17.忘れ得ぬ傷痕

「負けても二日酔いとか言わないでね!」
「何を! お前こそ雪には慣れたのだろうな !?」

 誰の目から見ても浮かれている二人は、いそいそと装備を調えていた。周りでは今度こそハルドメルが勝つに決まっている! いや隊長だ! と賭けの話をしている者や、先日の手合わせの剣技について語り合う者もいる。
 天気は頻繁に雪雲に覆われるクルザスにしては珍しく快晴。大気は相変わらず冷えているが、陽射しは柔らかく暖かい。二人にとって絶好の模擬戦日和と言えるだろう。
「わぁ……ちょっとしたお祭りみたいだね!」
「フランセル! 見に来てたんだ?」
「少しだけね。さすがにキミ達がイシュガルドに入ったら、しばらくこんな機会ないかもしれないだろう?」
 従者を伴いやってきたフランセルが、子供のように目を輝かせている二人の友を見て笑う。チョコボの騎乗術や弓こそ扱えるが、戦力になるほどの腕前ではないと自称する彼にとって、二人がこういった『遊び』ができるのは少し羨ましかった。
「前回はオルシュファンが勝ったって聞いたし、僕はハルを応援しようかな」
「やったー!」
「くっ……何やら疎外感……! だが今回こそは私も『ちゃんと』勝つからな!」
 正直なところ勝敗は二の次で、こうして手合わせできることこそが彼らにとっての喜びだ。一時でも長く、この戦いが続けばいいと思うほどなのだから。
 周りの野次や声援を受けながら、再び互いの剣技をぶつけ合う。真正面からのぶつかり合い。わざと大振りして見せ、攻撃を誘発させ盾で受ける。時には足も出る。盾でも殴る。
 もちろん当たれば痛い。重い一撃を受け止めるだけで身体が痺れる。それでも、もっと、もっとと踊るようにステップを踏んだ。
 剣と剣のぶつかり合いが、果たしてどのくらい続いていたのか。
 一時間近く打ち合っていた気もすれば、ほんの一瞬のことだったようにも感じる。
(次の攻撃受けたら、踏み込んで……っ)
 ぶつかり合う木剣が鈍い音を立てる。一歩飛び退き、足に溜めた力で地面を蹴った。
 オルシュファンが剣を持つ手を引いた。盾を持たない右手側への攻撃。

「え――?」
 それは誰の目から見ても不自然な動きだった。
 力強く踏み込んだはずのハルドメルの身体から、急に力が抜けたようにかくんと下がる。
(よりによって、何で、今――)
 アルフィノとタタル、そしてハルドメルを目の前にしているオルシュファンにはそれが何なのかを理解した。理解したが、どうにもできなかった。
 その一撃は、続く二撃目への布石。だから彼女は当然それを受け止めようとしていたし、オルシュファン自身も彼女が止めるものだと、当然思っていた。
 お互い全力だった。だから、止めようがなかった。

 ガツっ、と鈍い音がした。
 横薙ぎの一閃はハルドメルのこめかみを殴打し、防護用のサークレットを弾き飛ばす。
「ハ――」
 呼吸が止まりそうな衝撃。
「ハルっ…… !!」
 半ば悲鳴のようなオルシュファンの声をどこか遠くに感じながら、ハルドメルの意識は闇に落ちていった。


「なーなーあにきー」
「その呼び方はやめろエマネラン……品がない」
「いーじゃん別に! なぁ、なんであいつはいつも来ないの? かあさんが嫌がるから?」
「あいつのことは……気にしなくていい……」
「えーなんで! みんなそういうんだ! かあさんはあいつがいるときげん悪いし、おやじもへんな顔するし、わけわかんねー!」
 まだまだ幼い弟ですら、理屈はわからなくても、本能的にはわかっている。あの少年の存在が異質なことに。兄である自分も、両親の様子、そしてオルシュファンの余所余所しさから薄々分かっている。――だが事の真相が理解できるようになるのは、まだ先の話だ。
 母親はいつも、彼がいると眉を顰めた。ため息を吐いた。普段、自分達に対しては礼儀に厳しくとも優しい母親であるだけに、そんな姿を見るのは、子供心にも――辛かった。訳が分からないという弟の言葉も不安も、充分に理解できた。
 尊敬する父だからこそ、何故こんな状態を維持するのかが、わからなかった。
「今日のかあさんはきげんいいかなぁ……最近怒ってるか、泣いてばっかだもん」
「……そうだな……そうだと、いいな」

「路傍の小石如きが……あの人に似た顔で……あの女と同じ髪色で……私に口答えしないでちょうだい」
 身体は燃えるように熱い。思考は怒りで煮えたぎる。何を口走ったかもわからないまま、石畳を踏み鳴らしながら、すぐ前にある家の呼び鈴を何度も押した。
 見知った顔だから、近くにいる門兵は何も言わなかった。
 ドアを開けたのは、若草色の服を着た金髪の少年。穏やかな雰囲気を纏う彼の手が、肩にそっと触れる。その温もりで、何度も救われてきた。
「今日はどこに行く? 姉上達も、誘ってみようか」
 いつものように彼が訊ねた。その優しさがなければ、自分はもっと――もっと、酷い人間になっていたのだろう。
「……どこでもいい。ここでなければ、どこでも……」

