『別れ』というものを、極端に避けていたのかもしれない。
友達を作らなかったのは、怖がられることが殆どであったというのもあるが、親しくなってもすぐお別れとなることが寂しいからという理由もあった。
古い、一番古い記憶。行きたくないと駄々を捏ねて泣いていた、幼い自分の記憶。もうどこの誰かも覚えていない、一日だけ一緒に遊んでくれた人とお別れしたくないのだ、と。
そんなことを、思い出した。
全ての遺体を運び終えたハルドメルは、無惨な姿になった仲間達を見て震える息を吐き出す。遺体を運ぶのは、初めてではない。荷車を狙ってくる盗賊を返り討ちにした時も、霊災の被害で殆ど壊滅状態になった村を訪れた時も、彼女は両親と共に遺体を運び、弔ってきた。
そして今。タイタンを無事討伐し、その報告のために砂の家に帰ってきた彼女の見た光景は、深く、深く抉るような爪痕を残すものだった。
いつも警備を担当していたララフェル族。甲冑師ギルドの門を叩いて日の浅いハルドメルにコツを教えてくれた修理屋。共に肩を並べて戦った人達。
生きているものは一人もいなかった。否、黒衣森からついてきたシルフ族のノラクシアはまだ息があった。けれどそれも長くは持たなくて。
――こんなに、重かっただろうか。
小さなノラクシアですら、抱き上げて、チョコボキャリッジに運ぶまでの間に何度も足を止めたくなるほど、重い。足は上手く動かなくて、その場で蹲りたくなる程に。
足取りは重いまま、最後の祈祷と呼ばれる十二神アーゼマの秘石の元へ向かいながら、少しずつ思考を巡らせる。
白い鎧を着たガレマールの女が探していたのはタイタンを倒した者――ハルドメルのことだった。もしも自分がここにいたら、ここまでの被害にはならなかったのかもしれない。だが悔いたところで仲間が戻ってくるわけでもない。大事なのは――。
『反省も結構だが、失敗した時大事なのはこれから何をするか、だ』
『そうそう、人は戦いの中でこそ成長するのよ』
強く、冒険者の先輩であったアバとオリの言葉を思い出す。あの二人すらも砂の家で倒れていたことは、ハルドメルにとって衝撃だった。身体は酷く傷ついていて、彼らが最後まで戦っていたことは過去視なんてなくても伝わって来た。
「……これから、何をするか」
ハルドメルは、ミンフィリアのように暁の血盟に強い思い入れがあったわけではない。自身に宿った不思議な力のことをもっと知りたいと思ったから。そして、旅の傍らで彼らの依頼をこなすことが人の助けになるのならと思っていただけだった。放っておけば人々に被害を及ぼす危険な蛮神を倒した結果が、こんな事態を引き起こすなんて思いもしていなかった。
このまま逃げて行方を眩ませるのは簡単だろう。帝国に捕まれば何をされるかわかったものではない。命が惜しければ逃げればいい。だがその選択肢を選ぶことは彼女にはできなかった。そんなことをすれば、きっと一生後悔する。
旅立つ前に両親は言った。できるだけ、悔いを残さない旅にしなさいと。それは、アバの言葉にも通じるような気がした。
後悔することは、きっとこれからもある。けれど、そこから何もせずに悔いを重ねるようなことにはなりたくない。そのために、考える。これから何をすべきなのか。
ハルドメルは、エーテルに還った人達のためにアーゼマの秘石に祈りを捧げ、そっと拳を握りしめた。
――嗚呼、だけど。
「……っ……」
今は、まだ、少しだけ。
だいじなものを失った悲しみを、赦してほしい。
暁の血盟の一員だという少年――アルフィノは、齢十六にして随分と聡明なようであった。
リンクシェルでは誰とも連絡が取れず、たった一人で闇雲に行動しても仕方ないと思っていたハルドメルにとって、彼の知識と見識は渡りに船だ。彼と同時にシドと呼ばれる機工師も加わり、ガルーダ討伐に向けて動き出した。――のだが。
「……寒い……」
しんしんと雪が降るクルザス。焚き火の前で震える少年を見て、ハルドメルは苦笑いをした。華奢な少年に荒事を手伝わせるつもりは毛頭なかったが、この様子では聞き込みについてもあまり期待しないほうがよさそうである。先ほどまでの威勢はどこに、と思いながら近くにいたシドと目線を合わせれば、彼も肩を竦めた。
(ま、やるしかないよね!)
