その部屋には、学園内でも腕の立つ生徒達が集められていた。蒼天騎士は勿論、騎士科の成績優秀者、そしてハルドメルのように家政科であっても部活動で実力を示している者まで多種多様だ。彼らは学園内で起こっている危機に対抗するために招集された。
つい数刻前に現れたその魔物は最初、スノウウルフの一種かと思われた。しかし次々と教師や生徒を襲い、傷を負わせ、あるいは魔力で氷漬けにしていく魔物に学園内は騒然となる。
現場に居合わせた騎士科生徒での討伐も行われたが、複数の個体が存在しており事態は未だ収拾していない。その上意図的にか偶然か、最初に魔物が出現したのが職員室付近だったこともあり、多くの教師は不意打ちのような状態で戦闘不能に追い込まれた。現在まともに動ける教師は占星術を教えているジャンヌキナルや、家政科の物腰柔らかな女性教員しか残っていない。
学園の周囲は通常のものとは違う結界がいつのまにか張られており、脱出、外からの救援、リンクパールの通信もできないという、正に八方塞がりの状態だ。
「……今までに収集した情報からも、校内に出現している氷狼達は、オリジナルを元に魔力で生成された魔法生物に近い存在と推測されます」
「そしてどこかにそれを生成している本体ないし魔方陣が隠されている……ってコトだ」
「……ヌドゥネー、人が説明しているのに横入りするな」
「あれ、気に障った? ゴメンゴメン」
「……諍いをしている場合ではないぞ卿ら」
眉間の皺を深くした蒼天騎士総長、ゼフィランがそう言えば、オムリクはため息を吐いて続ける。
「私の見立てでは地脈のエーテルを掠め取るような魔方陣が存在する可能性が高いと考えています。既に氷狼の討伐報告が複数上がっていますが、数が減っている様子がない。もし高度な巴術士としても、複数の固体を同時に、これほど広範囲で操れるとも考えにくい」
「……術者や魔物本体のみならば、氷狼を生成し操る魔力が尽きているはず、と?」
頷くオムリクの横でヌドゥネーが抗議の声を上げる。
「あ、おい俺の時は口挟むなって言っただろ!」
やいのやいのと騒ぐヌドゥネーの声をぼんやりと聞きながら、ハルドメルの脳裏には大切な先輩であるハルアが氷漬けにされる瞬間が繰り返されていた。
『あなたが無事で良かった』
婚約者であるグリノーを庇い、微笑みを浮かべるハルアを、ハルドメルは場違いにも美しいと思った。氷漬けになった彼女を前にしたグリノーの激情が、痛いほどに伝わった。――あぁ、二人は本当に互いを想い合っているのだと。
だからこそ助けたい。自分がどれほど力になれるかはわからずとも、今できることをやりきろうと、ハルドメルは静かに拳を握りしめる。
「ハル」
優しい声色にハルドメルは顔を上げる。微笑む友の姿が隣にあることが、とても心強い。
「大丈夫だ。ハルア嬢も他の生徒達も、先生達も、必ず助け出して見せよう! 我らは誇り高きイシュガルド学園の生徒なのだ。力を合わせればできないことなどないっ!」
「――うん! 絶対に皆を助けよう!」
不思議だった。オルシュファンの言葉と笑顔で、ざわざわと落ち着かなかった気持ちが和らいでいく。ハルドメルもまた笑顔で返すと、オルシュファンが僅かに動揺したような気がして首を傾げた。
「……一度話をまとめよう」
ゼフィランの一言で意識が会議に戻される。新緑を思わせるような瞳が周囲を見渡した。
ここにいるのはまだ生徒とは言え、いずれ騎士として、あるいはリーダーとしてこの国を支えようと心に決めている者も多い。自分達の学園を脅かし、友が傷付けられたこの状況で、今戦わずしていつ戦うのだと戦意に燃えている。
「生徒会を中心としたメンバーは、ジャンヌキナル先生と共に非戦闘員や氷結状態にされてしまった生徒達の保護、護衛をしてくれている。また、氷狼や結界についての分析はオムリク卿を始めとする神秘科の生徒と、占星術を学ぶ者達とで進めてくれた」