「何故こんな残酷なことができるのです……どうして……っ」
「……恨むなら、どうか私だけを。あの二人は何も悪くない」
「私が !! ただ、貴族の娘だからという理由だけで、あなたに嫁いだと思っているのですか……っ! 私だって……」
 ただの孤児だと、思っていた――思いたかったのに。同情で、気まぐれで拾ってきただけの子ならよかったのに。ああ、どうして。年を経るごとにあなたに似ていくのか。
 わかっている。わかっている。子供に罪がないことくらい、わかっている、のに――。

 暗く、薄汚れた小屋の中。縛られ、猿轡をかまされた親友は怪我をしていた。
 傷付けてしまった。守ってやれなかった。
 自身の不甲斐なさと、親友を傷付けた者への憎悪が混ざり合う。
 何度も何度も、二度とこんな真似が出来ないように刃を突き立てた。指先にも、母譲りの銀の髪にも赤を飛び散らせながら。
 この手は、振るう刃は、民と友のためにある。
 強くあらねばならない。二度と、傷付けたりしないように。
 


「オルシュファン、ちょっと外の空気にでも当たってきたらどう? なんだかキミまで倒れてしまいそうだ」
「……座っているだけなのに、倒れたりなどしない」
 随分と暗い声は、最初誰のものかわからなかった。思考はふわふわしていて、どこか現実味がない。
「……ハル? 気が付いた?」
 薄らと目を開くが、眩しいばかりで何もわからない。世界はぼんやりと滲んでいるし、挙げ句ぐにゃぐにゃと曲がっているようにも見えて、ハルドメルは何度か小さく瞬きをした。
「ハル……! せ、先生を呼んでくる!」
 どたばたとした足音が遠ざかっていく。瞬きを繰り返していると、温かな手が触れた。
 先ほど『視た』のと、同じ温もりだった。
「……フ……セル……」
「うん、僕だよ。――超える力っていうのはままならないものなんだね。本当の戦闘中じゃなくて良かったって、アルフィノくんが何度も言っていたよ」
 オルシュファンに言い聞かせるみたいにね、と付け加えてフランセルが笑う。定まらない思考ではいまいち言葉の意味を受け止められず、ぽろぽろと零れ落ちていく。
「……あんなに焦ったオルシュファンは初めて見たよ。後にも先にも、これっきりかもしれないね」
 断片的な言葉の中で頭に残ったのは友の名前で、シュファン、と小さく声が零れた。
「お、オルシュファン様、そんなに引っ張らないでください……!」
「早く診てくれ、頼む……」
 半ば強引に引っ張られてきたらしい医師が哀れな声を上げる。
「すみません先生、急かしてしまって……」
「いえ、いえ、いいんですよ。大事なお客人ですからね……」
 ごそごそと物音がして、突然の眩しさに声が出た。目の奥を刺激されるような感覚と共に、こめかみがずきずきと痛みを訴える。
 ハルドメルが声を上げた時オルシュファンもまた思わず息を呑んだが、フランセルがその肩に手をかければ、少し落ち着きを取り戻した。
 いくつかの簡単な質問に、おぼつかない意識のままなんとか答えると、医師は頷く。
「ふむ、やはり脳震盪でしょう。魔術的な防護もあるサークレットだったのも幸いしましたが……今日一日は絶対安静、二、三日は要観察です」
「本当に大丈夫なのか? 後遺症など……」
「オルシュファン様、心配されるお気持ちはわかりますが……これでも長年兵士達を見てきましたからね。脳震盪の程度を見誤ることはないと自負していますよ」
 医師が微笑むと漸くオルシュファンも小さく安堵の息を漏らした。二人が礼を言い、医師が部屋から出ていくと、一つため息が聞こえる。
「安心できた?」
「一先ずは……と言いたいところだが……絶対安静に要観察だろう……」
 酷く落ち込んだ様子のオルシュファンは、ベッドの脇にあった椅子にゆっくりと腰を下ろして項垂れた。次第に、ゆっくりとではあるが意識が回復してきたハルドメルは、小さく彼の名を呼ぶ。
「……シュファン……」
「っ……ど、どうした、どこか痛むのか」
「……僕は他の皆に容態を伝えてくるよ、ここの全員が心配しているからね」
 返事を待つことなくフランセルが部屋を出て行った。ハルドメルが少し視線を動かして周りを見る。砦内にある療養所かと思ったが、どうやら自分に宛てがわれた部屋のようだった。
「……ごめんね」
「……何故、」
「手合わせ……また、変な終わり方、しちゃった」
「……超える力というものは、制御できないのだろう? お前のせいではない……これは私の……落ち度だ……」
 いつもの豪快さは鳴りを顰め、どこか途方に暮れたようにも見えるオルシュファン。緩慢に手を動かしてみるが、ほんの少し、届かない。
「……そんな顔しないで」
「……私は、騎士だ。民と友のために戦う……それなのに自分の手でそれを……大切な友を傷つけるなど……あってはならないのに……いくら謝っても、足りない……」
 ああ、そうか、とハルドメルは不思議と得心した。彼が何を思っているのかが、何となくわかった気がして。
 ベッドに手をつき身を起こす。動けば相変わらず頭がずきずきと痛んだが、構わなかった。
「は、ハル! 駄目だ、まだ安静に――」
 立ち上がりかけたオルシュファンに両腕を回す。起き上がった時の眩暈を耐えきれず、もたれかかるように体重を預けた。浮いた腰を椅子に戻されたオルシュファンの手は、行き先を失って宙を彷徨った。
「……大丈夫」
 とん、とん、と子供をあやすように背中を優しく叩く。昔両親にそうしてもらったように。労るように、時々摩る。
 触れ合う場所から温かさが伝わる。穏やかな鼓動すら感じられるほどに近く。
「大丈夫……だけど、痛かった……よ……」
 オルシュファンの身体が少し震えた。宙を彷徨っていた手が、恐る恐るといった様子で、ハルドメルの背に回された。
「……すまない、ハル」
「うん……今も、ちょっと痛い……」
「……すまない」
「うん……」
 気を失う前のことをぼんやりと振り返りながら思う。きっと、皆言ったはずだ。『事故だった』『オルシュファンのせいではない』と。だがオルシュファンはきっと簡単に受け入れられないだろう。この上なく友を愛する人だから、きっと自分を責めている。その上で、当事者たるハルドメルまでそんなことを言えば、彼の罪の意識は行き先を失ってしまう。
 謝ることすらできないのは。非のあることだとわかっているのに誰にも責められないのは、存外、苦しいことだから。
 だから否定しない。痛かったと。確かにあったことだと。
「……傷が、残ってしまうかもしれない……」
「……あはは、……もう、たくさんあるからなぁ……」
「そういう問題ではない……」
 回された腕の力が強くなる。ほんの少し、拗ねてしまったような気配を感じて、ハルドメルは小さく肩を揺らした。頭痛は続いている。世界はまだ、深い雪の上を歩くみたいにおぼつかなくて。
「……痛かった、けど……だいじょうぶだから……」
 だからまた、手合わせしよう。その言葉に、オルシュファンは深い、深いため息を吐く。吐息がハルドメルの首筋を撫でて、くすぐったさに身をよじった。
「お前は……」
「……したくない?」
「…………したい」
「ふふ……じゃあ、また今度」
 少しの間、沈黙が訪れる。とん、とん、と相変わらず一定の間隔で手を動かしていると、オルシュファンがまた小さく、すまない、と言った。
「……うん……いいよ……ゆるしてあげる……から……元気に、なって」
「……」
「シュファンが、そんなだと……悲しくなっちゃうよ……私……ううん……皆も……」
「……わかった」
「ん……」
 その返事を聞いて、ハルドメルは微笑んだ。
 いつしか頭痛は鳴りを潜め、温かさに身を委ねた。