走り回るのは、それこそ昔から慣れている。真っ白な息を吐きだして、余所者を忌避する視線を受け流しながら、ハルドメルはアドネール占星台を上り始めた。
苦笑いしたものの、ハルドメルはアルフィノのことを嫌っているわけではない。確かに言動が少々尊大に感じることもあるが、その知識量は確かなものだ。そしてその志もまた大きく、果たして自分が十六の時に同じような行動ができただろうか、と思わずにはいられない。
彼の故郷のシャーレアンでは成人として認められる年齢らしいが、ハルドメルから見ればまだ――彼は不本意かもしれないが――子供である。何かあった時は守らなければと、気を引き締めた。自分の身を守ること。そして目の前の誰かが。自分の手の届く範囲にいる人が危機に瀕しているならば、迷わず助けられるように。そう思って、この身を鍛えてきたのだから。そして何より、これ以上仲間を失いたくはなかったから。
ハルドメルはイシュガルドという国、そしてクルザスの地には、何度か訪れたことがある。冷涼な土地ではあったものの、昔は青々とした草木繁る山岳地帯であった。霊災後、両親とともに支援活動で訪れた際は、一面の雪景色に驚くとともに、霊災の被害を改めて思い知ったものだった。飛空艇の情報を追う中で訪れたのは、そんな雪に閉ざされたクルザス中央高地の、アートボルグ砦群にある一つの家屋。
「こちらにアインハルト家の、フランセル卿はいらっしゃいますか?」
両親の商売を手伝う上で、礼儀作法や言葉遣いは特に大切なことだった。仮にやり方が正しくはなくとも、礼を尽くせば大丈夫だというのは父の言だ。爵位持ちと聞いたからには、卿をつけるのが筋であろうと考えながら、若草色の上品な服を纏った男性に声をかける。
「それなら僕のことだが……キミは?」
事前にカリローという騎士に聞いていた『薄雪草』という言葉を小さく伝えると、彼は僅かに瞠目し、そして微笑んだ。
竜眼の祈鎖が荷物から見つかったこと、カリローに頼まれてここへ来たこと。そして、下心があるのは心苦しかったが、飛空艇の調査に協力してほしいことも伝える。
――イシュガルドという国が、長きに渡り竜との戦争をしていることは知っていた。だが異端嫌疑をかけられるだけでああも人の態度が豹変するということには、軽い恐怖を覚える。たった一つの物が見つかっただけで、この心優しそうな青年が疑われるのか、と。
その上彼は、自身に嫌疑がかけられるという事態だというのに、今の自分ではハルドメル達への協力ができないことを憂いたのだ。根拠もないのに、ハルドメルは直感で確信する。この人は、この上なく善人で、異端に手を染めようはずがないと。
「フランセル卿……」
「……どうしてキミがそんな顔をするんだい。僕のことは……まあ、大丈夫とは言い難いが……キミが憂う必要はないさ。この問題は自分達でなんとかしないとね……」
苦笑するフランセルは、何か思いついたように羽ペンと羊皮紙を手に取った。さらさらと淀みなく動くペン先は、流麗な文字を描いていく。
「異端嫌疑を受けた僕ではなんの力にもなれないが……代わりにオルシュファンへの紹介状を書いた。砦の北にあるキャンプ・ドラゴンヘッドを預かる騎士で……僕の親友だ。きっとキミの力になってくれる」
自身の身が疑われているというのに、少しでも協力してくれようとするその誠意になんとか応えたい。
だが彼の言うようにここは彼らの土地で、異端者は彼らの国の問題だ。事情に詳しくないハルドメルが首を突っ込んだところで事態は好転しないかもしれない。蛮神討伐の使命に燃えるアルフィノが手を貸してくれるかもわからず、歯痒い思いだけが胸の内に溜まっていく。せめて、フランセルが紹介してくれたオルシュファンという騎士が、彼のために動いてくれるといいのだが。
キャンプ・ドラゴンヘッドへ向かう坂道を上りながら、ハルドメルはフランセルの言葉を思い出した。
「……親友……かぁ」
友のいなかった彼女にとって、その言葉は憧れだった。
