「だ、だんだん暑くなってきたわねぇ……」
「大丈夫ですか? 慣れない気候だと体調崩しやすいですから、無理しないでくださいね」
大型の船に乗り、イシュガルド学園の生徒達はラノシアに向かっていた。
季節は夏。友誼祭を終え、氷狼事件の騒ぎもすっかり落ち着いている頃合い。氷狼事件については、他国との交流に積極的になったイシュガルド学園の方針を快く思わない守旧派の仕業ではないか――という噂がまことしやかに囁かれている。が、生徒達にとっては真相を知る由も無く、はた迷惑な話であることは間違いない。
属性の偏りが起こって以来、一年の殆どが雪で覆われるようになったイシュガルドにも、短い夏はある。その時期は雪が薄まり、山々では緑が顔を覗かせた。
過ごしやすい気候になるため、屋外での合宿授業なども行われる。合宿は普段雪に閉ざされている生活をしている生徒達にとって、とても開放的で人気だった。授業という体ではあるが、リフレッシュも兼ねた小旅行なのだ。
今年の夏合宿はクルザス内で行われる例年とは違い、何年ぶりになるのか、国外での特別合宿を行う。編入制度の導入に国外での合宿。立て続けに起こる変化は生徒達を驚かせた。
「ふふ……編入生のハルドメルさんが沢山活躍したから、いろいろな話が進みやすくなったのかもしれないわね」
「えっ! 私ですか? そんな大層なことは……」
「あら、謙遜しなくてもいいのよぉ。それに聞いてないかしら? 編入制度と同時期から進んでいた、交換留学制度が秋から始まるって話があって――」
夏のラノシアは特に暑い。じわりと気温の高まりを感じながら、一行を乗せた船は紺碧の海と真っ白な砂浜のリゾート地へと進んでいく。
* * *
国外への学習は、エオルゼア同盟国の三国の中から行きたい国を選ぶ形式だった。ウルダハ、グリダニア、そしてリムサ・ロミンサ。幸いなことに上手く数が割れたらしく、各々が希望した国へと訪れている。
ハルドメルは船による交易と美食で知られるリムサ・ロミンサを選んだ。同じ家政科のハルアや親友達も同じ国を選んでおり、学習があるとはいえうきうきと楽しみな心を止められない。
宿泊はコスタ・デル・ソルの一角に新築されたばかりのホテルで、貴族の子息達も満足する出来映えのようだ。荷物を置くのもそこそこに、生徒達は普段とは全く違う環境に色めきだっている。
「家政科は商店街や船舶輸送の見学に行くのだったか」
「うん! 騎士科はイエロージャケット隊と黒渦団の所に行くんだよね」
「うむ。海都のイイ戦士達の訓練を受けてくるぞ! フフフ……胸が躍るな!」
「グリノー、怪我しないように気をつけてね」
「そんなヤワじゃねぇよ! お前こそ迷子になってぴーぴー泣くなよ」
「ふふ、もしそうなってもハルドメルさんが見つけてくれるから大丈夫よぉ」
「あぁ!?」
婚約者の言葉で目を剥くグリノーをよそに、ハルアとハルドメルは行きましょうと仲睦まじく家政科の一団と出かけていく。そして軽口だったとはいえ、無邪気に自分以外を頼るのだと返され呆然としたグリノーの肩に手を置き、オルシュファンはそっと騎士科の集合場所へ促すのだった。
リムサ・ロミンサを選択した家政科の生徒達は、引率の女性教師と共に大きなエーテライトを通り過ぎ、商店街の入り口まで来ていた。
「わぁ……相変わらずすごい活気!」
「ハルドメルさんは何度か来たことがあるのよね。私、国外は初めてだから新鮮だわぁ」
「でも一度来たら、次に来るまでにかなり期間が開くので慣れてるわけじゃないですし……それに皆と一緒で、仕事の手伝いでもないから私もすごく新鮮です!」
弾む声にハルアも微笑んだ。旅が好きだという言葉のとおり、ハルドメルの表情は生き生きと輝いて見える。
「皆、ちゃんと指示があるまでは商店街から移動しないでくださいね」
はーいという返事の後、生徒達は各自で市場の人へ話を聞きに行った。他の二国でもそうらしいが、事前に学校側と各国での調整、通達が行き渡っていたため、市民達の物珍しそうな視線は多くとも、大きな混乱が生じることは無かった。