「……ハル……?」
 すぅ、と穏やかな寝息が耳元をくすぐる。その事実に、漸くオルシュファンは胸を撫で下ろした。彼女が理解し、自身の瑕疵を受け入れてくれたことも含めて。
 ――だが。
「むぅ……」
 彼女の腕はすっぽりとオルシュファンを抱きすくめていた。無理に動かせば起きやしないか、折角安心しきっているのにと頭を悩ませる。とは言え今の体勢のままではお互いに身体を痛めそうだ――と恥を忍んで声をかけた。
「……フランセル……おい、フランセル、そこにいるんだろう、手伝ってくれ」
「あれ、どうしてわかったんだい?」
「お前の気配くらいわかる」
「ふふ……邪魔したら悪いと思って……安静だから、今日は面会できないって皆に伝えてきたところだよ」
 ドアを小さく開けて、フランセルが部屋の中へ入ってきた。
 その扉はすぐ閉じられ、静かにオルシュファンの傍に立つ。
「うーん……しっかり抱き着いてるね……もうそのまま一緒に寝ちゃったらどうだい? ヤエルとコランティオは仕事のことなら気にするなって」
「馬鹿者、恋人でもない嫁入り前の女性と同衾なんぞできるわけないだろうっ」
「承知したよ我が友」
 肩を揺らして笑うフランセルの手も借り、なんとか起こすことなく身体を離す。そっとベッドに寝かせれば、少し身じろぎしてまた穏やかな寝息を立て始めた。
「三度目の正直、できるといいね」
「……あぁ」

 ――次の日。
「も、もう大丈夫だってば!」
「いいや、絶対安静に要観察だ! 安心しろ、すべて任せて身を委ねるがイイ!」
「オルシュファン様言い方 !!」
 何かにつけハルドメルの世話を焼こうとするオルシュファンは、元気いっぱいだったという。

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