エオルゼアでは各地で謎の塔が出現し、ルナ蛮神と命名された新たな脅威が襲い掛かって来た。生物をテンパード化する能力を持たないというこの異形の対処には、光の戦士たる英雄のみならず、暁の面々やエオルゼア同盟軍も立ち向かえた。このタイミングで前線にいられなかったことを、これほど口惜しいと思ったのはオルシュファンくらいのものかもしれない。
ルナ蛮神については討伐することで一度落ち着きを見せたものの、ヴァリス帝崩御の噂が流れるガレマール軍は実質瓦解状態となり、内乱や独自の判断での戦線離脱が続いていた。エオルゼア同盟軍は引き続きその動きを監視している。
「ルナ蛮神についてはまたいつ現れるとも限らない……君にも近いうち、協力してもらうことになると思うが……身体のほうは?」
「はい、お陰様で……ご配慮に感謝します、アイメリク卿」
安泰とは到底言えない状況ではあるが、僅かな休息の時間にアイメリク卿は盟友たるオルシュファンを招いた。かつて自分を助けるため、英雄と共に教皇庁に突入し――危うく命を落としかけた彼と今こうして笑い合えることを、心から喜んでいる。そしてそれはオルシュファンも同じであった。
「相変わらず、グリダニアの幻術士の力には驚かされます。もちろん先生の治療もあってのことですが……こんなに早く治るとは」
「ふふ、それはそうだろう。君は特別だからな」
「……?」
バーチシロップがたっぷりと入った紅茶を楽しんでいるアイメリクに、オルシュファンは僅かに首を傾げる。特別とは、何のことか。不思議に思いつつもカップに口をつける。出された自分の紅茶はシロップの量は控えてもらったが、それでもまだ甘かった。
「そういえば聞いたぞオルシュファン卿。例の縁談の話……」
「……お恥ずかしい限りです」
ラストヴィジルの雲海前の広場は人通りが多いわけではない。それでも全くのゼロというわけでもなく、当然目撃者がいてもおかしくはないわけで。巷では「どこぞの庶子が令嬢に平手打ちされた」という話が面白おかしく噂されているらしい。
「ゼーメル家の紹介では断りにくいこともあっただろう。……私も人のことを言えた義理ではないが……まだ身を固めるつもりはないのか?」
「……兄弟たちもまだですし、私には過ぎた話で……」
「そうか……まあハルドメルも忙しい身だからな。タイミングも難しいものがあるだろう」
「えぇ、まぁ………………………………ん?」
「ん?」
どうかしたのか、というアイメリクの微笑みに何の裏もないことはオルシュファン自身よく知っている。政治手腕において彼はとても優秀で、時には上に立つ者として非情な判断もできる。だが基本的に彼は、とても純粋な善き人だ。だから今の言葉は。
「あ、アイメリク卿……今、何と?」
「……? ハルドメルとは恋仲だろう? 盟友の慶事とあらば是非祝いの」
「ま、待ってください! ハルは……」
ぐ、と言い淀む。それは、否定することの悔しさか。
「……彼女とは、その……そういう、わけでは」
「……そう、なのか……? 本当に……?」
本気で驚いているといった様子のアイメリクに、逆にオルシュファンが戸惑う。そこまで驚くほどなのか、と思いながらも頷くと、アイメリクは顎に手を当てて少し照れたように笑った。
「そうか……いや、そうなのか……すまない、私の早とちりだったということだな……そうか……」
そうか、と納得したように言いつつもまだどこか疑問符を浮かべているアイメリクに、オルシュファンは何故か胸騒ぎがした。
「アイメリク卿……、……何故……そう思われたのですか」
何故、と問われたアイメリクは、自分の思い違いを恥じながら、あの千年戦争を終結させるために奔走した日々を思い出し、眼を細める。
「もちろん、普段からお互いを信頼し合い、親密な様子を見ていたというのもあるのだが……やはり教皇庁のことが大きいだろうか」
「……私は、確かに彼女を大切に想っています……大切な友というだけでなく、彼女は世界に必要な人だと……ただ失うまいと夢中で……」