「本当にフォルタン伯爵は国外交流に力を入れてらっしゃるのね。色々お話を聞けてありがたいわぁ」
「私も面接の時お話ししました! 穏やかでとても紳士的で……」
「……あれ、ハルちゃん?」
近くの商店で帳簿を広げていたルガディンの女性に声をかけられ、二人は驚いて足を止めた。
「あ……! リリーさん!」
「おお、やっぱりハルちゃんだ! 学制服だったから一瞬別人かと思ったよ!」
「お久しぶりです! ふふふ、そうなんです。イシュガルド学園に入りました!」
ぴょんと嬉しそうにハグをするハルドメルに、また別の人から声がかかる。
その後も商店街を行く中で度々声をかけられ、その度にハルドメルは嬉しそうにハグと挨拶を交わしていった。
「ご両親と旅をしてたのは聴いていたけれど、顔が広くてびっくりしたわぁ。皆さんとっても良い人達ね」
「ふふ、私より父さん達の方が目立つから、併せて覚えやすいんですよきっと」
「あら、謙遜しすぎはよくないわぁ。皆ハルドメルさんがお手伝いしてくれたことをよく話していたもの!」
昔の話に、ハルドメルは恥ずかしそうに笑う。ハルアの言うことも決して間違いではなくて、だからこそ照れからつい謙遜してしまうのだ。
「そこの学生さん! よく冷えたグレープジュースはどうだい? 今が旬のフルーツだよ!」
今度は別のルガディンの女性に声をかけられ、二人はその店の前へ近付いた。絞りたてのグレープジュースの甘く爽やかな香りが鼻腔を擽る。並べられた果物も、どれも瑞々しく新鮮なのが素人目にもわかるほどだ。
「わ、美味しそう! 暑いし水分補給がてら休憩しませんか?」
「えぇ、ちょうど喉が渇いてた所よぉ」
「イシュガルドから来たのかい? 他のお友達にも是非宣伝してね、お嬢さん方!」
ぶどうと同じ、紫色のアイシャドウがよく似合う女性店員は、なみなみとジュースが注がれたカップをハルドメル達に渡しながらウィンクしてみせた。
一方騎士科はというと、
「声が小さぁーい! 海兵! 魂!!」
「「海兵! 魂ィー!!」」
訓練は苛烈を極めていた――。
* * *
「大体何だよ海兵魂って!」
「いやぁ実にイイ訓練だったな!」
「海兵……黒渦団がニームにあった最強海軍の技法を最近取り入れたって耳にしていたけれど、厳しい訓練だったのねぇ」
「す、すごい……ちょっと見てみたい……!」
「ハルならオルシュファンくらい苦なくこなせちゃいそうだなぁ。僕も頑張らないとね」
初日の行程を全て終えてホテルへ戻り、ラノシア名物の温泉で身を清めた生徒達は、食事の時間まで思い思いに過ごしていた。
ハルドメル達もすっかりお馴染みとなってきたメンバーが集まる。吼えるグリノーとは対照的に瞳をきらきらと輝かせるオルシュファンは訓練の内容にご満悦だったようだ。
フランセルはやや疲れた様子はあるものの、弓の腕を評価されたことを嬉しそうに語った。
「厳しい訓練だったみたいだけれど、怪我や事故も無かったみたいで安心したわぁ」
「ですね! 私達も迷子にはならなかったし」
くすくすと笑い合うハルドメル達も、家政科で学んだことをオルシュファン達に話した。実際の仕入れの話、航行ルートと天気予報を元にどのくらいで商品が届くかの予測の仕方など、学ぶことは多岐に渡った。授業だけではわからない現場の生の声は、生徒達に大きな刺激を与えるのだ。
正直な所オルシュファンとグリノーにはいまいち理解できないところが多かったが、二人が楽しそうに話すのでついつい頬が緩む。なお、家政科の二人の話に混ざれるフランセルにはやや複雑な視線が向けられた。
一頻り今日の話が終わったところで、少しそわそわとしたオルシュファンが手を組み替える。グリノーもまたどこか落ち着かない様子ながら、何でも無いことのように口を開いた。
「……なぁ聞いたか? 最終日の夜は紅蓮祭が始まるとかって」
