決闘裁判

「全く……野蛮人は次から次へと厄介ごとを……」
 小さくぼやいているのは、魔術科で学年トップの成績を誇る蒼天騎士の一人、オムリク・ド・プーラニョン。校内で起る決闘裁判の監督役の一人。武力を嫌う彼は、決闘裁判制度そのものに批判的だ。だが聖職者を目指す高潔さを持ち、卑怯な行為もまた忌み嫌っている。
 同じく蒼天騎士のグリノーが告発し、決闘裁判にもつれ込むのは今に始まった話では無いが、この度は『最近転入したばかり』の女生徒が、『蒼天騎士に関わる』書類の窃盗容疑をかけられている。不可解な事件だが、有罪であるならば容疑者をこのまま学園に置いておくことは当然できないし、無罪であれば、何者かが彼女を陥れようとした可能性もある。
 決闘裁判は勝者の主張が正しいとされ、武力による戦いである以上誰が見ても明らかな勝敗――判決が出る。が、その後の処遇はまた別のものだ。戦神の裁定を受けた後の処理まで含めて、彼は聖職者を志す者としていつも真摯に対応していた。

「あいつは証拠を用意できてないだろ?」
「えぇ……まぁ。言っておきますがあなたに肩入れなどしませんよグリノー卿」
「ハッ……んなモンなくても俺が勝つに決まってんだ」
「……あなたが正しければ、ね」
「アァ!?」
 ここしばらく、随分と不機嫌続きのグリノーをいなしながら、オムリクは告発された生徒の書類に目を通した。


「いよいよだなハル! 緊張しているか?」
「そりゃするよ! こんなに人が集まるなんて思ってなかったし……! でもシュファンと特訓したから……だからきっと大丈夫!」
 蒼天騎士が転入生を告発し、決闘裁判が行われる。その話は授業で退屈している生徒達が注目して当然だ。その結果を見届けようと、決闘が行われる訓練場には多くの生徒が押しかけていた。闘技場を模したその施設は、場を取り囲むように観客席も用意されている。主には武道祭や学園祭で使われる観客席だが、刺激に飢えた若者達には――結果がどうであれ――これもまた祭りのようなものであった。
「フランセルもありがとう、証拠探し手伝ってくれて……」
「結局、それらしいものは見つけられなかったけどね……」
「ううん、十分すぎるよ!」
 特訓と証拠探し。それぞれにできることを手伝ってくれた二人の友に、ハルドメルは感謝しきりだ。必ず恩返しをする――そのためにはこの戦い、絶対に負けられないと意気込んだ。
「お前の勝利を信じているぞ! フフフ……お前のイイ! 戦いぶりを見られると思うと……! ハァ、たまらないな!」
 出会った時と変わらず、武術や肉体に関して熱くなるオルシュファンに苦笑しながら、ハルドメルは周りを見渡した。

「――さん! バルドバルウィンさん!」
 観客席ではなく、訓練場の入り口の方から声がして振り返る。見覚えのある女性が駆け寄ってきて、ハルドメルは目を丸くした。
「あ……ハルア先輩……」
 彼女は以前、高圧的な態度の生徒に絡まれていたところを助けたことがあった。同じ家政科ということもあり、顔を合わせる度に声をかけ、気にかけてくれている。物腰柔らかな、いかにも淑女という言葉が似合う彼女は、付き合いが短いながらもハルドメルにとって憧れる、尊敬できる先輩だ。
「よかった、間に合ったわぁ……」
「どうされたんですか? ……あ、グリノー先輩ならあっちに……」
 彼女は息を整えると、ふるふると首を横に振った。
「いいえ、あの人は関係ない。あなたにこれを渡したくて」
 いつも朗らかな彼女にしては珍しく、真剣な目つきできっぱりとそう言い放つ。その手はハルドメルの右手を取り、そっと小さな袋を持たせた。
 美しい金の刺繍は、夜空に輝く流れ星を描いている。ハルアが紐を解き、中にあるものがころんと手のひらに落とされた。丁寧に磨き上げられた、緩やかな曲線を描く黒曜石。
「お守りよ。あなたの無事と、潔白の証明を願って」
「え……えっ……! あの、ありがとうございます……! でも、いいんですか……?」
 ――彼女はグリノー・ド・ゼーメルの婚約者である。何かの折に聞いた話だ。渡すべきは彼ではないか。そう思うハルドメルに、ハルアは微笑みかける。
「えぇ、これはあなたのためのお守り。……今回の告発は……いいえ、グリノー自身、最近様子がおかしいのよ。あなたが盗みをするなんて私も当然思っていないし……いくら婚約者でも、支持できなことだってある」
 その瞳は優しく、だが芯の強さを感じさせる。ハルドメルが想いのこもったそのお守りを胸に抱けば、温かな力が流れ込むような気がした。
「……戦神の眼は真実を見通す。あなたの勝利を信じているわぁ」
「……はい! ありがとうございますっ」
「きゃっ! あらあら……」
 小さな袋に丁寧に石を収めたハルドメルは、ハルアに感謝を込めてハグをした。
 そして、少し離れた場所から、微笑み合う二人の女性に殺気すら感じられる程の視線を向ける存在がある。グリノー・ド・ゼーメルその人だ。彼は舌打ちを隠しもせず、苛立たしげに手近にあった木人を右足で蹴り上げた。