オルシュファンの言葉に、いや、とアイメリクは首を振った。そのことではないのか、とさらにオルシュファンが困惑する。どう言ったものか、とアイメリクは逡巡し、一度目を伏せた。
「……あの場で応急処置をして、何とか……本当にぎりぎりの状態だったが、君が一命を取り留めて……その後が大変だったんだ」
『お願い、お願い、シュファンを助けて、お願い、お願いしますっ……! ある、アル、フィノ、アルフィノ、なんとかして、ねぇ、おねがい……ッ』
「正直、君の傷はかなり絶望的な状態だった。こうして今話しているのが奇跡だと、私は思う」
「……」
「我々としてももちろん手は尽くすつもりだった。だが彼女は『必ず』助けてくれ、と泣きじゃくって……我々は、元より蛮神については彼女の力を頼るほかなかったが、彼女は……」
『倒してくるから、蛮神、倒してくるからっ……教皇を、殺したって、あとで処刑してもいいから……お願い、お願い、しますっ……』
「っ……そ、んな、馬鹿な話があるか……!!」
思わず立ち上がって声を荒げていた。全ての国民を信徒にして恒久平和を、などというふざけた計画を防ぎ、多くの命を、ひいては世界を救ったのだ。その彼女を処刑などと、ありえない。あってはならない。
「当然我々もそう言ったよ……だが処刑の話は横に置いても、君を『必ず助ける』と頷くまで、彼女はてこでも動かなかった」
「……そんな、」
オルシュファンは力が抜けたように、再び椅子に腰を下ろした。その光景が目に浮かんで、思わず片手で顔を覆う。
「……そんな話は……聞いて、ない」
「……あの時は本当に、激動の日々だった。君も回復まで時間がかかったし……他に話さなければいけないことも多かった……そういうものにいつのまにか押し流されてしまったのかもしれないな。それにこの話を知っている者は本当に僅かだ」
アイメリクは続ける。あの日々のことはまだ、昨日のことのように思い出せる。
「医師から説明はあっただろうが、君の傷が癒えて意識が戻った後もしばらくは、テンパードに近い状態だった」
蛮神の祝福を受けた蒼天騎士の一撃。それは身体の傷だけでなく、魂にも影響を及ぼしていた。エーテル視のできるヤ・シュトラ嬢の見立てでは、テンパードのように『焼かれ』てはいないが、魂そのものを、蛮神のエーテルが覆っているような状態であったという。
「他に例のない症状だったから手探りではあったが……時間と共に蛮神のエーテルは薄れていくということが分かった。彼女は暇さえあれば足繫く君の病室に通っては話かけていたよ」
オルシュファンが目を開いたのは、邪竜ニーズヘッグの影を討った後。そこから更に一週間以上は、ぼんやりと視線が定まらないままの、人形のような状態だった。各地の蛮神や、闇の戦士の動きを気にしながらも、ハルドメルはひたすらにオルシュファンの回復を願っていた。
「君の意思が戻ってきたら、一番最初に話したいんだ、とね。……結局それは、叶わなかったみたいだが」
自分の意思を取り戻したオルシュファンの記憶、その最初にあるのはエマネランとオノロワ、そしてアルトアレールの姿だ。何故生きているのかを不思議に思った。エマネランなどは大騒ぎして……薄く涙を浮かべる彼らにつられるように、ゆるゆると視界が滲んだのを覚えている。ーー彼女に会えたのは、それからしばらく経ってからだ。
病室に飛び込んできた彼女は、オルシュファンの姿を見るやくしゃりと顔を歪めて。ふらふらした足取りで近付き、一瞬だけ躊躇うように動きを止め、そしてベッド脇に膝をついて、オルシュファンの手を両の手で包み込んだ。ぽろぽろと大粒の涙を溢しながら、開口一番。
『私を、助けてくれて、ありがとう』
そう言って、泣きながら微笑んでみせた。
彼女を救えたことが誇らしくて、生きて、もう一度その手の温かさに触れられることが。笑顔を見られたことが幸せだった。