「おぉ! 黒渦団の方が話していたな! 砲術部隊も花火打ち上げに一役買っているのだとか!」
「工学科の生徒も勉強がてら手伝わせてもらうんだって言ってたね」
「えっ、紅蓮祭はぎりぎり被らなくて残念だねって言ってたのに!」
驚きの声を上げるハルドメルに、オルシュファンは内心で拳を握りしめた。自然にできている、多分、と。
『いいか、自然にだぞ! お前だってあいつのこと誘いたいだろ!?』
なんだかんだと想い人に気持ちを伝えられていない者同士、オルシュファンとグリノーは互いに親近感を覚え、いつのまにか時に悩みを話し、時に協力するような仲になっていた。グリノーに焚き付けられ、事情を知っているフランセルをも巻き込んで――意中の人を誘うべく、オルシュファン達は話を続けた。
「あぁ、我々もそう思っていたのだが、どうやらこの合宿の話を聞きつけた実行委員会が気を利かせてくれたらしくてな。各国とも調整して、一日早めてくれたのだと言っていた」
「まぁすごいわ! イシュガルドでも祝祭の時に花火は上がるけれど、紅蓮祭のそれはもっと派手って聞くから楽しみねぇ」
グリノーもまた拳を握りしめる。この流れならば自然に誘える、と。だがその時、ちょうど食事のため集合するよう教師達の呼びかけがあり、思わず舌打ちしそうになった。
オルシュファンも勢いを削がれたものの、グリノーと視線を合わせると肩を竦めて笑う。きっとこの後もチャンスはあるはずなのだから。
食事は屋外でのバーベキューだ。自分達で焼くことも、ホテルのシェフに頼んで焼いてもらうこともできた。
普段はしっかりとした設備のキッチンで料理の授業を受ける家政科の生徒達も、珍しい機会だとこぞって火加減や焼き具合を調整し、これもまた授業の一環のようになっている。
「ふふ、暑いけど外で食べると美味しいわねぇ」
「お、おう」
すぐそばでハルドメル達がミコッテ風海の幸串焼を焼いているのを眺めながら、ハルアはグリノーに話しかける。美味しそうに肉にかぶりついてはいたものの、先程からどこか落ち着かない気配だとハルアは感じていた。だがせっつくようなことはせず、ただいつものように彼の言葉を待つ。
「……なぁ、さっきの話だけどよ……」
さっき、と言われてどれのことかと一瞬首を傾げる。訓練で日に焼けてしまったのだろうか、その顔はいつもより少し赤みがかって見えた。
「紅蓮祭だよ紅蓮祭っ!」
グリノーは声が上擦りそうになるのを耐える。自分の言葉を伝えるのは、どうしていつも、こんなに難しいのかと思いながら。
「せっかくだから、一緒に、見て回るのもいいんじゃねぇかって、思ってよ……」
びっくり、といったように目を見開くハルア。次の瞬間には、花が綻ぶような微笑みを見せ、グリノーの胸を締め付ける。
「まぁ、グリノーからそう言ってくれるなんて! ふふ、ちょっと驚いたけど……勿論よぉ」
「そ、そうか……!」
色よい返事とその笑顔で心臓が暴れる。平常心を装うとしながらも、口元はにやけそうになってしまう。
ポーカーフェイスは難しいなと思いながらつり上がりそうな自身の頬を指先で触っていると、ハルアは何故かハルドメル達の方へ歩み寄った。
「ハルドメルさん! 紅蓮祭のことなんだけど」
「……ん……?」
グリノーは、嫌な予感がした。だが悲しいかなその予感は大抵、気付いた時には既に手遅れなのだ。
「紅蓮祭、グリノーが一緒に見て回ろうって言ってくれたのよぉ」
「あぁッ!?」
「なっ……ぐ、グリノー卿……!?」
「え、いいんですか! すっごく嬉しいです! しかもグリノー先輩が誘ってくれるなんて!」
「ちょ、待……」
「そうなのよぉ。私もびっくり! あなた達には色々と迷惑をかけたけれど、グリノーの方からも歩み寄ってくれるようになって嬉しいわぁ!」
喜色満面で手を取り合い話す女子二人の後ろで、グリノーとオルシュファンはあたふたとジェスチャーでやり取りしている。
(グリノー卿これは一体……!?)