その時、ゼフィランの表情が僅かに和らいだようにハルドメルは見えた。気のせいかと思うほど、それは一瞬のことだったが。
「我らの目的はこの騒ぎの元凶を探しだし、停止あるいは破壊すること。またその過程で取り残されている生徒を見つけた場合は速やかに保護をすること」
「だらだら話してねぇで、とっとと命令してくれや総長。氷狼共を片っ端からぶっ潰せばいいんだろ」
殺気を湛えたグリノーの瞳に息を呑む生徒もいる中で、ゼフィランはあくまでも冷静に答える。闇雲に戦うだけではダメなのだと。
「確かに、元凶を探るには交戦による情報も不可欠だ。だがオムリク卿の言うように、奴らは倒しても再出現する……それが地脈を利用した仕組みであれば、こちらが消耗する一方だ。ここにいる者の多くが大切な友を傷付けられ、怒り心頭であることは察するに余りある……だがどうか、冷静な立ち回りを心がけてほしい」
グリノーは無言で、だが悔しげに拳を握りしめる。爪が食い込み血が滲む程のそれを見て、ハルドメルの心もまたざわついた。隣にいる親友の存在を、先程の言葉を思い出して深呼吸する。――大丈夫だと、心を落ち着ける。
「これより先、単独行動は厳に慎め。これは学園理事長より権限を賜っている、蒼天騎士総長としての命令だ。必ず三人以上で行動せよ」
凜とした声に場の空気が引き締まる。
「学園理事長不在のタイミングを狙ったかのような凶行、断じて許すわけにはいかない。イシュガルドは勇敢に戦う戦士を尊ぶ。……だが決して、命を危険に晒すような戦いをしてはいけない。これもまた総長命令であり……私自身からの頼みでもある。戦神ハルオーネの祝福があらんことを。行動開始!」
引き続きオムリク達が氷狼の分析をする中で、戦える者達による元凶の捜索、そして氷狼のより詳細な戦闘データの収集が始まった。
「オラァ!」
グリノーがとどめの一撃を氷狼に叩き込むと、その身体は光となって霧散していく。肝心の元凶へ辿り着く情報はまだ見つからず、焦りともどかしさが募っていく。
「グリノー先輩! 次は私達が!」
「こんな奴ら、俺一人で十分だ」
最低三人での行動。ゼフィランから直々に言い渡されたこともあり、グリノーはハルドメル、オルシュファンの二人と共に行動をしていた。
『足手まといだ! ついてくんじゃねえ!』
『いいえついて行きます! ゼフィラン先輩にも言われたし、……もし無茶してグリノー先輩に何かあったら、一番悲しむのはハルア先輩なんですから! 絶対に一人になんてさせません!』
普通の生徒ならグリノーの剣幕を恐れて引き下がるところだが、この編入生はそうはならない。そう、最初からこういう奴だった。グリノーはそのことを改めて思い出し、不承ながらも同行を許可したのだ。
「元凶が分かった時に戦う余力を残しておくのも大事だぞグリノー卿! 雑魚の掃除は我らが引き受けよう!」
「……ふん」
オルシュファンが言うように、少しずつ戦闘での疲労が溜まっているのは事実だ。そしてこの二人はグリノーの実力を侮っているわけではなく、寧ろ評価した上で、『ハルアのため』『元凶を倒すため』と口出ししてくる。プライドの高いグリノーを理解してのことか、人好きのする性格故か――恐らくどちらも後者なのだが、そんな二人に内心では少し――少しだけ感謝していた。
「……ヘマすんなよ」
「大丈夫です! ね、シュファン」
「勿論だッ」
調査の中で再び氷狼に遭遇するが、二人の戦いぶりにグリノーは思わず感心する。二人が実力者であることは認めているが、それ以上に――息がぴったりと合った連携は目を見張るものがある。何より、こんな事態ではあるが……二人は共に戦えることを心底楽しんでいる。そう感じられる熱が、羨ましいほどに。
(これでまだ友達とか言ってんの冗談だろ!)