「状況が落ち着いた時、一度彼女と食事の席を設けさせてもらったのだが……旅の話を聴かせてくれる中でも、君の名前が頻繁に出てきていた。君の話をする彼女は……何と言えばいいのだろう。とても生き生きと輝いていて……ふふ、少女のように可愛らしかった。……あぁすまない、彼女をそういう目で見ているわけではなくて……ただ、こんなに想われている君はきっと幸せなのだろうと……いやしかし、私はまだ信じられない……本当に違うのか……?」
独りごちるアイメリクの言葉にオルシュファンは反応できない。胸の傷がじくじくと痛んで、今にも傷が開いて、血が溢れ出しそうだ。
「勲章も褒賞金も……あれだけの騒ぎを起こして名誉を傷つけたウルダハからの詫び金すらも断る彼女が唯一望んだのは、君の無事だ。アルフィノ殿の提案でグリダニアに連絡して……彼女の願いだと知るやすぐさま幻術士をよこしてくれたが、まさか三重の幻術皇の二人が来るなんてさすがに思わなかったよ。容態が安定してからは国に帰ってしまったから、君は覚えていないだろうが……」
先日来たのもかなり高位の幻術士らしいという話をしたところで、ようやくアイメリクはオルシュファンの様子に気付き、困ったように後ろに控える老いた執事に訊ねた。
「爺や……もしかして私はまた余計なことを言ってしまっただろうか……?」
時折部下たちに「あなたの発言は少々素直すぎる」などと言われるため、何やら問題があるという自覚はあった。
すっかり俯いてしまった盟友を前に戸惑う主人を見て、執事はくつくつと肩を揺らす。
「いえいえ……皆さんお若くて大変よろしゅうございます」
―――――
その話を聞いた時、彼女は――暁の血盟はすでにシャーレアンへ向けて発った後だった。
後に出てきたイルサバード派遣団の話にはもちろん参加を望んだが、傷のことやアルトアレールの推薦もあり、その役割はエマネランに与えられた。その代わり、彼が留守の間のキャンプ・ドラゴンヘッドを預かることになり、防衛拠点としての務めを果たしつつも、ルナ蛮神への対応にも奔走していた。
エマネランのこともなんだかんだと信頼しているが、元主であるオルシュファンが一時的にでも戻ってきたことに、キャンプ・ドラゴンヘッドの者達は喜んだ。雪の家もあの客室もいつも綺麗にしていますからね! なんて言われて、オルシュファンは曖昧な笑みで礼を言うことしかできなかったのだが。
やがて暁の血盟の活躍により各地にあった塔は消え、その代わりのように、少ししてから『終末』の現象が始まった。
元よりイシュガルドは、千年に及ぶ絶望的な戦いを耐えてきた国だ。ゼロではないにしろ、獣化の現象は最小限に食い止められていた。その代わり、環境の変化に敏感な魔物や動物たちが凶暴になることが度々あり、この日も近くの街道で暴れる魔物がいると連絡を受けて現場に向かった。
「やれやれ、最近多いね」
「まぁ、ちょっと手間が増えるだけさ」
――が、その場に着いた時にはもう暴れる魔物の姿はなかった。
そこにいたのは剣と盾を構える女性と、魔導書を手に周囲の様子を確認する男性――二人ともルガディン族であった。少し離れた場所には荷が積まれたチョコボキャリッジがある。
「荷運び人……いや行商人の方か? お怪我はありませんか」
「あらごめんなさい、近くの拠点の人? もう倒しちゃった……」
石膏像のような白肌の女性は武器を納めて振り返る。彼女は言葉を途中で止め、オルシュファンをまじまじと見て目を輝かせた。
「……オルシュファン! あなたオルシュファンね、そうでしょう?」
「は……え……?」
「すごいすごい、あの子の手紙の通りだ。ね、あなた?」
「うんうん、実にイイ騎士といった感じだ」
「会えて嬉しい!」
「っ」
黒肌の男性が頷く横で、女性はオルシュファンにハグをした。
――ものすごく、知っているような気がする。オルシュファンもついてきた数人の部下達も、全員が同じことを思っていた。
