エレゼン族は、他の種族と比べて少しだけ寿命が長い。ーーと言っても、長命種であるヴィエラには程遠いのだがーーその影響か、成長期は少し遅く、十八頃から二十歳程の間で急激に背が伸びる期間が訪れる。
アルフィノやアリゼーもその例に漏れず。ただ、アリゼーは少し早めに成長期が訪れたのに比べ、アルフィノはそれより少し遅かった。しばらくの間妹に見下ろされるという、兄としては少々複雑な気持ちを抱いたのも今となっては笑い話。二十歳になったアルフィノの背はすっかり大人のそれになり、いつのまにか光の戦士たる彼女ーーシャリアよりも、大きくなっていた。
「あーんなに小さくてかわいいお坊ちゃんだったのに……!」
「ふふ、残念かい?」
「赤ちゃんのくせにわたしを見下ろすなんて百年早いわよっ」
むにーと頬を柔く摘まれて、アルフィノが小さく肩を揺らして笑う。旅に出る前頃にはまだシャリアがアルフィノを見下ろせる程度の差だった。長旅を終えて戻ってみればどうだ、すっかり追い抜かれてしまっている。大人らしい精悍な顔つきになっているものの、その柔らかな眼差しはどちらかというと彼の父より母に似ていた。子供らしさの残っていたまろい頬も大人らしくなり、成長したのだなあという感慨と、ほんの少しだけ寂しいような、複雑な感情が去来する。
「今日は母に?」
「そ。アメリーが前に欲しがってた品がたまたま旅先で手に入ってね。旅にも一区切りついたとこだし……なのに留守なんて残念だわ」
「母もきっと残念がるよ。アリゼーもね。でもせっかく来てくれたんだ、旅の話を聴かせてくれるだろう?」
そう言いつつ、メイドにお茶の用意をするように頼んでいる。断られるなんて思っていないところが少々悔しいがーー断る気もシャリアにはなかった。
一人部屋にしては広すぎるアルフィノの部屋に通され、弦をつま弾き、旅の記憶を歌にする。その全ての足跡を詳細に地図に描くように、見た景色、におい、色すらも音にして。それを興味深そうに、楽しそうに、時には笑って聴いているアルフィノのことが、改めて好きなのだとーーそう感じる。
「今回の旅はついて行けなくて残念だったけれど……こちらからのサポートが役に立ってよかった。今まで以上に波瀾万丈の旅だったようだね」
「あったりまえでしょ! 冒険はそうでなきゃ!」
歌い終わるタイミングを見計らうように出されたアイスティーは冷たくて美味しい。出されたクッキーは焼き立てで、久々の甘味がなんだかんだと長旅で疲れた身体に染み渡る。
リラックスして、少し倒れた耳にアルフィノはくすりと微笑んだ。こうして気を緩めてくれるのは信頼の証だから。
離れている間も大まかな話はリンクパールでの報告で把握していたが、今聴いたばかりの話について、これはどうだあれはなんだと知的好奇心を隠さないアルフィノにシャリアもまた笑う。身体が大きくなっても中身は相変わらずだ。
話し込む内に、外はすっかり暗くなっていた。然程長居するつもりはなかったシャリアは宿でも取ろうと考えていたのだが。
「おや、食事も用意してもらったから是非食べていってくれたまえよ。たまの贅沢と思ってね。客室も空いているし、旅慣れしていても時にはふかふかのベッドで寝るのもいいだろう?」
用意周到なのか天然なのか。上手いこと言い包められてしまったーー否、惚れた弱みとでも言うべきか。いやいや、決して持ち金が少ないとかそういうわけでは……なんて心の中で言い訳しつつ、結局断れないシャリアは大いに豪華な食事に舌鼓を打ち、広々とした浴室で旅の疲れを癒したのだった。
ーーーーー
「君の口に合うといいんだが」
「もうアルフィノも飲める歳かぁ……よし、おねーさんがお酌してあげよう!」
「ふふ、光栄だよ」
アルフィノが部屋に持ってきたのは一本のワインだ。酒には強いわけではないのにぱかぱか飲むシャリアであるが、アルフィノが選んで持ってきてくれたそれを水のように消費するほど無粋ではない。
「じゃ、かんぱーい!」
「乾杯!」
お互いに注いだワインのグラスを掲げる。出会った時はあんなに尊大で身体も小さかった彼と酒の席を共にするのは、なんだか不思議で新鮮だ。やたらと嬉しそうににこにこしているアルフィノにもう酔ったのかと首を傾げれば、それに気付いたのか、アルフィノはくすくすと肩を揺らした。
「いや、こうして君と飲めるようになったことが嬉しくてね。石の家を使っていた頃はそうはいかなかっただろう?」
「……まあねえ、今よりもーっとちっちゃかったもんね!」
同じようなことを考えていたらしいことが少し面映く、長い耳がわずかにぱたんと動いた。感情が表れやすいその耳の動きにアルフィノは気付いたが、そのことにはあえて触れず微笑むに留めた。
用意してもらったつまみはどれも綺麗に盛り付けられた、ちょっとおしゃれなお店で出てきそうなものばかり。シャリアにはあまり馴染みはないがどれも美味で、飲んでいるワインとよく合った。話も弾み、心地良い程度の酔いが回る。少し小ぶりだったワインボトルはいつのまにか空になり、もう少し飲みたいなあなんて思っているシャリアだが、彼女が酔い潰れないように控えめのものをアルフィノが選んだことは気付いていない。
