「――良かった、大丈……」
声をかけようとしてハルドメルははっとした。虫型の魔物に襲われていた少女は、少し離れた場所に隠れたままこちらを見ている。
怖がらせてしまった――そう思い反省する。東方にもルガディンはいるが、ゼーヴォルフは見慣れていないことだろう。もう一度安全を確認すると剣を収め、膝を抱えるようにしてしゃがみ込んだ。できるだけ目線を合わせて、威圧感を与えないように。
「怖がらせてごめんなさい。怪我はない? 魔物は退治したから、もう大丈夫だよ」
そうっと話しかけてみれば、小さな少女は大きな目をぱちりと瞬かせ、ゆっくりとハルドメルに近付いてきた。
「あ……助けてくれてありがとう、おねえちゃん!」
おずおずと、しかし笑顔を見せてくれたので、ハルドメルもほっと一息つく。
名はアザミだと教えてくれた彼女のかすり傷に手持ちの傷薬を塗った。何をしていたかを訊ねると、両親に供える花を探していたのだという。一人でいてまた魔物に襲われてはいけないと、ハルドメルも一緒に探そうと立ち上がった。
「わ、ぁ……」
と、アザミがハルドメルを見上げて目をまん丸にする。間近で見る2ヤルムを超える身長はさぞ大きく見えるのだろうと苦笑して、膝に手をついて腰を落とす。
「ごめんね、大きいからびっくりするよね」
「あ……ち、違うの! シンデンさんとか、村にいるルガディンさんも大きいから慣れてるんだよ!」
わたわたと手を振る彼女は、でもね、と続ける。その目は怖がるのではなく、どこかきらきらと輝くようにも見えて。
「……多分、他のルガディンさんと同じくらいなのに、もっと大きく見える気がして……安心? なんだか、守られてるって感じて、不思議だなって!」
「……怖くない?」
「こわくないよ! 最初はびっくりしちゃったけど……コハギさんみたいに優しいお顔だもん」
優しい顔。言われ慣れない表現にむずむずするような、気恥ずかしいような心持ちだ。
アザミに教えられた特徴の花を探しながら、昔のことを思い出す。身体が大きく、鋭い目つきで。そういう理由で、同年代の子供達にはなかなか近寄られず、拒絶や喪失を恐れるあまり自分からもなかなか歩み寄ることができなかった。――そう思っていた。
(もしかしたら……)
ずっとずっと幼い頃。まだ友達が欲しいと、なんとか歩み寄りたいとしていた頃の記憶。自分はどんな風だっただろうか。怖がられないだろうか、嫌がられないだろうか――そんな相手からの反応に怯えて、いつも強張った表情をしていなかっただろうか。それこそ、『睨み付けているような目付きの悪さ』に見えていなかっただろうか。
――そんなことを考えて。
「……ふふ」
今となっては、もう知る術はない。けれどもしかしたら、そうだったのかもしれない。結局のところ、誰かの、何かのせいではなくて、自分次第で変えられるものだったのかもしれない。
絡まって玉になっていた紐が、旅をするうちに一つ、また一つと緩やかにほどけているような。そんな気がして、頬が緩んだ。その最初のきっかけをくれた親友のことをふと思い出したとき、視界の端に黄色い小菊が飛び込んできた。
ぷちり。一つ二つと摘めば、鼻孔を擽る爽やかな香り。アザミに声をかけて、二人で花を摘んでから坂道を上がった。
「お父さんとお母さん、旅人さんが大好きで、よくうちにも連れてきたから、喜んでると思う。……ありがとうおねえちゃん」
花を供えて目を閉じる。そうと言われなければ、ただ土や石を盛っただけに見えるだろう場所。どうか安らかにと、心から願う。
「私が産まれるより前にもね、ルガディンの旅人さんが来たことあるって昔話してくれたの。黒い肌色の男の人と、紺髪の女の人! 大きいからってだけじゃなくて……その話を思い出したからびっくりしたの!」
今度はハルドメルが目を丸くする番だった。その特徴は、もしかしたら。そう思ったところで、コウジン族達の縁の話を思い出す。両親――かもしれない人が結んだ縁が、巡り巡って自分と少女を結びつけてくれたような気がして、なんだか嬉しくなった。
もう少し詳しく聞いてみたいと思うハルドメルを遮るように、アザミを呼ぶ声がした。
兄に村へ戻るよう言われたアザミはその雰囲気に不安そうな表情を見せたが、ハルドメルが笑って頷くと小さく手を振って走って行った。
――聡く、良い子だと思った。帝国の統治下でも、兄や村人達に大切に育てられているのが伝わってくる。
「……良い名前ですね、アザミちゃん」
