秘密の特訓

 汝、戦神の御前で力を証明せよ。
 戦神の目は真実を見通す。
 戦神の祝福は正義に与えられる。
 故に正しきは、勝利を手にした者である――。


 決闘裁判。食堂に併設されたインナーバルコニーで友人二人から制度の説明を受けたハルドメルは思わず天を仰いだ。ふざけている。そう思わざるを得ない。
 だが実際、この学園ではその古式ゆかしい制度が今でも生きている。生きている以上は、従わねばならない。そうは言っても不安混じりのため息が出てしまうのは仕方が無いことだ。何せ相手は、理事長に認められた『蒼天騎士』なのだから。

「案ずるなハル。お前の潔白は、お前が手助けしてきた皆も、もちろん私自身も信じるところだ! 戦神ハルオーネの矢は決して射る相手を誤りはしない!」
 そう言って励ましてくれるのは、転入してきたばかりのハルドメルを真っ先に友と呼び、認めてくれた人。オルシュファン・グレイストーンだ。その横で頷くフランセル・ド・アインハルトもまた、この学園に入学してできた大切な友の一人。そんな二人に鼓舞されつつも、やはり拭いきれない不安がハルドメルの笑顔を苦いものにする。

 罪状は窃盗。蒼天騎士が処理するはずの書類が、ハルドメルの机から出てきたのが原因だ。
 学園内で――否、街中であっても、困っている人を見ると放っておけないハルドメルは日々誰かの困りごとに手を貸している。あれこれ引き受けているうちに紛れ込んでしまったのか、彼女自身、その書類をどこで、誰から受け取ったのかがわからなかった。
 そして彼女に手を貸してもらった者達にも、その書類に覚えがある人間はいなかった。つまり、故意に盗んだわけではない――という証拠がないのだ。最後にその書類を持っていたという生徒会の一年生は半泣きで謝ってきたが、その人もまた蒼天騎士達に与えられた執務室に置いたのだと言い、そして蒼天騎士達の中で、その書類を見た者はいない――。

「証拠がないから釈明しても聞いてもらえなさそうだし……困ったなぁ」
 潔白を訴えるのなら証拠を持ってこいとは告発者……グリノー・ド・ゼーメルにも言われたことだ。素行が悪いことで評判らしいが、その実力は蒼天騎士に任命されるほどだ。生半可な気持ちでは勝てないだろうとハルドメルは困ったように眉根を寄せた。
「フフフ、入学早々模擬戦で男相手にも引けを取らなかった者の台詞とは思えんぞ」
「そりゃ、勝ったけど! でも皆すごく強かったよ! それよりもっとってなると……やっぱりそわそわしちゃうかな」
 友であるハルドメルの勝利を心から信じていると同時に、そのイイ戦いぶりを間近で見られることを密かに心待ちにしているオルシュファンであるが、ティーカップの縁を落ち着き無く指先で擦る彼女に苦笑して肩を竦めた。
「ハルの不安も尤もだよ。状況的に決闘は避けられなさそうではあるけれど……」
「うう~」
 グリノーに言い渡された期日は明後日。それまでに証拠がなく、それでもなお潔白を訴えるのなら決闘裁判を要求することができる。勝てば無罪、負ければ――と考えたところでハルドメルは悪いものを祓うようにふるふると頭を振った。
「僕としては正直、彼が入校してきたばかりのキミに突っかかる理由が気にかかるかな……素行が悪いだとか、決闘制度でライバルを蹴落としてるなんて言われてるけど、さすがに模擬戦で力を見せたからって家政科の生徒にまで手を出すような人には思えないし」
 三人それぞれ首を捻るが、当然答えが出るわけもでもなく。
「何、日はまだあるのだ。証拠が見つかればそれでよし! なければ実力で証明する、それだけだ! ……己が力量を過信しないのはお前の良いところだが、もっと自信を持ってもいいのだぞ」
「……ふふ、ありがと、シュファン」

 そして翌日の放課後。寮の裏庭にある木人の前に呼び出されたハルドメルは何事かと思いながら向かうと、そこには運動着に身を包んだオルシュファンがいた。
「さあ、やるぞハル……特訓だ!」


 ――前日の夜。
「やれやれ……久しぶりに連絡を寄越してきたから何かと思えば……弟の友人からの依頼で? さらにその友人のために知識を貸して欲しい、と?」
「無理を言ってすみません、カルヴァラン卿」
「おや、卿はつけなくて結構ですよ。ただの実業家ですので」
「貴重な時間を割いていただき、ご厚意痛み入ります、カルヴァラン卿!」
「……まぁいいでしょう。それで話とは?」

