03.変わる世界

「いやいや、新たな英雄が生まれたという噂を聞きつけましてな!」
 興奮気味に話す三国のグランドカンパニー将校達の言葉に、ハルドメルは思わずぎょっとした。
 英雄――? 英雄とは武勇や才知に優れ、凡人には成し得ない偉業を達成するような人のことだ。彼らはその英雄を勧誘しにきたと言う。一体誰が。いやいやまさか。
「あなたはもう、エオルゼア諸国の注目の的なのよ」
「えぇ……」
 幼い頃から旅慣れしており――時には人を殺めることもできるハルドメルであっても、この状況は流石に困惑せざるを得なかった。
 確かに直近ではイフリートという蛮神を倒したばかりだが、それだって一人の力ではない。同じようにテンパードになることを免れた『暁』の勇士達のお陰でもある。それが何故。
「わ、私は英雄じゃ……」
 是非うちに! と息巻く将校達に気圧されながら、ハルドメルはどこかで何か間違ってしまったのかと、旅に出てからのことを思い返していた。
 ただ――ただ、依頼をこなし、困っている人達の手助けをしていただけなのに。


 旅に出たいという彼女の言葉に、両親は実にあっさり承諾の返事をした。どうせ止めたって行くんでしょう? と言われ、ぐぅの音もでなかったハルドメルを母が笑う。
 二人も昔は冒険者だったのだと、ハルドメルはこの時初めて知った。強いとは思っていたし、多少の危険がある場所でも平気で、あるいはわくわくした様子で赴くのを昔から不思議に思っていたが、漸く合点がいく。
 冒険者だったから、旅が好きだから、あなたの気持ちがよくわかると二人は言う。ハルドメル自身もまた、危険を伴いながらも旅を続ける両親の気持ちを、より理解できるようになった気がした。
 決意したら、旅立ちまで時間はかからない。少しの食料とお金、装備、旅に必要なもの。それらを持って、翌日の朝にはもう出発だった。自分から言ったことを反故にするつもりもなかったが、時間をかけると、寂しくなってしまいそうだから。
 最初は大きな都市で、たとえ小さくても仕事を貰うといい。両親はそうアドバイスした。狩りも野宿も一応はできるが、それだけでは旅は成り立たないし、何より金がなければその土地の美味しい料理だって味わえないのだ。旅の楽しみが半減してしまうと言っても過言ではないだろう。
 リムサ・ロミンサが一番近くではあったが、ハルドメルが選んだのは砂の都ウルダハだ。
 剣術のギルドがあることに加え、ベラフディアから始まる王朝の歴史、残された遺跡の数々は子供の頃から彼女の好奇心をくすぐるものだったからだ。


 砂の都ウルダハ。その都市があるザナラーン地方には当然のように、何度も両親と訪れたことがある。都市内は華やかな服飾店や宝石店が並ぶが、近年では第七霊災の影響もあり、難民の流入や盗賊団の出現など、貧富の差や治安の悪さも目立つ。
 ――とは言え、実は彼女自身はあまり都市内に入ったことはなかった。仕入れや補給には立ち寄るものの、両親の主な客は都市よりも周辺の小さな集落だったからだ。
 ウルダハには規模の大きな商会や豪商が複数存在する。家族経営の行商人などさして相手にもしないだろうが、両親が商売の傍ら行う慈善活動めいたものは、利益重視のウルダハの商人には目障りなものだったらしい。ウルダハの商人とは気が合わない、と父が冗談めかして言っていたのを思い出す。
(……勢いで出てきちゃったけど……)
 賑やかな商店街。しかし一つ向こうの道では職にありつけていない難民達もいる。
 ――旅が好きで。見たことのない景色や、誰も解き明かせなかった謎を追うような、心が躍る体験がしたい。
 それから――できることなら、目の前で困っている人に手を差し伸べられるような。あの『銀色の人』みたいになりたい、なんて。
(能天気すぎなんだろうなあ)
 こんなご時世に、恵まれた環境からあえて冒険者になりたいなどと、やはりどこかおかしいのだろう。ハルドメル自身がそう思うのだから、人に話せば噴飯物に違いない。それでも、やらないという選択肢は取れなかった。
 手の届く距離ならば。自分ができる範囲のことならば、どうしてもやってみたかったのだ。


