バルダム覇道の試練を超えたハルドメル達を待っていたのは、オロニル族とブドゥガ族の戦士だった。敵陣を見ておこうというヒエンの考えで彼らに応じたものの、終節の合戦に向けての様々な手伝いを頼まれ、今はゴウセツと共にドタール族の元へ偵察に来ている。
魂の生まれ変わりを信じるドタール族の考えはゴウセツと共に驚かされたが、それを否定する気もなかった。土地に根付く文化や思想は様々で、その人達にとって大切なものだ。おいそれと余所者が口出ししていいものではないとハルドメルは思っているし、両親にもよく言われていたことである。――ただ、人を嘲笑ったり誇りを損なうようなことには、黙っていられないこともある。だからこそゴウセツの驚きに満ちた言葉は、悪気はないと分かってはいるがヒヤヒヤしたものだった。
「――つまるところ、拙者も……そのような死場を求めているのでござろうな」
打ち捨てられたドタール族の遺体の傍で零れたゴウセツの言葉は、乾いた砂が舞い上がるようにハルドメルの心をざわめかせる。月明かりが注ぐ砂漠の夜風は死者を迎え入れるように冷たく、生者からは熱を奪っていく。
『掲げているその目的は、自分の……誰かの、死を捧ぐ程の願いかね』
ぎゅ、とハルドメルは自身の右腕を掴んだ。
ハルドメルが、『例え差し違えても』とまで強く願ったのは、親友の仇を前にしたあの日。――最期の一撃を、成し遂げられなかった復讐。
死ぬつもりではなくとも、仇を討てるのであれば惜しくはなかった。例え誰に止められてもその道を阻むことはできなかっただろう。『イシュガルドのため』という大義名分を盾に私欲の剣を振りかざしたのが、ハルドメル・バルドバルウィンだ。
ドタール族のように、魂を輝かせて一族を繁栄させるためでもなく。ゴウセツ達侍のように、国や主の道を拓くために命を燃やすのでもなく。ただ自分がそうしたいからと、未来に何にも繋がらない、壊すためだけに命をかけた。
それでも最後に、躊躇したのは。鼻腔を掠めたあの香りが、友の願いを思い出させたからだ。
危険を顧みず、一歩も退くことなく、微笑んだ彼は――その命を捧ぐ程の願いは、
「……私は、皆に笑って、生きてて欲しいよ」
ハルドメルが今までに見送ってきた――この命に代えてでもと、大切なことを成し遂げてきた人達はきっと、誰にも止めることはできなかった。ゴウセツのことも、もしその時が来たとして、ハルドメルには止めることができないだろう。
だが、と願ってしまうのもまた、止められない。いつだって無事を祈り、喜んでくれた親友のように。
最後は、『無事で良かった』と、笑い合いたいのだ。
ゴウセツは亡骸を狙ってやってきた獣を斬り伏せると、ハルドメルを振り返って朗らか笑った。
「なに、まだその時ではござらぬ。主を人質に取られたままとあっては、死んでも死にきれぬからな!」
「……、はい!」
俯いてしまったのを正すように、ハルドメルはゴウセツに真っ直ぐ向き直って、微笑んだ。
「さて、長居をしてしまったな。必要な情報は手に入った、早速戻って若達を解放してもらわねば! やり残したことはないでござるか?」
「あ……」
ゴウセツにそう問われてはっとする。二人で手分けして聞き込みをしていた時、一人の少女に声をかけられたのだ。
『すみません、あなたは外から来た人ですよね?』
ドタール族の少女だった。年の頃はまだ十代半ばといったところ。小柄な彼女にハルドメルは少ししゃがんで視線を合わせた。
『はい、どうかしましたか?』
『実は、お願いしたいことがありまして……ここではちょっと』
そう言って彼女は、暮れの玉座で待っていると歩いて行った。その後すぐにゴウセツに呼び止められてサドゥの元に行ったのだ。彼女はまだ待っているのだろうか――いても立ってもいられず、ハルドメルはゴウセツに事情を話した。
「話を聴いてくるから、少しドタール・カーで待っててもらっていいですか?」
「相わかった。そのような離れた場所でということは、何やら込み入った事情がありそうでござるな。年若いおなごが一人でいるというのは気にかかるが、お主が行くのであれば心配なかろう」