自身の恋路はさておき、つい先日オルシュファンの胸の内を聴いたグリノーは、何故まだ付き合っていないのかと頭を抱えたくなった。
二人が氷狼を撃破した所で、各チームに一つ持たされたリンクパールが鳴り響く。それによってもたらされた情報で、三人は頷きあうと職員室のある方へ走り出した。
***
魔方陣の場所が判明したのは、驚くことに学園外からの情報によるものだった。
そこは理事長室の隣にある、古い書物や資料が眠る倉庫。その奥にある扉から入れる場所。
「まさか学園の地下にこのような場所があるとは……」
扉を潜り、薄暗い通路をしばらく歩くと、石造りの広い空間が現れた。
「昔……それこそイシュガルドがドラゴン族と戦争をしていた時、シェルターとして作られたそうだよ。兄上達も噂だけは知っていて、今回の話でピンと来たらしい」
そう語るのは、生徒会と共に他の生徒を護っていたフランセルだ。弓術や機工技術を扱える者は、狭い校内の通路では力を発揮し辛いために校舎上からの哨戒や防衛に回っていた。
防衛をしながら外への連絡を試みる中で、その機械は発見されたのだ。
『まさか俺の残した置き土産がこんな形で役に立つとはな!』
その機械はフランセルの兄、ステファニヴィアンのものだった。曰く、学生時代に作った魔導式の通信機を、機械工学を勉強する後輩のために置いていったのだと。
『厳密にはこれの電波もエーテルの一種なんだけどな、どうもその結界には感知されない微弱な波長らしい。いやあ駄目元で使ってみてよかったぜ』
学園の異変は外にも伝わっているらしく、急ぎ結界の解除も試みられているという。ステファニヴィアンからの情報により、噂だと思っていた地下空間が現存するということ、魔術利用のため地脈の位置を考えて作られていたことなど、氷狼の核心に迫る情報が一気に手に入った。
そしていよいよ、ゼフィランの指示によって蒼天騎士を始めとする一部の精鋭、そして遠距離攻撃を得意とする者達が集められ、敵の根城と思われる地下に入ったのだ。
「広い空間だと言っていたから遠距離部隊も編成したが……連れてきて正解だったようだ」
奥にぼんやりと薄明るい場所。僅かに魔力を感じるそこが氷狼の出所だと誰もが確信した時、地下に響き渡る狼の遠吠え。
「来るぞ!」
周囲が凍り付くような冷気。魔力が巨大な獣の姿を形作る。学園内で見た獣は本当に使い魔のような末端の存在だったのだと思わせる力を感じ取り、ハルドメルは震えそうな自身を鼓舞する。
後方から飛ぶ火球。蒼天騎士の一人、焔魔法を得意とするシャリベルは笑みを浮かべながら魔力を練る。
「あらァ、随分大きなわんちゃんネェ。上にいたやつは手応えがなくて飽きてたのヨォ」
「……あの位の火力じゃ足りない。もっと真面目にやれシャリベル」
「そっちこそお得意の氷属性なんだから対抗策くらい考えなさァイ? ご自慢の魔法理論はどうしたのヨォ」
「うおーすげえ、シャリベルの魔法であんなもんなのか。やっぱ実戦じゃないと分からないこともあるんだな」
蒼天騎士の中でも魔法を得意とする三人はこんな事態であってもマイペースだ。眉間の皺が深くなるゼフィランと共に、ハルドメル達は大氷狼に斬りかかる。
「行くぞジャンルヌ!」
「おうよ、相棒ッ!」
アデルフェルとジャンルヌの鮮やかな連携攻撃は大氷狼を翻弄する。同時にパワータイプであるグリノーとゼフィランが無力化を狙い、足を砕く勢いで攻撃する。
「オラオラオラァ!」
「今こそ力を!」
思わずすごい、と声が零れる。これが『蒼天騎士』なのだとハルドメルは思い知った。初めてこの学園に来た時、生徒会と同程度の特権を認められた彼らのことを不思議に思ったものだったが。
(本当に強い、こんなに……!)
グリノーとの決闘裁判でその強さは身に沁みたと思っていたが、本気の『実戦』となるとこんなにも凄まじい、特別扱いを受けるだけの実力があるのだと分かる。
「ハル、我らも露払いを!」
「うん!」
奥にある魔方陣からは未だ小型の氷狼が生成されていた。遠距離部隊、そしてオルシュファンと共にそれらを蹴散らしていく。
蒼天騎士達の力で大氷狼は傷を負っている。魔方陣との繋がりを断つためには、氷狼自身の牙を魔方陣に突き立てればいいことまで判明していた。このまま攻撃を続ければ――誰もがそう思っていた矢先、小型の氷狼達が急に霧散し、そのエーテルは傷を癒やすように大氷狼へと流れ込んでいく。
「不味い……! 全員物陰へ!」
ゼフィランが叫び、ハルドメル達も慌てて下がるが、大氷狼の魔力は瞬時に膨れ上がる。間に合わない――そう思った瞬間。
「屈め、ハル!」
その言葉で思わず反射的に、蹲るように身を屈めた。恐ろしい狼の声と共に冷気が吹き荒れて眼を閉じた。
そのエーテルの奔流はすぐに収まった。ハルドメルが顔を上げると、