親友。普通の友とは一線を画すだろう、特別な存在。だろう、というのは彼女自身友がおらず、何をもって親友とするのかを知らないからだ。なんの迷いもなく親友という言葉を使えるフランセルを羨ましいと思ったし、その相手――オルシュファンという騎士のこともまた羨ましかった。一体どんな人物なのだろうかと、短い道のりの間に思いを馳せる。
フランセルという人は、まだ出会ったばかりのハルドメルから見てもこれ以上ないくらい誠実で、信頼できる人だった。その彼が親友というのであれば、オルシュファンもきっとそうに違いない。アドネール占星台で邪見にされたばかりのハルドメルはフランセルの優しさに触れ、これから向かう先に少しだけ希望を抱いた。
キャンプ・ドラゴンヘッド。そこはアドネール占星台とは明らかに違う雰囲気であった。厳格な雰囲気のあちらと違い、活気がある。何より、冒険者の姿が多数見られた。この拠点を任されているフォルタン家はイシュガルド四大名家の一つ。他の貴族とは違い、有能であれば冒険者であっても積極的に採用し、皇都を守るこの地に大いに貢献しているという。門番に話しかけてみたが、余所者だからとあしらわず、快く答えてくれる気持ちのいい場所だった。
「隊長に御用ですか? うちは一々話通さないと会えないなんてことはないんで、拠点内を探してみてください。この時間なら見回り組に話をしてると思いますよ」
そう答えてくれた門番は、ハルドメルの全身を一瞥すると、少し困ったように笑った。
「うちの隊長ちょっと変わってるけど、気にしないでくださいね……多分冒険者さん、気に入られるから」
「……?」
ハルドメルにはその言葉の意図がよくわからなかったが、礼を言うと拠点内で目当ての人物を探し始める。そう広い場所ではない。何人かに聞けばすぐにわかるだろう、と思った矢先。
「……、っ」
視界の端に銀色が閃いた。その色は、何故かあの日の。あの人の銀を想起させて、心臓が跳ねる。
振り返った視線の先には、赤の一角獣が描かれた盾が飾られた建物。その中に入ろうとする数人の姿がある。その内の一人は、鍛え上げられた剣のような、銀の髪をしていた。
足は自然とそちらへ向く。追いかけるように、その姿を追った。礼儀もなにもなく、閉じかけたその扉に待ったをかける。
「えっ! ぅわッ……な、なんですか…… !?」
突如現れた大柄な女冒険者に思わずたじろいだ兵士の声ではっとする。その場にいた全員の目が自身に向けられ、今度はハルドメルが狼狽えた。
「あ……す、すみません! あの、人を……探していて……」
「……その風体、冒険者だな」
凛とした、真っ直ぐな声。ハルドメルは皆の視線から逃げるように少し反らした視線を前へと向けた。
剣のような銀の髪。晴れた日の空のような蒼の瞳。その顔には微笑みが浮かんでいる。
「人を探しているなら協力しよう。キャンプ・ドラゴンヘッドは来訪者を拒まない。滞在するというなら、是非お前の持つ技術や知識を……」
「……?」
蒼い瞳が、ハルドメルの全身を上から下まで舐めるように見た。
その目が、きらりと輝いた――ように見えた。
「イイ……すごくイイぞ……! はぁ、なんてそそる……鍛え上げられた肉体だ……!」
「え」
「美しきルガディン族よ! 用件は人探しだけか !? 他にもあるなら何でも言ってみるといい! ああいや、こちらから申し出たい程だな! 私や部下と是非手合わせでも……」
「……えー……っと……?」
――出会ったばかりの人間に、これほどまでに好意的な……あまりにも好意的な態度をとられたのは初めてで、ハルドメルは戸惑いのあまり思わず周囲の人へ助けを求めるように視線を投げた。
ある者は目を逸らし、ある者は銀髪の男性に呆れたように肩を竦め、またある者は――諦めてくださいと言わんばかりに首を横に振った。
(何かちょっと変わってる……かも、だけど)
戸惑いこそあったものの、ハルドメルは少し落ち着きを取り戻すと、その人へ真っ直ぐ向き直った。
彼女の直感は告げていた。この人はきっと。
(……すごく、善い人だ)