2.まいる

「やだ、やだ、やめて……ッ」
 男女がベッドの上で重なり合う姿を、否、男が女を組み伏せている光景を俯瞰的に見ている。それはオルシュファンの親友ーーハルドメル・バルドバルウィンと、オルシュファン自身の姿だ。
 泣きながら懇願する彼女の手を縛り上げ、男は獣のようにそのしっとりと濡れた黒い肌を貪る。ロープで擦れて血が滲んだ手首が痛々しい。人としてあってはならない罪を犯しているのに、男の身体はこの状況に昂り、彼女に凶器を突き立てるのを今か今かと待ち侘びている。
 女性の防御反応として濡れた場所を指でかき回して、やめてと逃げるように腰をくねらせるのを押さえつけた。
「シュ、ファ、…………おねがい……っ」
 ーーここまできてまだ止めてくれると思っている彼女が、可愛らしくて、……小憎らしい。
 誰も受け入れたことのない門へ、己の欲望を押し当てる。俯瞰して見ている自分の理性は止めろと叫んでいるのに。
 夢の中では、僅かに欲が勝る。
 力任せにこじ開けた。悲鳴が、異物を拒否する中の狭さが、オルシュファンの行為を全否定する。ーーだが例え夢の中であったとしても、彼女の『初めて』を誰にも奪われなかった、自分が得られたことに心の奥底で暗い悦びを感じている。そうだろう? と彼女を犯す自分が嗤った。
「私はもう、お前の親友ではない」
 痛みに意識を飛ばしかけた彼女を揺さぶれば、掠れた悲鳴をあげて涙を溢した。
 与えられた温かな信頼をかなぐり捨ててまで、彼女の中に自分を刻みつけたいというのか。これは自身の奥底にある願望なのか。オルシュファンは目を伏せ耳を塞いだ。それでもいやらしい水音と悲鳴は、直接頭に響くかのように聞こえてくる。
「……お前を無理矢理犯した、最低の男だ」

 決して頻度は高くないその夢はしかし、確実にオルシュファンの心を憔悴させていた。
 あの日腕に抱いた温かさも柔らかさも、未だ鮮明に思い出せるほど愛おしいのに。今は、それに触れるのが怖い。触れる資格もない。
 この手が彼女を滅茶苦茶にしてしまいそうで、自分自身を恐れていた。

ーーーーー

 結論から言えば、あれからオルシュファンとハルドメルが直接話す機会は得られなかった。
 目論見通り東方連合との協力を取り付け、ドマを解放してきた暁の血盟とハルドメルは、ギラバニアへ舞い戻った後も本隊とは別に行動して蛮神ラクシュミを討ち、また本隊との戦いにおいても最前線を駆けた。後方支援の砲兵を中心とした外征騎士団では共に行動することの方が稀だ。
 そして解放軍の悲願であったアラミゴ奪還の直後は、続々と彼女の元へ声をかけにくる要人や仲間達を遠巻きに眺めることしかできなかった。
 ーー近付けなかった。あんな夢を見てしまう自分では。

「……ハル、誰か探してるのか?」
「ウ・ザル! ……なんかすごく久しぶりな気がするね」
「そりゃそうだ」
 次々と声をかけられて流石に疲労の色が見える友人は、時折何かを探すように視線を巡らせていた。ーーウ・ザルにとってそれが誰かは想像に難くなかったが。
「……シュファン知らない? ちょっとだけ、話したかったんだけど……」
「さっきまでその辺にいたと思うけど……怪我人も結構出たし本部の方に様子を見に行ったんじゃないか」
「……そか」
 あからさまに肩を落とす友人を見て小さくため息をつく。彼が離れた場所からハルドメルを見ていたことをウ・ザルは知っている。その後どこかへ立ち去ったことも。だが彼は……ハルドメルがいつもの抱擁を誰にもしていないことに気付いているのだろうか。
「……会いたかったな」
 ーーオルシュファンから話を聞いた時、『どうしようもない』とウ・ザルは思った。だがこの有様はどうだ。その『会いたい』という気持ちが、どんな感情から生まれ出でているのかを、この友人は理解しているのだろうか。事情を知るだけにどうにももどかしい気持ちを抱えながら、ウ・ザルは尻尾をぱたりと揺らした