「ありがとうございます!」
――――――
その少女は、暮れの玉座の傍で静かに月を見上げていた。
「遅くなってごめんなさい!」
ハルドメルが声をかけると、ドタール族の少女は小さく肩を跳ねさせて振り返る。浮かんだのは安堵の表情で、一人で待つのは心細かっただろうとハルドメルはもう一度謝った。
「いいんです、本当に来てくれただけで嬉しいので……他の人に気付かれたら、話す前に連れ戻されたでしょうから」
彼女に頼まれたのは護衛だった。オロニル族に両親が殺された彼女は、オロニル族の衰退とドタール族の繁栄を祈るために、月神ナーマのもとへ行きたいのだと。地図で場所を教えられてハルドメルは思わず声を上げた。ここからだと随分と遠く、しかしモル・イローに比較的近い山道のようだった。
(ええと……今から明けの玉座に戻って、リセ達を解放してもらったら帰れるはずだから……)
道筋を考える。行く方角は同じなのだから、オロニル族の手から離れることができれば、皆には先にモル・イローに戻ってもらい、ハルドメルは少女を迎えに来てから目的地に向かえばいい。そこまで思考して、うんと頷いた。
「護衛はできます! でも私仲間を助けなくちゃいけないのと、今日はもう暗くて危ないから、できれば明日の」
「――今からが良いのです!」
少女の鋭い声にハルドメルは面食らった。その表情は先程と打って変わって、切実さを滲ませている。
「間もなく合戦が行われます……それまでに、祈りを捧げたい。道中は危険だから、皆に知られたら止められるでしょう。だから、誰にも気付かれないうちに行きたいのです」
まだ真夜中ではないが、月明かりがあっても辺りは闇に包まれている。それでも進みたいと言う彼女の強い意志に――両親を殺された無念が見て取れ、ハルドメルは閉口した。その気持ちが、痛い程理解できてしまうから。
「……少しだけ、待っててくれる?」
ドタール・カーの外に呼び出したゴウセツに、理由は省いて護衛を引き受けたいのだと説明する。今からチョコボを走らせれば、明け方には戻って来られるはずだ。途中モル・イローに寄り、心配しているであろうシリナにも状況を説明してくることも含めて。
「だから、皆には申し訳ないんですけど……今夜はここで休んでてもらえたらって」
「うぬぬ……拙者だけで良いなら今すぐ若の元へ行きたいところではあるが……」
「一人でも逃げたら解放しない、って言ってましたもんね……マグナイさん」
偵察の報告期限は明日の夕刻だ。それまでに戻らない場合も二人は解放してもらえない。ゴウセツ一人で向かえば、説明したところでハルドメルが逃げたと判断されてしまうだろう。敵となる部族の頼みなのだからと言われてしまえばそれまでだが、ハルドメルは少女の切なる願いに何とか応えてやりたかった。
「……承知した。その少女には並々ならぬ強い意志がある様子。だがまずはサドゥ殿に滞在の許可を貰わねば……」
「一晩? あぁいいぞ。勿論妙な真似しやがったら命は無いがな」
二人がサドゥに直談判しに行けば、驚くほどあっさりと許されてしまった。思わず顔を見合わせるが、ハルドメルは慌てて頭を下げる。
「あ、ありがとうございます。でも私達、」
偵察に来た二人組だ。合戦の時のみならず、今でも敵対する存在であることに変わりはない。偵察を許してくれたこともだが、何故と戸惑うハルドメルにサドゥは呆れたように肩を竦め、少し笑ってみせた。
「……お前に手を貸してもらったって話すやつがあんなにいたのに、無自覚か? とんだお人好しがいたもんだ」
ドタール族達に聞き込みをする中で、確かにあった。贈り物を運ぶのを手伝ってほしい、厄介な魔物を狩ってほしい――そんな声に確かに応えた。そして、今もまた応えようとしている。
「オレ達は獣に例えられる程、余所者から見たら野蛮に見えるんだろうが礼儀は弁えてるつもりだ。手助けしてくれた奴を夜中に追い出す程恩知らずじゃない」
そう言うと、サドゥは天幕の奥に引っ込んでしまう。その背に、ゴウセツは深々と頭を下げた。
