海が好きだ。
生まれたのが船の上だっただとか、名前にも『海』があるからだとか、なにかと縁があるというのもある。
だがそれらを差し引いても、どこまでも広く、冴え冴えと蒼く輝く水面も、うさぎの群れが飛び跳ねるような白波も、太陽の光を写し取った夜明けの朱も、様々な表情を見せる姿が好きだ。
『前にハルちゃんが乗った時もいい風が吹いてたんだよなあ! こーんなちっちゃい頃だけどよ!』
両親に連れられて船に乗ると、ハルドメル自身には覚えのない船乗り達にそう言われたことを覚えている。
太い指でほんの少しの隙間を作って、ガハハと大笑いする彼らに、
『そんなに小さくないよ!』
そう返しながら自分も笑っていたことを。
「おや、何か描いているのかい?」
「アルフィノ」
アラミゴ解放軍が再起する糸口を探るべく、『海賊船』で東方へ向かう道中。青燐機関を積んでいる船とは言え、風の具合次第で到着までの期間は長くなる。思い思いに過ごす中、外の空気を吸おうと船室から出てきたアルフィノは甲板の隅に座り、手帳にペンを走らせているハルドメルに声をかけた。
隠そうとはしていなかったので隣に座り、その手帳を見る。そこには船首で羽根を休めているカモメが描かれている。
「へぇ、上手いものだね!」
「あはは、ありがとう。アルフィノには負けるけどね」
はにかみながらそう返すハルドメルは描きかけのカモメの羽先を黒に色付け、ぱらぱらとページを捲った。
旅の途中で依頼されたもののメモ書きや、日記のような一文。それらの合間に、イシュガルド様式のポットと三つのティーカップ、ローズマリー、ギラバニアで見たラールガー神の巨像……の、大きな足と、その側で活動する人達の姿など、様々な光景やモノが描かれていた。
「旅で見聞きしたものが、この中に沢山あるんだね」
「うん」
手帳を見つめるハルドメルの眼差しは柔らかい。先頃敗北を喫したゼノス・イェー・ガルヴァスとの戦いからこっち、前を向きつつもどこか気もそぞろという様子だったが、この船旅で時間が出来たことで少し落ち着いた様子だった。
「忘れないように。帰ったら、沢山お土産話したいし、見せてあげたいからね」
時間が出来たということも勿論だが、絵を描くという行為自体も心を落ち着かせてくれるものだ。絵を描く理由が『友に見せたいから』というのも、実に彼女らしいとアルフィノは思う。
「さて、では私も」
「あれ、アルフィノも何か描くの?」
興味津々といった様子でハルドメルがアルフィノの取り出した紙とペンに注目する。アルフィノの絵の上手さはイシュガルドでの旅で知ったことだ。彼はふふ、と笑うとペンを走らせ始める。
「向こうに着いたら、ユウギリ殿達と合流したいんだ。解放運動に加勢するためには必須だからね」
「……あ、すごい! ユウギリだ」
アルフィノのペン先は淀みなく動き、黒髪のアウラ族の忍び、ユウギリの顔が描かれていく。
「人相書きがあれば探しやすいだろう? クガネに着くまでの間に皆に渡せるように描いておきたいんだ」
「はぁ~……アルフィノはやっぱりすごいな。先のことまでしっかり考えてる……」
暢気に絵を描いていたのが恥ずかしくなったのか、黒い肌を微かに赤くして俯くハルドメルにアルフィノは微笑んでペンを止めた。かつて自分が励まされたものを返すように。
「適材適所というやつだよ。君は戦うの担当、私は考えるの担当、だろう?」
「う、自分で言ったこと返されると恥ずかしい……」
今度は照れ笑いに変わる。
ただ無事を祈って待つばかりだったあの時はどうしようもなく焦燥感に駆られたものだが、一度船が出てしまえばその間できることは少ない。そんな中で焦らず、今できることをできるようになったのは間違いなくあの旅のお陰で、薪拾いから戦い方から、多くのことを教えてくれたあの竜騎士のお陰なのだ。果たして今どこにいるのやら――アルフィノがふと物思いに耽っていると、急に空が陰り船が揺れる。
カルヴァラン達の話を聞けば、どうやら『出た』らしいという。
動揺するアルフィノとは対照的に、乗り込んで倒せばいい、と現実的な対処を口にするアリゼーにカルヴァランも皆も同意した。
(船に乗ると天気がいいの、ちょっと自慢だったのになぁ)
海の上で生まれたから、きっとリムレーン様に愛されているのね。そう言っていた両親はそれでも旅を安全に過ごせるようにと、ゼーヴォルフに伝わる祈願のペイントを右頬に。海神リムレーンに見つけてもらい、祝福を受けるための目印になる宝石を額につけてくれた。
異変が起こったのは困りものだが、それでもきっと大丈夫だと信じられるのは、両親が与えてくれたこの守護の祈りがあるからだろう。
「ふふ、早速戦うの担当の出番だね」
「さ、サポートは任せてくれ……っ!」
やや声が上擦ったアルフィノに笑いかけ、ハルドメルは剣と盾を手に取った。