アザミが去った後、ついそう話しかけてしまう。アザミ。いくつかある花言葉の一つは、『独立』。名前に込められた願いを想い、胸が詰まる。
「っ……知った風な口をきかないでくれよ! 関わらないでくれって、言っただろ!」
あまりにも惨い帝国の仕打ち。イッセから語られる言葉に、ぎりぎりと胸が締め付けられる。何故そんなことができる――そう思ったとき、浮かんだのはイサリ村で見たヨツユの暴虐だ。
彼女はドマを憎み、恨んでいる。底知れぬその感情が、どのようにして形成されたのかをハルドメルはまだ知らない。アラミゴ解放軍に刃を向けるアラミゴ人部隊と同じように、その根底に何があるのかを、まだ、知らない。
(……それでも)
それでも、今目の前で行われる暴虐を見過ごすことはできない。東方に来た最初の理由は、言ってしまえば『アラミゴ解放軍のため』だった。けれど今は。
(……私がそうしたいと、思うから)
旅立つ前に友に話したように、ただ流されるのではなく、自らの意志で戦うことを選ぶ。今この状況を放っておくなどしたくはないと。この状況を見逃すのなら、いつか自分の大切な人達もまた、同じ目に遭うのかもしれないのだから。
『それは、どこまでも、遊戯としての「狩り」だったのです』
皇太子ゼノスとの二度目の戦い。
剣を交えながら、ハルドメルは反乱軍の者から聞いた話を思い出し――煮え滾るような闘志を隠さずに吼えた。
――戦うことは、好きだ。技を競い合い、絶対に負けられない、勝ちたいという想いをぶつけ合う。ある種のスポーツ感覚のようでありながら、彼女は時に、命をかけた戦いの中でもその高揚を感じた。それを、後ろめたいことであると、今も思っている。
けれど、それはおかしなことではないと。自分も同じだと言ってくれた友がいた。何にも代えがたい闘志であると、教えてくれた人がいた。
だが、この男は。
「ハァッ!」
渾身の一撃も軽くいなされる。相手の一撃を防げども、あまりに重く、体力は消耗する。
ただの遊び。
――そんなこと、許されない。あっていいはずがない。
打ち合いながら憤る。どんな戦いであれ、その信念を嗤い、尊厳を踏みにじるなど。
「ぐ、ぁッ」
吹き飛ばされ膝をつく。顔は見えずともなぜか分かる、つまらなそうな男を睨め付ける。
「そうか、思い出した……貴様、アラミゴでまみえた蛮族共の英雄か……」
男にとってはどんな相手も、愉しめるか愉しめないか。ただそれだけの価値しかない。
――負けたくない、負けたくない、負けたくない……っ!!
どうしようもなく激情に焼かれる。この男にだけは、負けたくない。
もしかしたら、この想いは、
「……!」
兜が欠け、男はそれを外して素顔を晒す。恐ろしいほど整った顔立ちは笑みを浮かべていた。己が愉しみのため生きてながらえてみせろ、と。
それは、男が愉しむに足る獲物であると見做された証だった。
アリゼー達救援隊の加勢もあり、一度退く事に成功したハルドメル達は、ナマイ村で手当を受けていた。
「もう、本当に心配したんだから……リセを抑えるのも大変だったのよ?」
「あ痛っ……ごめん、アリゼー……ありがとう」
椅子に座ってようやく視線が合うくらいに体格の違うアリゼーだが、その気の強さと機転にはいつも助けられている。ハルドメルが笑いかけると、どことなく不満そうなアリゼーが腕組みしたままじいと見つめてきた。
「……」
「わ、」
むに、と頬を両手で挟まれる。小さな手の温度がじんわりと伝わってくる。
真っ直ぐに見つめられたままハルドメルは疑問符を浮かべるが、アリゼーはもう、と少し呆れたように呟いた。
「アルフィノにも散々言われてるんでしょ? ちゃんと頼れって」
どうやら自分は随分わかりやすく表情に出てしまうようだと、ハルドメルは苦笑する。頬に添えられた両手に自分の手を重ねた。うん、と頷く。その温かさで少し気持ちが落ち着いたから。
「ありがとうね、アリゼー。でも今日のことは……うん、もうちょっと自分の中で、考えたほうがいいみたい。だから大丈夫だよ」
「なら、いいけど」
あなたすぐ考え込んじゃうんだから。そういって離れようとするアリゼーの手をぎゅっと握れば、少し照れたように怒られた。
――負けたくない。家族を殺し、信念を卑下し、より狂暴な敵を造り出す。ただ自身が愉しむためだけに非道なことをするあの男に。
仲間達だってそう思っているだろう。だが、とハルドメルは思う。
『戦いを愉しむ』というその性質が、確かに自分の中にあると、知っているが故に。
これは、『同族嫌悪』かもしれないのだ、と。