの、多分、魔法だった。強すぎる光の衝撃で平衡感覚を失い、立っていられなくなる。
剣の音、グゥーブーの悲鳴のような咆哮が聞こえ、足音が遠ざかっていくのを感じた。
頭がぐらぐらする。目眩しの影響なのか、それとも安堵して腰が抜けたのか、ハルドメルは地面にへたり込んだまま動けない。
「大丈夫か?」
ぼんやりとした視界の中で、手が差し伸べられたのがわかった。頭が酷く痛い。重い身体を動かし、なんとか手を伸ばした。
「ふむ……まだ立つのは少し厳しいか。失礼するぞ」
「へあ…… !?」
ひょいと軽々持ち上げられ、身体が浮くのに驚いて反射的に抱き着いた。
(うわ、わ)
絵本の中でしか見たことがないような状況に十歳の少女はただただ戸惑った。家の方向を聞かれ、何とか答えることはできたが。
(……し、心臓の音……聞こえそう……)
まだ視界がはっきりしないのもあるが、恥ずかしくてその人の顔をまともに見られない、と必死に首筋に縋りついた。
人攫いなのでは、なんて考えは微塵も浮かばなかった。助けてもらったという事実があるのはもちろんだが、彼女の直感はその人が信頼できると告げていた。
「あの家だな」
その言葉に少し顔を上げる。抱き上げられているためその人の進行方向とは逆を見ることになったが、そこは家から出る時に見る景色と同じだった。
「ここまで来れば大丈夫だな。フフフ、そろそろ離してくれないか?」
「っ !!」
表情がわかりにくいと言われるこの肌色であっても紅潮しているのが見てわかりそうだ。そのくらい顔が熱かった。
恐る恐る腕の力を緩めると、持ち上げられた時と同じくらい軽々と、しかし優しく地面に足が下ろされる。気づけば視界は鮮明になり、目の前にはここしばらく使っている借家があった。
「さあ、もう行くとイイ。これからは気を付けるんだぞ」
とん、と軽く背中を押される。
「――無事でよかった」
まだ万全とは言い難いのか、少し前へふらついた。それでも転ばないように踏ん張り、慌てて振り返る。
「あ、ありがとうございました……! あの……!」
お礼を、と言いかけて止まる。そこにはもう人の気配はなかった。
「え、あれ……?」
きょろきょろと周囲を見渡し、まだ視界がおかしいのかと目元を擦る。それでも結果は変わらなかった。
性質の悪いインプか――はたまたひんがしから来たという旅人に聞いた、キツネやタヌキといった不思議な生き物にでも化かされたのか。
「……」
ただ、身体に残る温もりと、まだ静まりきらない鼓動だけが、その存在の証明だった。
――銀色だ、という印象だけが強く残った。顔も見ることができなかった。
正直なところその銀色が、髪の色だったのか、鎧の色だったのか、あるいは剣の軌跡だったのかもわからない。
ただ、その日から銀色は、彼女の中で特別な色になった。
「母さん」
「ん、遅かったね。 魔物に襲われなかった?」
荷の整理をしていた母親は顔を上げる。そこにいた娘は何やらいつもより強い光を目に宿していて、おや、と瞠目した。
「私にもっと、剣を教えて」
強くなりたい。自分の身くらい守れるように。
いつかあの人のように、目の前の人を躊躇いなく助けられるくらいに。
母親は何があったかは聞かなかったが、私達の子だなあ、と口元に笑みを浮かべた。