アラミゴでの騒動が落ち着いてきて、ハルドメル、ウ・ザル、アレンヴァルドは三人で顔を突き合わせられるタイミングも幾度かあった。常に一緒に行動できるわけではないから、お互いに会えなかった期間のことを共有する。それは暁として活動する上でも必要なことであったし、友人として互いの無事を確認するというお決まりの流れになっていた。
「そういえばさ、うちの団長ってハルと友達だろ?」
ウ・ザルの言葉にどきりとして、ハルドメルは思わず身を硬くした。ウ・ザルはオルシュファンが団長を務める外征騎士団、その副団長を務めている。その口からオルシュファンの話が出てきても何も不思議ではない。
結局あれから話もできなければ、顔も合わせられていない。彼の近況を聞けるとしたら嬉しいけれど、相変わらず不安定な気持ちはそのまま何一つ解決していなくて。自分が今笑えているのかいないのかもわからないまま、ハルドメルは曖昧に頷いた。
「団長が見合いするんだって」
「え」
「見合いか……俺たちとは縁遠い話だなぁ」
「今一時的にイシュガルドに戻ってるんだけどさ、何日か前に本部のリンクパールで連絡させてもらったら、それのせいで戻るのが一日延びるんだと」
「貴族って見合いが多いって言うもんなぁ。アラミゴで武勲をあげたからって感じなんだろうか」
「…………」
「団長もまあいい年みたいだし、そのまま結婚するのかもな。そうなったら祝いの一つでも贈ってやろうか、なぁハル」
「……えっ? あ……うん、そうだね……」
不安げに揺れる瞳に、ウ・ザルは少し友人のことを心配した。――効きすぎている。
その話を聞いた時、教えてやったほうがいいと思った。正確にはオルシュファン本人から聞いたわけではなく、ウ・ザルの鋭い聴覚が遠くの方で騒いでいる次男坊の声を拾っただけなのだが。
「結婚祝いって何がいいんだろうな」
「うーん……ワイン、とか……かな」
何も知らないアレンヴァルドの疑問に答える声は、ほんの僅かに震えていた。
―――――
その日の夜ハルドメルは手帳を取り出してページを開いた。文字をなぞるように指を滑らせて、その最後に今日あったことを書き加える。
(……どうして)
大事な親友の見合いの話。
(どうして、応援できないの……?)
自分の心に問いかける。
それを聞いた瞬間に、思考が止まった。
親友なのに、何故素直に喜べないのか、応援できないのか。胸中に広がるもやもやとした重苦しい気持ちは。
(親友を、取られるみたいで嫌だから……? それとも……)
かり、と胸元に爪を立てる。それよりもまだ、胸の奥の痛みは勝る。
(……これが、『好き』だから……?)
ハルドメルにとってその感情は、ぼんやりとした憧れはあった。本の世界で見る恋の話はどきどきしたし、今日のように、知っている者から聞く話も然りだ。けれど、そこまでだった。
嫌わないでほしい。受け入れてほしい。子供の頃から胸にあるのはそんなものばかりで。オルシュファンはそれをやすやすと飛び越えて自分から、お前は友だと言ってくれた。それが本当に、泣きたくなるほど嬉しくて、それだけで十分だった。それ以上なんて望んでいなかったし、想像したこともなかった。
「シュファン……」
見合いをするからといって、必ず結婚に繋がるわけではない。けれどもしオルシュファンが相手を気に入れば、その可能性はある。
相手はきっと、貴族の令嬢だ。美しく着飾って、上品で、自分とは比べ物にならない程素敵な女性なのだろう。以前書いた自分の文字を振り返る。オルシュファンには、お似合いの素敵な人がいるはずだ――確かにそう書いたのに、いざその時が来てみればどうだ。
(私……嫌なやつだ)
手帳を開いたまま机に突っ伏した。
オルシュファンも二十八だ。いつ伴侶を得てもおかしくない歳の友人の見合いを、素直に応援できない。どころか――
(……嫌な、やつだ)
見合いを断ってくれたらいいのに、なんて。
そんなことを一瞬でも考えた自分が、嫌で、嫌で、しょうがない。
―――――
「ハル! ここだよ~」
「ごめんなさい! 遅くなって……」
「注文は? やっぱりアップルタルト?」
リムサ・ロミンサのカフェで行われているささやかなお茶会にはリセ、アリゼー、ヤ・シュトラがいた。そこに遅れてやってきたハルドメルは、空いた席に腰を下ろして一息つく。
「今日も忙しかったんだね」
「あ……えっと……」
彼女は少し気まずそうな顔をして、俯いた。
「昨日、寝付き悪くて……寝坊しちゃって、予定が全部詰まっちゃって」
「珍しいわね、大丈夫なの?」
アリゼーが心配そうにその顔を覗き込む。ハルドメルは努めて明るく笑った。
「大丈夫、全部終わらせてきたから!」
「そういうことじゃないんだけど……」
肩を竦めるとアリゼーも笑った。注文したアップルタルトと紅茶を待ちながら、さて何から話そうかと思ったところでヤ・シュトラが口を開く。
「さっきまでね、面白い話をしていたのよ。リセの仕事仲間のことなのだけれど」
「ちょっとシュトラ!」
慌てふためくリセを無視して、その話をする。リセと共にアラミゴのために働く若者。仕事をしながらもリセとまともに顔を合わせられず、嫌いなのかと問われても逃げ出してしまう男性の話を。
「そこの二人は嫌われているんじゃないかと思ったみたい。ねぇ、この青年、リセを好いてると思わない?」
「あ…う、うん、そうだね、そうかも! リセ、いい人なら付き合ってみた、ら……」
「も~ハルまで!」
話を蒸し返されて顔を赤くするリセとは対照的に、ハルドメルは俯く。友人の恋の気配に一瞬喜んだのもつかの間、ある事に気付いてしまったから。
(……リセのことなら、応援できるのに)
オルシュファンの見合いの話を『嫌』だと思った。それは、親友を取られるようで嫌だからなのかーーその一つの考えは今、否定されてしまった。
(シュファンは、だめなの……?)
