雪解けが進み、イシュガルドの寒さが僅かに和らぐ頃。
中間テストも終わり、新入生達も生活に馴染んでくるこの時期に、より生徒達の友好を深めるための催しがあった。
この日のために準備に追われた委員会も、運動は苦手だとぼやく生徒も一堂に学園の円形闘技場に集まる。生徒達の視線を受け、生徒会長であるアイメリク・ド・ボーレルによる『友誼祭』開催の宣誓が行われた。
「我ら生徒一同は、正々堂々と競技に挑まん。力を合わせ、知恵を尽くし、互いへの敬意と礼節を重んじることを。友誼祭の名に恥じぬ戦いを、戦神ハルオーネに誓う!」
沸き起こる拍手と共に、ハルドメルは普段の授業とは異なる雰囲気に瞳を輝かせた。友誼祭――学園内競技大会は、ハルドメルにとって初めての大きなイベントだった。
友誼祭は学科は関係なく、全生徒が二つのチームに分けられて競い合う。
競技の内容は知恵を求められるクイズ形式のものから運試しのようなものまで多岐に渡り、単純に個人の能力が高ければ勝てるというわけではない。普段は目立たない生徒が思わぬ才を発揮したり、普段は関わりの薄い、あるいはいがみ合うような者同士が協力しあって勝利するシーンもあり、会場は大いに盛り上がる。――残念ながら、身分や能力の差で相手を見下し、普段通り非協力的な態度の者も存在するのだが。
「ハルドメルさん、こっちよぉ」
「ハルア先輩!」
観客席は交流を図るためにチーム用にわけられるということはなく、誰でも話しやすいよう自由席となっている。
ハルアと合流したハルドメルは、隣の席に座り興奮した様子で今し方勝利してきた競技について話した。
「クイズの方はすごく難しかったんですけど! そっちの点数はヌドゥネーさんやフランセルが頑張ってくれて! 身体を動かす方は私とジャンルヌさんで頑張ってきました!」
「えぇ、見てたわよぉ。相手チームにグレイストーンくんがいたから、負けない! ……ってお互い張り切ってるのがよくわかったわぁ」
「ふふ……いつもの手合わせも楽しいですけど、こういう競技もいいですね!」
「ハル!」
すっかり聞き慣れた、自分の名を呼ぶ声にハルドメルはぱっと顔をそちらに向けた。駆け寄ってくるオルシュファンに破顔して手を振ると、オルシュファンも笑顔を見せる。
「ハル! 先程はとてもイイ勝負だった……! チーム戦としては一本取られてしまったが、全員が得意分野で活躍し、協力しあう熱い戦いだったな! これこそが友誼祭というものだ!」
「うん、すっごい楽しかった! 味方じゃなくて最初は残念だったけど、シュファンと勝負できて嬉しいよ!」
『心が躍る』とは正にこういうことなのかと、 まだ興奮冷めやらぬ胸を落ち着かせながらハルドメルは笑う。
「っ……あ、あぁ、もちろん私もだぞ! ……そういえばそろそろダンス競技の時間だが……」
競技の後だからか、僅かに耳が赤いオルシュファンがそう切り出すとハルドメルも小さく声をあげた。競技という体ではあるが、交流や礼節に重きを置く種目ということもあり両チーム点差がつきにくく、気楽にできると人気があるのだ。
「あ、そうだね! 普段授業ではリード側ばかりやってるから、フォロー側がうまくできるかちょっと心配だけど……」
「どのブロックだ?」
「一回目のCスタートみたい! シュファンは?」
「一回目の……Dだ」
「あらぁ、並び順によってはぎりぎりご一緒できるかどうかというところかしら……」
ダンス競技は円形に並び、ペアを変えながら踊る。当然同性同士のペアとなることもあり、ダンスの上手さだけではなく、相手への礼節、協調性、周囲への気遣いなども採点の対象だ。
曲の長さや運営側の指示にもよるが、ペア交代は多くて五、六回といったところ。二人が踊れるかどうかはハルアの言うとおり並び順次第だった。