(俺が聞きてぇんだが!? つか俺はハルアを誘って……)
「グリノー」
雪解けを促す陽光のような、温かな声。心から嬉しいのだと伝えてくる眼差し。こちらの気など知りもしない無垢な微笑み。
「誘ってくれてありがとう。最終日、楽しみにしているわぁ」
「……」
優しく手を握られ、言いかけた言葉は全て霧散する。蒼天騎士、戦狂のグリノーと言えど、惚れた相手にはとことん弱いのだった。
* * *
「海だ!」
「……海だな」
合宿最終日。この数日で学んだことを各自レポートにまとめ、終わった者から自由時間として良いことになっている。
オルシュファンとグリノーは今日という日のために早々にレポートを終わらせると、夏の陽射しの下でハルドメル達を待っていた。
フランセル、そしてグリノーの友人であり従者でもあるポールクランにもハルドメルとハルアが声をかけたが、どちらも空気を読んで遠慮している。友人達の気遣いに今度何か礼をしようと二人は心に誓った。
ハルドメル達もまたレポートを終え、コスタ・デル・ソルの観光客向けレンタル水着を選んでいる真っ最中だ。種類の少ない男性水着に比べ、女性は色々と悩む程あるらしい。
時間がかかるから先に行っててと言われるまま、夏の間だけオープンしているという飲食店が並ぶエリアにやってきた二人。一体どんな水着を着てくるのかと考えを巡らせながら周りを眺めた。
レポートを終えた他の男子生徒達は早速海で泳ぎ始める者、多種多様な種族の女性客の水着姿に鼻の下を伸ばす者、声をかけ、あるいは声をかけられている者など、それぞれに自由時間を満喫している。
「普段は貴族が血筋が品性がってうるせぇ奴ら、婚約者がいるくせにありゃなんだ、くっだらねぇ」
「フフフ、グリノー卿は一途だからな!」
「るせ」
身を焦がす暑さの中、そわそわと落ち着かない様子で二人は待つが、想い人達は一向に現れない。
「……流石に遅くねぇか」
「……」
どちらともなく立ち上がる。
まさか、という予感。嫌な予感は、嫌なほどよく当たるものだ。
――一方、グリノー達が動き出す少し前のハルドメル達は、気に入った水着に着替え、慌てた様子で店を出る。
「すみません、私のせいで遅くなっちゃいましたね……! 早く行かないと!」
「いいのよぉ、私も随分悩んだから」
「ふふ、とっても綺麗ですハルア先輩! グリノー先輩きっと喜びます!」
「ハルドメルさんだってよく似合っているわぁ。グレイストーン君が喜ぶのが眼に浮かんでくるようね」
「あはは、鍛えてるの大好きですもんね!」
「あらあら……」
屈託無く笑うハルドメルに、そういう意味ではないのだけれど、と困ったようにハルアは微笑んだ。そんな二人にするりと近付く影がある。ハイランダー二人とミッドランダーが一人、いずれも男性だった。
「よぅお嬢さん、イシュガルドから来たの? 色が真っ白っくてかわいいねぇ~」
「え? はぁ……そうですけれど……」
「ハルア先輩」
考えるよりも先に、ハルドメルはハルアを庇うように前に立った。ハイランダーよりも更に大柄な身体と鋭い目付きに男達は一瞬怯む。
だが群れていると気が大きくなるものなのか、やがてその様子を面白がるように、男達はヒュウ! と声を上げた。
「かぁっこいいねぇ~、騎士様か何かか?」
「二人ともでっけぇしいいじゃん。お兄さん達と遊ぼ? ご飯も宿も奢るからさぁ」
「遠慮します……ハルア先輩、行きましょうっ」
ハルアの手を握り、ハルドメルは男達の横を通り過ぎようとする。だが無粋な手が伸び、ハルアの華奢な手を強引に掴んだ。