「ごめんなさい、嬉しくて」
「いえ……魔物の討伐、感謝します」
イシュガルドに向かう途中だったという二人は、そのままキャンプ・ドラゴンヘッドまで共にやってきた。荷を引くチョコボを休憩させる二人を――ハルドメルの両親を、オルシュファンは応接室である雪の家へ招いて、ジンジャーティーを振舞った。
「ここが雪の家なんだね。キャンプ・ドラゴンヘッドは何度も通った事あるけど、入ったのは初めてだよ」
「あの子はここで随分お世話になったみたいで……直接お礼を言いたいと思っていたんだ」
「礼など……彼女が我が国にしてくれたことに比べたら、大したことではありません」
二人は物珍しそうに室内を見回したり、ジンジャーティーに舌鼓を打つ。好奇心旺盛な所は、実に彼女の両親らしい。ハルドメルと同じ紺の髪を揺らす女性は興味津々といった様子でオルシュファンを改めて見る。
「迷惑かけてない? あの子もすぐ人に飛びつくタイプだから……」
「それは、大丈夫で……」
「あ、でもあなたならしないのかな、ふふ」
その無邪気な口ぶりにオルシュファンはがんっ、と頭を殴られたような衝撃を受ける。両親にもそう思われる――そんな風に見えるのか、と。だが続く言葉にさらにオルシュファンは思考を乱された。
「あの子そういう所は私と似てるから……大好きな人には普段は無意識に遠慮しちゃってるかなぁ」
「私も若い頃は随分やきもきさせられたからね、どうして私だけしてくれないんだって」
「やだ、乙女心ってやつなの」
「……」
仲睦まじい二人の会話に、言葉を失う。
「胸に傷もあるんでしょう、あの子をかばったっていう……なら余計に飛びつかないか、あの子すごく気にしていたから」
優しい眼差しはハルドメルのそれと似ていた。オルシュファンは返す言葉を見つけられずに、曖昧に笑って視線を逸らした。
(私は……)
「手紙にね、いつもあなたのことが書いてあるんだ。だから私ずっとあなたに会ってみたくて」
ほらほら見て! と女性は嬉しそうに荷物の中から何枚かの紙を差し出した。両親へ向けた手紙を勝手に見ていいものか逡巡したが、オルシュファンは好奇心に負けてそれを手に取った。
――踊るような、弾んだ文字。オルシュファンに語って聞かせてくれたドラヴァニアの旅の話も、まだ聞いたことのない東方の話も、所狭しと詰め込まれている。その中に何度も出てくる名前。共に旅をしているわけでもないのに。
『オルシュファンに話した時にね……』『オルシュファンならどうしたかな』『オルシュファンにも今度見せてあげたい』
(私は、どうして)
溢れる程の想いが、すぐそこにあったのに。
(……どうして)
せめて、その紙に雫を落とさないように気を張るのに精一杯だ。
会話がふと止まったからなのか、それまで言葉少なだった男性は微笑んで言う。
「……私たちのせいで友達もできなかった、喧嘩の仕方も知らない子だけど……君さえよければ、ずっと仲良くしてあげてほしい。あの子にとって一番辛いのは、だいじなものを失くすことだから」
何もかも、見透かされているような気がした。声を出したら情けなく震えてしまいそうで、オルシュファンはただ頷いた。
「ありがとう、ジンジャーティー美味しかったよ」
「こちらこそ……ありがとうございました。お気をつけて」
イシュガルドへ向かう二人を見送って、オルシュファンは空を見上げた。
――今、どんな場所を歩いて、どんなことを考えているだろう。怪我はしていないか。あまりにも多くのものを背負って、挫けそうになってはいないか。
いつもその旅路の無事を祈ることしかできない我が身を呪いたくなる。けれど絶望が人を獣へと転じさせる程の力があるのなら――この想いが、果てを旅する彼女を護ることだってあるはずだ。
「……ハル」
貴女に、会いたい。
―――――
「ねぇあなた、折角イシュガルドに行くんだから彼のお父様にご挨拶してもいい?」
「うーんまだ早いんじゃないかなぁ」