「ふふ、ダンスでもシュファンと楽しめるといいなぁ」
「うむ、一緒になったらお前が驚くくらいイイ! リードをしてみせるぞ!」
やけに気合いの入ったオルシュファンの言葉と共に、次の競技が始まる合図が響いた。
* * *
「よろしくお願いしますっ。私がリードを!」
「……」
円形にならび、それぞれダンスの相手と挨拶を交わす。ハルドメルの最初の相手は三年生の女子生徒だ。
相手は軽く膝を曲げて礼をする。身体を寄せ合い、音楽にあわせて生徒達が踊り始める。
「わわっ……と、すいません、私がフォローの方がよかったですかっ?」
だが思ったよりも相手の動きが固い――というよりもハルドメルの身体を押すように力を込められ困惑した。女子生徒は不機嫌そうな様子を隠しもせず、ふいとそっぽを向く。
「淑女が殿方の役なんてやるわけないでしょうっ。庶民と……しかも女と踊るなんて嫌なだけよ」
「そ、そうですか……でもすぐ終わりますから……合わせますね」
ハルドメルは戸惑いながらも微笑んで、無理にリードしないように気をつけることにした。
その女子生徒は編入してきたばかりにも関わらずよく目立ち、周りの信頼を集めているハルドメルが気に入らなかった。ペアとなったことをこれ幸いと、ハルドメルに恥をかかせようと画策したのだ。しかし――。
「わ……すいません、身体大きくて踊りにくいですかね」
「あ、危ないですよ……よかった、ぶつからなくて」
押せども押せどもハルドメルの巨躯は大して揺らがない、というより動きを合わせられて肩透かしのようだ。それどころか自身の心配までされる始末で、女子生徒は次第に苛立ち始める。押して駄目ならと少し後ろへ身を引くように引っ張ろうとした。
「きゃっ――」
だが押して揺らがぬ巨躯は当然引いても同じで、彼女の身体は勢い余って後ろに傾ぐ。
「危ないっ!」
背に触れる手の大きさと温かさ。しっかりと抱き留められる安心感。睫を震わせて目を開けば、すぐ近くにはほっと和らぐ海の瞳。
「怪我はありませんか?」
「っ……へ、平気よ!」
かぁっと赤くなる頬は羞恥か。誤魔化すように女子生徒がぱっと体勢を立て直したところで交代の合図がかかる。
「ありがとうございました!」
「……っ」
だから庶民は嫌なのという言葉が音になることはなかった。
「……考え事ですかオルシュファン殿。それとも、私相手では不満でしょうか?」
「え……あぁいや、そんなことはないぞアデルフェル卿。むしろ、卿にフォロー側をしていただいて恐縮なくらいだ!」
オルシュファンの最初の相手は蒼天騎士でもあるアデルフェルだった。美剣の二つ名に相応しい端正な顔立ちは同性から見ても美しいと感じる。正直な所周囲からの何やら熱い視線が痛いほどだとオルシュファンは苦笑した。
アデルフェルは蒼天騎士に選ばれるほど、校内で上位の実力を誇る剣士でもある。いつもであれば服越しでも分かるその鍛えられた体つきにテンションが上がってしまうところなのだが、今は完全に上の空だったようだと、淡い翠の瞳に見つめられて気付いた。
「私は構いませんが、女性はよく気付きますから不興を買いますよ。よそ見なんてしたら特に……」
その瞳が、ちらりと列の先を向く。その方向には、良家の子女である三年生相手に気を使いながら踊る親友の姿があった。
「……ね?」
「……ご忠告痛み入る」
交代となり、アデルフェルは手慣れた様子でお辞儀をすると、きゃあと黄色い声を上げる女生徒に微笑んで手を取った。
(気をつけねばな……)
そう思いなおすオルシュファンだったが、結局気もそぞろというのが隠しきれず、ペア相手の女性陣からは不満げな視線を受けてしまうのだった。
「ハルと一緒! 嬉し~っ!」
「あはは、よろしくね!」