ーーーーー

 雪の家で、そしてイシュガルドで。共に過ごした時間はどれも輝かしくて、特別だった。ウルダハから逃げ延びてきた彼女が、頼ってくれたのが嬉しかった。
 民と友を守るのが騎士の本懐。だがそれ以上に、彼女の剣となり、盾となりたかった。人外の力を手にした蒼天騎士の一撃を前に、彼女を守るためなら恐れなど何もなかった。
 『誰かの一番になってみたい』と、そう思わせるほどに特別なんだとーー一番の親友だと、いつから自惚れていたのだろう。
 彼女には仲間も友も大勢いて、自分はその内の一人に過ぎない。それを目の当たりにして、焦った結果がこれだ。どうしようもないのは自分の方だ。
 抱きしめて口付けても、愛を囁いても、ハルドメルはただ驚くばかりで。当初考えていたーーどこまでを赦されるか、は。赦されは、したのだろう。否、歯牙にも掛けない、と言った方が正しいか。いずれにしても残ったのは彼女が気軽に抱擁をする『仲のいい奴』ですらなかったという現実だけだ。
 ーーただ。
(そうだとしても……)
 親友では、足りなかった。彼女の心が欲しいと望んでしまった。その想いはまだ当分、消えてくれそうにない。

 アラミゴから帝国勢力を排除することに成功したエオルゼア同盟軍は、共和制へ移行するアラミゴへの協力を続けながらも、長い遠征に疲弊してきた部隊の再編成も進めていた。それはオルシュファンが団長を務める外征騎士団も例外ではない。
 状況が落ち着いたこともあり、報告とわずかな休息を兼ねて一時帰国を命じられたオルシュファンは、久しぶりの故郷の冷たい空気を吸い込んだ。負傷して帰国せざるをえなくなった者たちも、家族や仲間たちからの賞賛に迎えられて笑顔を見せている。
 平民を中心に成り立つ外征騎士団もアラミゴ解放に大きく貢献したと評価された。一時の役職名であっても、騎士団という名に誇りを持って戦った平民たちのみならず、皇都でその帰りを待つ者たちにも希望を与えた。
 戦後になって参加することで戦果を横取りせんとする一部の卑しい貴族や騎士たちは、ステファニヴィアンが目を光らせて抑制しているようだった。
「手間をかけているようだな」
「なんの! 前線に行かなかったんだからこれくらいはね」
 久方ぶりに会った彼は、相変わらず機械油のにおいを纏わせ、生き生きと働いている。
「フランセルも忙しいのか」
「ああ、復興事業の方も軌道に乗ってね。オールヴァエルの担当してたディアデム諸島で採れる素材も復興に役立つってんで、飛空艇はフル回転。それの修理や改良、魔物撃退用のエーテルオーガーの供給はうちの機工房が担当。アインハルト家の男共はかつてないほど大忙しさ!」
「なるほど、それは実にイイ」
「……」
 オルシュファンは友たちの活躍に喜んだが、ステファニヴィアンは何かを探るようにじい、とオルシュファンを見つめる。
「……遠征で怪我でもしたか?」
「? いや……まあ少し、疲れてはいるか」
「……まあそうだな。うん、早く家に帰って休め。エドモン卿も首を長くしてお待ちだろう!」
 からりと笑ってステファニヴィアンは肩を叩いた。上層へ向かうオルシュファンの背を見ながら、ふむ、と思案する。
「……俺の計測器にビビッと来たが、さて」