 大人になってからも、目付きの悪さで初対面に怯えられることは度々あった。それでも子供の時分よりは減っているのは、彼女にとって嬉しいことだ。特に冒険者ギルドの窓口となってくれたモモディという女性は身体の小さなララフェル族ながら、ハルドメルの体躯にも、睨まれているようだと言われる目付きの悪さにも動じずにこやかに接してくれた。行き交う多くの人々を見てきた酒場の女将というのが肩書きだけではないということが、話していてよくわかる。
「あらあら、今日もお疲れみたいね」
「うーんちょっと……細々した依頼が重なって……」
「あなたの働きぶりはここにもすぐ伝わってくるわ。うふふ、頑張り屋さんにはクランペットの用意があるけれど?」
「! お願いします!」
 ぱっと明るくなった顔を見てモモディは笑うと、厨房へ入る。

「モモディさん、最近あの子お気に入りですね?」
「あら、そうかしら……そうかもしれないわね。いい冒険者が増えればうちも繁盛するもの!」
 クランペットをぽんと裏返す。綺麗な焼き色のついたそれは酒場クイックサンドの名物であり、ハルドメルがここにきて最初に注文したお気に入りの品でもあった。
「……それに」
「?」
「……いいえ、なんでもないわ! はい、熱々のうちに運んでちょうだい!」
 載せたばかりのバターがじわりととろけ出す。給仕がパタパタと運んでいくのを見届けると、使った器具を片付け始めた。
(ちょっとだけ、心配なのよねえ……)
 言いかけて止めた言葉を、モモディは心の中で独りごちる。彼女を――ハルドメル・バルドバルウィンという冒険者を見ていると、どうにも気になってしまうのだ。
 大きな身体。強かに鍛えられたそれと、他と比べれば、確かに少々キツめな目付き。怖がられやすいのだと話しながら、困った人を助けられる優しさ。困難な内容であっても、自分にできることであればと迷わず立ち向かえる意志。それから、時折見せる……。
 まるで――まるで少女のような純粋さ。
 見た目と、確かな実力と、その内にある柔らかさ。それらがどうにもアンバランスで、つい目をかけてしまうのだ。
(まあ、先は楽しみだけどね)
 若くして墓石に名を刻んだ冒険者を何人も見てきたモモディの直感。あの冒険者はきっと、この先大きく成長する。だから女将としてできるサポートをしっかりやってやろうと、改めて思ったのだ。


 
(本当にいいのかなぁ)
 リムサ・ロミンサに向かう飛空挺に乗り込みながら、ハルドメルは一抹の不安を抱く。
 銀冑団のオワインに頼られ、王冠を取り戻すために奔走したハルドメルは、王家の晩餐会に招待されることになった。いくら王家のものを取り戻す手伝いをしたからといって、いきなりこんな扱いはどうなのだろう、とハルドメルは一人思う。
 晩餐会に冒険者が呼ばれることなど前代未聞だというのはわかるし、断るのが失礼なことであるのももちろんだ。だがそんなにも大きな手柄をあげたとは、どうにも実感できなかった。その後疲れが出たのか晩餐会中に倒れるわ、奇妙な夢を見るわで大変だったのだが、モモディが世話を焼いてくれたので本当に助かった。彼女には今度、贈り物でも持参するべきだろう。
 今、ハルドメルは二つの書簡を預かっている。かつてあったカルテノーの戦い、その追悼式典を他の二国とも合同で執り行いたいというものだ。そんな重要なものを一介の、しかも駆け出しの冒険者である自分に任せていいのだろうか。そこまで信頼を勝ち得たということでもあるのだろうが、分不相応ではないかと気が引ける部分もある。
(でもまあ……)
 引き受けたのは自分だ。お使いのようなものではあるが、自分にできることなら、些細なことでもやろう。これは幼い頃から両親を手伝い、旅先の人達を手伝ってきた彼女なりの信条だった。それに、何といっても飛空艇に乗れるとは思っていなかったので、本当は少しドキドキしている。
「出発するよ! 危ないから身を乗り出さないようにね!」
 ぶわりと風に包まれる。海の上とはまた違った浮遊感によろめきそうになりながら、落ちないように掴まった。