――――――
「朝には必ず帰ります。待たせちゃってごめんなさい」
「何、折角滞在するのだ。拙者もまだ学べることがないか探すといたそう! 自前の酒でもあれば、腹を割って話せたかもしれんがな!」
豪快に笑うゴウセツに密かに見送られ、ハルドメルは村はずれで待たせていた少女の元へ急いだ。
「ごめんなさい、私のわがままで面倒なことをさせてしまって……」
「そんなことないです! さぁ行きましょう。少し狭いかもしれないですけど、移動はこの子に乗ってもらって……」
クエ! と元気よく鳴いた黒チョコボ、フリニーフェダルの首筋をぽんぽんと叩くと、少女が乗れるようにしゃがみこんだ。
「すごい、外の馬に乗るのは初めてです……! あなたの生まれた地では、この鳥のような子に乗って移動するのですね」
フリニーフェダルの羽をふわふわと撫で、年相応の笑顔を見せてくれた少女にハルドメルも微笑んだ。夜よりなお暗い黒羽がばさりと音を立てる。先に乗せた少女の後ろにハルドメルも跨がった。ルガディン族でも軽々と乗せて走る大型のフライヤー種故に、小柄な少女と乗ってもしっかりとした足取りだ。
「手綱をしっかり握っていて。もし私に何かあったら、すぐ集落に走ってくれるから!」
そうして二人と一羽は、『楔石の虚』までの旅路を進み始める。
――オロニル族の長であるマグナイと相対した時、尊大ではあるが悪い人ではない、とハルドメルは感じた。だが少女の話を信じるならば、彼らの一族がそのような残虐な行為をしているということになる。
ドタール族の話を聞いていても、他部族同士の抗争は珍しいものではないようだった。そしてハルドメルは、過去の旅路から想うことがある。
どちらが戦いを始めたのか。どちらが『悪』だったのか。それを、片側の話だけ聞いて判断するのは、とても難しい。そのことをあの雪国での旅で、ハルドメルは嫌という程思い知らされた。
だからこそ彼女の話を聴いて、思ってしまったのだ。彼女の両親を殺したというオロニル族もまた、彼女の両親、あるいは他のドタール族に身内や友を殺されたのかもしれないと。――そもそも本当にオロニル族であったのかどうか。オロニル族を騙った別の部族であった可能性も、無いとは言いきれない。
だが勿論、このことを少女に伝えるつもりもない。神に祈ることで少しでもその心が救われるのであればと、フリニーフェダルを走らせながら思う。
その俊足のお陰で、魔物に襲われることもなくモル・イローの傍まで辿り着く。少女を降ろして少し待って欲しいと頼むと、見張りのモル族に声をかけてシリナを呼んでもらった。
「ハルさん! 無事だったんですね! 遅いから試練で何かあったんじゃないかと……他の皆さんは!?」
試練は超えられた事、その後でオロニル族に呼び出され同行し、彼らの指示に従って行動していた事、間もなく解放される事。ここまでにあった出来事を掻い摘まんで説明すると、とりあえずはといった様子だがシリナは胸を撫で下ろした。
「そうですか、オロニル族に……でも、偵察の内容を伝えたら皆さん解放されるはずですよね。彼らは……尊大なところもありますが、草原の支配者として言ったことを反故にすることはありませんから」
「私もそう思う。明日にはきっと帰るから、待っててね。……それと、この子を少し休ませてくれるかな? ここまで走り通しだったから」
フリニーフェダルの首を撫でながら言うと、シリナは笑顔で頷いてくれた。ナーマの元――『楔石の虚』は傍の山道をいくらか上った所だ。その程度はついて行けると少女の言葉もあり、ハルドメルはフリニーフェダルを預けると、一人で少女の元へ戻る。
山道には少女の言うように、獣が群れを成して彷徨いていた。それらを斬り伏せながら先へ進む。少女も流石に草原の民、山道を歩くのに疲れた様子は見せなかった。――ただ、どこか、ぴりりと張り詰めた様子が気にかかった。
やがて山道の先に、ぽっかりと開いた洞窟のようなものが現れる。そこが『楔石の虚』なのだろう。耳を澄ませば僅かに、風の通る音が聞こえてくる。