「あっ……!」
「遠慮なんてしなくていいってぇ! ほら……」
その後の言葉が続くことはなかった。蛙が潰れるような声を上げながら男の身体が吹き飛んでいく。凄まじい怒りの形相をしたグリノーの蹴りが、男の横腹を蹴り飛ばし再起不能に追い込んだのだ。
一方でハルドメル達の前方にはオルシュファンが立ち塞がり、残りの男二人を牽制する。ハルドメルもまたハルアの身体を護るように引き寄せ抱きしめた。
「おっと、我が友が失礼を! ……しかし女性に対する対応がいささか乱暴だったようなのでな。彼女らに何か用だろうか?」
あくまでも紳士的な対応をするオルシュファンだが、背中側にいるハルドメル達からは、どんな表情をしているかは見えない。
「おい……」
「ヒッ!」
地を這うような低い声に男達が短い悲鳴をあげる。グリノーは蹴り飛ばした男の上着を掴んで引き摺り、彼らの前に投げ捨てると睨みつけた。
「汚ねえ手で触んじゃねぇ下衆が!」
「す……っ……すいませんっしたァ!!」
命の危険すら感じた男達はそう叫びながら、気絶した男を引き摺り脱兎の如く走り去っていった。彼らが逃げ出したのを確認し苛立たしげに舌打ちすると、グリノーはハルドメルに守られているハルアに近付く。
「おい大丈夫かハルア!」
「え、えぇ……ありがとうグリノー……ハルドメルさんもグレイストーンくんも……急に手を掴まれてびっくりしたわぁ」
「ったく鈍臭ぇな、びっくりじゃねぇンだよ! ……無事でよかったけどよ」
「助けてくれてありがとうシュファン! グリノー先輩! でもすみません、私がもっとちゃんとしてたら……」
「あ? 何言ってんだ」
怒られると思っていたのに呆れたようにため息をつくグリノーに、ハルドメルは困惑する。顰めっ面のままのグリノーの言葉を遮るように、オルシュファンが身を乗り出す。
「ハル、気付いていなかったか?」
「え?」
「ハルア嬢が手を掴まれて、お前は咄嗟に彼女の方を振り返って助けようとしていたが……他の二人はお前を後ろから襲おうと手を伸ばしていたのだぞ!」
「……え」
それは、戸惑い、困惑。それから少しの――怯え。
「……ハルだって、素敵な女性なのだ。それに、確かにお前は強いが……不意打ち……しかも男二人相手では分が悪い。ハルア嬢を護ろうとする強さも優しさも、私は友として誇りに思う。だが……どうか自分の身も大切にしてほしい」
ハルドメルは、自分がそんな目に遭いそうになるとは、露ほども考えたことがなかった。知らないわけではない。旅の中でも『そういった話』が耳に入ることは勿論あった。
ただ、まさか自分が、という思いが、どこかにある。あった。親友のあまりに真剣な眼差しに、如何に先程の状態が危険だったかということをまざまざと思い知らされ――今更のように、怖くなった。
「皆無事だったのだし、一旦お茶でもいただいて落ち着きましょう。ね、ハルドメルさんも」
だがハルアの朗らかな笑顔に、手を握る温かさにハルドメルの強張りかけていた心が緩やかに解ける。ゆっくりと瞬きし、笑顔を取り戻していく。
「はいっ、折角の自由時間楽しみたいです!」
* * *
「行くぞハル! あの岩まで競争だ!」
「勿論! 負けないよシュファン!」
遠泳競争するハルドメルとオルシュファンを眺めながら、ハルアはパラソルの下でグリノーに膝枕をしている。
「大丈夫? 私達暑さには慣れてないし、早めに休憩しないとダメよ」
「るせぇ……」
グリノーは戦うことが性に合っていると自認しているが、家業である建築、築城のことも嫌っているわけではない。