その後も順調にダンスは進み、クラスメイトと楽しく踊りながらハルドメルはちらりと横を見る。オルシュファンは対面の列なので交代があれば次に踊れるが、うろ覚えでも曲の終わりが近い事が分かったので内心残念に思っていた。
一瞬だけオルシュファンと目が合い、思わず口元が緩んでしまう。集中! と内心自身を叱咤して前に視線を戻すと、何やらにやにやしたクラスメイトと目が合ってハルドメルは首を傾げた。
「どうかした?」
「いやいや~オルシュファン先輩と踊りたいなら言ってくれたらよかったのに~と思って! 人数見て、ちょろちょろっとずれてもらうくらいできたかもよ!」
こしょこしょと耳打ちされて驚く。並び順の交代なんて考えてもいなかったからだ。
「え、それは……ん……踊れたらいいなって思ったけどそこまでしてもらうのも悪いし……それにあなたとも踊りたいし!」
「もうっそういうとこ! 嬉しいけど!」
笑うクラスメイトにつられるようにくすくす笑う。
(……でもやっぱり)
踊ってみたかったな。
惜しむ気持ちを覚えながら、ハルドメルは競技終了の合図を聞いた。そしてオルシュファンとお互い顔を見合わせて、苦笑した。
* * *
『アデルフェル選手、競技の待機席へ近付いていく! どうやら借り物は人に関するもの……ああーっ手を挙げる女性が多すぎる! 一体誰が選ばれるのか~!?』
実況の声で観客も盛り上がる。借り物競走は友誼祭の中でも人気の種目の一つだ。ちなみにアデルフェルが引いたのは『霊五月生まれの女性』だったようで、女子生徒達は私が私がとちょっとした騒ぎになっていた。
「グリノー、頑張るのよ~!」
「シュファンも頑張って~!」
観客席からの声援に、グリノーとオルシュファンは気合十分といった様子でスタートに立つ。
「……ったく編入生は敵チームのやつを応援しやがってよぉ」
「そう言うなグリノー卿! それがハルのいいところだ! それに、敵とはいえ同じ学び舎に集う友……この戦いを楽しみ、より友好を深めようではないかっ」
「だから馴れ合う気はねぇって」
まだ刺々しいグリノーの態度に臆することなくオルシュファンは快活に笑った。だが互いに負ける気は無いと、静かに火花を散らせている。何と言っても想いを寄せる相手、あるいは親友からの応援を受けているのだから。
「は、俺に勝とうなんざ……千年早いぜっ!」
スタートダッシュは僅かにグリノーが早かった。だが足の速さではオルシュファンも負けてはいない。じわりと追いつき、借り物が書かれた紙を手にするのはほぼ同時のタイミングだった。
「チッ、借り物なんてめんどくせぇ……ん?」
「っ……」
そこに書かれている文字に、二人の心臓が跳ねた。
オルシュファンはその紙を見つめたまま、息を止めたように動かない。しかしグリノーの方は観客席側に走り寄っていく。
『おおっとオルシュファン選手止まってしまったぞ! 一体どんなお題が書かれているのか!』
「あれ……シュファン止まっちゃった。難しいお題なのかな? ……あっ放送席に……」
「エーテル式拡声器が借り物なのかしらぁ……あら、グリノー?」
観客席は競技場より少し高い。グリノーはトンっと軽くジャンプして観客席に飛び乗るとすぐさま階段を駆け上がり、何事かと目を丸くしている婚約者を問答無用で抱え上げた。
「きゃあっ! ちょ、ちょっとグリノー!?」
「借り物はお前だ。鈍臭ぇからな、抱えて走った方が速い」
にやりと笑うグリノーは揚々と階段を降りようとしたが、場内に響いた声に思わず足が止まる。
『ハル!』
すっかり聞き慣れた、自分の名を呼ぶ声にハルドメルはぱっと顔をそちらに向ける。放送席から拡声器を借りたオルシュファンが、真っ直ぐにハルドメルを見ていた。
『ハルドメル・バルドバルウィン! 借り物は貴女だ! ここまで降りてきてくれないか!』
「っ……行く! 行くよシュファン!」
心臓が早鐘を打つ。気付けば階段を駆け、競技場に飛び降りていた。