「っ……、あ、ぁ」
「――あぁ、よかった……無事、なのだな……」
盾を構えた親友。あの時、グリノーを庇ったハルアと同じように、微笑んで、そしてじわじわと氷の魔力に浸食されていく。
「シュファン……ッ……シュファン!」
叫びも虚しく、その身体は氷に覆われていく。自分を庇って凍り付く親友を前に、動揺するハルドメルの心を引き戻したのはグリノーだった。
「っにやってんだ編入生! シャキッとしろ! 何のためにそいつがお前を護ったと思ってやがる!」
「っ……グリノー先輩!」
グリノーもまた氷の魔力から逃れきることができなかった。しかし蒼天騎士だけに許された蒼の制服は特別な魔力が織り込まれており、完全な凍結には至っていない。――が、それも時間の問題で、今のグリノーは気力だけ魔力に抗っているようなものだった。最前線で戦っていたアデルフェル達もまた、足下が凍り始め動けずにいる。
「く……おいそこの魔法馬鹿共! とっとと牙折れ!」
「うっさいよ筋肉馬鹿、やってるっての!」
「ほらおフタリさん、アタシに合わせなサイ!」
「チッ、仕方ない!」
三人の魔力が合わさり一点に集中していく。その力は、一つの弓矢に注がれていった。
「フランセル!」
「――大丈夫だよ、ハル」
グリノーが大氷狼の攻撃を防ぎ、金属が軋む音がする。ハルドメルは親友の言葉を聞き、今、自分がやるべきことを考え前を向いた。
「今、一番動けるのはお前だっ! 牙を持って……アレを止めろ!」
「――はい!」
ハルドメルは大氷狼に向かって走り出す。背後の魔力の増幅を感じながら、親友の一撃を信じる。
「大丈夫、外さない」
あの日、フランセルの弓術を侮った貴族は知らない。授業での成績が凡庸だとしても、『動くもの』に当てる腕は、この学園でも一、二を争うほど優秀なことを。
大氷狼の眼が、駆け寄るハルドメルの姿をぎょろりと睨む。だがハルドメルは止まらない、怯まない。
獣の口腔に氷の魔力が集約していく。だがそれを放つよりも先に、砕けるような衝撃。大氷狼の横腹に、戦斧がめり込んだ。恐ろしい形相のグリノーから、赤黒い血のようなエーテルが迸る。
「何、よそ見してんだ」
そのエーテルは蛇のように大氷狼の身体を這い、魔力の鎖となってその巨躯を縛り付けた。
「テメェの相手は! この、俺だァ!!」
それは斧術を極めし者だけが扱えると言われる技、『ホルムギャング』。土壇場でその力を発現させたグリノーは、自身の変化に驚く間もなくその鎖で大氷狼を押さえつける。
鎖を引きちぎろうと暴れる大氷狼目がけて、三人分の魔力を込めた矢がフランセルの手から放たれた。吸い込まれるように牙へと飛び、その力は炸裂する。
獣の咆哮が地下に響き渡る。落下する巨大な牙を、ハルドメルは軽やかに飛んでつかみ取った。
「行けハルドメル!!」
グリノーの声を受け、大氷狼を超え、その先にある魔方陣へ一直線に駆ける。氷の魔力を宿すそれは持っているだけで手が凍りそうなほど冷たい。だが親友達はもっと苦しい思いをしているのだと、ハルドメルはその手に力を込め、魔方陣目がけて振りかざした。
「はああぁッ――!」
***
温かい。意識がふわりと浮上し、最初に思ったのがそれだった。周囲は僅かにざわめいて、人が多数いる気配。ゆっくりと瞼を持ち上げると、オルシュファンは自身がベッドに寝かされていることと、――好きな人が、その手を握ってくれていることに気付いた。
「……ハル」
とくとくと速まる心臓。ふわりと上がる体温。ばっと顔を上げたハルドメルの眼がみるみる内に潤んでいくのを見て、申し訳なさと、上手くいったのだなという喜びと、――それ程までに大切に想われているのだという事実に、胸がいっぱいになる。
「っ……ぅ……ぅう……!」
「……上手く、行ったのだな。よかった……」
「――っ、よ、よくない!」
「ぉおっ!?」
ぎゅう、と抱きしめられてオルシュファンは狼狽える。ハルドメルの鍛えられたイイ筋肉や、いろいろと発育のイイ身体。まだ自覚のなかった頃ならいざ知らず、今その抱擁を受けると邪な気持ちが湧きそうになるのは無理からぬことである。
だが今回は本当に、命に関わるような状態になっただけに、心配をかけたという申し訳なさが勝る。平常心を保つ努力をしつつ、そうっとその背を『親友』として抱き返し、とんとんと軽く叩いた。
「良くないっ……よ……!」
「……あぁ、すまなかった……だが、無事で安心したんだ、本当に」
「…………」
「皆なら……お前ならできると信じていた」
「…………」
無言でぎゅうぎゅうと抱きしめる力を強くするハルドメルに内心頭を抱えながら。『親友』として信頼されていることに嬉しさともどかしさを感じながら。
オルシュファン・グレイストーンは今日もまた、大切な人への想いを胸に秘めるのだった。