ーーーーー

「……見合い、ですか」
 オルシュファンの言葉にエドモン・ド・フォルタン元伯爵は頷いた。私室に呼び出され、ローズマリーの香りがする紅茶を飲みながら、労いの言葉と報告とをお互いに交わしていた。その中で改まって話があると言った父の言葉に何事かと身構えていたオルシュファンは、その内容に暗澹たる気持ちになる。
「相手はゼーメル家の遠縁にあたる下級貴族の娘だ。以前からお前のことを気に留めていたようだが、今回の遠征で武勲を立てたこともある。是非一度話がしたい、と。見合いとは言うが、今度開かれる夜会にその娘もいるから、出席して顔を合わせてほしいそうだ」
「……お気持ちはありがたいのですが、父上」
 今のオルシュファンにはまだ、他の女性を想う気持ちなど持てそうになかった。ただの友であるという現実を知ったのに、未だこの心には彼女の、ハルドメルへの想いが燻っている。いつか、時が過ぎれば忘れられるのかもしれないが。
「武勲を立てたとは言え私は庶子……貴族の令嬢などこの身には過ぎた話です。どうか丁重に……」
「……お前の希望を叶えてやりたいのは山々だが、ゼーメル家当主が直接私の元へ赴いたのだ。断るにしても、一度は会ってやってはくれないか」
「……」
 建国神話が暴かれ、四大名家を含む貴族の特権階級としての力は失われつつある。それでも、長く続いた慣習や価値観というものは簡単に変えられるものではない。エドモンは貴族との見合い――血筋や武勲を重視するそれに否定的なオルシュファンの気持ちを理解している。仮に絶対に見合いをしないと言えば、どうにかして断ってくれるであろうことはオルシュファンにも分かっていた。が。
「……わかりました。父上がそこまで仰るのなら」
「……すまないな、オルシュファン」
 仲介をしているゼーメル家の面子を保つためにも、オルシュファンは申し出を受けることを選択する。対立することも多いとは言え、長く国を守って来た四大名家同士だ。例え出自を揶揄された過去があろうと、義理は通す。
 薄暗い気持ちを抱えたままほんの少しだけ、オルシュファンは期待する。見合いをしたいという女性が、ハルドメルのことを忘れさせてくれるくらいに、素晴らしい女性であることを。このどうしようもない、行き場のなくなってしまった想いを消してくれないかと。
 ほんの、少しだけ。

「それと……あまりこういう話はしたくないのだがな、オルシュファン……彼女がこちらに寄る予定があるか知っているか?」
「……は……?」
 不意の質問に思わず間の抜けた返事をしてしまう。エドモンはさして気にせず、紅茶を一口飲んで息を吐いた。
「彼女は……英雄殿は我らフォルタン家と懇意にしているだろう。そのせいか、他家から度々話を取り付けてくれないかと相談があるのだ」
「何を……」
「お前と同じ……縁談の話だ」
 ひゅ、と喉が鳴る。心臓が早鐘を打ち、かぁっと身体が熱くなった。
「……ッ……父上! ハルを……彼女を英雄という肩書でしか見ない人間に引き合わせろと言うのですか!」
 気付けば声を荒げていた。その剣幕に心底驚いたという父の顔を見て、先ほどとは真逆にさっと血の気が引くのを感じたオルシュファンは慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません父上、出過ぎたことを」
「……いや、いい。お前が彼女を大切に想っているのはわかっている」
「父上、そういうわけでは」
 オルシュファンは父の前で無礼を働いたことと、ただの友人にしかなれなかったくせに余計な口を挟んでしまった自分を恥じた。エドモン・ド・フォルタンは顎に手をあて、僅かに目を伏せて思案する。
「私とてそういった輩と彼女を引き合わせたくないのは同じだ。……だが純粋に彼女に好意を抱いている者も少なからずいるのだぞ」
「え……?」
 その内の一人は、デュランデル家の縁者。かつて彼女に命を救われたことがあるという。最初こそ排他的なデュランデル家らしく、冒険者である彼女に感謝もせずにその場を去ったらしいが――。
「デュランデルに連なる者として冒険者の手など借りないと拒否したらしいが、その時の……彼女のことをずっと忘れられずにいたそうだ。そしてイシュガルドでひたむきに奔走する彼女を見て、密かに想いを募らせていたと。他にもそういう話をいくつか聞いている」
「……」
「今となっては国の英雄だが、彼女は冒険者でもある。我々ですら気軽に会えるわけではないのだ。縁があるフォルタン家に彼らが頼みに来るのも無理はない」
「……ですが」
 ――何が『ですが』なのだろう。オルシュファンは自嘲する。ただの友人でしかない自分が、彼女に好意を抱き、会いたいと願う人を選別できるとでも?
 気が焦っている。貴女は素敵な人だと――そうだと分かる日が来ると、あの時言ったのは自分なのに。いざそれを目の当たりにすると、どうしようもなく疼く。熾火の熱は簡単に消えるものではない。
 俯くオルシュファンを見ていたエドモンは、小さく嘆息した。
「何にしても、彼女の意思を尊重したい。もし彼女に少しでも伴侶を得る気があるのなら、私としては……」
「……」
「……オルシュファン……疲れているようだ、今日はもう休みなさい」
「…………、はい」
 何かを言おうとしたが、それは上手く言葉にならないまま、オルシュファンは頷いた。