「あっ、くそっ! ハルア、舌噛むなよ!」
言うが早いかグリノーも婚約者を抱きかかえて走り出す。既に借り物は手の中だとゴールへ向かって。
「シュファン!」
「ハル、走るぞっ!」
その手を握る。ぎゅうっと力強く、温かい手は少し汗ばんでいる。僅かに先を行くグリノーを追いかけるように、二人で全力で走り始めた。
『オルシュファン選手とハルドメル選手! 速い、速い! 一人抱えて走るグリノー選手に追いつけるか~!?』
歓声が沸き起こる。ゴールは僅かにグリノーが速かった。だがこの借り物競走は借りたものが正しくなければ失敗と見なされ得点にはならない。
「オルシュファン、グリノー卿、お疲れ様です。審判は僕が」
「フランセル……!」
親友が審判であったことにどこか安堵の表情を見せるオルシュファン。グリノーと二人で、くしゃくしゃに握りしめてしまった紙をそっと手渡した。
「グリノー卿は……うん、大丈夫です。一着おめでとうございます」
「ったりめぇだ……ふぅ……」
「びっくりしたのよもう……どんなお題だったの?」
「……蒼い眼の女」
ハルアはその蒼の瞳を丸くしたが、すぐにくすくすと笑い始める。
「もう、そのお題なら私以外にもいるでしょう」
それには答えずにグリノーはハルアを連れて観客席へと戻っていく。フランセルは受け取った紙を見て肩を竦めた。正しいお題は『青い眼をした生徒』だ。
「じゃあオルシュファンのも確認させてもらうよ」
くしゃくしゃになった紙を開いて、フランセルはそこに書かれたお題を確認する。何やら神妙な顔つきのオルシュファンに、ハルドメルは息を整えながらも首を傾げた。
「……うん、大丈夫だよ。二着おめでとうオルシュファン」
「あぁ……ありがとう友よ」
「よかったー! 私でダメだったらどうしようって心配だったよ。何てお題だったの?」
「……それは、だな」
言い淀むオルシュファンに代わるように、フランセルは微笑んでハルドメルに説明した。
「……編入生、だよ。今の時点じゃハルしか該当者はいないからね」
「そっか、そんなお題もあったんだね。急に名指しで呼ばれたからドキドキしちゃった!」
「す、すまない」
安堵して笑うハルドメルの横で、オルシュファンはどこか視線が定まらない。
ハルドメルはまだ汗の引かないオルシュファンに観客席に行って休憩しようと促すが、ややあってから彼は首を横に振った。
「……全力疾走で疲れてしまってな。落ち着くために少し校内を歩いてこようと思う。何、次の競技までには戻る!」
「わかった。じゃあハルア先輩達と一緒にいるね」
手を振って観客席へ向かうハルドメルを見送って、オルシュファンは深く息を吐いた。
「……ごめんオルシュファン、このお題……事前に却下されたはずなんだけど誰かがこっそり入れたみたいで……」
「いや……お前は悪くないだろう」
小声で話しかけたフランセルは、明らかにまだ動揺や戸惑いを見せる親友を心配そうに見やる。
「……大丈夫?」
「……少し、頭を冷やす」
ふらりとその場を離れる親友を見送り、フランセルは渡された皺だらけの紙を見て苦笑した。
* * *
気付けばいつもの庭の、木人置き場に足を運んでいた。使い込まれた練習用の武具に触れ、しかしため息をつきながら、オルシュファンはその場に立ち尽くした。
「……答えは変わったか?」
いつのまにかグリノーが近くに立っていた。アメジストの瞳が問うている。あの日と同じように。
「……私は……」
借り物のお題を見た瞬間。オルシュファンにはハルドメルのこと以外考えられなくなった。
友愛。親愛。ただそれだけで説明できない、その想いがあるという自覚を、思い知った。知ってしまった。
『好きな人』
だからもう、誤魔化すことなどできなかった。
「私は、彼女に……恋をしている」