「ハルドメル・バルドバルウィン。汝に改めて問う。グリノー卿による告発に対し、身の潔白を訴え、決闘裁判を求めるか?」
 監督役のオムリクの静かな声が訓練場に響く。その問いを受け、ハルドメルはグリノーをまっすぐに見据えて答えた。
「はい。私は……ハルドメル・バルドバルウィンは盗みなど働いていません。証拠は……ないけれど……真実を見通す戦神に是非を問う、決闘裁判を要求します!」
 正当な要求を聞き届けたオムリクが合図すると、二人の前に訓練用の武器を持った生徒達が並ぶ。
「その要求を認めます。双方、武器を選びなさい。小細工ができないようこちらが用意したものを使ってもらいます。全力を出すため、その選定も嘘偽り無く」
 グリノーは当然、長柄の戦斧を受け取った。ハルドメルの武器が剣と盾であることは当然分かっている。真正面から盾ごと叩き潰してやると思っていると、彼女が手に取った武器を見て面食らった。
「……おい……なんだその盾は……」
 ハルドメルが選び取ったのは剣と盾。それは間違いない。だがその盾は、パワーある戦斧に太刀打ちできそうもない小ぶりなもの。バックラーと呼ばれる円形の軽量盾だった。
「ふ……ッざけんじゃねぇ、ナメてんのかテメェは!!」
「……なめてません。私はこれでいきます」
 至って真剣な表情で返すが、それがまたグリノーの神経を逆なでした。ビキビキと音が聞こえそうなほど青筋を立てたグリノーは、せめて嘲るようにハルドメルを鼻で笑う。
「……上等だ。二度とそんなちんけな盾選べないようにしてやる……!!」

 武器を選んだ二人が向き合って立つ。ひりついた空気が観客席にまで伝播する。
「汝ら、戦神ハルオーネの御前に誓いを立てよ」
 オムリクの声に呼応するように武器を掲げる。ハルドメルは一度眼を閉じた。教えてもらった口上を決して誤らぬよう、ゆっくりと舌に乗せる。
「……我が身を賭して、戦神ハルオーネの御前に誓う。我が口は虚偽を語ることなく、我が心は邪を抱くことなし」
「されど真実は、武によって勝利せし者のみに与えられる。戦神よ、汝が裁きで正しき者に勝利と真実を示し給え」

『願わくば我を勝利へ導き、真実を明らかにせんことを』

 合図するが早いか、グリノーの全力の一振りがハルドメル目がけて振り下ろされる。手加減など何も考えていないかのようなその一撃を、ハルドメルは軽やかに身を翻して躱した。地面を抉る戦斧の衝撃が客席まで響き、食らえばひとたまりもないだろうことは疑いの余地もない。
「チッ!」
 一撃で終わらせるつもりだったグリノーは避けられたことに苛立ちを隠しもしない。ハルドメルは体勢を立て直し、剣と盾を構える。そして果敢にもグリノーに向かって距離を詰めんと地面を蹴った。
「っラァ!!」
「ッ!!」
 ――それは、受け止めたというにはあまりに軽い音。
 斜めに振り下ろされた戦斧は、バックラーの表面を撫でるように滑る。否、『逸らされ』た。
 ハルドメルはオルシュファンが伝えてくれた、凄腕の斧術士の先輩から聞いたというアドバイスを思い起こす。

『斧という武器は確かに力で攻めるものです。故に正面から打ち合うのは無謀。だからこそ――』

「そんな盾……!!」
 金属の擦れる音。またしても紙一重のところでバックラーが戦斧の攻撃を受け流す。
 ――偶然では無い。それに気付いたグリノーの表情に微かに、ほんの微かに動揺が走る。

『……硬いが重い盾よりも、軽くて取り回しの良い小ぶりな盾が有利になることもある』

「……ッはぁ!」
 それどころか、続いた二撃目をハルドメルは受け流すのではなく、戦斧の面を弾くように盾を振り抜いた。衝撃が柄に伝わり、手が痺れるような震えを感じる。本能的に後ろに飛び退いたグリノーに場内がどよめいた。いつも圧倒的なパワーで敵をねじ伏せてきたグリノーを退かせた。それだけでハルドメルの戦いぶりは称賛に値するのだ。