リセならよくて、オルシュファンは駄目だと。そう、この心は言うのか。
「……ハルのほうはどうなのかしら。あれから何か進展はあって?」
「えっ何何ハルもそういう話があるの!?」
「ちょっと聞いてないわよ! 誰!?」
急に勢いづく二人に気圧されるが、胸の内にある重く、陰鬱な気持ちに、じわりと浸食されていく。
「……あれ、から……全然、会えなくて」
「何!? 誰!? どんな話!?」
急に降ってわいた英雄の恋ーーと思われる話に色めき立つ二人だったが、ヤ・シュトラはいつも通りの調子で言った。
「そう……進展なし、というわけね」
呆れたようにため息をつく。それに、びくりと肩を震わせた。
自己嫌悪と、後悔と、それから。
暗く淀んだ想いが混ざり合って、それは化膿して腫れあがった患部のように、少し触れるだけでひりひりと痛む。
「そうだね、ごめん……あはは」
困ったように人差し指で頬をかく。頼んだものは、まだ来ない。
「ハル、大丈夫……?」
「え……?」
「顔色が悪いわ。やっぱり無理してるんでしょ?」
「……そう? 顔色なんて大して変わらないよ」
つい先ほどまで騒いでいた二人は神妙な面持ちでハルドメルの顔を覗き込んだ。ハルドメルの黒い肌は、顔色という点において常人より分かりにくい。だからこそハルドメルは冗談めかしてそう言ってみせたが、それでもアリゼーとリセの二人には、その変化が見てとれていた。
「お茶会はまた今度やればいいんだから、今日は宿で休んだ方がいいよ!」
「で、でも」
「普段から無茶してるんだからこういう時くらい大人しく言うこと聞きなさいよ。タルトはあとで持っていってあげるから!」
「……ん……わかった……ごめんね、ありがとう……」
でもタルトは皆で食べて。そう言って笑って、どこか心許ない足取りで、ハルドメルは席を離れていった。
「体調が悪いようには視えなかったけれど」
「でもシュトラ、エーテルじゃ気分までは視えないんでしょ? ハル、すごく辛そうだった」
二人がハルドメルを説得する間、立ち入るでもなく聞いていたヤ・シュトラはリセの言葉にそうねと返す。
「失礼します、追加のものをお持ちしました」
「あ、ありが……ってアタシたちこんなに頼んでないよ?」
「先ほどのお客様が皆さんにと……それと皆さんが注文した分も支払われて行かれました」
「ちょっともう! あの人ったら!」
心配半分、呆れと怒りがさらに半々といったところのアリゼーをリセが嗜めるのを横目に、ヤ・シュトラは追加で出されたホールのアップルタルトを視てため息をついた。
宿屋ミズンマストの一室、ハルドメルはベッドの上で転がったまま、大きな身体を小さく丸めるように膝を抱えていた。
(……どうして、私……)
リセならよくて、オルシュファンは駄目。その差がどこにあるのか。何がそうさせるのか。
(友達、なのに)
大切なのに。大好きなのに。親友なのに。
『見合いなんて断ってくれたら』と、『親友に幸せになって欲しい』は確かに両立して、その間で押し潰されそうになる。
他人にいくら怖がられても、両親が愛してくれるから、自分を嫌いになることなんてなかったのに、今は。
(やっぱり……嫌なやつ、だ)
何より、こんな自分を親友と呼び、命をかけて守ってくれたオルシュファンに申し訳が立たない。
「…………なさい……」
小さく、掠れたその言葉で、堪えきれなかった雫が一粒、シーツに染みを作った。