あちこちで作られている砂の城に興味を持ったか対抗心か、ハルアが何の気なしに作り始めた砂の要塞にグリノー自身も手を貸す内に集中し、いつの間にか軽い熱中症の状態になっていたのだ。
(落ち着け落ち着け落ち着け)
今グリノーの頭は、幼なじみ兼婚約者の柔らかな膝上に。彼の目の前には、たわわに実った柔らかな果実が。
男としては天国のような状態。好きな人に想いを伝えられていない思春期の男子としては、いろいろと爆発しそうなところを理性を総動員させて耐えている状態だ。短気そうに見えて、しかしハルアのこととなると我慢強さを見せるグリノーであった。
* * *
海での一時を過ごし、日が落ちてくる前に、ハルドメル達は今度は東方の『浴衣』という衣装に着替える。勿論これもレンタルだ。今年の紅蓮祭は東方の花火職人が全面協力しているということもあり、東方の文化を多く取り入れた内容となっているらしい。
「まぁ……! ただでさえ国外の文化を楽しめているのに、東方のものまで身につけられるなんて、本当に素敵な体験だわぁ」
「ハルア先輩とってもお似合いです!」
「ありがとう、ふふ、ハルドメルさんもね」
二人が褒め合う中、男性陣はその浴衣姿を眼に焼き付けるように、あるいは見蕩れるようにじっと見つめる。視線に気付いたハルドメルはその意図が分からず、大きな身体を少し自信なさげに縮こめた。
「どうしたのシュファン……へ、ヘンかな……?」
「はっ……変ではない! 断じてないぞ! 我が友は何を着ても似合うと思ってな!」
力強く拳を握りしめて力説するオルシュファンに、ハルドメルはほっと胸を撫で下ろした。対してグリノーはと言えば、浴衣姿は勿論のこと、いつもと違う結い方をした髪型や、そこから覗く項にまたしても暴れる心臓を落ち着けるのに必死だ。
「どうしたのグリノー、ぼーっとして……まだ熱中症が残ってるのかしら?」
「いや……まぁ……だな……悪くねぇな」
「あら……ふふふ、ありがとう」
じゃあ行きましょう、というハルアの声で、四人は花火が始まるまでの間、様々な屋台が立ち並ぶ紅蓮祭会場へ歩き始めた。
輪投げ、射的、金魚すくい、りんご飴。
東方から伝来したという数々の遊戯や食べ物を楽しみながら時間が過ぎていく。
「ハルア先輩! 次あれ行きましょう!」
「綿あめね! 素敵なお菓子だわぁ。発祥は東方ではないらしいけれど、あちらに伝来してからあっという間に広まって、お祭りの定番になった、だったかしら」
「ふふ、授業でやったやつですね!」
女性二人が楽しそうにしているのも、それはそれでとても美しく、その光景を見守るのも乙なものだ。だがしかし、グリノーとオルシュファンもごく一般的な思春期の男子である。好きな人と、お祭りのような特別な日に、いい雰囲気を――なんてことは、当然のように思ってしまうのだ。
互いに頷きあう。別にやましいことをするわけではない。
ただちょっと――二人きりの時間が欲しいだけなのだ。
「おまたせシュファン……あれ? ハルア先輩達は?」
お手洗いから戻ってきたハルドメルは、二人の先輩の姿がそばに無いことに気付ききょろきょろと辺りを見回した。
「うむ……二人は婚約者なのはハルも知っているだろう? だから二人きりの時間が必要ではないかと、私がついグリノー卿にお節介を申し出てな……ちなみにこれはハルア嬢には秘密だぞ、ハル」
「あっ……そうだったんだ……! 誘ってもらってすごく嬉しかったけどそうだよね、二人きりの時間だってあった方がいいよね、ハルア先輩もグリノー先輩のこと大好きだし……!」
