薄暗い牢は少し黴臭い。ないよりマシという程度の粗末な布の上に転がって、男はぼうと天井を見ていた。
捕えられた以上、もう先などない。終わるならさっさと終わってしまえ。そう思いながらも所詮小心者であるこの身は、腹の底で未だ恐怖に怯えている。
天に向けて救いを求めるように伸ばされた手が、絶望に光を失ったたくさんの目が、今も悪夢となって男を苛む。夢の中で男は逃げようともがくのだ。死にたくないと。
「……っ」
ここは静かすぎると悪態を吐いた。何もすることがないと記憶を反芻してしまう。見たくもないものを見てしまう。
重々しい金属の音がして、空気が流れる。衛兵から面会だと言われて面食らった。一体誰が、何のために。
思わず身体を起こす男の前に現れたのは、見知った顔だった。
「うわ顔色悪……」
「……、な、にしにきたんだ、君は……」
掠れた声を出す。随分と久しぶりに喋ったような気がすると、男は――ローレンティス・デイは喉元を手で押さえながら思った。
白い毛に覆われた耳をぱたりと揺らして、来客――ウ・ザル・ティアはちらりと狭い牢を見渡す。
「何って……あんたらを捕まえたから……あとはまぁ、知らない奴じゃないから、証人として色々と聞かせてくれって呼び出されたんだよ。ついでに仕返しして帰ろうと思って」
「逃げる時も捕まった時も思いっきり殴っただろ!」
「あんなんで足りるかよ、痛かったんだぞお前鞭の扱い下手くそだったから」
「煩い!」
天気の話でもするような調子に、ローレンティスは戸惑いを隠せない。仕返しと言うわりにじぃと冷めた視線を向けるだけで、戸惑いは次第に苛立ちに変わる。
「……なんだよ、嗤いたきゃ嗤えばいいだろ……!! 正義の味方側になれてよかったよなぁ君達は!!」
やや老成したような顔つきの彼がぴくりと眉を動かした。ただそれだけなのに、ローレンティスは冷や水をかけられたように気勢を削がれる。
「……俺に逃げられた時に止めときゃよかったんだ」
「っ……煩い! 後戻りなんて……」
『助かった、同志ローレンティス・デイ』
やはり彼はスパイだったのだ。ありがとう。よくやってくれた。そんな言葉を優しく吐きながら、あの男は仲間だった青年を命令通りに斬り、震えるローレンティスの手に『報酬』を握らせた。
『アラミゴのため、君の力が必要だ。これからもついてきてくれるだろう? 君は正義感の強い男だから、裏切る心配もない』
戻る道なんてなかった。そもそも進んだ道が正しくなかった。どうして。
ただ――ただ正義を、今度こそ成したかったはずなのに。
「……解放軍と同盟軍でこれからお前らの処遇をどうするか話し合われる。そのためにクリスタルブレイブの関係者や……バエサルの長城で実際現場にいた人間からも意見を集めてるけど、まあ極刑だろうって意見が殆どだ」
拳を握りしめ、俯くローレンティスに静かに言葉がかけられる。極刑――そうなるのだろうとは頭のどこかで理解はしていても、到底受け入れられるはずもない。恐怖、後悔、自己嫌悪。あらゆる感情が無意味に渦巻いては、ただ虚無の底に沈んでいく。
「――けど、一人だけ……」
『……やったことを、考えれば……』
彼女は長く、とても長く沈黙した後、苦渋の表情でそれを答えた。
『……極刑、に……なるんだと思います……』
やはりそうかと頷くラウバーンに、彼女はでも、と続ける。
『局長が、私個人の意見を聞いている、なら……』
「――それでも、死んでほしいわけじゃない、だとさ」
「……っ」
「もしバスカロンさんが来たら面会させてやってほしい、とかも」
どうしてそんな話を聞かせる。どうして、裏切った人間の助命を求めるような真似をする。
馬鹿じゃないのか。ふざけるな。同情して、哀れんで、馬鹿にしてるに決まっている。どうして。
――だから、彼女は。
歯を食いしばり、ローレンティスはウ・ザルを見上げた。そこには変わらず冷めた目があるだけだ。
「じゃ、俺帰るから」
「っ……は?」
言い返そうとした途端そう言って踵を返され、完全に虚を突かれたローレンティスは間抜けな声を上げた。
「な、んなんだよ、仕返しに来たって……!」
「もう終わった」
何発殴られるのかと身構えていたのに、彼は背を向け牢の扉に手をかける。
「あと、捕虜の虐待は普通に禁止だからな」
振り返ることはなかった。扉の向こうに姿が消え、再び重い音と共に閉じられる。
「……っいつもこいつも……なんなんだよ……!」
虚しく響く悪態は、誰にも届くことはない。
「クソッ……クソッ……!!」
その中に微かな嗚咽が混じったとしても、誰にも。