「……?」
アルフィノがじいとシャリアを見ている。その表情は柔らかいのに、眼差しはどことなく真剣でーーシャリアの耳がぴんと伸びた。
「シャリア」
「……な、に」
最近は言われなくなったから、油断していた。気が緩んでいた。もうそんな気はなくなったのだと思っていた。覚えのあるその眼差しに、酒のせいだけではない体温の上昇を感じる。どっどっと心臓が跳ねていく。耳の内側が赤くなる。
「私は」
「あっ、もうこんな時間だねぇ! 部屋ありがとね借りるよ! おやす、」
「私は大人になったよ」
立ち上がって部屋を出ようとするシャリアの動きは当然予想していたかのように、アルフィノもまた立ち上がって彼女の手を掴む。ひゅ、と息を飲む音がして、魔法にかけられたように身体が固まる。
アルフィノは気付かれないように密かに息をついた。それは安堵だ。以前はいとも容易く振り払われ、突き飛ばされてしまった。若さ故の焦りもあったが、相手の気持ちを考えなかったと反省している。いくら好き合っている相手でも、急に迫られれば誰だって驚くし、初めてであれば怖いものだと。
『わわわわわ私より小さい赤ちゃんが生言ってんじゃないわよ! おバカ! マセガキ!』
そう言って半泣きで逃げていった彼女とはその後和解したけれど、その後は好きだと想いを伝える以外何もしなかった。アルフィノは逸る気持ちを宥めながら、ずっと待っていた。
シャーレアンでは十六歳で成人と見做されるものの、精神的にも肉体的にも未熟であることは明白だ。アルフィノ自身様々な経験を経てそれを身を持って知ったが故に、いずれ成人年齢の引き上げを提案しようと思うほど。
「年齢は当然、君と比べるべくもない。君にとっては赤子同然だろう。わかっているんだ。でも」
握る手に力が籠る。それでも彼女は耳も顔も真っ赤にしたまま、微かに戸惑いの呻きのような声を漏らすだけ。
「肉体的にはもう君たちの成人と変わらないはずだ。精神的には……まだまだ足りないかもしれないけれど……それでも私はもう、君に守られるばかりの子供ではなくなった。一人の男として君に見てもらいたい」
一歩、近付けば驚いて顔を跳ね上げ、一歩後ずさる。一歩。後ずさる。その先にふかふかのベッドが待ち構えていることに、彼女は気付いているだろうか。
「言……ずっと言ってる、でしょ……きみは憧れを勘違いして」
「四年も勘違いできるほど愚かではないつもりだよ。それに君を妻に迎える気持ちも覚悟もとうに持ち合わせている」
「つま!?!?!??!?」
流石にそろそろ思考を取り戻してきたらしいシャリアを逃すまいと、アルフィノはその手を引いて優しく腕の中に閉じ込めた。ーーあんなに大きく感じていた彼女が、腕の中にすっぽりと収まる。その事実にどうしようもなく胸が高鳴る。腕の中で小さく悲鳴が聞こえ、もがいてみせるがその力はあの日と比べてどこか弱々しい。
「あ、アル……アルフィノ……」
キスも、手を繋ぐのだって恥じらう彼女はずっと混乱し通しだ。やろうと思えばあの日のように突き飛ばすことは容易いだろう。だがその気配は、まだない。
「シャリア」
囁く声を長く大きな耳に吹き込めば、面白いほどにびくっと震える。柔らかな毛並みごと唇で食むと、腕の中の身体が震えて声がこぼれる。
「ぁ……ぁ、」
「ねぇシャリア。私はずっと待っていたよ」
するするとその手が背を辿り、腹部に、臀部に、太腿に伸びてもまだ。
「私は君が好きだ。愛している。君が嫌だと言うならまだやめられるけれど……ふふ、何も言わなれけばそれこそ『勘違い』をしてしまうよ?」
「ひゃっ」
じりじりと後ずさっていた身体はとうとうベッドに受け止められた。くすりと微笑むアルフィノはしかし、『やめろ』と言えばやめてくれるのだろうとシャリアは思う。
(あんなに、ちいさかったのに、生意気だったのに)
二十歳になったアルフィノの背はすっかり大人のそれになり、いつのまにか光の戦士たる彼女、シャリアよりも大きくなっていた。顔立ちだって精悍になり、シャーレアンでも暁でも重要な役割を担っている。
そうだ。もう大人なのだ。大人、の、男、なのだ。そう、認めなくてはいけない。いつだってつい年齢のことを持ち出してしまうけれど、そもそも種族が違うのだから比べるようなものでもない。
「ん……っ」
触れるだけの優しい口付けすら、ぎゅうっと目を瞑ってしまう。本当に全く、どうして齢九十を超える女にご執心なのか、なんて思ったところで、赤ちゃんと揶揄する年齢の少年ーー否、青年を愛した自分が言えた義理ではない。
「あ……ま、って……待、……ア、ル……ッ」
絡め取られる。囚われる。溺れる。そんな単語が脳裏をよぎる。前言撤回、やめろと言ってももう彼は止まらなそうだと、シャリアは熱に浮かされた頭で察する。
そして、ここまで来て。酔いがあるとは言え、ろくに抵抗できない我が身が恨めしい。
アルフィノはきっと断られるなんて思ってないので腹が立つし、雰囲気に流されてしまった自分は惚れた弱みという言葉で片付けていいものかと頭を抱える。
けれど初めて聞くようなアルフィノの声と、大きくて温かな手が優しくて、心地良くて。シャリアはふと、身体の力が抜けるのを感じていた。