気付かなかった! と恥ずかしそうに頬を染めて笑うハルドメルに、オルシュファンは浮かれてしまいそうな気持ちを落ち着ける。ちなみにグリノーの方では今と逆の説明が成されているはずだ。
「まぁそういうわけなのでな……そろそろ花火も始まるし、我々もイイ場所を探そう!」
「うん!」
満面の笑みを返され、だがそれはきっとまだ、『親友』に対してなのだろうとオルシュファンは歯噛みする。それはそれで、勿論嬉しいのだ。けれどやはり自分の中には、誤魔化せない焔が確かに揺らめいているから。
「わ……やっぱり花火がもうすぐだから人が増えてきたね」
二人とも大柄ではあるが、人の波に押し流されてしまうとすぐに合流というわけにもいかない。オルシュファンは耳の火照りが闇で気付かれないことを願いながら、ハルドメルに手を差し出した。
「はぐれてしまうと大変だからな……少しだけ手をつないでいてもいいだろうか?」
「あ……うん、ありがとうシュファン! さっきちょっと人混みに押し流されちゃいそうでどきっとしたんだ」
躊躇うことなく、その手は伸ばされる。それをしっかりと握りしめると、とくとくと心音が速くなっていく。
しばらく二人で歩き、やがて屋台が列を成す会場から少し離れた海岸側へ行く。こちらも勿論花火待ちの人は多いが、屋台通りよりはマシになっていた。
「時刻はもうすぐか……ここでいいか?」
「うん、ここからならよく見えそうだね!」
楽しみだとご機嫌なハルドメルが手を離す様子がないことに、オルシュファンは密かな喜びを覚える。昼間にあんなことがあっただけに、いくら親友といえど拒否されても仕方がないと思っていたからだ。
「……昼間のこと」
ちょうどそのことを考えていたからこそ、ハルドメルの方から話し始めたことにオルシュファンは驚いた。手を握る力が、少し強まる。
「私、そういうこと全然考えたことなかったから……シュファンに言われてすごくびっくりした……し、ちゃんと気をつけないとって思ったよ」
「……いや、私も……いくらハルが心配だからといって、急にあんなことを言うのは配慮に欠けていた。すまない」
「そんなことない」
オルシュファンの謝罪に被せる勢いでハルドメルはそう返し、ふるふると首を横に振った。
「考え始めると、……うん、やっぱりちょっと、嫌な気持ち、かなぁ……でもシュファンが助けてくれたから……シュファンの手は嫌じゃないし、一緒にいて安心できるよ」
疑いを知らぬ微笑み。その眼にある無垢な信頼。それらを決して裏切ってはいけないと、オルシュファンはその手を改めて握り直した。
「あっ! もうすぐみたい」
周囲でカウントダウンの声が始まっている。一緒になってカウントダウンを始めるハルドメルは夜空を見上げ、オルシュファンはその横顔を見つめた。
ゼロ、という掛け声と時を同じくして、ポンッと軽い打ち上げ音がする。夜空の中に小さな小さな光の玉が昇り、やがて弾けるその瞬間。
『 』
夜空に大輪の花が咲き、観客の拍手と歓声が響く。それを皮切りに次々と夜空を彩る光。ハルドメルもまた花のような満開の笑顔を見せた。
「すごい! こんな近くで見るの初めて!」
今は聞こえなくていい、と思った。
聞こえていなかったことに、安堵した。
――でもいつか伝わって欲しい、と、思った。
「すっごく綺麗だね、シュファン!」
「――あぁ」
綺麗だ、と微笑んで呟く。夜空を見上げるその横顔を見つめて。
「とても、綺麗だ――」
握る手の温かさを感じる。
花火の向こう側、夜空の奥で、流れ星が一筋煌めいた。