―――――

「おかえり、我が友オルシュファン。無事で何よりだよ」
「お前も息災で何よりだ。復興事業もうまくいっているらしいな」
「お陰様でね」
 夕刻、訪ねてきたフランセルと握手と抱擁を交わし、部屋に招いた。外征騎士団の一部が戻ったことは皇都中が知っているが、その中にオルシュファンがいることはステファニヴィアンから聞いたようだった。
 互いに会えなかった間のことを話し合ったが、フランセルは一目見た時からオルシュファンの様子に気が付いていた。長い付き合いの親友だからこそ。
「……ねぇオルシュファン、ハルと何かあったの?」
「……何故そう思う?」
「見ればわかるよ。親友だからね」
 発つ前はあんなにも生き生きとしていた彼が、すっかり意気消沈している。フランセルどころか、彼を知る者ならだれでもわかるほどに。そこには遠征の疲れなどではなく、別の――フランセルの眼からは、『後悔』といったものが見えていた。
「……フランセル」
 オルシュファンは膝の上で両手を組み、顔を伏せた。それは、懺悔する人の姿だった。
「……私は、最低の男だ」

 自分とハルドメル、二人のことを一番よく知っているのはフランセルだ。親友にこんな話を聞かせたくなかったが、他にこんな罪を告白できる存在は、他にいなかった。
 洗いざらい全てを話す。彼女への想いも、彼女の周りにいた者への嫉妬も、あの夜、何をしたのかも。
 親友に情けない姿を晒している。だが一度話し始めてしまうともう止まれなかった。
 一通り話し終えるまでずっと黙っていたフランセルの気配が、不意に動く。
「……オルシュファン」
 視界にフランセルの足が映り、オルシュファンは顔を上げた。

「――――」
 何が起こったかを、すぐには理解できなかった。
 乾いた音と、衝撃と、数瞬遅れてじんじんと痛み出す頬。
「……オルシュファン」
 名前を呼ばれて、ゆっくりと視線を向ける。頬を張った彼の方が、余程辛そうな顔をしていた。
「ねぇ、オルシュファン……今すごく、驚いただろう」
「……あぁ」
「……僕がこんなことするなんて、考えたこともなかっただろう」
「……あぁ」
 振りぬいた右手を左手で握りしめながら、フランセルは微かに声を震わせた。
「……ハルもそうだったと、僕は思うよ」
「……だが、」
「歯牙にもかけないって? 本気で言ってるのかい、オルシュファン……彼女は、あんなに……ッ」
 声を荒げそうになるのをぐっと堪えて、フランセルは一度息を吐き出した。
「男として、キミの気持ちも理解できないわけじゃない……でも神学校の筆記や騎士団の技能試験とは訳が違うんだよ、オルシュファン……心を試すなんてしちゃいけない……それをするのは、その人を信じられないからだ。彼女を信じられない君が、試した結果を信じられる? その結果が本当に正しいか、分かるのかい?」
 オルシュファンはフランセルに返す言葉を見つけられなかった。その通りだった。ウ・ザルのことを友達だと、その言葉を額面通りに受け取れなかったから、あんな愚行を犯したのだ。
「叩いたことは、謝らないよ……でも僕は……僕の親友が心から笑い合っていて欲しい。そう望んでる。…………ごめん、今日は帰るよ」
 フランセルが出て行った後の静寂が耳に痛い。
「……だが」
 彼に張られた頬も、彼女に打たれた胸の傷も。どこもかしこも、ずきずき痛む。

『少なくとも私は、貴女を愛している』
『……え?』

「愛の言葉すら怪訝な顔をされては……私もどうしたらいいかわからないんだ、フランセル」

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