「ありがとうございました。ここからなら、ひとりでも行けます」
「お祈りしてくるんだよね。魔物が来ないか見張ってるから」
「いいえ、ここまでで結構です」
静かに微笑んでそう返した彼女に、ハルドメルはひゅ、と息を呑んだ。そんなハルドメルの様子を意に介さず、少女は懐から何かを取り出して手渡した。『最後のお願い』として、その手紙を親友に渡して欲しいのだ、と。その手紙は、手紙と言うには少しだけ、ずしりとした重さを持っていた。
「お礼は後ほど、必ずさせていただきます。……それでは、」
「――待って!」
背を向けて、歩き出そうとした彼女の手を思わず握る。か細い腕は、僅かに震えたような気がした。
引き留めたのに、ハルドメルは上手く言葉を紡げなかった。ここで待ってるよ、ドタール・カーまで送り届けるよ、大丈夫だよね、戻ってくるよね。――どうか、戻ってきて。
何か、言いたいのに、それは音にならない。その悲愴な決意を、確かに感じてしまったから。
――この命に代えてでもと、大切なことを成し遂げてきた人達はきっと、誰にも止めることはできなかった。
もしその時が来たとして、ハルドメルには止めることができないだろう。
ここで、説得することはできるかもしれない。力尽くで連れ帰ることも、やろうと思えばできる。それだけの力がハルドメルにはある。
――できない。
彼女の、その願いを無理矢理ねじ伏せることは、このまま見送るよりも残酷なことのようにすら思えて。
「……ありがとうございます。優しい旅の人」
振り返った彼女は、微笑んでいた。
――嗚呼、知っている。いつだってそうだった。皆、そうやって。
小さな手が、ハルドメルのそれに重なる。温かくて、優しい手。
「仲間達のことも、たくさん助けてくれていましたね。だから、私はあなたに頼ったのです」
少女は一瞬言葉に詰まる。少しの間を置いて、出てきたのは謝罪ではなく、感謝の言葉だった。
「本当に、ありがとうございました」
離れようとするその手を、ハルドメルはそっと両手で包んだ。息を吐いて、きっと情けない顔で微笑んだ。悲しい顔より、笑顔がイイはずだから。
「……あなたの旅路が、良きものでありますように」
月明かりに照らされて、少女の見開かれた瞳が一瞬輝いた。そうして、また微笑み返してくれる。
「……はい。それでは、本当にお世話になりました。……さようなら」
洞窟の中へと向かう彼女の背を、ハルドメルは最後まで見送った。夜はどこまでも静寂に包まれて、月の光が草原を優しく照らしていた。
――――――
「あれと遭遇してなお偵察を完遂したとあれば、お前達の功績に恩寵を与えるべきだろう」
ドタール族の偵察結果を聞いたマグナイは、ヒエンとリセを約束通り解放してくれた。互いに無事を喜び、取り上げられていた荷物を返してもらうために玉座を出て行く。
それについて行かず、ハルドメルはそっとマグナイに話しかけた。
「マグナイさん。最後に一つ、いいですか?」
「……いいだろう、許す。お前の働きは特に目を見張るものがあったからな」
尊大だが、功績や実力は確かに認め、それに応じた返しをしてくれる。そんなマグナイを、ハルドメルはオロニル族の長として信頼した。
「……オロニル族に両親を惨殺されたというドタール族に会いました。でも……私はまだ少ししか知らないけど、草原の守護者たるオロニル族が何の理由もなくそんなことをするとは思えません」
「僅かな時間で余輩らの偉大さを理解しようとする姿勢は評価するが……何が言いたい」
睨め付ける金の瞳から視線を逸らさず、ハルドメルは正面からそれを見据えた。
「もしかしたら、オロニル族を騙った誰かがそんなことをしてる可能性も、あると思って」
「……成る程、オロニル族の威光を穢す者がいるかもしれない、と。そのような者がいるのなら必ず探し出し、例え誰であろうと命で贖って然るべきだ。……報告に免じ、余輩らを勘ぐった不敬は見逃してやろう」
「……はい、感謝します」
寛大が過ぎるか、と独りごちるマグナイにぺこりと頭を下げると、ハルドメルは仲間達の元へ走って行った。