「……すごい!」
 普段は見上げるばかりのウルダハ王宮を上から見る。通りを歩く人々も次第に小さくなる中で、一際小さな影が手を振っているのが見えた。クイックサンドの女主人、モモディその人だ。
 見えるだろうか。笑って手を振りかえす。そして視線を上げるとそこには、初めて見る景色が広がっている。どこまでも無限に続いていると思わせる大地。大地を隔てる川の流れ。採集作業をしている職人達。どれも見たことがあるものなのに、その全てが真新しく見えた。
 両親とずっと旅をしてきたはずなのに、まだまだ知らないことがたくさんある。もっとたくさん見てみたい。音を聞き、話を聞き、大地や風の感触を確かめながら。
 いつ終わるとも知れぬ旅に、少しの不安と期待を綯い交ぜにしながら、ハルドメルは空の上で大きく息を吸い込んだ。


 リムサ・ロミンサでの用事を終えた後、ハルドメルは街中を見て回った。グリダニアへの書簡は明日でいいと言われていたため、少しだけ観光気分だ。
 旅をしていた身ではあるし、好奇心からうろつくことも当然あったけれど、両親の仕事抜きでこうして改めて都市内を歩くのは新鮮だった。
 ウルダハに負けず劣らずの人の多さは、船での交易が盛んなリムサ・ロミンサらしい。時折船から吊されている者や道端で喧嘩している海賊達もいるが、ことが終われば皆あっけらかんとしているところもこの都市らしい気風だった。
 宿に行くにはまだまだ早いと、ハルドメルは都市の外へと足を向ける。テンペスト陸門を通って低地ラノシアに入ると、遠目でもわかるグレイフリート風車群へ向かってレンタルチョコボを走らせた。農作業をしている人達があちらこちらにいる。ハルドメルは一旦チョコボから降りると、きょろきょろしながらその中でも大柄な姿を探した。
「ん? なんだ、冒険者か?」
 左手から聞き覚えのある声がして振り向く。そこにはハルドメルが探していた人物がスコップを片手に歩いてくる姿があった。
「スカルンマルさーん!」
「おわっ!」
 走り寄り、その大きな体に飛びついた。子供の頃と同じように。スカルンマルと呼ばれたルガディン族の男性は、突然のことに目を白黒させながら抱きついてきたハルドメルを見下ろす。
「……んっ? あ、ハルちゃんか…… !?」
「はい! バルドバルの娘ハルです!」
「おお! すっかり大人だなぁ! 別嬪さんになっちまって!」
 知った人とわかるや、男は彼女が子供の頃と同じように体を抱き上げてくるりと回った。体の大きなルガディン族の二人がやるものだから、側から見ると妙な迫力がある。
「ちょっとスカルンマル! 何若い子に手出してんだい!」
「いってぇ! 何言ってんだ! ハルちゃんが来たんだよ!」
「えっ……あらあらあらあら久しぶりねえ! 前に来たのは霊災前じゃなかったかい? バルドバルさんたらハルちゃんが大きくなってからはもっと遠くまで行くようになったみたいだし、霊災被害の大きかった所を回ってたみたいだからねえ」
「お久しぶりです! でもちょっと前に東ラノシアにいたから、そろそろこっちにも回ってくるんじゃないかなあ」
 スカルンマルの尻を叩いた女性ともハグを交わす。他にも幾人か見知った顔が話しかけてきて、ハルドメルは懐かしさに顔を綻ばせた。