 カルヴァラン・ド・ゴルガニュ。――元の名を、カルヴァラン・ド・デュランデル。イシュガルド四大名家の一つ、デュランデル家の嫡男は、今や名の知れた青年実業家だ。オルシュファンとフランセルにとっては学園の先輩であり、フランセルの兄、ステファニヴィアン・ド・アインハルトの友人でもある。
 将来を有望されていた彼がどういった考えで実業家としての道を選んだのかをオルシュファンは知らない。だが学生時代に見た彼の鮮やかな斧捌きは、今でもよく覚えていた。オルシュファンが知る限り、一番腕のイイ斧術士は彼であった。

 オルシュファンとフランセルは、友人であるハルドメルが告発されたこと。相手があのグリノー・ド・ゼーメルであることなどを掻い摘まんで説明した。腕を組み、静かに聞いていたカルヴァランも、グリノーの名が出ると僅かに眉根を寄せる。
「成る程……それで私に……斧術のアドバイスが欲しいということですか」
「仰るとおりです。彼女は実力は確かですが入学して日も浅く……どうかお力を貸していただきたい!」
 頭を下げるオルシュファンに、カルヴァランはふむと顎に手をあて思考する。実業家である彼は、自身に利のないことは避ける傾向にある。だが――と彼は後ろに控える女性に僅かに視線を投げかけた。
 それに気付くと、彼女は柔らかく微笑み頷く。それを確認すると、カルヴァランはオルシュファン達に向き直った。
「いいでしょう。私が知る斧術……それからグリノー・ド・ゼーメルへの対策についてお話しします」
 目に見えて表情が明るくなるオルシュファンに、カルヴァランは少しだけ口の端を持ち上げた。――大切な者のために何かしたいと思う気持ちは、カルヴァランにも覚えがあったから。
「斧術は力技だけの武器だなんて言う者もいますが……とんでもない。私に言わせれば使い所で決まる、もっとも戦略的な武器です。そしてグリノーは……天性の才能……本能では分かっていてもその本質を理解していない。そこに隙はあるでしょう」
 カルヴァランの語る斧術に舌を巻きながら、二人は確信する。彼女なら――勝てると。

「――やれやれ、このことを言っていたのですか、スフィア?」
 二人を帰した後、カルヴァランは天球儀とカードを弄ぶ女性に苦笑しながら声をかける。彼女はその質問には答えず、くすりと微笑んで見せた。


「そうだ、私も模擬戦で手合わせしたことがあるが……グリノー卿の一撃はとにかく重い! そして、通常より長い戦斧を使っていることで遠心力も加わっている! まともに打ち合えば盾すら砕くと言われているぞっ」
 寮の裏庭には木人があるが、大きな模擬戦や大会のない今の時期は閑散としている。次第に日が落ち、薄暗くなってきたその場所で、オルシュファンとハルドメルの二人は秘密の特訓をしていた。
 オルシュファン自身の経験とカルヴァランに教えてもらった知識をハルドメルに伝える。そして、付け焼き刃ではあるが、斧の扱いの手ほどきを受けたオルシュファンは訓練用の戦斧を持って彼女の前に立った。
 振りかぶり、盾を構えるハルドメルに叩きつける。訓練用と言っても武器は武器。その重量と衝撃は受けるハルドメルだけではなく、オルシュファンの手にも伝わってきた。
「っ!!」
 かなりの衝撃だったのだろう、苦しい表情のハルドメルは戦斧をなんとか弾き返すと一つ息を吐く。
「……確かに、受け止めてたら勝てそうにないね」
「うむ、堅実な戦いがお前の持ち味でもあるが、今回ばかりは相性が悪い……そこでだ!」

 オルシュファンが語る対策にハルドメルは目を丸くするが、自分以上に自分を信じてくれているオルシュファンを、信頼する。そのアドバイスを意識しながら二人で何度も武器を振るい、次第にその瞳が力強く輝いていく。それを見てオルシュファンもまた高揚した。あぁ、得意の武器でないのが惜しい、とも思いながら。
「はっ……! これでどうだ、ハル!!」
「――ッ! はぁっ!!」
 ハルドメルが吼える。その長戦斧を避け、間合いに飛び込み、盾で武器を持つ手を打った。
「くっ……!」
 武器を取り落としはしなかったものの、武器の得意のリーチよりも内側に入り込まれオルシュファンはすぐに反撃ができない。その喉にすらりとした剣の切っ先が突きつけられる。

 互いの荒い呼吸だけが、夜の空気を震わせている。オルシュファンは両手を挙げて降参をアピールし、にっと笑った。
「……勝利のイメージは掴めたか? 我が友よ」
 ハルドメルは一つ、大きく息をついて剣を下ろす。そして、オルシュファンが好きな満面の笑みで答えた。
「ばっちり!!」

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