「イイ……! イイぞハル! その調子だ!!」
「ハル! がんばれ!」
 オルシュファンや、いつもは声を張り上げるようなことのないフランセルの声援も聞こえ、ハルドメルの心は奮い立つ。場内の空気は常勝のグリノーではなく、未知数の転入生ハルドメルを支持し始めていた。それがまた、グリノーには面白くない。
「ちょこまか逃げ回りやがって……正面からぶつかって来いや!!」
 苛立ちのまま相手を怒鳴りつけるが、彼女は怯むことなく、その睨め付けるような三白眼で真っ直ぐにグリノーを見据える。
 ――受け流しが主体なら、手数で圧倒すればいい。グリノーの戦いは力で押し切るのが常だが、斧の重さを感じさせない、嵐のような連撃ができることもまた彼が常勝である理由の一つだ。
 斧を構え直し、力強く右足を踏み込む。大方あのフォルタン家の妾腹に入れ知恵されたのだろうが、付け焼き刃の受け流し技術程度に負けはしないと口の端をつり上げた。
「オラオラオラァッ!!」
「く、ぅッ!」
 一撃、二撃、上手く躱し、受け流しているが、数が増える程苦しい表情になっていく。そうだ、間合いに入らせなければどうということはない。
 このまま押し切ってやる――。踊るように戦斧を振るグリノーはだが、聞き間違うはずもないその人の声を確かに聞いた。

「……バルドバルウィンさん……っ……ハルドメルさん、がんばって!!」

(隙が……ッ……!!)
 その声援は確かにハルドメルにも届いた。その一瞬を見逃さなかった。
「――ぁああッ!!」
 踏み込む。戦斧が得意とする距離、その内側。グリノーはすぐに反応した。武器を振れないならば――。

『――えぇ、間合いに入れば確実に出ますよ、足。足癖が悪いですからね』

「いッ――」
 その小ぶりな盾は、振り上げた右足に思い切り叩きつけられた。痛みに怯んだグリノーに、ハルドメルは低い姿勢から地面を蹴り、その大きな身体の重量に任せて体当たりする。
 二人の身体が地面に倒れる。すぐさま身体を起こしたハルドメルは、盾でグリノーの胸元を押さえつけ、剣の切っ先を喉に突きつける。
――グリノーの戦斧は、手から離れていた。

「――そこまで!!」

 オムリクの声が響くと同時に、観客席から歓声が沸き起こった。肩で息をするハルドメルが、ゆっくりと剣と盾を引く。勝った方も負けた方も、まだ現実感がわかないように呆然としていた。
「……戦神の裁きにより、正しき者が明らかにされました。ハルドメル・バルドバルウィン、あなたの潔白は証明された。……書類の件については蒼天騎士団の方でも引き続き調査はしますが、一先ず安心していいですよ。ハルオーネが判決を誤ることなどないのだから」
「……あ、ありがとうございます……」
 まだ少しぼんやりしているハルドメルは、観客席から降りてきたオルシュファンとフランセルの姿を見つけ、ようやく笑顔を取り戻す。
「っ……シュファン……! フランセル!」
「おおっ……! あぁ、ハル! ハル、よくやったな! 偉いぞ!」
 ぴょんと飛びつくように抱きついたハルドメルの身体を受け止め、オルシュファンもしっかりとハグを返す。フランセルにも同じようにハグをすると、少し遅れてやってきたハルアにも駆け寄った。
「ハルドメルさん……っ! よかった……本当に……怪我はない?」
「ハルア先輩のお守りのおかげです……! ありがとうございます!」
 ハグを交わしてお互い微笑む。ハルアはもう一度ハルドメルの身体を抱きしめると、ありがとうと小さく伝えた。首を傾げると、抱きしめたままハルアはフフ、と笑う。
「……怪我しないように、気を遣ってくれたでしょう?」
「……いえ、流石にそれで勝てる方ではなかったですから……きっと痣になっちゃってます」
「ううん、それでもよ」

 地面に転がったまま、グリノーは二人の声を聞いていた。そして深い、深い息を吐く。
「……やっぱりナメられてんじゃねぇか」
 ぼそりと呟いた言葉は誰に聞かれることもなく溶けていく。気付いてしまったのだ。彼女は、一度も剣を振っていない。

「あの……グリノー先輩」
 恐れ知らずにも話しかけてきたハルドメルに、これ以上無様を晒せるかとグリノーは立ち上がった。
「勝者が敗者に声をかけるんじゃねぇ……侮辱だぞ」
「ご、ごめんなさい……でも……」
 先ほど戦った相手と同一人物とは思えないほど、その表情は叱られた子犬のようだ。
「すごく強かった……あれが決まらなければ私は勝てなかったかもしれないから……」
「…………」
「勝ち負け関係なくすごく勉強になったし……あの、すごく、楽しかったです! ありがとうございました!」
 勢いでまくしたてると彼女は友の元へ、流れ星のように飛んで行ってしまった。

「さあ祝杯をあげるぞハル!」
「紅茶で?」
「ふふ、それもいいね」

タイトルとURLをコピーしました