「なるほど冒険者にねえ。うちの若いのも何人か、農作業なんて嫌だ! って飛び出していったが……ハルちゃんはしっかり者だから上手くやっていけるだろうな!」
「うちのバカ息子もそのクチだよ。まったくどこほっつき歩いてるんだかねぇ」
 ハルドメル自身も世界をもっと見て回りたい、心躍る冒険がしたいと出てきたのだから、人のことを言えたものではない。あはは、と曖昧に笑いながら、ウルダハやリムサ・ロミンサで見かけた冒険者達のことを思い出した。
 ――幾人か、いたのだ。見覚えのある、かつての面影がある人達。親しいわけではない、ただ顔を見たことがある程度だった為、確証はないのだが。
(声、かけてみたらよかったかな)
 ハルドメルには、友達がいなかった。――作れなかった、作らなかった、というのが正しいところだ。けれど旅を始めて思う。もし、自分が諦めていなければ。もっと積極的に、明るくなれていたら、行く先々で懐かしい顔と話し合えたのだろうかと。
「そういえばハルちゃん、グランドカンパニーがやってる訓練に参加したことがあるか?」
 ハルドメルは首を横に振る。最近はどこの国も人手不足で、冒険者の手も借りたいほどだという。とは言え腕利きの者ばかりではない。少しでも戦力になる冒険者に増えてほしいと、新米冒険者に無償で訓練を行う施設が各国グランドカンパニーの協力で作られているとスカルンマルが説明してくれた。
「あの二人に扱かれてるハルちゃんには簡単かもしれないが、一度受けてみるのもいいと思うぞ。新米がつけるにはかなりいい装備の支給もあるらしい」
「なるほど……行ってみます、ありがとうございます!」
 名残惜しさはあるものの、そのうちまた立ち寄ると言って農場を後にする。
 リムサ・ロミンサの中で訓練施設の窓口を担当する者に声をかければ、希望者には無料で行き来できるようにと転送券を手配してくれた。どうやらグランドカンパニーの取り組みは本格的なようだ。
 内容自体はハルドメルにとって然程厳しいものではなかったが、知らない者同士での連携を必要とされる集団戦はとてもいい経験になった。あっという間に訓練課程を終えると、周りで見ていた者達からも拍手されて少し気恥ずかしい。
「いやあ、こんなに飲み込みの早い人は初めてだよ。ここ最近訓練したというレベルでもないだろう? いい師匠がいたのだろうな」
 教官はハルドメルの戦いぶりにいたく驚き、賞賛する。自身の戦闘能力の賞賛は、両親への賞賛でもある。誇らしい気持ちになりながら、修了証を受け取った。
「それからこれもね。盾役は技術ももちろんだが装備も重要だ。どうか、命を大事に」
 渡された鎧はシンプルながら、質の良い金属が使われているのが素人目にもわかる一品だった。そして何よりも。
「……綺麗」
 かつてハルドメルを救ってくれた人。その人が纏っていた色。彼女にとって特別な色である、銀。早速それを装備する。動きやすく、しっかりとした造りは安心感があった。
「うん、ぴったりだな。これからも是非訓練に励み、各地で助力してくれることを願うよ」
「はい、ありがとうございます!」
 鈍く光る銀を身に纏い、気が引き締まる。この色に恥じないように。自分の身は自分で守り、目の前の誰かを、少しでも助けられる程強くなりたいと改めて思いながら、彼女は訓練施設を出た。
 あそこで訓練を受けておいて本当に良かったと、ハルドメルは今でも思う。書簡を届けた後、各国でいくつかの大きな依頼をこなした。そこで初めて他の冒険者と協力し合うことになったからだ。訓練がなければ上手く連携を取れずに、これまで見てきた冒険者達のように、命を落としていたかもしれない。
 そして、暁の血盟――ハルドメルが経験した不思議な体験を、『超える力』を持つからだと教えてくれた組織。『エオルゼアの救済』をするのだという彼らの話はあまりに壮大で眩暈すら覚えたものだったが、要は『人助け』だと解釈したハルドメルは、この不思議な力のことを知りたいという考えも含めて、組織に参加することにした。
 暁からの要請に応えるうちに、結果的にイフリートという蛮神を討伐し、三国のグランドカンパニーの将校に囲まれることになったのだが――。

「ふう……」
 ミンフィリアの気遣いで返事は追悼式典の演説を聴いてからということになり、加入の話は一旦落ち着いた。移籍もできるから深く考えなくて良いとも、特殊な力と戦う力を持つが故にどこかに属した方が良いとも言われた。どちらも尤もな意見だ。そして、グランドカンパニーには訓練施設で世話になった恩もある。
 今まで『家族』という最小単位の社会で殆どの時間を生きてきたハルドメルにとって、どこかの組織や国に属するというのは不思議な感覚であった。
 帰属意識など持ったこともなく、故郷はどこかと訊かれても答えられず、家族がいる場所が自分の居場所だった。
 旅に出たことで、自分が少しずつ変化しているのを、ハルドメルは自覚する。彼女の世界は、とても小さかった。
「……よし!」
 ぱち、と両頬を軽く叩く。
 さあ、世界を広げに行こう。旅はまだまだ始まったばかりなのだから。

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